変化の時&再び四万十へ

海の手山の手ネットワークを始めてから1年7か月。
まったくもって今現在のような姿になるなんて、思いもしなかったのですが、どうにかこうにか続けて
くることができました。

 

どれだけたくさんの方に援けていただいたか。
震災以後は起こってくること、過ぎ去って行くことのスピードが速くて、自分の中にその出来事を
留めておくことができないまま通り過ぎていくことが多かった。でもこうして立ち止まって起こったこと、出会った方、援けていただいたさまざまなことを思い返すと、有難うございましたという気持ちだけではなくて、これだけこれだけ世の中は悲惨な事件が多いのだけれども、それでも人は、この世の中は信ずるに足る、という気持ちがします。

 

1年7か月経って今、海の手山の手ネットワークは変化する時期になりました。
山の手の構成メンバーは4人。よっちゃんを始として自営業者が3人。NPO事務局1人。よっちゃんなんばんも    梅っこ屋もお餅&花屋も事務局もみんな本気に一生懸命がんばりました。

 

何もかも流れたほうも、家、土地が壊れ商売が落ち込んでしまったほうも、残ってすぐに使えるのは「手」しかないので、海と山とが手を取り合って、あるものを使って手を使って物を作り出して、売ってお金を稼ごうよ。         と考えたのが最初。ちっちゃいお金だけど、物を作っていれば人の輪ができ、生活のリズムも作れるし、何にもなくてもあるもので工夫すればこんな素敵なもの作れるよーと世の中の人にメッセージ送れる。 現場からの発信もできる。 何より新聞紙で入れ物作るというのは素朴に基本じゃないか。

 

というような気持ちが基本で始まりました。
そしていつか海の手の人たちの生活再建が成った時には、以前にように山の手が住む内陸部に温泉や買い物に
来てほしい。そしたら私たちもお客様が増えて商いがよくなって税金払えるし、そうなったら東北の経済もよくなるし、ついでに日本の経済もよくなるんじゃないの、というのが海山の野望だったんです。

 

笑えるけど。                                                             でも本気で今もそう思ってます。  自分たちの手でものを作ってお金を稼ぐのが基本。
その形が定着して海の手の人たちのお仕事も増えてきたので、これまで居候させて頂いていたNPOの事務所
を離れて、会社になります。

 

私たちはもともとの仕事を持っているので、海の手の人たちのお仕事を作る会社です。
デザイナーの梅原真氏がいつも仰ること。夢想しなさい、と。夢想してそれを絵に描く。さすればそのようにコトは
動くと。タノシムチカラで夢想せよと。

 

海山ネットを始めてからことあるごとに夢想、妄想が止まらなくなって顔が合えば、コンビニの駐車場(喫茶店
がないので)会議をしたものです。その夢物語が今は現実になって手を繋いだ海の手さんたちはみんな立派な
インストラクターになって、明日から高知四万十ドラマでの新聞バッグコンクールに参加します。

 

私は行かないけど、7人も行くんですよ。ほんと嬉しいです。

その間の雑用は私が引き受けます。
がんばってねー。海山インストラクター。幸運を祈ります。