昨日も今日も雪が降ったり止んだり。水を含んだようなべったりとした雪が横殴りに降って、寒い。
こんなお天気でどうかな、と思ったけれど、お願いしていた外の電気の修理の電気工事屋さんも、2階の部屋の
クロス貼りの職人さんも朝から来てくれました。
急に思い立っての壁紙の張替え。とても年内には無理だろう、と思っていたのだけれど、「大丈夫です。28日に」
と今年の最後の仕事に入れていただけました。わざわざ仙台から。道が凍っていて怖かったとのこと。
こうして田舎に家を建てて住んで、なかなか大変だと思うのは家のメインテナンス。こんな時だけ、「もういいや」と
思っていた都会のマンション暮らしの便利さを思い出します。
夏の終わりから始めた外周りの木部の塗装はほぼ終わりました。が、まだ家の中の木の窓枠なんぞはまだ終わ
らない。紙やすりで磨けばきれいになるから、Kさんに教えてもらって今せっせと磨いています。磨き終わったら
保護剤を塗る、という順番だそうで、出来上がりが楽しみです。
範囲が広すぎて無理だ、と断念したのがクロス貼り。
来てくれたのはお父さんとお兄さんの親子職人さんでした。
お兄さんは何歳くらいだろう。訊かなかったけれど、10時のお茶の時、お父さんはコーヒー、お兄さんはココア
を所望だったから、まだ十代のココア年齢だと思います。2階から聞こえてくるお父さんがお兄さんに指導する声を、
いいなあ、と思いながら聞いてました。
うちの夫は大学を卒業してからすぐアメリカのコンピューター会社の社員になりました。まだコンピューターが日本
に入って間もない頃で、夫は日本の企業にコンピューターが入ればうんと便利になって経済も豊かになると
信じ、1日が30時間もあるかのように家庭があることを忘れたかのようにうんとうんと働きました。そして40年近く
をコンピューターの進化と共に過ごし、定年を迎えた後、この農業が中心の小さな町、岩出山に住み着きました。
自ら住みたかったわけではなく、田舎に住みたがる私に引きずられてのことですが。
そして時折り述懐するようになったのは
「俺たちは良いことばかりしてきたんじゃなかったんだなあ・・・・」と。
2年前に夫は亡くなりましたが、大震災後は特に「人の手を必要とする仕事を増やさなければならない」と言って
いました。「機械を頼れば人の仕事場はできない。機械を頼れば人の高い給料は望めない。」とも。
今は大工さんですら、鑿や鉋を使うことはなくなった。カットされた木材で電動工具でコトは足りる。「職人がいなく
なりました」とはおやつ時のお父さんの言葉。
今日のクロス職人さんの言葉、夫の言葉は、今日々チケットを販売している舞台「屋根」の脚本家、倉本聰氏が
富良野から発信するメッセージにつながります。
今日のクロス貼りで、2階の部屋とトイレがきれいになりました。
もうだいたいどこも仕事納めでご挨拶の言葉をよく見るけれど、私はお餅屋。明日も明後日も仕事は続きます。
年末のご挨拶はまた改めて。