3本の柱

今日は海山ネットのミーティングでした。

夕方6時から始めて、終わったのが11時過ぎ。
決めなければならないこと、まとめなければならないこと、皆で考えなければならないこと、
が山ほどあって、しゃべり倒して5時間。終には頭痛がしてきました。

東日本大震災から1年が経ちました。今年はいつまででも寒くて、梅の花が咲いたか咲かないか
わからないのですが、山の手と海の手が初めて出会ったあの梅見の会の日が間近なことは
確かです。

長かったような短かったような、ほんとに無我夢中で動いてきた1年。
どんなふうに変わったかな、というと、私なりの言いかたで言うと、町の復興は、復興案が確定
されていないので、ガレキが動いたくらいで、ほとんど何も変わりません。沈んだところをどうするかとか
元は町だった今は広っぱみたいになっている土地をどう使うのか、あたりがはっきり決まらないと、
変わりようがないです。

仮設住宅が建って被災者が入居したのは復興ではありません。同じく仮設店舗ができたのも
暮らしていくうえで必要だからできたので、それを復興が進んだとはいえないでしょう。あくまでプレハブ
の仮設です。

そして人の復興は?
何日か前、海の仕事に出るようになったショウエイさんが沿岸地から戻って、わかめだのメカブなど
持って我が家に寄ってくれた時、「何年かかるかわからないけど、金持ちになろうよねえ」と海の幸を
利用する商品開発の提案をしてくれました。ほんとに金持ちになれたら嬉しいですけどね。
金持ちになったらショウエイさんの遠洋漁業の船買う。

そして奥さんのタカちゃんも今は沿岸地に戻らず、私たちの町に仮住まいでも居を構えてくれて、
私たちが知らない海の産物の扱いや調理を教えてくれてます。大変な1年だったけど、津波後、離れ
離れだったおじいさん、おばあさんとの同居もできるようになって、もうすぐ孫も生まれます。

元と同じ生活ではなくても、自分の足で立つようになったら、それが人の復興だろうと私は思います。

きのう、気仙沼のある活動をなさっている方がラジオで言ってましたが、その自分の足で立つということが
できなくなっている人がたくさんいる。その人たちを一人一人でも自分の足で立てるようにする活動を
これからもやっていきます。と仰ってました。
人の復興は人と人が繋がって輪を広げ、一人一人元気になることなのだろう、と思ってます。

そしてもうひとつ大切なのは、やはり意志的に経済を回していく活動なのだ、と今日みんなで話して
いるうちに気づきました。

海山ネットのこれからは、
町の復興。これはがんばって働いて税金払うくらいしかできませんが・・・。
人の復興。今までどおり海の手さんたちと連携を取り合って、海のもののことを教えてもらって販売に繋げる。
そして、意志的な手仕事での経済復興活動。無我夢中ではなくて意志的な、というところがミソなんです。
の3本の柱を根っこに据えて、進めるということになりました。

みなさま、これからもよろしくお願い申し上げます。
よっちゃんあたりから、「なんか違うぞ!」と言われるかもしれない。

 

 

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