10年

あの恐ろしかった日から涙が止まらなかった日から10年の月日
が流れました。

長かったけれど短い、短いけれど長かった時間に感じます。
大震災前には考えられないほどたくさんの方々と会い、名刺を
たくさん頂いて、覚えてられないほどたくさんの出来事を
乗り越えてきた日々だったような気がします。

今日の日と思い決めて送ってくださったのだと思いますが、
フリー刺繍家の天野寛子先生からフリー刺繍画集「繋ぐ」の
第3弾が届きました。

ほんとうに素晴らしい、素晴らしいという一言では私のこの
感動と賞賛と先生への尊敬の心を言い表せない、天野先生の
魂がこもった刺繍画集です。日本中の人に見てほしい。

東日本大震災以降、天野先生は大震災に関する報道の写真や
記事を、先生の心に浮かぶ風景として色鮮やかな細い糸と針で
刺繍の絵に表されました。
先生が東日本大震災を忘れないためのかたち、だと冒頭に
書かれています。

第2部は先生が2013年から陸前高田で続けてこられた陸前高田の
みなさんに刺繍の作品をつくってもらう活動「みんなのたからもの
ししゆう高田松原」の作品集です。

この立派な一冊には丁寧に報道写真や記事の日付や、活動の
内容が日本語と英語で詳しく説明されています。

右の刺繍画は陸前高田の一本松の赤ちゃんですが、刺繍も
さることながら、選び抜かれた言葉での説明、そして世界に向けた
英文解説。たくさんの方の力の結集でしょうが、今年81歳に
なられる先生のお仕事への熱意と力量に敬意の言葉が見つかりません。

それに比べて私はどうかというと、頭の不出来は当然ですが。
先生の足の強さにも歩くスピードにも遠く及ばず、この10年で
まとまった何かというとなんにもできていない。

大震災の年に二次避難で鳴子温泉にひととき逗留された沿岸部の
方たちとともに海の手山の手ネットワークを立ち上げ、助け合い
ながら延々新聞バッグを作り続けてきた。それのみです。

先日元楽天球団の松井稼頭央選手のご縁で、今年から楽天に入団
して活躍を期待される田中投手の記事の新聞バッグのオーダーを
いただきました。

こういう記念すべき新聞バッグは、最初から新聞バッグを作り
続けてくれている南三陸のけいこさんにお願いしなければ、と
ワカメ収穫で大繁忙中のけいこさんを浜辺の作業小屋に訪ねました。

日中はワカメの仕事、夜は新聞バッグ製作で仕上がった多量の
新聞バッグを、持ち帰って次には洋裁機織り仲間が袋に詰めて
田中投手新聞バッグが完成。

どんな形でつかわれるのでしょう。楽しみです。
そして楽天にも優勝してほしいと思います。
宮城の人たちがどんなに喜ぶかと。

あの日から10年といっても区切る何かがあるわけでもなく、
機会あるごとに目にする沿岸被災地の復興という名の変貌に
驚いたり戸惑ったりしながら、なおこつこつと歩を進めて
東北の本来の力を取り戻す覚悟を新たにする通過点の1日です。

3月11日を挟んでの数日、その当日には電気も水も絶たれて、
実際には自分で観ることがなかったTVでの津波の映像は見るのも
つらい。寸法の合わない他人の服を工夫を凝らして身につけていた
鳴子温泉住まいの方々を思い出して胸が熱くなります。

そしてこの間の強い地震には慌てました。
あれだけ大きいのがきたのだからもう来ないだろう、と多寡を
括った日頃ののんびりが吹き飛んで、玄関の扉を開けて外に
出ました。そして東日本大震災の地震の恐ろしさを全く忘れて
いない自分の心に気づきました。

ビリビリと地面が裂ける黒い亀裂に驚愕し、「地球が壊れる!」
と指の震えが止まらなかったあの日を恐怖を、記憶が遠ざかったり
忘れかけたりする東北の人はいないと思う。

たまたま病院での予約診察の日で、診察を終えお薬ももらった
帰りの車の中でその刻を迎え、車を停めて黙祷しました。

10年経って私もそして一緒に助け合ってきた南三陸のけいこ
さんたち仲間も10歳をとりました。
この10年で紡いできた山と海の繋がり、人と人の繋がりが
何ものにも代えがたい私の宝物です。




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