3泊4日の福岡から帰ると、その夜からお餅仕事。翌日は朝はお餅で午後から梅満開の梅農場で
「大ほっかぶり市」。風もない最高の上天気で、お客さんもいっぱいでしたよ。
梅はもう満開で見ごろぎりぎり。
ほっかぶりのメンバーのがんばりで、1月1回確実に続けてきたほっかぶり市で、南相馬から避難中の
あやさんの娘のakariちゃんもすっかり大きくなって、よっちゃんなんばんのお手伝いをしてました。
うちの5歳孫も手ぬぐい被ってミニSLに何度も乗った後は、お店を片付けるお手伝いをやらせてもらって
ました。子供はお手伝いが大好き。箒でごみを掃くakariちゃんの後を塵取り持った孫がついて歩いてます。
ほっかぶりの翌日は、新聞バッグととりに南三陸へ。
大津波で町ごとすっぽり流れてしまった志津川の町は、来る度に変わっていきます。
国道45号線の内側で作業中の盛り土。工事期間、来年の12月27日までと書いてあったけど、こんな高い
盛り土でどんな町ができるんだろう。想像がつきません。ここは高台移転ではない、商業地なんだよねー。
これ、大震災後、初めにできた仮設のセブンイレブン。ここしかお店はなかったので、工事の人、ボランティア、外から来る人、みんな灯台を目指すようにこのセブンイレブンに集まってました。
今も仮設のままです。トイレは店内にはなく外の仮設トイレです。
セブンイレブンの前の山。津波でやられた木は、こんなふうに伐られています。
新聞バッグを作ってくれている仮設住宅の方々がいずれ入ることになる高台移転の土地の造成。緑深かった山がこんな形になりました。あちらこちらの山がこんな形で木を伐って土地の造成をやっています。
この山を下ってすぐの海近くにある、もとの自宅跡のケイコさん宅のわかめ養殖の作業場です。
ここでご家族みんなそろって、わかめやホタテの養殖のお仕事が今真っ盛り。ちょうどお茶っこの時間にお邪魔しました。
ここのわかめは肉厚で甘みがあるというのか、ほんとうに美味しいです。いつもお土産にもらうけど、今日もまたどっさり、わかめと茎ワカメを頂きました。
屈強な海の男のお父さんから「タフだねえー!」と私のこと言われて、返事に窮しました。そんなことないでしょう。私、タフかなあ。朝3時に起きて船で仕事をする「オレ、もうだめ」と言っているお父さんのほうがうんとタフでしょう。
ここでケイコさんとお父さんと志津川の盛り土についての会話。
「あの盛り土、ぼこぼこぼこぼこ作って、どんな町になるの?」と私。
「わからない。あんな高くてどうするのかねえ」とケイコさん。
「えっ、住民は知らないの?」
「わからないよ。商業地だとしてもお金持たないと土地変えないから」
だとすると、あの盛り土の土地、誰が買うんだろうか。他所から来た人?
南三陸の田んぼは農業機械が流されて新しくは買えないので、農業やってた人はやめてくそうです。
聞けば聞くほど、厳しい現状。
今でも回復不可能な鉄道。線路はもうありません。
ここもやっぱり仮設店舗のファミリーマート。
モノ、食べ物、建物、過剰に溢れ返った福岡から帰ってすぐに見る南三陸の姿は、私に「ほんとうの豊かさとは」という問いを考えさせてくれます。
経済的に豊かで便利な生活をしていれば失うことが怖くなる。失ったり、生活のレベルを落としたりするのが怖くて、その生活をなんとしても守りたくなるけれど、ここ東北のように丸ごと無くなっちゃったら、守るものもなくてみんなで力を合わせて希望に向かって進むのみ。
福岡からすぐ南三陸というのは、これはけっこう利きました。いっぱい考えました。
「行ってよかった、福岡」でした。