初秋のガーデンへ

久しぶりの呟きです。

ひょんなことからコトが動いて、北海道のガーデンに行って来ました。

これまでガーデンというのはただ一つ、宿根草や木が組み合わされてデザインされた庭がガーデンだと思っていたのだけれど、今回のガーデン行脚で、ガーデンにもいろいろあるのだと知りました。

イギリス風にきっちり木をカットして形を整えるイングリッシュガーデン、自然をそのままに残したイングリッシュガーデン、大自然を背景にした自然の森、他にも針葉樹ばかりを集めたコニファーガーデンなどなど。
共通しているのは植栽する植物が宿根草だということ。

 

私も長年宿根草の仕事はやってきたけれど、私ができるのは栽培だけ。タネを蒔いたり株分けして増やして植えたりしても、地形のデザインはできないので
植物を並列に並べた畑になるだけ。

なので地形を活かしてデザインされた宿根草のガーデンを見てみたいのですが、これが東北にはない。昔私が田舎に住んでハーブガーデンをやりたいと夢想していた頃は、いくつかあった東北のハーブガーデンもすっかり数を減らして今は見に行けるところが無くなりました。

今ガーデンを観光の目玉にしているのは北海道でその名も「ガーデン街道」
大雪ー旭川ー富良野ー十勝を結ぶ約250キロに8つのガーデンとその他にも
ガーデン街道に参加していない庭園が点在しています。

ということで行くなら北海道。まとめて見るなら「ガーデン街道」ということで、行く前に倉本先生のお芝居以来交流が続いている富良野の谷山さんに連絡したら、ガーデンに行く順番、その他のご提案を頂きました。

で、その通りに動く決意で、菊栽培以来植物栽培に目覚めた野田さんとともに
9月半ばの早朝、まだ震度7の地震災害の記憶も新しい千歳空港に降り立ちました。

観光客少ない。空港のレストラン、売店は開いてない。売店のみは今日明日には開く模様だけれど、日頃の外国人観光客が溢れる空港とはうってかわった静かさ。
どれだけ走るか分からない長距離移動に備えて、野田さんが予約してくれた車は大型で助かった。

最初に目指すのは十勝にある大森ガーデン。
新千歳からガーデンがある紋別まで途中休憩をとってほぼ4時間のロングドライブ。紋別は「なんにもない春です〜」と森新一が歌い上げる名曲「襟裳岬」の海に近い、北海道の自然の厳しさを感じる小さな町でした。

ガーデン街道に参加していない大森ガーデンは、ガーデンに植える植物の生産、販売、ガーデンデザイン施工などのお仕事を主とし、その花々が植え込まれた美しいガーデンとショップ、Cafeが楽しめるところです。経営されているのは大森社長。花の世界大会で最優秀植栽賞を受賞されています。

思いがけなくもその大森社長が谷山さんからの連絡を受けて駐車場まで出迎えてくださいました。
いや、本当に私達のようなド素人がお会いしてお話を伺えるような方ではないのです。そんな杞憂を吹き飛ばすかのように、大森社長はとても物腰が柔らかく、お優しいお人柄そのままにお話をしてくださるので、すっかり安心してしてしまい、3時間もの長い時間をガーデンやナーサリーで過ごしたのでした。

巡らして頂いたガーデンは、白樺やその他の樹木に囲まれた広大な敷地に春歌秋冬、全ての季節に植物や自然を楽しめるように奥様の手で設計されています。春は球根の花々、終わると色鮮やかな春の花々、そして夏の花、秋の始まりの今は、晩夏に咲く花々に混じって紅い木の実や金や銀、銅色や白のグラス類が彩っています。

 

 

 

十勝の大原野の中で何棟も立ち並ぶ育苗ハウス。
案内して頂きながら、北海道の自然の厳しさ、超低温の中で燃料を炊きながら苗を育てるお話を伺うと、東京から北海道に移住されて以来40年の大変なご苦労が身に沁みて偲ばれます。

今野田さんが課題として取り組んでいる温泉の熱資源の利用が低価格で農業に利用される日が来るなら、東北の農業にとって播種、育苗がどれほど楽になることだろうと夢想します。

 

詰め込むだけ詰め込んで頭も心もパンパンに膨らんだ大森ガーデン研修を終えると、既に日も落ちかけた5時過ぎ。
初めての土地で初めての海を見るのも悪くなかろう、とあてどなく海方向へ。

 

到着地は十勝港。農業王国十勝に於ける唯一の港であり、ここから農業生産物を最短距離で首都圏に運び、農産物以外を受け入れる重要港湾である、らしい。夕暮れ時だからか、行き交う車は少なく、建物も少なく、なにやら寂しい気持ちになりそうなのだけれど、北海道に更なる道路が整備され発展したら更なる重要な海への玄関口になるのでしょう。

せっかく来たのだからともちょっと足を伸ばして襟裳岬方向へ。
到着地は十勝と日高を結ぶ交通の難所336号線の黄金道路。

見晴らしが素晴らしいからの命名で黄金道路ではなくて、荒波打ち寄せる海を前方に、崖上から湧水が流れ落ちる日高連峰山塊を背に、開通までに黄金を敷き詰められるほど莫大なお金がかかったので黄金道路と呼ばれるようになった、と説明にはあったけど、それよりなによりこの道路から見る海の荒々しさ!

福岡生まれで博多湾の内海で泳いで育った私は、背中までぞくそくするようなこの海の荒々しさにすっかり恐れをなして、すぐに退散。

帯広に戻り一泊して、明日もまた、十勝平原、富良野、旭川へのガーデンのお勉強を続けます。