発電機が欲しい

またまた地震です!

古川でのミーティングを終えての帰り、ビデオ屋に寄りました。
借りたDVD返していくつか借りて、外へ出ようとした時、何言っているんだかわからないくらい大きな声で
血相変えて従業員の女の子が叫び始めました。

「出てくださーい、急いで外にでてくださーい!!」
ワラワラワラとみーんな外へ出たらグラグラグラとけっこう大きい横揺れが来ました。めまいがするような揺れ方。

後で震度5弱と聞いたけど、いやー、時間が長いからかもしれないけれど5強か6くらいに感じましたね。

そして家で地震がきた時にはそんな感覚はないのですが、外で、家から30分か40分離れた場所で地震に合うと、
一種独特の症状になるのを感じます。                                             心が騒然となるというのか、指先が震えるような気持ちがするというのか。
去年の地震の時は、かつて経験がないほど手が震えて、車のハンドルが握れませんでした。

誰かが「電気ついてるよー。信号も動いてる」と言うのが聞こえます。
そうだ、そうだ、電気ついてるから大丈夫。

 

でもとにかくもう誰とも電話は通じない。家族が無事なのかはわからない。ということは頭では解かっていて、
何処にも寄らずに早く家に帰りたいんだけど、渋滞です。 事故?と思うくらいの渋滞。
そしてどのガソリンスタンドも車がいっぱい。ガソリン入れたかったけど諦めました。

原発大丈夫か、津波は来るかも、と思いながら家に到着。
電気がついて、みんな大丈夫でした。
「汲み置きの水を近頃替えてなかったなあ」と夫が反省してました。

 

今後1週間くらいは余震に注意と気象庁が言ってます。
近頃では南海沖地震が来るとか東京直下型地震がくる、とか言ってますが、私たちも宮城県沖地震が来る、と
しょっちゅう言うくせになんだか自分が生きているうちには来ないような気がしていた。

まだマグニチューム8くらいの地震が来るということもあるそうだから、注意するったってできることは
限られてますが、発電機がほしいなあ、と娘と高性能発電機に憧れてます。

 

 

 

 

 

海山の経済政策

衆院選が公示され、12党の候補者の演説が始まりました。

選挙を語れるほどの頭はないのですが、でも自民党の安倍氏や民主党の野田氏他の重要候補者が
被災地に於いて第1声を挙げている、というのがなんとも違和感がありました。

そして1番目に時間を割いているのが復興対策。野田さんは原発復興で安倍さんは震災復興。

 

昨年の大震災からもう1年9か月。2年近いです。
先日四万十に帰られた四万十インストラクターと南三陸までご一緒した時、「もう2年近く経っているのに、
なんにも変ってないんじゃないですか?復興のお金とかどこへ行ったの?」と唖然とされていたけれど、
この「第一にやることは震災復興」という演説を聞いているとやっぱりなんともかんとも言い難い違和感がある。

 

この1年半以上1か月に1度くらいは南三陸に行っていました。最初の頃はビルの屋上に車が乗ってたり
菊の師匠の弟さんの家の壁にに車が突っ込んだりしていました。田んぼに船があったりして、家々がなくなってしまったもの凄く広い範囲にボランティアの人たちが散らばって胸にゼッケンみたいなのをつけて、手でガレキ撤去をしてました。家があった跡の礎石にみかんやお菓子が置いてあったりしてました。

 

それからだんだん片付いてきて潰れた車の山や壊れた家のガレキの大きな山があちこちにできました。

あちこちの山を削って仮設住宅ができ、長い時間をかけて徐々にガレキが少なくなり、潮水に浸かって立ち
枯れている木々の伐採も始まりました。あっちのやまもこっちの山も刈り上げ状態です、今は。

 

そしてこの間からは流れ去った家の礎石のコンクリートの撤去作業や、志津川病院などのコンクリートの建物
の解体や撤去作業が始まりました。東北沿岸部を延々と続く被災地域のコンクリート塊を片付けるのは
時間がかかる作業のようで、少しづつ少しづつ進んでいる感じがします。コンクリートを剥がせば更地になるのは
当たり前のこと。でもその当たり前のことさえ、私は普通に道路も建物もコンクリートで覆われている町に長年暮らして忘れ果ててました。土がむき出しになるのを見てびっくりしました。こんなふうになるのかと・・・。

 

そしてもっとびっくりしたのはコンクリートがなくなったら途端に川の水嵩も浸水も目立ってきたこと。
専門家じゃないからよく分からないけど、たぶんコンクリートというのは水を止めているのではないかと。
東北沿岸部の幹線道路国道45線を走っていると、道路の向こうの海面が急に近くなったような気がして不気味です。私的に言えば「水だらけ」という感じがする。
雨が降ると道路は冠水します。

何度も南三陸には行きましたが、壊滅した町の45号線から海方向へは行ったことがありません。
なぜだか用事もないのに行ってはいけないような気がします。

出来る範囲の片付けは時間をかけながらも進んでいるのだと思います。でもすぐには手をつけられない防潮堤や
大規模な浸水などにはなーんにも対策はとられていない。というよりできない。対策は「わからん」ということではないですか。港に戻れるとは思えないです。どう考えても。

安倍氏や野田さんはできる、と思っているんだろうか。口だけならなんとでも言えるから、そこをひとつでも
具体的に聞きたいです。

 

元海の男のショウエイさんは「まず30年はかかるな」と言います。今書いたような浸水したところは他にいくらも   あるのだそうです。誰が被災地に来て立派な政策語っても、現実、現場を見ていると「何夢みたいなこと言っているんだろうか」と私は思います。
だからせめても人の復興くらいは自分たちでと思うので、みんなで一緒に楽しくモノを作ったり新聞バッグを作ったりしています。新聞バッグや布小物を作って売ったお金で養殖の稚貝の1個、海に垂らすロープの1本でも買えれば
上等です。

 

海山代表のよっちゃんはいつも言います。
「大切なのは人なんだ」と。そしてモノを作り出す手。海の手山の手。                            人が人の手で小さなモノでも作って売れば、それが基本の経済政策というのではないのかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒涛の時が過ぎて

昨夕は四万十インストラクターお二人を古川駅に送って、そのままよっちゃん夫妻、日頃から海山に
強力いただいているKさんとプチミーティング。東京で企業との面談、大四万十祭に出席してきた
よっちゃんの話を聞きました。これからいろいろ取り入れて新生海山ネットの足場作りをしてゆきたい
と思います。

 

そうこうしている間も日々やらなければならないお餅仕事や新聞バッグ仕事は続き、間にちょっと
注文の聞き取り間違いなどして大慌てでした。

 

このところ大口の注文を頂くことが続いて、新聞バッグが在庫薄になり、発送がスムーズに流れない
事態がでてきて、南三陸インンストラクター部隊に大至急の製作をお願いしました。
そしたら、その製作の早いことにびっくり!

昨日の初心者講座でなら、中バッグを作るのに1時間に多くても3枚程度。なのですが、「明後日までに
150枚お願いできる?」などと言ってもまず「わかった!」と言ってくれる南三陸部隊の心強さ。

 

海の手山の手ネットワークを始めて、みんなで四万十から来た黒田さんや常徳さんに1日講習で新聞バッグ
作りを習って認定証を頂き、このあとどうしようと不安だった昨年のことを思うとウソみたいな進化です。
そしてあの頃は新聞バッグ作りだけが仕事だったのですが、今はわかめやほたての養殖の仕事もあって
新聞バッグも作ってくれています。

 

私もよっちゃんも同じです。自分たちのお餅や花やよっちゃんなんばんの仕事をこなしながら海山ネット
の仕事をやっています。今の世情ではどっちも重要だと思うから。

 

大慌てでばたばたしましたがとりあえず昨日、今日の発送は終わりました。
明日はうちの4歳の孫のお稽古に付き合い、自分ちの事務仕事をし、明後日は事務所に引っ越しに行きます。

そしてまた、発送。うーーむ、忙しいです。間違わないようにしよう。

 

 

 

 

 

 

第3回新聞バッグインストラクター養成講座

第3回新聞バッグインストラクター養成講座です。

講師は四万十新聞バッグインストラクターの黒田さん。四万十から来てくれました。
そして同じく四万十新聞バッグインストラクターの常徳さん。東京から来てくれました。

黒田さんも常徳さんも、昨年の5月、まだ避難の方が鳴子温泉におられる頃に、新聞バッグの作り方を
教えに鳴子温泉まできてくれました。まだ先がどうなるのか見当もつかない時期だったので、こうして
1年8か月経って、また会えるのはとても懐かしいし、嬉しいです。

昨日は名取の東北復興プロジェクトでインストラクター講座を持たれたお二人と、夜古川で食事をしながら
経験談などうかがいました。凄いなあー、と思ったのは、常徳さんは80人の講座でも教えられるそうです。

 

長野の大人の文化祭で海山ネットインストラクターのあやさんが14、5人の講座を持った時、よっちゃんと
私はアシスタントとして机と机の間を走り回りました。それが80人なんて考えられない!

たかが新聞バッグインストラクターと言う勿れです。目配り気配り大変だし、多人数にきちんと丁寧に
わかってもらえるように教えるのは非常に難しい。お話しを聞きながら改めて、お二人の講師としての         実力の凄さを実感しました。

 

そして今日は二人のアシスタントを務めた海山ネットインストラクターのあやさんが、近い将来、常徳さんや      黒田さんのような講師になって活躍してほしいと思っています。

 

今日の受講者は13人。みんな熱心に聞いて作ってくれました。

ハート型新聞バッグですよ。ハート型!

10時から4時までの間にこんなに作りました。色がとても素敵です。

新型なみなみ新聞バッグ。

東京から戻った海山代表よっちゃんが「みなさーん、面白かったですかあ?」という問いに対して
「楽しかったでーす。すぐ忘れそうなので、もう一度講座を開いてくださーい」

という答えが返ってきました。

ハードだけど楽しい充実した4日間が終わりました。
四万十のみなさま、ありがとうございました。
受講者の方々、ありがとうございました。
たくさん注文をいただいたら、みーんなでわいわい楽しく新聞バッグを作りましょう。

 

 

 

 

 

東北新聞バッグプロジェクトinおおさき

東北新聞バッグプロジェクトというのは、復興庁の「東日本大震災ソーシアルビジネス創出促進事業」を活用
して、高知県の株式会社「四万十ドラマ」が同社で考案した新聞バッグつくりのノウハウを、東日本大震災の被災地のNPOなどに伝えよう。つまりは被災した人たちが仮設住宅でできる仕事を増やそう、という取組みです。

 

伝えていただくその中心になるのが、これまで1年半以上四万十ドラマから教えてもらった新聞バッグ作りを
続けてきた、海の手山の手ネットワーク。
そして南三陸のNPO法人「みらい南三陸」と名取市にある一般社団法人「東北復興プロジェクト」の3団体です。

 

このプロジェクトは今年の8月から始まりました。

8月、10月、と高知県四万十町からプロジェクト隊長である㈱四万十ドラマ社長(道の駅しまんととおわ社長)畦地履正氏をはじめとして、デザイナー梅原真氏、道の駅の大黒柱支配人の森岡さん、道の駅営業マンの
畦地ジュニア、日本でも何本かの指に入るだろうと思えるほど実に有能なファシリテーターの畠中智子さん、
(智子さんの手にかかると、てんでんばらばらに喋った会議内容が見事に紙の上に文字と図解で整理されてゆきます。)、そのご主人のファンドレイジング担当の洋行氏、そして最初から私たちに新聞バッグづくりの手ほどきを
してくださっている四万十インストラクターの黒田さん。

 

がワークショップセミナーと新聞バッグインストラクター養成講座のために宮城を訪れてくれました。
ワークショップも新聞バッグインストラクター養成講座も南三陸、大崎、名取と日を替えて行われます。

第3回目のワークショップセミナーは11月に四万十町で開かれた全国新聞バッグコンクールに参加した際に
高知市で行われました。このセミナーにはこのプロジェクトを応援してくださる企業の方たちも参加されました。   この新聞バッグコンクールで海山ネットのあやさんはグランプリを獲得しました。

 

そして今回は3回目のワークショップです。

第1日目は昨日、みらい南三陸のNPO未来で行われました。
NPOみらい南三陸は津波で被災した方々が仮設住宅で、住民の雇用のために自ら立ち上げたNPOです。
代表のU.Sさんと世話役のSさんが責任を以ってこのプロジェクトに対応しておられます。

 

第1回目と第2回目は、このプロジェクトに対して戸惑いがあるようでした。
なぜなら、東北大震災から1年半以上経って、働ける人は遠くに出ても仕事をしている。仮設に残っているのは
仕事に行かないばーちゃんたちばかりなので、お金で売るような新聞バッグを作れる人はいない。作って
も足並みが揃わないに違いない。
というような理由で新聞バッグ講座の時もインストラクター志望というよりも、集会所でみんなと一緒に
折るのが楽しい方が主でした。

 

このNPOではわかめを仕入れて販売して、雇用を生み出す、ことと
被災者の方々が被災時の体験を書いた「南三陸からの手紙」という冊子を販売しています。

 

そして今回の3回目ではやはり二人の考えは、新聞バッグを作って楽しい時間を持つことは継続してほしいが、
完成度が低い新聞バッグを売るということが難しい。今はわかめを新聞バッグに入れて販売している。
という二人の話で、「みらい南三陸」の新聞バッグはワカメ入り」、というのはどうか、という提案が梅原さんから   出されました。かろうじてある産業の養殖わかめを新聞バッグ入りで企業に買ってもらう。

 

すると「みらい南三陸」の活動意欲に火が点きました。それまでの悲観的な雰囲気から一変して、次々に
やりたいこと、やれそうなことがでてくるではないですか。

海山ネットも負けてられないです。

 

全体を大きく考えてみると、この東北新聞バッグプロジェクト事業は、大変優れた企画だと思います。

このプロジェクトで四万十ドラマと私たちが協力して新聞バッグを売る仕組み、たくさん作る仕組みを作り上げれば
企業との連携などで、被災地の仕事ができる。それは被災地の人にとっても私たち中間の者にとっても、
そんな形で社会貢献できる(CSR)にとっても、新聞バッグを利用して復興事業を立ち上げてくださった四万十ドラマ
にとっても、みんなによいこと、なんじゃないかと、

そんなことを考えた、今日大崎のワークショップでした。

参加できなかったみなさん。ああ、そういうことだったのか、と理解してくださいね。

テレビ局取材中.

明日は名取です。よっちゃん、みっちゃんが参加します。

明後日4日は新聞バッグインストラクター養成講座です。種類がいろいろなので頭がめくるめくようですが、
1日みっちりやりましょう!

 

 

 

 

 

 

東北新聞バッグプロジェクトin南三陸

朝から雪かなあと思っていたらなんとか降らずに済みました。

道の駅に出荷に行ったり、帰ってパソコン直して貰ったり、ああ、そうだった、とパソコンを治しに来て
くれているKさんにヘッドランプを取り替えてもらったりして、大急ぎで古川駅へ。

駅でよっちゃんと待ち合わせて、到着した四万十チームとともに南三陸戸倉へ行きました。

ついこの間南三陸へ行ったのたけれど、、また景色が変わっている感じがしました。

コンクリート」の山がなくなって土が出て来たら、やたらに水が目立ったきました。

海の水が陸地まで迫ってくるような感じを受けます

終わった後の四万十チームとの交換会。

あまりに楽しいのでよっちゃん、お酒を飲みすぎて、メテメタになってました。
明日は2日目。東北新聞バッグin大崎です。がんばります。

 

 

 

 

 

明日から12月

今日は11月最終日。明日からいよいよ12月です。

1日から4日まで東北新聞バッグプロジェクト第3弾が始まります。
ということで、明日は午後から南三陸へ行く予定ですが、天気予報はあいにくの雪。

春にタイヤを替えそこなって夏中履いた冬タイヤを替えにイエローハットに行きました。
なんと、2時過ぎに行って終わったのが6時過ぎ。さすが東北、夏タイヤから冬タイヤに替える時は
みんな一緒になるから、こんなことになるんですね。

利きのいい新しいスタッドレスタイヤに替えてワイパーも冬用にしてオイルも見てもらって車の冬仕度を終えました。

東京の版画家岡澤さんから、海山ネットのハンコが送られてきました。
東北新聞バッグプロジェクトが始まって、インストラクターの数も増えたことから、各インストラクターに海山ネット
のハンコを持ってもらい、それにイニシアルのハンコもプラスして、新聞バッグに押してもらうことにしたのです。

岡澤さんにお願いしたら、いろんな形の海と山と手が組み合わさったハンコを作ってくれました。
とても素晴らしいし、自分のイニシアルのハンコを持つのは嬉しいです。私が嬉しいのだから、みんなも嬉しい
かもしれない。

 

今年の春まで知らなかった岡澤さんに、こんな形で一緒に海山のプロジェクトに協力してもらえるというのが
奇跡のようです。こういうご縁はほんとに大切にしたいし、ありがたいです。

写真をUPしたいのだけれど、写真の取り込みが不調で、明日なおしてもらいます。

よっちゃんちに夜、ハンコを持って行きました。つjいでに新参者のチョビの小屋に熊のぬいぐるみを入れて     やりました。お父さんいわく、「あれはもの凄く賢い犬だ!」
動物愛護センターの抽選で最後まで残っていた子犬だそうだけど、みんな優しいヨッチャんちの子になって
よかった、よかった。猫のメルがストレスで疲れてました。

 

 

 

 

 

 

ほっかぶり市のこと

寒くなってきました。木の葉も落ちて、栗駒山も鳴子の奥の山々も雪を被りました。
寒くなると夜は外に出たくないんだけど、昨夜は道の駅の会議でした。

夜6時から9時ころまで、私たちの直売所にまつわる諸々のことを話し合います。

中で話題になったのが、先日の風ビュービューの日に開催された「ホッカブリ市」。

最初の日はまあまあの天気だったのですが、2日目の日曜日は、気温が低い上に強風、時々時雨れるという
最悪のお天気状況。その何日か前の農協祭りでは強風でテントがとんで、何人かの人が救急車で病院に
運ばれ、テレビの格好のニュースになり、何度も流されたので、中止するのかなあ、と思っていたら、やめないでやり続けるのでびっくりしたし、「よくやるなあ!」と感心しました。

大体私は最初のうち、「ホッカブリ」というのがよくわからなかった。手拭いでほっ被りするわけです。
それが何を意味するのだろう、と実は不思議だった。

 

でも計画を立てているよっちゃん始め実行委員の人たちは、忙しい時間を割いて仙台まで出かけていって
は打ち合わせを重ねていました。「海山ネットも出るんですよ!」と言われたけど、ほっかぶり市は軽トラ市だから
軽トラもないし、軽ワゴンで我慢してもらうことにしてパンジーや葉牡丹を販売することにしました。

 

軽トラ市をやる場所を得るのにずいぶん苦労してました。
有備館の駐車場なんて広いし、観光客にこの町の地場産品を宣伝するには格好の場所だと思うのだけれど、ダメということで2転3転。最終的に役場の駐車場でやることになったのだけれど、後でけっこう良い評判になっていると聞いて、だったらお客さんもやる方も楽しめる1番いいところを使わせてあげればいいのに。と思っったことです。

 

このほっかぶり市、規制が何にもない。やってはいけない、ということがないのです。勿論地場の産品を
販売して地域の力を上げるというのが目標なので、そこを外れてはいけないのですが。
ただひとつのやらなければならないことは、手拭いを被ること。

ということで私も手拭いを被り、連れて行った孫にも手拭いでほっかむりをさせました。手拭いを被ってミニSLにも  乗りました。会場を見渡すと大人も子供もみーんな思い思いの手拭いでほっかぶりをしている様は、微笑ましくてひとつのことをみんなでやっている、という連帯感がありました。

今回のほっかぶり市は第1回目ということで、ほっかぶり市発祥の地である雫石からも仙台からも石巻からも
塩釜からも、震災後にあちこちの復興催事で」ご一緒だった方々も見えていて楽しかった。

もともと企業のサラリーマン生活が基盤だった私たちは、このほっかぶり市のような場所ででお客さんと
対面販売したことがありません。道の駅で機会があった時にちょっとやっただけです。

でも、このほっかぶり市に出たおかげで私は燃えました。
よーし、この次はお店の作り方を考えよう、とかどんな形でモノを売ろうか、とか何を売ろうかなあ、とか。
考えていて楽しい、ということはこの市に参加していて楽しい、ということ。

 

何より、面白いと思ったのはみんなの手拭いを被った格好。
よっちゃんは昔風の長褞袍を着てメガホン持ち歩いていたし、みっちゃんは可愛い絣模様の綿入れ作務衣に
ブーツ。玉子屋のユージ君は黄色のつなぎに手拭い被ってその上にひよこや雌鶏の帽子被ってた。売っている卵も新しい玉子には「新人王(?)」とか「なんとかrルーキー」とか名前がついてた。                     ハーブなどを売っている魔女ママさんたちは長ーいマント風コートに手拭い被って魔女帽子被ってたけど、みんな場所に馴染んで、自由で楽しそうでした。楽しくなかったら、あんなに笑わないもの。

特別にこの日のために用意をしたものをみんなが着ているわけではなくて、この町ではTPOに応じた普通の
恰好だから、またそれが私にとっては興味深く面白いことでした。

 

この次にもまた来ますよ。遠くから参加された田伝むしさんも言ってたし、東北村もまた参加すると言ってました。
私もこの次までには何か策を考えて、うんと楽しいほっかぶり販売をやりたいと思ってます。
今回は前日まで長野にいたから間にあわなかったので。

たくさんの楽しい写真は、ブログよっちゃん農場ドタバタ日記をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグスペインへ

11月27日。初雪です。例年より遅いのか早いのかわからないけど、年々気候が厳しいーというんではないけど、
激しくなっていっているのを感じます。

雪が降ると、昨日まで晴れていたのにドカッと降って、切り花用のハボタンが全滅したり、ハウスが壊れたり。
根雪なるのかと思えば翌日には晴れてサーッと溶け、午後になったら冬なのに雨が降ったり。
寒気団も強烈で、これまで経験したことのないマイナス15℃になって、水道管が破裂したりポリバケツが割れたり。

付いてゆけないよ。いったいどうしたいの?と問いかけたいようなここ1、2年の気候の変動。
ああー、また強烈な冬がやってきます。不意打ち強烈気候団といった感じ。

 

一昨日くらいから、諸々、起こってくる事柄が多くて私の頭もどれか忘れそうなくらいにめくるめいています。

これまで海山ネットを支え続けてくれていたNPO事務局KJから海山ネットワークの活動を案内するリーフレットの
スペイン語訳ができました、というメールがきました。

この新聞バッグスペイン行きというのは、KJの娘さんがスペインに行ったり、最初の頃からご新聞バッグを販売し続けてくださっている東京恵比須のギャラリー、まぁるの経営者であるKさん、そしてスペインにおられるミゲルさんのご協力により、スペインのマドリードでの新聞バッグの展示が実現したものです。新聞バッグの展示ではないのですが、紙を中心とする展示イベントに一緒に入れて頂いているのだと思います。

 

度々ミゲルさんよりのお手紙や、これからなさろうとするイベントの内容、マドリードでの展示に来られるマドリードの
著名な方々のことなど、知らせを受けていたのですが、ミゲルさんの英語も第2外国語なら、こちらも英語もおぼつかないうえにスペイン語なので、どうしたものか、と頭をかかえるような思いでしたが、この度、上智大学の先生方のご助力を得て、立派な「海の手山の手ネットワーク」リーフレットスペイン語版ができあがりました。

東北大震災後、後先なく始めた海の手山の手ネットワークの活動が、このような形でスペインで紹介されるなど、
想像もしなかったことで、大変に光栄です。

 

KJや娘さん、そしてギャラリーまぁるさん、ミゲルさん、N先生、ご同僚のスペインの先生のご尽力に
敬意とともに深く感謝申し上げます。

のぶちゃん、さおりちゃん、そしてみんな。スペインまで行っちゃったよ。
ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

カラスめ!

 

このところ連日用事があって、買い物もきちんとできていなかったので、今日は道の駅とその他の出荷を
終えてから、近くのスーパーに腰を据えて買いものに行きました。

買うものがけっこう量あって、重そうなので、普段は持って行くのを忘れるレジ袋不要のピンクの籠持って、
カートを押して店内に入りました。

台所用洗剤やら電球やらネコ用毛布やら買って、今夜のおかずのおでんの材料だの卵だのをピンクの籠に
入れました。満杯になったピンクの籠の一番上にキッチンペーパー2個置いて、ガラガラとカートを押しながら
車のところに戻りました。

車のドアを開けてカートからピンク籠を入れようとしたところが、なんと、真っ黒いカラスがキッチンペーパーを
押しのけておでんの材料のさつま揚げを食べてたあーッ!!

 

頭にくるーッ!

ああッと驚いて「こらあッ」と怒鳴ったらピョンと下に降りて足元30センチくらい離れたところで、咥えた分全部
食べて飛び去っていきました。

カラスめ!

カラスの食べ残しは食べたくないよ。何つついてるかわからないから。

実はこれで2度目です。

前回の時は、ほら、スーパーで蓋を切り取ったダンボール箱が置いてあるじゃないですか。
あのダンボールに買った物入れて車のところまで歩いていたら、まったく頭の真上後ろからきて、さーっと
韓国のりかっさらって行った。

ある時はおじいさんがお肉のパック持っていかれていた。
ある時は入り口に置いた自転車のカゴの中の荷物を熱心につついていたけど、「まあ、あんたたちも腹減るよね」
なんてちょっと追い払って見過ごしました。

娘に

「お母さん、カラスなんかになめられていいのッ!」
と言われてもねえ。

これからはピンクの籠の中に袋を入れてしっかり口を縛るようにと、注意されました。

カラスめ!