東北村村営田舎学校、被災菊農家のお手伝い

今日は東北村の村営田舎学校で南三陸被災菊農家、つまりは菊の師匠の菊畑の後片付けを手伝う日。

しかしながら、東北の山々もいよいよ全山紅葉観光シーズンに入って、私の道の駅でのお餅の仕事も
忙しくなってきました。
昨日は東京出張で朝4時前には起床。今日も早々起きてお餅の出荷仕事を終わらせて、お昼過ぎ
に出発。せっかく南三陸へ行くのだからと娘と4歳の孫も誘いました。

 

小野寺師匠の菊畑の始末の手伝いはお昼で終了とのこと。初めて東北村田舎学校参加の方もいる
ということで南三陸の復興商店街で待ち合わせをしました。
復興商店街へは、以前できたての頃に来たことはあるのですが、中をゆっくり見て回ったことはまだないです。

南三陸さんさん商店街。中のお店にあるキラキラ丼というお刺身がいっぱいのっかった丼が有名です。

今日は日曜日でまあ、混んでいるほうなんでしょうけれど、お客様はこのくらい。ちょっと少ないねえ!

田舎郡東北村の本日参加者の最終ミーティングです。

東北村事務局マッツアンを中心にして、栃木から学校の先生、マッツアンの奥様も4歳のノンちゃんも
参加してくれました。そしていつも来てくれるインターン生と新入のアルバイトの方、山形から参加して
くださったフラワーコーディネーターのKさん。

遠い南三陸まで来てくださって、被災した菊の師匠夫妻の畑仕事を手伝ってくださってありがとうございました。
今年、またどこかでお顔を合わせる時がもてたらいいですね。

田舎教室部隊と別れて、本日の孫の目的地である”海”へ。
海のそばにいるというのに、浜に降りられる海がありません。

どこかに浜辺はないかと探しながら気仙沼にほど近い師匠の仮設住宅も通り過ぎて本吉の海へ。
被災してそのままの海や浸水して海だか海の続きだかわからないようなところはいくらでもあるんですが、
なかなか孫が「海どこォ?」というような海が見つけられません。まず降りられない。降りる気になれない。

本吉も過ぎて大谷海岸までやってきました。

流されてしまった道の駅大谷海岸は、今は仮設作りの直売所一つのような姿で営業しています。その背後に
広々とした砂浜があるはずだったのですが、海岸道路も何もなく、あるのは海との境目に延々と並ぶ黒い袋の
土のう。ロープまで張られていて海へは近づけません。

どうしよう。! うなだれる4歳になんとしても浜を歩かせ貝殻を拾わせたい。

キョロキョロしながら戻る道すがら浜辺を見つけました。
レストランだかペンションだかわかりませんが海べりの白い建物の脇から下へ道が続き、草に覆われた線路を
越えてハーブガーデンに入り、そこを過ぎて浜辺へと続きます。

海への入り口、ハーブガーデン。

被災後に作られたのだと思いますが、今も胸痛む風景が多い中、1年でここまでハーブを育て上げられた
努力に頭が下がります。


手前は線路。
線路は草に埋もれ、花が咲いていました。

海を見て満足して小野寺氏の仮設住宅へ。

大人の会話に飽きて外に出た孫は、間違えて隣の家に入ってしまいました。全部同じだものねえ。
優しい隣家の奥様からお菓子を頂き、お兄ちゃんからは遊んでいただきました。

今年のうちにどこかで海山、みーんなで温泉に行きたいねえ、と企画を約束して帰途につきました。

 

 

 

 

 

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