イスラエル国籍のノアさんから、食糧学院を卒業したと電話がありました。
イスラエル人とはいっても、元は日本人のノアさん。イスラエル人のご主人が亡くなった後、イスラエルでの食の
改善という職業を目指して日本に帰国し、食糧学院に入って2年。勉強に勉強を重ねて目出度く精勤賞、校長
特別賞、栄養士資格も授与されて卒業。月末にはイスラエルに帰るそうです。
今後はオリンピック選手団の団長アシスタントとして選手団の栄養面のアシストをする道に就かれますが、ノア
さんのもうひとつの目標はイスラエルで、そしてリオや東京オリンピックで新聞バッグを広めること。
最初聞いた時は、ほんとにそんなことをやるの?と思っていたけれど、きのうの電話でイスラエル大使館に行って
説明してきた、と聞いて俄かに現実的になりました。
特別上等の新聞バッグを作って(とは言っても新聞紙に変わりはないけれど)、セキュリティ厳しいイスラエル
大使館に新聞バッグが初見参することになりました。
ノアさんは2年前の夏によっちゃんちに農業研修にきました。我が家に泊って新聞バッグ体験をしたことがこんな
形につながって、ほんとうに不思議なめぐり合わせだと思います。
ノアさんは50代半ば。こんな立派な日本人女性がいることが誇らしい。
元気でイスラエルで活躍し、東京オリンピックの時には必ず日本に戻って新聞バッグを選手団と一緒に作って
くれることを願います。
そして今日は1ヶ月ぶりにロイズ新聞バッグをとりに南三陸に行ってきました。
どれほど道が変わったかなあ、ますます訳がわからん道になっただろう、と思いつつ行ったら、解らないのは
相変わらずだけど、基本に戻った45号線を走らせられてヘンな感じ。じゃあ、先月はどこ走ったの?と周囲の
赤土ピラミッドを見上げ、見回したけれど、あの道がどこに行ったのかわかりませんでした。セブンイレブンや
ファミリーマートが突然思いもしないところに出現するので、もう1か月毎の道路の変化を考えるのは止めました。
先月下界に見下ろしていた防災庁舎が平面に見えるようになっていた。
さて久しぶりに見るけいこさんちの海辺の作業所。
これは海方向。 津波に洗われた跡はやはり変わらないまま。
今はワカメ収穫最盛期。作業場においで、と言われて来ましたが、作業小屋の前でまずは、初めて見る
ヒジキのドラム缶煮にひっかかりました。
私たちが油揚げや人参などと一緒に煮て健康食だと食べるヒジキは、こんなふうに海から収穫して
こんなふうにドラム缶で5時間も煮て、真水でさらして仕上げるのだそうです。
手がかかってる。これからは徒や疎かには食べられない。ましてや残すなんてもってのほか、と自らに言い
聞かせて。
小屋の中では家族総出でワカメの作業中でした。
80歳を過ぎたおばあさんも大事な手の一人。おじいさんがいないのがとても残念。
ここに来る度に日本の海の豊穣さを思います。
失ってまた得る。えいえいとして人はこうして暮しを続けていくことの実感が胸に迫ります。
またワカメやヒジキをどっさりお土産に頂きました。
この獲れたてワカメを全員に富良野に持ち帰ってもらった富良野GROUP「屋根」は今夜、富良野演劇工場で
凱旋公演です。花束を5個、大崎から送りました。今頃は打ち上げ真っ最中でしょう。
今夜は大きなお月さまが煌々と庭を照らしています。梅は満開ですが、朝晩の冷えること冷えること。
明日は「屋根」こぼればなしに戻ります。
。