2014年、元旦の朝。
東の空が紅く染まった後、お日様が昇ってきました。
太陽の有難さを実感する1日。雪はきれいに溶けました。
ああ、よかった、と思ったら、1月2日。
なんとまあ! 今日は朝9時から部落の新年会だというのに、吹雪いてる。
フードを被って傘さして長靴履いて徒歩で集会所へ。
一人で参加する初めての新年会。
311の大地震で壊れたため、部落の役員さんたちのご苦労によって立て替えられた新しい集会所に
21人(21戸)が集まりました。私が越して来た時の戸数は30戸を越してたと思うのでずいぶん少なく なったものです。
新年会といっても親交会の総会を兼ねていて、収支、監査の報告、その他の議題での話し合いがもたれ、ついで新年会に移行する。その短い時間の間に、各部落の新年会を回って大忙しの氏家さん(この町
選出の市議)、中島さん(この町選出の県議)から、普段私たちが聞けない市や県の行政の中でのお話し
をお聞きする。
都会者の転勤族でどこに住んでも地域住民としての意識を持ったことがない私は、毎年正月
2日に催される部落の新年会を実に合理的にできてるなあ、と感心します。
この年初の集まりで、この部落の、町の、市の、県の今の問題点や情報、この先どうなっていくか、ということなどが衆知されます。
今日の話で、ウーームだったのは、
この町も含めて市全体の側溝の汚泥が上げられないということ。放射能値の問題ですが、上げても集積場がないというこことで、これは福島と同様の問題。知らなかったなあ。
被災地の高台移転では、土地の嵩上げが5・何メーターだかで、その高さで宮城県の沿岸部を嵩上げすると山がひとつふたつなくなってしまうほどで、ほとんど進んでいないということ。
何を聞いても311の大震災の影響から全然抜けられていない、ということと、真近に迫る農政の改変が
これまた大きな問題で、東北の中山間地はこれから大変な時期に入っていくなあ、という感想をもちました。
それから中島さんはお詣りに行った近くの八幡様で、今度楽天イーグルスに入団する今野君とお母さんに出会ったそうです。天狗にならない謙虚な若者で、是非活躍してほしいと中島さんは仰っていたけど、
私も田中選手のようなピッチャーなることを願います。
帰って、娘親子と一緒に今日は「行こう」と決めていた古川の大型電器店ケーズデンキへ。買いたいものがあるのです。
ケーズデンキへ曲がる信号辺りからひどい渋滞で「なんでなの?」
まさか電器店に入る車の渋滞とは夢にも思わなかった。ケーズデンキは大変な混雑でした。レジも凄い
行列。今日は正月の2日で初売りだってことをきれいに忘れてました。
お店から出ると駐車場は凍ってツルツル。これで吹雪くと帰れなくなるので即刻帰宅。
お雑煮もおせちも作らない今年のお正月を「寂しいなあ」という娘と一緒に、うちの餡子でぜんざいを作って
お餅も入れて「おいしいーーい!!」
窓の外の雪を見ながら食べる甘いぜんざいは、身も心もほーッと温まります。