お米の話

7割方の田植えが終わりました。時期的にはずいぶん遅くなったなあ、と思うのですが、まだ田植え中と
いうところもあります。

きれいに幼い苗が並んだ光景はきれいですよー。

気がかりなのは年々休耕田が増えている気がすること。気がするんじゃなくて増えているんだと思うのですが、
去年の田の様子をしっかり覚えていないので、あれ、ここはやってたっけ、やらなくなってたっけ、とはっきり
しないのです。

でも10年前私が来た頃よりは確かに田んぼが減って草地の休耕田が増えました。寂しいことです。
お米作りというのは、機械にお金がかかって大変だなあ、と私のような素人でも思います。
トラクター、田植えの機械、コンバイン。どれも大きくていかにも何百万円したのかなあ、と思えるような機械
ばかりだもの。買うのも大変、維持も大変。

だったら大きい機械は共同で使うようにしたらいいんじゃないか、というような声を聞くこともありますが、
田植えも稲刈りもみんな同じ時期に、いい天候を見ながらやるのですもの。順番というのも実情に合わないような
気がします。

それでいて、作ったお米の価格は安いから、採算が合わない。
農家の人は米作りは自分の代までで、子供には米作りをさせたくない。勤め人にしたいという人が多いです。
米は作れば作るほどマイナスだって。

でもねえ、東北の米どころでお米を作らなくなったら、日本は終わりだ、という気がするのですよ。農業を衰退
させたらこの国は終わりだって。
普通の年はだいたいお米はたくさん残っています。稲刈り前の8、9月でも買うお米に困るということは、不作でない
限りまずない、といえます。

でも昨年は、311が起こってから、お米がなくなりました。東京とか都会のほうでもなかったみたいだけど、お米を
作っている農家でさえなくなりました。これだけ田んぼだらけの米どころの土地でどこで買おうかと思ったくらいです。
津波で何もかもなくなった沿岸部のほうへお米を運んだからです。

そんなことを考えると、お米を作らなくなるのは怖いことだと思います。
東京直下型地震なんて起こると、ほんとにすぐに食べ物がなくなる思う。機能しなくなった町であんなにたくさんの人々が食べる食べ物をどこからどうやって調達するのか。何にもしなくてただ待ってるだけだってお腹は減るから。

東京直下型の地震を想定していろんな計画や準備がなされているようですが、311の時にはこの町の普段は
ほんとに交通量が少ない山の中の道路がめちゃめちゃに壊れて、あッと言う間にトラックや乗用車が動けなくなって行き詰まってしまいました。ひどい壊れ方で1年2か月経った今もまだ直してますし、工事のための通行止めは
今年いっぱい続きそうです。

うちは2週間ほどガソリンがなくて動けない間に、節約に節約をかさねたのですが、ついに食べ物がなくなり
SOSを発信せざるを得なくなりました。頼りのお米はあるにはあるけど、電気が来なくて精米ができなくなり、
瓶で搗こうかしらと考えているところに電気が復旧しました。

なんだか話がそれていってしまったけど、要するにお米は大事です。
お米を食べて、お米作りが続くようにしましょう、ということが言いたかったわけなんです。すみません!

 

お米の話” への4件のコメント

  1. お米は命綱。お米と塩さえあれば生きていけます。他に代わるものは無いんです!!

    危機管理には食糧の備蓄を真っ先に考えなくては。それと燃料。

    1. お米に命を感じるので、季節季節の田んぼの稲の成長を、いつも美しいと感じるのでしょうねえ。

  2. 大昔読んだ昔話(笑)に「見るなのざしき」というのがありました。
    ある若者が道に迷い、美しい娘が住んでいる山の中の一軒やに泊めてもらうのですが、娘は急用ができ、出かけていきます。行く前に
    「ここだけは絶対開けないでください。」と箪笥を指差します。
    娘が出かけると若者はたんすが気になり、ついに一番下の引き出しをそっと開けてしまうのです。そこには、一面の植えたばかりの稲苗がやさしい風にやわらかくゆれているのが見えました。2段目には、青々とした夏の稲に花が咲き始め・・・3段目には金色にみのった稲穂が頭をたれて太陽の光に輝いている風景が・・・・。
     娘が帰ってきてどうしたか忘れたのですが、この昔話はきっと東北のものでしょうね。とても印象に残っています。

    1. きれいなおはなしですねえ。きっと東北のおはなしかもしれないね。
      先日南三陸に行った時、海辺は波にさらわれて何もありませんが、高台といわれる山はここが海の近くかと
      訝しむほど緑濃く山深く美しい土地だと思いました。唐桑半島のたぶん今はなくなってしまった海べりの原生林には
      ユリが咲き乱れ、崖にはなだれ落ちるように菊が咲いていました。東北の平野には稲が、海べりの山々には緑が
      いつかきっと戻ると私は信じています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA