明けまして おめでとうございます。
怒涛のような年末をどうにか乗り越えて、雪も風もない穏やかなお正月を迎えています。
道の駅にお休みはないので、元旦も普通にお餅仕事。
「お正月には毎年ここでお餅を買って鳴子のホテルに行くのですよ」
そう仰るお客様もおられるので、搗いたお餅ができるだけ硬くならないように工夫をしてお店に並べます。
夜、仕事を終えた家族全員揃ったところで孫曰くの「お正月」を済ませ、恒例のゼンガで閉め。
昔はカルタや双六、凧揚げ、羽つきだったのに、今はゼンガやその他の横文字の私には
わからないようなゲームで大騒ぎをして元旦の夜が更けていきます。
明けて2日は集落の新年会。
嬉しいことに、我が家の4軒ほど向こうの戸建ての家を購入した黒田さんが、人口が減り続ける我が
集落の住民になってくれました。
熊本育ちの黒田さんが、なんで東北の田舎の岩出山という小さい町に住むことになったのか、訊かれて
説明するのがなかなか大変。
大震災後、よっちゃん、梅農場の宗一さん、と海の手山の手で新聞バッグを作ろう、となった時、
新聞バッグの本家本元、高知県四万十のNPO・RIVERに「新聞バッグの作り方を教えてください」と
電話をかけた時に電話をとってくれたのが黒田さん。その後、高知から作り方を最初に教えにきて
くれたのも黒田さん。そうこうして最後には私も東北応援します、と高知から岩出山に来てくれました。
次には昨年の熊本の地震でお母さんが熊本からみえて、一緒に住まわれるうちに空き屋が見つかり
あれよあれよ、と言う間にこの集落の住民になっていただくことに。
新年会の席に座りながら「なんで私はこんなところに?」と自分でも信じられない気持ちでしょうが、
私も仙台市場で花を売り始めたとき「なんで私がここに」とキツネにつままれたようだったもの。
人生半分くらいは、その時次第、行き当たりばったりで動いていくのかもしれない。
集落の皆さんに初めてご挨拶して、帰る時には、雪かきをお願いできることになりました。よかった、よかった。
なんといっても、ドカ雪のときの雪かきがここに住む一番の不安材料なのです。
風もなく雪も降らない穏やかな日和。
黒田さん、お母さん、娘親子と一緒に毛越寺に初詣に行くことにしました。
毛越寺に来るのは初詣が多いので、大体寒くて、お参りを済ませるとすぐに帰るのですが、今日は初めて
順路どおりに一周することに。
広いこと広いこと、こんなに広いとは思わなんだ。
広い水面は薄く氷が張っています。
楽しい1日でした。
また新しい年が始まります。
どんな年になるのかさっぱり解らないけれど、75歳というこの年齢で、お餅の仕事や海山ネットの活動を
通して夢の途上と言う気持ちでいられるのは、幸せなことだと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。