六花の森は、六花亭のメセナ活動(企業は経済活動のために環境に負荷を与え資源を消費する。その代償として
企業は出資して文化、芸術活動を支援する)により誕生し維持されている風景式庭園。
10ヘクタールの荒地に小川と河畔林と湿地と水辺の植生を再生する目的で始められた「終わりのないプロジェクト」
とされるランドスケーププロジェクトと説明されていますが、その言葉どおり入ってすぐに目に入るのは植物の間を
縫って流れる小川。左のピンク色の花の群落はヤナギラン。
この流れに沿って花や植物を楽しみながら歩けば必然的に6個の小さい美術館を巡るという設計になっています。
坂本直行記念館には六花亭の包装紙の花の絵を描いた坂本直行の絵画が展示されています。
花柄包装紙館には六花亭で使われたさまざまな包装紙が壁いっぱいに展示されていて、いつも同じように見えて
いた包装紙の花柄が四季おりおりにいろいろあったのか、と驚かされました。
これは秋の実だ。
このクロアチアから移築されたという民家。ものすごく立派で頑丈そうなログ。
百瀬智弘作品館、真野正美作品館、サイロ50周年記念館と続きます。
ここでちょっと書いておきたいな、と思ったのは児童詩誌『サイロ』のこと。
1959年、お菓子屋六花亭の社長、小田豊四郎さんは、日高山系の麓で開拓農業をしながら山岳や北海道の
風物を描いている画家坂本直行氏に、これから創刊する、十勝のまちの子平野の子が自然と生活の中で書き
綴った詩集「サイロ」の表紙の絵を描いてもらえないか、と依頼したそうです。貧しい暮らしをしている坂本直行は
そういうことなら自分も参加したいと快く引き受けてくれました。約束は「廃刊することなく継続すること」
約束どおり坂本直行は「サイロ」の表紙絵を亡くなる前まで描き続け、亡くなった後は画家真野正美に引き次がれ
ました。
展示されている真野正美「サイロ」の表紙絵はこの十勝地方の厳しい大自然に生きる人々や子供の生活そのもの
が実に細かく美しく描かれている一枚一枚です。
創刊から50年の詩暦を刻みつつ今も続けられている子供の詩誌『サイロ』
発行場所はサイロの会。帯広の六花亭本店内にあります。
六花の森ファクトリー内のショップでお土産を買い、次に目指すのは今度は柏の森にある中札内美術村。
この森も六花亭プロデュース。これまでマルセイバタークッキーと花の図柄の包装紙しか知らなかった六花亭が
地域に根ざした大企業であることがよく解りました。なんでも見なければわからんのね。
柏の森は柏の木だけで形作られた柏の原生林。黒い森です。柏餅で柏の葉っぱの形は知っているけれど、柏の
木肌がこんなにも黒くてごつごつしているのには驚いた。黒い森はカッコイイというか素敵な森です
中札内美術村はこの森の中に4つの美術館とレストラン&ショップのポロシリがあります。豆のスープをチーズ
焼したポロシリはおいしかった。しかしなんでもかんでもでっかい北海道は、食べ物屋の食事の量もはんぱなく
でっかいど~。残さないように気を遣います。
次に向かうのは道の駅中札内。
道の駅中札内にある豆博士ビーンズ氏の邸宅ビーンズ邸。
1952年に馬鈴薯原原種農場の事務所として建設され、中札内村の代表的作物である豆類を紹介する資料館
として中札内村に移築されたという建物の表札には「豆畑拓男」と。
あれ、名前まで豆? ビーンズさんは日本人なんだ。今は豆の研究で留守中ですが、ご好意によりご自由に邸内を
ご覧くださいということで入らせて頂きました。
豆畑氏は一人身だけれどフランス人ミッシェルと同棲中。仕事は豆の研究。趣味の旅行だの釣りだののお洒落で
高価そうな持ち物や服などを見ているうちに、なーんだ、豆畑さんことビーンズ氏は架空の人物なんだ、と気づきま
す。豆研究者で豆畑さんなんて出来すぎじゃないですか。でも最初は騙された。
邸内は前室、リビング、キッチン、研究室、豆資料展示室に分けられ、じっくりと豆を見られるようになっています。
また折り折りに豆料理の教室が催されていて、そのレシピも持ち帰れるように配慮されていました。
中札内には他に紫竹ガーデンや十勝千年の森など見たい花のガーデンがありますが、これ以上いるとよっちゃん
たちと合流できなくなりそうなので、これで富良野へ戻ります。
新得町辺りまで来ると空が怪しくなってザーッと雨が降り出しました。当然狩勝超えも雨。結局絶景には縁がなかった。
中富良野の道の駅に寄って、孫からの頼まれ土産のバタじゃがをたくさんGET。
富良野に戻って「北の国から」の舞台、麓郷に向かいます。