別れの日

私が暮らす別荘地には定住者が3軒。一人暮らしが1軒と老人二人暮らしがうちともう1軒。

うちは一昨年夫が亡くなったので今は正確には私一人ですが、もう1軒のSさんとは年齢も近いので仲良く

してました。私は15年前に千葉県から、彼女は17年前に仙台からの移住者です。

山野草が好きで、一時期うちよりもずっと高い場所にある自宅で山野草屋さんを始められたりしていたSさんの

ご主人の姿をあまり見かけなくたってから1ヶ月ほど経った頃、ご主人が難しい病気で入院なさっていることを

知りました。そういえばこの別荘地への入り口に立っていたでっかい「山野草」の旗が今は無くなっている。

ご主人の病気は俳優の渡辺謙氏と同じだそう。あの渡辺謙さんだって闘病して治って、再発してまた治って今はブ

ロードウエイの舞台に立っているのだもの。ちゃんと治療すれば治るんじゃないの?

 

そんなふうに思って、「この先々どうやって暮らす?」「都会には戻りたくないねえ。できるだけ元気でここにいようね」

なんて時折話し合っていたSさんの奥さんに、何か手伝えることない、と電話をしてみました。無菌室に4ヶ月という

ご主人の治療は、本人にとっても付き合う家族にとってもとてもとてもハードでしょうから。

 

道の駅で山野草を直売されていたご主人に代わって私が持っていってあげようか、くらいの気持ちだったのですが、

夜になってうちまで出向いてくれた奥さんからの報告はとても衝撃的なものでした。

ご主人の症状は重いということ。そして、なんということか彼女までも場所は違うけれど同じ病に侵されていて症状

が重い、ことがごく最近になってわかったそうです。 それまでは無症状。仕事から帰ると雨の日も雪の日も

愛犬マックと長い長い散歩をしてました。

 

 

本当に言葉もない。あまりの衝撃に私は一瞬ここに住んでいるのが嫌になってしまいました。

 

あれからまだ2週間くらいしか経っていない。彼女の心の中は様々な不安でいっぱいだと思うのだけれど、彼女は

至って普通で降って湧いたような自らの病気を悔やむことも嘆くこともなく、ただひとつの気がかりはご主人が長年

かかって集め育てた山野草を枯らしたくないというその一点でした。

どうしよう、どうする?と言っているうちに時間は刻々と経過し、彼女の病気の専門医がおられるという首都圏の

病院への入院日が近づいてきます。

もう待ったなし。彼女が可愛がっている311の時の迷い猫ピーちゃんは、花栽培のおじさんの家に。そしてご主人の

生命線のような大切な山野草は庭のありったけをまるごと私が安値で買いました。広ーいお庭の端から端まで

広がった山野草はものすごい量。私は長年花栽培をやってきたけれど山野草はど素人。何にも解りません。

 

今日はアースデイ。

息子さんの付き添いで、ご主人の転院を先に終わらせた彼女が病院に出発する日でもあります。

朝、私がアースデイに出かける前に彼女の車が降りてきました。

 

軽ワゴンに乗っているのは運転席に小柄な妹さん。だいぶご年配なのでお歳を尋ねたら「65歳」とのこと。

助手席に運転をしないお姉さん。そして後部座席に70歳に近い彼女ともう人間なら100歳だと言われる老犬マック。

年寄りばかりで一路首都圏の病院まで。なんと立派なんだろう。

「65歳なら大丈夫、私も65歳で北海道から一人で運転して帰ってきたから」

そういったら運転席の妹さんがにっこり笑って「大丈夫。ゆっくり行きます」と窓から腕を出してのガッツポーズ。

私はキリスト教徒ではないけれど、神のご加護をと心から願います。

胸いっぱいの別れ。こんな時にこんな形で別れるなんて想像もしなかった。

 

アースデイの1日が終わって、誰もいなくなった彼女の家に山野草の運び出しに行きました。もう水がないので

置いとくわけにはゆきません。素性も育て方も判らないたくさんの子供のお母さんになったようで困惑してますが、

彼女とご主人が生き伸びてくれることを信じて私が育てます。でも枯らすかもしれない・・・。

どなたか私に山野草を教えてください。欲しい方、声をかけてください。

 

今、夜の12時です。窓を開けると真っ暗な闇の中で虫の声、蛙の鳴き声に混じって、ギャーッ、ギャーッと熊の

鳴き声が聞こえます。裏の竹林に来ているみたい。親熊が仔クマを呼ぶ声ですって。

怖くはない。命の声・・・・・・。

なにやら胸がいっぱいになります。

 

 

 

 

 

 

道央旅日誌 その1

あ・ら・伊達な道の駅出荷組合の役員研北海道へ行ってきました。

今度は富良野ではなくて、道央。 石狩市当別町、札幌、小樽、余市を一泊2日で巡る研修旅行です。

当別町は私たちの町岩出山と姉妹都市であり、既に国土庁から重点道の駅として選定された道の駅が近年内に

オープン予定という事情があることと、札幌は北海道の首都として表敬訪問(まあ、その他蟹食べたい、

ラーメン食べたいだのの事情もあるわけですが)、そして小樽はこの旅でただひとつ純粋に観光目的、最後に

余市は、自らも開拓3代目であるこの団体代表理事が、、どうしても「マッサンの開拓魂に触れたい」という理由で

訪問することにしました。余市は漁業とともに初めてりんごを栽培した果樹農業の盛んな町でもあります。

 

朝6時にあ・ら・伊達な道の駅を出発。1時間ちょい高速道を走って仙台空港から宮城を後にし、新千歳空港午前

9時25分着。近いねえ。道の駅を出てからまだ3時間半経ってないのにここは北海道!

毎度のことながら木が違う。花が違う。空気も違う。これから何が始まるかと胸が高鳴ります。

 

空港まで可愛らしいバスが迎えに来てくれてました。

一行11名、2日間このバスで移動します。

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車窓に広大な緑色の麦の畑、何かわからないけれどまだ幼い苗が並ぶ畑などを見ながら、最初の目的地

に向かいます。田んぼの稲は岩出山の水田の苗をほとんど変わらない大きさ。

外の風物景色よりも、畑や水田の様子にばかり気も目も惹かれます。

 

道の駅マオイの丘公園

短時間なので道の駅としての地理的な要件はわからないけれど、野菜や花や加工品の店が個別に並んだ

道の駅。アスパラ、かぶ、などの今の季節の野菜や花がたっぷりと並んでますが、特筆すべきは 野菜も花苗

も大きい。遅くまで寒いはずの北海道で、なぜこれほど野菜や花が大きくなれるのか。 素朴に疑問です。

ハウスのビニールが厚いんだろうかと考えたけど・・・・・・。自信がない。

 

加工品には独特の工夫が見られました。

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お餅屋の私としてはそこ、ここのお餅に興味がありますが、ここのお餅は5色。それぞれに使った野菜の

生産地の名前が表示されています。こういうのはいいなあ。安心するし、その土地土地に親近感が湧く。

いくつかのお餅を購入して、全員で試食をしながら次の目的地、当別ふれあい倉庫へと移動します。
 

 

 

 

 

 

 

啓子さんを偲ぶ会&海山呻吟ミーティング

「聞いでけさいん 新聞バッグのはなし

それはリサイクル、包装紙、持ち運びに便利

宮城の今を伝えます。

山に避難した「海の手」から生まれました。

わたしたちは

山間からヨノナカを変えていくメッセージを

小さな新聞紙の袋に詰めて届けたいのです。」

 

311の大震災の年の7月に、避難して鳴子温泉で暮らす海の人たちとともに新聞バッグを作って仕事にしようと

考え、動き始めました。でも事務的なことが全然解らなくて、その頃知り合いになって少しづつお話をする機会が

増えていた千葉啓子さんに「手伝ってもらえないか」と相談に行きました。その時啓子さんは被っていた毛糸の

帽子を脱いで、うっすら髪の毛が生え揃った頭を私に見せ、「私は病気なの。だから他の人を紹介するわ」と言い、

「なにか私たちのことを紹介する文を書いてほしい」という私の頼みを聞いて、たったひと晩で「聞いでけさいん

新聞バッグのはなし」という詩のような文章を書いてくれたのです。

 

今読み返すと凄いと思う。

この短い文章の中にこの4年間新聞バッグを作り続けてきた私たちの思いが全て入っているような気がするからです。

でもこの時はまだ何も始まってなくて、これから、という時でした。

私の妄想をちょっと聞いただけで、啓子さんはどれほどのことを感じ取ったのか。

 

啓子さんが57歳という若い命を散らして3年。今日は啓子さんを偲ぶ会に出席してきました。

場所は啓子さんが週2回開いていたレストラン「風のアトリエ」。今はご主人が引き継いでお店をなさっている

そうです。

今啓子さんがここにいたら60歳。還暦の歳です。

農の人、食の人、絵の人、音楽の人、文の人。そして旧家の奥様でもあり、男の子のお母さんでもある多才な

啓子さんを偲ぶ方たちが40数人も集まって、啓子さんの思い出を語る会でした。

還暦を祝う60本の薔薇の向こうの写真の中の啓子さん。この笑顔はいかにも啓子さんらしい。

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文章まで書いてもらって亡くなるまでいっぱい話しをしたのに、私は啓子さんが何をする人なのか知りませんでした。

亡くなったずーっと後に新聞の人物の紹介コーナーのようなところで、啓子さんの職業を造形作家だと知って

驚きました。でも一番似合っていたのはやはり本職の中学校の美術の先生なのだと思います。

 

午後は岩出山の蕎麦屋さんで、久しぶりの海山会議。

6月7日に行われるアースデイ宮城についての打ち合わせなんですが、言葉、言葉、言葉を捜して呻吟の

3時間でした。

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黒田さんが持ってきたロゴは素晴らしくて一発でOK。

そこに必要な言葉がほしい。寝たり起きたり転がったり喋ったり唸ったり、四つの頭を並べて言葉がつかめなーい!

でも最後に掴んだ、降りてきた。

啓子さんが空の上で「見つかった?」とほッとしているかもしれません。

後はもう黒田さんのお願いして、私は今日はここでおしまい。頭が疲れ果てました!