NHK仙台のスギイさん

             どなたかもしご存知の方がいたら教えてほしい。

      本日6月17日夜8時からののNHK総合の番組「直撃、被災者の目線で」で、作

      家の結城登美雄さんや慈眼寺のご住職にインタビューをしていたアナウンサー

      はどなただろうか。挨拶の時ちらりと「NHKのスギイです」と聞こえたような気がし

      たのだが、定かではなかった。

      3月11日の地震の日から18日の夜遅くまで、山奥の我が家には電気が復旧

      しなかった。外出先の古川から血相変えて割れてガタガタになった道路をどうに

      か家まで戻って、古ストーブを引っ張り出し、ありったけのポリタンクに湧水を貰

      い水し、近所の小さな食品屋に残っていた少量のお菓子やラーメンなど買い

      占めるほど買った後はすることがなくなった。ほとんど割れてしまった食器や

      ガラス類は居間の半分ほどに散乱しているのだが、片付ける気持ちが全く

      起こらず、寒いので布団にくるまって寝てばかりいた。その時に何よりも大切

      にしたのがラジオだった。日頃から準備の悪い我が家にはろくなラジオがない。

      昔々夫が若かった頃、会社で何かの行事にもらったというカメラのレンズのよ

      うな小さいラジオ、それだけがライフラインを断たれた日々の唯一の情報源

      だった。真っ暗な闇の中でくるくるくるくるレンズを回してようやく捉えたNHK総

      合ラジオのアナウンサーの声。朝から夜まで、夜から朝まで息を詰めるように

      ニュースを聞いているうちに、そのアナウンサーの名がNHK仙台放送の「スギ

      イ」さんだと覚えてしまった。24時間の間断ない放送にさすがのアナウンサー

      の口調にも疲れが感じられる夜遅い時間だった。「ユリアゲ」という言葉が耳

      に入り、スギイさんが声を詰らせ泣いていた。「ユリアゲは朝市があって賑やか

      だったんですよねえ。それがこんな・・・」

      アナウンサーが泣くってどういうことなんだろう。何があったのだろう、とは思

      たが、津波とは想像すらしなかった。

      18日までの1週間、夜が明ければ起き、暗くなれば寝るという生活を続ける

      間、スギイさんの声だけを聞いて過ごした。情報が途切れるのは恐ろしく、

      ラジオは身体から離せなかった。ほかの放送は聴きたくなかった。

      もしかしたら、今日のアナウンサーはそのスギイさんだろうか。もしそうだった

      ら「あの電気も水もガスも灯油もガソリンもない1週間、スギイさんの声を聞いて 

      過ごしました。その情報が私たちを安心させてくれました。ラジオの放送がどれ

      ほど大事なものかこの震災でよくわかりました。心から感謝してお礼を申し

      上げます」とお礼を言いたい。

                                      山の手S記    

      

      

      

      

      

   

    

      

      

     

      

   

      

      

 

      

     

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