仙台銀行ビジネスクラブ、SBC第15回講演会、交流会

2月20日、「海の手山の手」は、仙台銀行ビジネスクラブで毎年1度行われるSBC第15回講演会、交流会に、出席をさせていただきました。

 

復興に関わる活動とをしているとはいえ、ごま粒ほどの草の根的団体である「海の手山の手」に声をかけて頂く
なんて大変光栄なことです。

昨年から国の復興予算を頂いて、高知県四万十町の㈱四万十ドラマの畦地社長をはじめとする四万十
新聞バッグチームに援けて頂きながら、ようやくここまでこぎつけた東北新聞バッグproject、地元企業との
連携の最初のお仕事です。

SBC講演会、交流会は仙台メトロポリタンホテルで開催されました。
講演会は第1部、第2部で構成され、第1部は作家の浅田次郎氏の講演、第2部では、東北学院大学の柳井教授
東京でのお仕事から駆けつけてくださった畦地社長、そして海山代表、よっちゃんこと高橋博之が500名の
地元企業のお客様がたに東北新聞バッグproject及び海山の活動のことをお話しすることになっています。

会場入り口でディスプレイされた海山新聞バッグと新聞バッグ制作実演中のみっちゃんです。

どんな形にも作り上げてしまう新聞バッグ制作エキスパートのあやさん。今日講演される浅田次郎氏の、現在日本経済新聞連載中の小説を入れた大、小の新聞バッグを制作中。できあがったらプレゼントするつもり。

用意していただいた立派な控室で柳井教授、畦地社長と打ち合わせ中のよっちゃん。

第一部の浅田次郎氏の講演が終わった後、サプライズとして作り上げた小説掲載新聞バッグを浅田次郎氏に
お渡しすることができました。浅田氏からは新聞バッグを「お洒落」と言っていただきました。

ありがとうございます。浅田先生。

第2部に入って最初に、昨日放送された「仙台銀行が東北新聞バッグprojectに関わって頂くまで」を仙台放送のMさんに時間をかけて撮って頂いたDVDをお客様がたに見て頂きました。

そのほうが口でたくさん説明をするよりも、時を追って撮影した画面のほうが解かり易いだろう、ということと、異動で忙しい柳井先生も畦地社長もあやさんも放送を見ていなかったので、みんな一緒に見る良い機会でした。

第2部が始まる前の檀上の3人。

大災害では地縁、血縁も失くすことも起こり得る。遠くても人と人の連携、他の地方との連携も重要と話される
東北学院大学柳井教授。

「新聞バッグの作り方を教えてください」
と震災後の5月、最初によっちゃんから電話があってからのこの2年のことを語る(株)四万十ドラマの畦地社長。
話す前に放送を見たために、話す途中で涙ぐんで言葉が詰まってしまわれました。

ご苦労おかけしたのだ、とよく解かりました。

「私は百姓をしています」から語り始めたよっちゃん。
私が首都圏からこの町に越してきた12年前、オープンすることになった道の駅の説明会で、東京での大学卒業後の暮らしを転じて百姓を志し帰郷してきたよっちゃんと初めて会いました。
自分が何を目標とするかをしっかりと見据えて農業を生業とする新しい百姓だと思います。

檀上から話をすることを「失神しそうだ」と言っていたよっちゃん。立派に役目を果たしました。いい話でした。

第2部終了後の交流会。

 

真ん中におられるのは仙台銀行本店取締り役「カンベチャン」です。

最初から最後まで、そして銀行の高い役職に就かれている方から担当者の方々まで、仙台銀行さんには
ほんとうに言葉もないほどよくしていただきました。

銀行に対するイメージが一新されたといっても過言ではありません。
ご自分で「ステイタスはカンベチャン」と仰る取締役を始め、その他の取締役、お話しさせて頂いた社員の方々を通してこれからの地方銀行が進んでいかれる方向性を見せていただいたような気がしました。

 

そして取締役からうかがったちょっとじゃない、大変いい話をひとつ。

大震災後、仙台銀行は通帳、ハンコ全てなしで10万円までのお金を被災者に払い出されたそうです。       その中でお金が消えたのはたったの3件のみ。

「東北の人の素晴らしさを実感しました」と仰っていました。

 

東北新聞バッグproject第1弾が終わりました。

畦地社長の言葉です。
「終わったんじゃない。今日が始まりです」

 

 

 

 

 

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