桃源院

お昼前に珍しい方から電話がありました。

古川の在宅緩和ケア支援センター「はるか」のマネージャー、大石さんです。4年前に、母が亡くなったら翌日
父も亡くなって、茫然としていた頃からお知り合いになりました。隣接するクリニックでは三浦ドクターに
家族全員お世話になっています。

今日はクリニックに必要なお花を買うことと、4月20日に催される日本在宅ホスピス協会会長、小笠原文雄
先生の講演会のお知らせと、その時に先生と看護婦さんにお渡しするお土産の相談でみえました。

「はるか」では毎週1度、差し入れの食事など作って、スタッフが分かれて在宅で一人とか二人とかで
闘病されている患者さん宅を訪れてお話しをするという、ライフカフェをやっています。

患者さんや介護する家族が日頃感じているつらさや、やってほしいことをスタッフが聞いて、希望に叶うように
先生始めスタッフのみなさんが動く、という医療活動をなさっています。

 

今も時折り思い出す、忘れられない出来事があります。

だいぶ前のことです。大石さんから、ある患者さんのお宅に伺う時に一緒に来ないか、とお誘いがありました。
患者さんや介護なさっている方のお話しを聴くのだそうです。先生にもスタッフの皆さんにも日頃お世話になって  います。役に立つのかどうかわからないけれども、「行きます」と返事をしてガンが進んだ患者さんを介護して
いるおばーさんのお話しを聴きにスタッフに連れて行ってもらいました。いっぱいご苦労があるだろう、と思って。
私も両親の介護がきつかったから、たくさんお話しを聴こうと思って。

ところが、おばーさんの言葉が全然解からない。どんなに耳をそばだてても宮城の方言が聞き取れない。    はァ?と1度聞き返したら、申し訳なくて2度3度は聞き返せなくて、戻ってすぐにこの任務は断念しました。

 

それからずいぶんずいぶん経った時、たまたま行く人が少なかったのか、もう1度松山に同道を誘われました。

今度はお話はする必要がなかった。喉の患部にあてた器具でお話しをされるのですが、はっきり聞き取れて
まったく困ることはなかった。きれいに整理整頓されたお部屋で一人の男性が暮らされていました。         預かっていった差し入れの食事をお渡しするとと、「今は自分が食べたいものを食べたいので、次から辞退したい」 と断られました。若い時のこと。結婚せず、ずっと一人身だったこと。病気になってからのこと。手術をして退院した日に一人でお寺に行って自分のお墓を購入し、人とのお話の機会を持ちたいのでクリニックに出向いたことなど、   器具を喉にあてながらゆっくりゆっくり話をされました。

人の欲みたいなものが全くなくて、ただ生きている今の時間の対話を楽しまれているように感じられて、       私はこの方が好きになり、大石さんにお願いして時々連れて来て頂こう、と思いました。

この身体だが、今の望みは親しい者と一緒に鹿児島に行ってみたいのだそうです。その頃鹿児島に行ってみたいなあと思っていた私は、次に来る時には食事ではなく、鹿児島のパンフレットなど揃えて持ってきましょう。きっと
クリニックの先生やみなさんが介助して連れて行ってくださいますよ。と言って日が落ちる頃においとましました。

翌朝、大石さんから電話がありました。
夜のうちに一人で亡くなられていたそうです。
初めて会って30分ほどしか話したことのない人との別れに泣くのは初めてでした。

お別れに鹿児島のパンフレットを持って行き、ご親戚の方にお渡ししてきました。
お寺は松山の桃源院。風情のある名前から想像すると、桃の花が咲くお寺なのかもしれません。
もう少し暖かくなったら、桃源院に行ってみようと思っています。

 

 

大石さんからご紹介頂いた講演会は、夫が行くことになりました。
よかった、よかった。男の人はなかなか動かないので、時々こうした催しに呼んで頂けると有難いです。

 

夕方から昨日の暴風の庭片付け。枝拾い。

クリスマスローズの葉をどけたら出てきたクリスマスローズの芽。
こういうのがあるから、草取りを人にやってもらえないんです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私が動くとおりに付いてくるシロリン。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

土筆が出てました。