南三陸に新聞バッグを受け取りに

暫らくぶりで南三陸の歌津へ。

戸倉の仮設住宅にはこないだ行ったけど、逆側、気仙沼方向に向かう歌津にはしばらく行っていません。、

どうなってるかなあ、変わっていないんだろうなあ、と思いつつ車を走らせました。
午前中は雪まじりだったけど、お昼を過ぎたら温かくなって良いお天気。

ガレキもタイヤの山もコンクリートの塊の累々たる山々もきれいに方付いて、広い広い更地に変わってました。
壊れかけたコンクリートの建物がなくなって、見えなかった海が見えるようになりました。

 

でもね、これは復興ではないのよね。壊れたものが片付いた、というだけです。
ここからが大変。国とか県とか地権者とか個人の思いとか、複雑な要素がからんだこの更地を利用できるまで
にはまだまだまだまだ遠い道のりです。

 

そして被害に合って、遠く離れた土地や仮設住宅に暮らす人たちは、大震災から2年経つ今、31万人以上。

その中のひとつ、歌津のけいこさんやシンコさんたちが暮らす仮設住宅に今日は、高知銀行さんに納める新聞
バッグを受け取りに、ついでに袋詰めをするために、海山一同参集しました。

M仮設に住む菊作り名人、Oさん夫人むっちゃんにも来てもらいました。シンコさんにもむっちゃんにも会うのは   久しぶりなので嬉しい。
会った早々にむっちゃんから、わかめや、ワカメの茎、メカブを頂きました。シンコさんは私たちのために
とびきり大きいメカブを用意してくれてました。

1時から5時近くまでかかって、けいこさんやシンコさんが作った新聞バッグを検品。700個くらいもあるんですから
なーんと、まあ!!です。わかめで忙しいのに、よくこれだけ作れるもんだわ。

 

検品済み新聞バッグを梅原デザイナーがデザインした袋に詰めて、高知銀行さんに送って終了、というと
簡単だけど、いろいろ滞りもあって時間との闘いで緊迫します。

帰る前にけいこさん宅のわかめの作業小屋にお邪魔しました。
流失した自宅跡に建てられた作業小屋の中で、おじいさん、おばあさん、お父さん、けいこさん、一家総出で
わかめの作業中でした。初めて見た養殖わかめの作業。

こんなに手間がかかるものだとは想像だにしなかった。
これまでまったく知ることがなかった海の手仕事を間近に見る機会が増えて、「海にはなんでもあるんだ」と
海の豊饒に気づかされました。

 

夕食はさんさん商店街でANAのM氏とご一緒にお食事兼打ち合わせ。
M氏には、世界の空を飛ぶANAの機内で読まれる外国の新聞紙をこの先頂けるようにお骨折り
頂いています。

 

明日はまた地元岩出山に戻って、今度は山の手新聞バッグの点検、発送を続けます。

 

 

 

 

 

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