女川のSさん

久しぶりに女川のSさんに電話しました。

Sさんは石巻市女川の仮設住宅で暮らしておられる新聞バッグインストラクターです。

大震災の年の第1回目の新聞バッグ講座の時から海の手さんとしてご一緒に活動してきたのですが、
女川の仮設住宅に入居後、暫らくしてから、くも膜下出血を発症されました。

Sさんの新聞バッグは折り目ひとつにも神経が行き届いた丁寧な作りが際立っていました。
出来上がった新聞バッグは寝押しをしているのよ、と聞きました。

 

そういえば今の人達、「寝押し」なんて言葉、わかるのかしら。
昔はズボンとかセーラー服のスカートのひだひだの折り目をきちんとつけるために、毎晩布団の下に敷いて
寝ました。でも今はベッドだから「寝押し」なんてやれないね。

 

Sさんは旅館のお布団の下とか座布団の下とかに出来上がった新聞バッグを敷いてたんだと思います。

あまりにも仕上がきれいなので、「Sさんの新聞バッグってなんでこんなにきれいなの?」と訊いたら、
「私は紙が好きなの。前は和紙で名刺入れなど作っていたのよ」という答えが返り、紙のことなど何も
知らない私たちは大いに気を強くしたものでした。

 

「いつか和紙を手に入れてSさんに和紙でバッグを作ってもらいたいね」と言っていたのが、くも膜下出血で
倒れるなんて・・・。

でも、Sさんは手術を受けて元気になられました。そして暫らくすると折った新聞バッグが女川から送られて
きました。
「新聞バッグ作りがリハビリになるなんて」
思いがけない効果にみんなで喜んだものです。

 

昨年の夏から秋の間にお見舞いなどはしたのですが、こちらからお願いすると無理をさせるかもしれないので
暫らく電話はしていません。

 

電話に出たSさんはお元気そうでした。そしてうれしかったのはSさんはこの連絡しなかった期間、Sさんなりの
作りたい新聞バッグを作り続けておられたこと。
これまで作り溜めたものをよっちゃん宅に送っていただくこと、府中美術館に収める新聞バッグを作っていただき
たいことをお願いして電話を終わりました。

 

もし新聞バッグがSさんのリハビリに少しでも役立ったなら、嬉しいです。
そして府中美術館にSさんの丁寧な作りの新聞バッグが展示されたなら、Sさんも喜ばれるのではないか、と
思います。なにしろ紙が好きな方なのですから。

 

 

 

 

 

新聞バッグ制作中

天気大荒れです。

強風! 地吹雪!

地吹雪の時は正直、道の駅に行きたくなくなります。
でもお天気悪いくらいで休んではいられないので、行くけど、強風が吹くと雪煙で真っ白になって
前方、車があるのかないのか分らなくなる地吹雪の日の国道は怖い。

 

海山代表よっちゃんが遂にインフルエンザに罹りました。
まあ、罹っても不思議はないような超多忙な日々をよっちゃんは送ってますが、インフルエンザに罹る前の
2日は特にハードでした。
南三陸へ行って帰って夜は古川で11時まで懇親会やって、翌朝は多賀城の会議に出席して、頭がパンパン
になるような話をいっぱい聞いて、「疲れただろうなあ」と思っていたのですが、やっぱり、ネ。

 

で、疲れてその翌日ドーンと休んだその間隙をインフルエンザに捕まった。
私も一度なったけど、普通の風邪と違って、熱が下がっても食べられなくて実にしんどかったのを覚えています。
2度と罹りたくないと思っていたから、よっちゃんも同じ心境でしょう。
早く楽になるように願ってます。

 

よっちゃんは寝てますが、今海山は注文が立て込んでいる状況なので、不肖ながら私も新聞バッグ制作に
参戦することにしました。
このところ時間がある限り新聞バッグを作っています。

不器用なので間違ってばかり。
一応インストラクターではあるのですが、日頃はあやさんとか南三陸部隊とかに折ってもらっているので実際に
自分で折ってみると、いやあー、難しい。折るのは簡単なんだけど、隅々きれいにきっちりと、というのが意外に
難しい、というのがよく解かりました。

今は日本の新聞も英字の新聞も折っています。

一時、英字新聞が不足して困っていたのですが、このところ読んだ新聞を送ってくださる方からお声をかけて
頂いて大変助かっています。
感謝しています。

青山学院大学の図書館から、大阪の役所から、英字新聞を送っていただきました。

イタリア、ミラノのKONさんからはイタリアの新聞を送っていただきました。

それから、滋賀県の会社の社長の社長Tさんからは、だいぶ長期間をかけて集めて頂いたのだと思いますが、
たくさんの布地を送っていただきました。先日南三陸でのワークショップの際に、参加してくれたM仮設の
mucchannに「縫ってね」と頼んだら「縫うよ!」と快諾。
きっと、ポーチとかバッグとかエプロンとかに変身して、お客様にお届けできると思います。

 

皆さま、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグから世界が見える

庭の木。山栗の木。

この雪どこまで降るのかと思っていたら、ここ止まりで雨になりました。
積もらなきゃいいような気がするんだけれど、夜間の低温で朝はツルッツルッに凍るので、これはこれで
困ります。

ここは宮城県北部の岩出山という小さな町。伊達62万石の殿様伊達正宗が仙台青葉城に移る前の居城が
あったところで、(今は城跡だけ。有備館という学問所が残っている)、東京の会社に勤務していた夫の退職後、  突然ここに来て住んだ、と言うと、大抵の人は「えーっ」と驚きます。

「親戚か誰か?」
「いえ、全然。縁も所縁もない。大体東北地方に来たことがない」
というともっと驚かれます。同郷の友人がこの町に建てた山小屋に遊びに来て、「私も住もうかなあ」と思って
住み着きました。それから12年。

当たりでした。空気はきれい。空は真っ青で夜は真っ暗。満天の星にまん丸い大きな月。黄金色の稲穂、
白鳥にガン、伊豆沼、内沼、長沼の蓮の花、蛍、そしてとにかく広い。この広さは東北独特でしょう。
大地震は何度も来るけれど、家も井戸も壊れたけれど、でも来てよかった。

 

 

海の人達とも友達になれました。

先日の南三陸でのワークショップの時に、四万十チームから南三陸の海の手インストラクター部隊に         質問が出ました。
「新聞バッグを作るに当たって、何か困っていること。こうしてほしいと思うこと、言ってください」

昨年から始まったワカメやホタテの養殖の仕事の合間にもの凄い勢いで新聞バッグを折ってくれている
Y仮設のK子さん、S子さんの答えは?

「ダンボール箱がない」
「英字新聞がなくなる」
「英字新聞の絵(写真)を出してくれ、とよく言われるけれど、英字新聞の写真はけっこうひどいのいっぱい
から出すの大変」
「運送料が高い」

 

そうなんだよねえ。南三陸でダンボール箱を手に入れるのは大変なんですよ。
食品スーパーのレジ袋が有料になってから、どこでもそうだと思うけど、うちの近所のスーパーマーケットには    ダンボール箱が山積みされるようになりました。うちの集落は過疎じゃなくて僻地指定なんだけど、ダンボール山積みのスーパーは4店舗くらいあります。ちょっと足を伸ばせばもっとある。
でも南三陸にはスーパーマーケットがない。コンビニか復興商店街くらいしかない。気がつきませんでした。
みんなに苦労かけてたんだ。これから南三陸に行く時にはダンボール箱を運ぼうと思います。

英字新聞が足りなくなる。
これは私たち山の手が鋭意集めるべく努力しています。

新聞バッグの絵柄のこと。
これが面白かった。新聞バッグは文字ばかりだと面白くないので、というか、やはり楽しい色、柄があったほうが
楽しいと思うので、なるべくカラフルな広告とか写真とか入った面を表に出そうとします。

ところがあちこちから送って頂く英字新聞には、けっこうニュース的に生々しい写真が多い。エジプトのデモとか
シリアの爆撃とか。まあ、できることなら殴るとか叩くとか人が傷ついた写真は避けたいです。
「でもその写真が載った同じ新聞がドサッとくる時あるのよ。そんな時には中に入れたりしてけっこう苦労するよ。
だから文字だけでもいいんじゃない?」

 

私もこの頃時間を見ては新聞バッグ折ってますが、日本の新聞を折ると、「いろいろあるけど、やっぱり日本は平和なんだなあ」と思います。

新聞バッグを折って、まさかこんな感想を持緒つようになろうとは思いませんでした。

 

運送料が高い。
海の手山の手で最も「困った」と思うのは運送料の問題。注文頂いた新聞バッグには運送料を頂いていますが、
新聞をいただいたり、頂いた新聞を南三陸、その他に送り、仮設住宅で作り上げた新聞バッグをこちらに送り
返してもらう運送経費が大きい。これをどうにかクリアするのが目下の課題です。

同じ宮城県でも農村の人と海の人は全然違う。
その人も暮らしも知れば知るほど面白く、興味が尽きません。

 

 

 

 

 

四万十新聞バッグ東北プロジェクト最終ワークショップ開催

またもや大雪です。
いやだなあ。風もなく細かな雪がまっすぐしんしんしんしん降る、「これは積もるぞ!」の雪。
夜7時に家を出なきゃならないのだけれど、出られるか微妙。

昨日は午後から夜遅くまで、東北新聞バッグプロジジェクトの日でした。

昨年夏から始まった東北新聞バッグプロジェクト。いよいよ大詰め、南三陸での最終ワークショプです。
場所はNPOみなと未来がある南三陸戸倉の戸倉中学校仮設住宅。
何回行ってもここの津波の跡は、圧巻です。中学校は岬のような突端の高ーいところにあるのに、こんなところまで
波が!?というぐらいまで水が上がって、大きな立木もなぎ倒されています。目の下に海が見えます。
学校は今使われていず、仮設住宅がありますが、その集会所にお邪魔しました。

集会所の中から子供たちが遊ぶ元気な声が聞こえます。

 

今日は、東北新聞バッグプロジェクトワークショップには恒例出席の代表よっちゃん、他に加えて、Y仮設とM仮設の
海の手主要メンバー、K子さん、S子さん、saoちゃん、mutsちゃんにも参加してもらいました。

みなさん、凄く頼りになるインストラクターなんだけど、この東北新聞バッグの中での位置づけを詳しく説明した
ことがありません。今回は直接四万十さんたちからお話しを聞ける良い機会です。

名ファシリテーター畑中智子姉さんには、始まりからを明確に説明して頂きました。

四万十新聞バッグ東北プロジェクトは復興予算に支えられた大きなプロジェクトで、東北の復興に力を尽くす、と
総力上げて先導してくださっている四万十新聞バッグ、東北は南三陸のNPOみなと未来、海の手山の手、
名取の企業ファミリアの三団体が一緒にプロジェクトを進めています。

 

企業のノベルティーとして新聞バッグが世の中に出ていく日を目前に控えて、販売方法、事務的運営、新聞バッグの最後の仕上げなど、会議内容は満載で、これをどう受け入れどうこなそうかと頭がいっぱいに。
5時も過ぎて終了。

急ぎ帰って、これも恒例の懇親会。

これからご縁ができるYAHOOの女性たち、海の手山の手とじっくり付き合ってくださっている仙台放送のM氏、
そしてビッグなお客様、三井不動産やシャープアクオス,ダイワハウスなど有名企業のCMを作っておられるトップCM
ディレクターであり山形の東北芸術工科大学教授でいらっしゃる今村直樹氏。それにほっかぶりんの面々も
参加してくれました。

刺激的な夜の懇親会でした。

そしてまた二日目の明日は名取の㈱ファミリアでワークショップ。

3月からは地元大崎、そして東京自由ヶ丘での2か所で新聞バッグ講座を持つことになりました。

がんばりますので、是非ご参加ください。

 

 

 

 

 

 

梅農場と千葉啓子著『なんだりかんだり』

用事があって梅農場に行ってきました。

梅農場はたぶん東北では1、2を争うくらいの大きな梅園で、海の手山の手の山の手メンバー佐藤氏の家。
大震災の年の遅い春に、梅見の会で、海の手山の手が初めて出会った場所であり、その年の夏から秋にかけて
被災した人たちが汗を流して梅の収穫をして働いた農場でもあります。

梅の花が咲く時期や実がなる時期には、よく来るのだけれど、冬の最中に来ることはほとんどありません。
用事は大体電話かメールで済ませてしまう。

ところが今日見た雪が残る梅林の美しいこと。

雪の梅林もいいですねえ!

 

先日の写真スタジオでの新聞バッグ体験教室に参加してくれた東鳴子のTさんに誘われて、この町からずーっと
仙台よりの町にあるライスフィールドというお店に行ってきました。

ライスフィールドの名のとおり国道に沿ってはいるけれども、たぶん周りが田んぼという中にある、レストラン喫茶の
ログハウス。たぶんというのは全部雪なので田んぼなのか草原なのかわからない。でもお店の前の広い駐車場は
全面に枕木が敷かれています。

 

前にも来たことはあるのだけれど、その時はただのお客だったから、奥様とご主人にお会いしにくるのは初めてです。新聞バッグを置かせていただくお願いにきました。

 

お店の中に入る前の大きな風除室のようなお部屋には、パキスタンのショールや肩かけが。足元にはいくつもの
大甕。何かいいものが入っていそう。お店の中は広い!吹き抜けの天井まで届く柱の大きくて太いこと!
赤い鉄の薪ストーブには赤々と火が入ってます。外の薪小屋には薪がいっぱい。ピアノがあります。周りの
椅子の配置や雰囲気からすると、もしかするとジャズの演奏とかあるのかもしれない。
そんな雰囲気の素敵なお店です。

ロングヘアーのミニダックス、ふーちゃんもいます。

 

奥様は初めて新聞バッグを見て「素敵ねえ」と感心してくださいました。新聞バッグ合格みたいです。

ランチにはコーンと野菜の玄米ピザ。コーヒーとブラウニーとチーズケーキ。

そして思いがけないものと出会いました。

なんと! 啓子さんの本を見つけました。

できたんだ!
啓子さんが亡くなってしばらく経った頃、三本木の手作りパンのお店「青い虹」さんから、啓子さんの本を
友人のみなさんが作って出す、とは聞いていたのですが、あれからちょうど1年。まだ経ってないから間に合ったんですねえ。

私は啓子さんと二人で手拭いを作ろう作ろう、と言いながら結局でき上がって手元に来たのは、啓子さんが亡くなった1日後で、ほんとに間に合わないことでした。

 

啓子さんが自分のアトリエで週に2日開いていたレストラン「風のアトリエ」の料理も載っています。
懐かしくて美味しそう。本の名前は在郷的らいふ「なんだりかんだり」

いかにも啓子さんらしい。見かけられた方、是非読んでみてください。