足跡

これも震災後2年という節目に書いておこうと思うことです。この心を忘れないために。

 

東北新聞バッグプロジェクトが3月末納品を以って終わりました。
このプロジェクトは最初から自分たちで計画したプロジェクトではありません。

 

知名度においても衆知力においても、私たちが足元にも及ばない実力を持った四万十チームの方々が、復興庁の復興事業として海山ネットに声をかけて頂いたプロジェクトです。

 

全てに不慣れで、最初は構想自体がよくのみこめず、のみこめたらこんなデッカイことに首をつっこんで大丈夫か
と不安になり、しかしプロジェクトが進むと、前に進むしか道はなくなり、後は自分の生業の間のとれる時間を
目いっぱいに使って、とにかく期日に間に合うように新聞バッグを折り続ける2月、3月でした。

 

その間、プロジェクト以外でお世話になっているお客様にはずいぶんご迷惑をかけてしまいました。

 

思うにこれほどの大事業が、東北の復興にどんな形で役立っているのかということです。

 

4月初めから半ばまで、代表よっちゃんもそうですが、補佐する私もほぼバーンアウト状態。
言葉を変えれば燃え尽き症候群のようなものですが、そんな状況ながらもお待ち頂いていたお客様への
新聞バッグを作って発送を終えました。

 

次いで、伝票の整理です。

事務方を扱っている娘のところに集まってくるこの嵐のような時期の伝票、レシート、請求書類の数はけっこうな
量で、それも急遽、講習をして折り手さんになってもらった方も多かったので、伝票1枚がなくなったり、重複したり
その対応でも気疲れしました。

 

そんな中、伝票の計算をして、計算書を作り現金の用意をして振込までをする係りの娘が言いました。

 

「すごいねえ!、こうして1枚1枚伝票を見て行くと、わかるんだよねえ。みんながどんなふうに新聞バッグを
を折っていたのか。そして山の手の人もどんなに一生懸命だったか」

 

「特によっちゃんはほんと凄いよ。朝ここに行ってこんな買い物をしたかと思うと、昼にはここに行って、夕方には
また古川まで出てホームセンターで買い物して。レシート見てるとその足跡が解かるから、いや、ほんともの凄い
気迫で動いていたんだなって解かるよ。凄い一生懸命だったんだねえ!

これはリアルな分析で口で解かったこと言うより、モノを見せられると、なるほどねえ!、と唸ってしまう。

 

自分の生業があっての合間の時間にあのプロジェクトを恙なく終わらせるのは、どれほどの大変なエネルギー
が必要だったか。よっちゃんだけではなく他の人も頑張ったけど、代表の働きはダントツでした。

 

このプロジェクトで四万十チームの仲立ちで著名な方々に出会ったり、企業との繋がりができたり、テレビで
プロジェクトの流れ全体を撮って番組で放送して頂いたり、不自由していた英字新聞紙を不自由しないくらい
頂けるようになったり、㈱会社レンゴーさんに無償でダンボール箱を500個も作って頂くことができました。

 

最初には想像もしなかった今の状況。これは四万十チームのおかげであり、協力してくださった皆様の暖かい
お気持ちでもあるのですが、自分の生業の時間を犠牲にしながら、そこを引っ張って引っ張って海山まで運ぶべく 獅子奮迅の大活躍をした代表よっちゃんの努力の賜物です。

 

そして忘れてはならないのは、新聞バッグを折った人たちのこと。
伝票を計算すると、南三陸のK子さんは10万円以上、Aさんは8万円、Sさんは5万数千円、と1個150円の
新聞バッグを、わかめやその他の仕事の合間にどれほどの一生懸命さで折ったのだろう、と思います。

 

そして今、このお金を送金する時「よかった、よかった、10万円」「よかった、よかった8万円」
と思いながら送金します。だって、時間がないの「50個作ってくれとか100個作ってくれ」とか無理を承知で
頼んだりしましたから。えーっ!と言いながらも折って期日に間に合せて送ってくれ、何度安堵したことか。
折ってくれなかったらプロジェクトは破綻してたかもしれないです。

 

以前、南三陸の仮設住宅で放送局の取材を受けているS子さんの答えを、聞くともなしに聞いていた
ことがありました。

 

「新聞バッグを作る時にどんなこと考えますか?楽しいですか?」
「どんなことって・・・。これ1枚折ったらおかず代になる、と思って折ってます。楽しいよ。新聞バッグ折るのは
今度、こんなの折ろうかなあ、って考えるし」

「仮設住宅の暮らしはどうですか?」
「うーん、狭いからねえ。でももう慣れた。近くになんでもあるし便利だよ、うん、楽しく暮らしてる」

 

要求も不満も理想論も小難しいことも偉そうなことも何にも言わず、諦めることは諦めて、ただ素直に「楽しいよ。
仮設の暮らしは。新聞バッグを折るのは」と新聞バッグを折りながら答えているS子さんの姿を、私は忘れない、と
思います。

 

でもその何でも近くにあって便利な仮設住宅の暮らしも、今年1年の居住期限が延長されたのみ。
宮城県は被災者の医療補助は打ち切り、医療のお金を支払えない人は生活保護の申請をしてくれ、、と
こないだテレビで村井知事が言ってました。

 

被害を受けた方々を援けるなんてデッカイことは言えないけれど、でも10万円や8万円になったことはおかず代
が少し増えたということだし、四万十の人達も私たち海山ネットのメンバーも一生懸命折ってくれた人たちも
みんなひっくるまって一生懸命に援けあっていたんだなあ、と伝票を整理しながら実感します。

 

自分の伝票だけはまだ手をつけてない。
いっぱいあるのですが、さてこの伝票に私の足跡はどう出るか。
まあ、私も一生懸命やったとは思うんですけどねえ。

 

少し起きられるようになったけどまだまだだね。力をつけます。

 

 

 

 

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