今年の秋は

11月3日。早朝お餅の加工場の前で聞き覚えのある鳴き声が、、、。
コウコウコウ、今年初めての白鳥。
日の出前の鉛色の空を白鳥が9羽飛んで行きました。いよいよ冬が目の前。

昨日は国道を車で走っていると、飛んできたトンビがフロントガラスの真上で
咥えていたものが重かったのか、ドサッと茶色の何かを落としました。
踏みたくないよッと思ったんだけど、真ん前で落とされると困る。

そして道の駅での出荷を終えた帰り道、午前11時頃なのに、うちの近所の建設屋さんの前の田んぼではイノシシが7、8頭藪から出てきて遊んでました。

もうまるで動物王国だ。

気温と追っかけっこの秋の仕事がようやく終わりました。
畑いっぱいに咲き続ける花を霜が降りる前に切ってしまおうと大奮闘の日々。
明日から福岡に行きます。週の終わりに福岡から戻る頃には、きっと霜が降りて
花は全滅のはず。そしたらもうしようがないと諦められるはず。

畑のビフォアー&アフター。
このおかげでやたら忙しい秋でした。

中学校での新聞バッグのお話が終わったら、河北新報本社で大学から中学校まで
の先生方に新聞バッグワークショップを開催。NIE活動の一環として行われた
ワークショップはみなさんに喜んで頂いて良い時間だったけれど、私が感心した
のはわが海山新聞バッグインストラクター。

黒田さんも南相馬からバスで来てくれた上条さんも、大震災以来ワークショップインストラクターをやってきてくれたから、二人がタッグを組むと「あ、うん」の呼吸。時間が短かろうと大バッグであろうと、全員に必ず完成させるという
気合いがみなぎっていて、ふたりともとてもかっこいい。

そして次に来たのが台風。
毎回毎回土砂振りの雨の度に土砂崩れに怯えている私だちではありますが、
阿武隈川が氾濫した丸森町の被害にはほんとうに背筋が寒くなりました。
これはもう大震災の時と同じ。もとには戻れない痛切な大被害。ほんとうに
お気の毒で、農業を辞めざるを得ない方々が出るだろう、と胸が痛みます。

以前にお金での支援を申し出ていただきながら勝手にも、お金ではなくお仕事
にして頂けないかと厚かましいお願いをし、たくさんの新聞バッグの注文
をくださった大阪の松葉さんから、再度「支援を」とのご連絡を頂きました。
私どもは今はなんとか落ち着いているので、丸森町で炊き出しを続けている
知り合いにご支援を、というお願いにも快諾を頂き、あらためてご縁の深さを
実感させられました。ほんとうにありがたいです。

そして大震災後に東北への修学旅行で新聞バッグを教えた神奈川県の海老名
中の生徒だった佐藤陸君からも、社会人になる前に東北でボランティアを
したいと申し出がありました。これも新聞バッグが結んだ縁。ありがたいし、
陸君の記憶の中に海山の私たちがいることはとても嬉しいことです。

10月の終わりには、松井美緒さんが突然、インストラクター講習を受けたいと
東京から来てくれました。
新聞バッグインストラクターになるには、大バッグ、中バッグ、小バッグを
全てマスターしなければならないので、なかなか大変です。でも美緒さんは
見事な仕上がりで、三種類の新聞バッグを1日でマスターし、これから自分が
仕事をされる場でワークショップをやってくださることになります。
とても楽しみです。

脱プラだからかエコだからかこの秋は、新聞バッグの注文が相次ぎ、てんてこ
まいの心境。
でもとりあえずどの仕事も中断して帰郷してきます。

もうひとつ、地元中学校での新聞バッグ作りは進み、生徒たちが作った新聞
バッグが文化祭を飾りました。