雪の話

大雪です。

予報どおり朝9時頃から降り始めて、ずーーーっと風もなく真っ直ぐにしんしんしんしんと降り積もって
午後3時でこのくらい。

今、夜9時。倍くらいになってます。

明日は東京の世田谷でボロ市なんですけど、東京も大雪みたいでどうなるんだろう。
首都圏での雪への対応はまずチェーンを買いに行くところから始まるから大変ですねえ。
長靴も雪掻きシャベルも普段持ってないから。慌てて買いに行ってもまず手に入らない。

坂って意識しないとあまりわからないけど、神奈川も東京都内も千葉もけっこう坂が多い。そのうえ
いくつもの川があって、だいたい橋が平坦じゃないものだから、滑るし車が動かなくなるしで、私も
けっこう難儀してました。

今は11月の終わりに普通タイヤを冬用に替えたらそれで終わりです。4輪駆動で大体積雪25センチ
くらいまでは動けますが、今日のような大雪はダメ。除雪しかありません。

 

 

12年前、ここに来た頃には夫も元気がよくて、長ーい坂の上から下まで雪を掻いてました。
ここは里山を拓いた別荘地で、うねうね坂道を登っていくと、定住、別荘、合せて7軒くらいの家があります。
うちは1番下です。

定住者は4軒。夏の草刈りも冬の雪掻きも力を合わせて一緒にやっていたのですが、だんだんみんな
歳をとって、一緒にやることができなくなってきました。夫が病気をしてからは、私だけでもと思って
やってきましたが、一昨年くらいからしんどくなってきた。でも郵便屋さんや宅配便や灯油屋さんのこと
を思うとそのままにはできないし・・・・。

 

もうここには先行き住めないのかなあ。それとも思い切って何十万円か出して除雪車買って機械で
やったらいいのか。でもあんな重そうな機械動かせなくなるのは時間の問題だし。
冬が来る度に心配は深くなり、やっぱりここに住み続けるのは難しいんじゃないか、と思い始めた頃に
突然市の方から、積雪15センチ以上は除雪車が除雪します。という連絡が入りました。

 

エーーッ?!!
嬉しいし、有難いけれど、なんでだろう。ほんとにびっくり。

それまでは近所の建設業のMさんにどうしてもという場合のみ、除雪車での除雪をお願いしてました。
でもMさんは県道や町道の除雪で大多忙です。そのうえお願いしなくても来てくださったりするので
申し訳なさも一際でした。奥様が心配して声をかけてくださっていた、と後で聞きました。

 

そのMさんと区長のTさんが私たちが知らない間に市に陳情されていたそうです。
「せっかくここに住んでくれたのだから、この先も住めるように」という理由で。
その認可が下りたと同時くらいに隣の家に娘夫婦が越してきたので、雪かきの心配は一気に
解消されました。

 

今、こんな大雪の時に、「きれいだなあ」とボーッと雪にみとれていられるのは、Mさんの除雪機や
娘たち夫婦やこの冬からもう一人増えた我が家の住人のおかげ。
ありがたいことだ、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

雪の山形

風もなく、雪も降らない穏やかな朝。ちょっと寒いけど。
よっちゃんは南三陸の海へ行ったし、やっぱ、今日が狙い目だなあ、と道の駅のお餅出荷を終えた後、
山形へ向かいました。

山形といっても、道の駅を出て鳴子温泉、中山平温泉を過ぎるとすぐに県境なのです。20分くらい。
でもこの20分くらいで景色は一変しました。

雪が凄ーーい!!
山形県といっても広いのでほんとうは鶴岡あたりまで行きたい。でもそれは無謀というものでとりあえずは
西瓜で有名な尾花沢に目標を定めました。

最初のトイレ休憩は川の駅で。コンビニと繋がってます。
どこもかしこも雪に埋もれています。出てくる時は全然雪なんか降ってなかったのにちょっと車の外に
出ても雪まみれになります。1時間も経っていないのに太平洋側と日本海側ではこんなに違う。

川の駅の裏を流れる川。

珍しい飲み物が並んでます。寒いから飲めなかった。

瀬見温泉を通過して新庄市に入りました。積雪1メーター50センチくらいあるんじゃないかしら。
何台もの大きな除雪車と出会います。まだ雪は序盤。これから2月の終わりまで本格的に降るのだから
やっぱりこの雪との闘いは大変だなあ、とつくづく思わせられました。

普段だったら赤倉温泉を抜けて新庄に入るのですが、ちょっと道の様子を見ただけですぐにやめて47号線を
直進して13号線へ。日本海側の幹線道路13号線もやっぱり雪が被っていて走り易いとはいえません。

13号のバイパスでもある高速道路入口近くにある尾花沢の道の駅。
寒いわ!! やっぱり。 外を歩きたい気分なし。
こっちは直売所。夏は確か中の建物だけだったと思うけど、今は雪よけのハウスみたいなのが外周りに組んで
あります。が暖房は行き届かないので寒いです。

こっち側が道の駅。

高速に乗ってみました。尾花沢出口で降りて帰路へ。

そして今日の目標、境田駅に行きます。

ここが奥羽山脈の日本海側と太平洋側の分水嶺。標高338メーターというのは低くて驚きます。

「ようこそ、山峡の道」の立札。
藤澤周平の随筆の一部が書かれています。雪が降りしきるので封人の家(関守り)には寄りません。

ここから階段を下りた下が境田駅です。上から見た時、最初どこに線路があり、どこを電車が走るのかわかり
ませんでした。後10分で新庄行の電車が来るけれど、見ないで帰ります。

誰もいない無人の駅。高倉健さん立っていたら似合いそう。

あと10分で新庄行の電車が来るそうですが、名残り惜しいけど帰ります。

そして、2、30分走ってまた雪のない風景に戻ってきました。

 

 

 

 

 

 

よっちゃん、海へ

朝 7時前です。

東の空が朝焼けで赤く染まっています。

テレビの気象情報で女川の朝の海の様子が映りました。

静かに凪いだ海。よかったねえ、お天気で。

今日は海山代表よっちゃんが、南三陸インストラクターHさん一家に誘われて、晩秋にタネつけしたわかめの
まだ赤ちゃんマビキワカメを獲るために、一緒に船に乗ります。

秋の訪問時に「船に乗っていいよ」とだんなさんに言われた時に「俺、酔うんです!」と言っていたけど
どうなるんだろう。奥さんみっちゃんは強いので大丈夫です。

私も船だろうがなんだろうが全然酔わないんだけど、寒いよ!!
洒落にならないほど寒い!!
今、舟に乗って海に出る度胸はでません。

 

でもほんと、よかった。

一昨年の夏、HさんところのSちゃん、南三陸母さんTちゃん、みんな一緒に千葉の復興イベント催事
に行った時、1日目には元気だったSちゃんが2日目にはどんどん元気がなくなって全然ものを言わなくなった
ので心配しました。

Sちゃんはまだ20代。きっといろいろ悲しい思いを堪えていたんだと思います。帰りの車の中で
「わかめの仕事が好きだったんですよ。家族みんなでやる仕事が好きだ」と涙をこぼしたこと、
今も忘れられません。

あれから1年半あまり。
お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんもお兄ちゃんたちもうんとうんとがんばったんだね。

わかめが獲れるようになったことも嬉しいし、よっちゃん夫婦を誘ってくれて船まで乗せてくれるのももっと
嬉しく光栄です。
船です。船だよ。簡単にはお仕事の船には載せてもらえない船だよ。

よっちゃん、酔わないでねー。迷惑かけないで無事帰還して、帰ってきても風邪ひかないでお土産もってきて
くださいねえ。

 

 

 

 

道の駅出荷組合会議

今日は今年最初の第1回目道の駅出荷組合の会議でした。

今日の会議で昨年度の収入の黒字とか赤字とかが明確にわかります。

残念ながら赤字。昨年よりも大幅に収入を落としました。

生産者が怠けたわけではないんです。みんな真面目に一生懸命に仕事をしました。                  会社も出荷組合を援けてくれました。それでも売り上げが下がってしまったのは、放射能のせいです。

出荷組合の年齢構成で最も多いのは60代、70代。田んぼで畑で働いて、間の時間を山に入って
山菜を採ったり、茸を栽培したりしてあげていた収入が、放射能被害によって奪われてしまいました。
収入だけではなくて楽しみも。

 

きっと山の中は採らない山菜やキノコでいっっぱいだと思います。うちでも採れなかった竹林の竹が
にょきにょき伸びて過密状態。本当は整理しなきゃならないのですが、果たして今年、来年採れるのか。
怪しいです。大丈夫といえる日が何時くるのか。

とんでもない被害です。ここは福島ではないので検査を受ける態勢が整っていません。自腹を切って
検査を受けてそして売れない。なんてバカバカしい状況がこの先も続くわけで、実に腹立たしいです。
補償の請求は勿論するとしても、お金を貰うより環境が元に戻ってほしい。

もう山採りの山菜は諦める他なくて栽培を学ぼうと出荷組合では研修会など開いていますが、山菜が畑で採れるようになるまでにはずいぶん長い時間がかかるそうです。それまでにみんなもっともっと歳をとっちゃいますよ。

 

でも今の事態は早急には変わりません。課題の多い出荷組合会議は3時間。
今年も検査をしながら安全な品物を出していく努力が続きます。
原発の稼働なんて聞きたくもないです。

お疲れ様でした。また新しい年のはじまり。みんなで力を合わせてがんばりましょう。

 

 

 

 

 

 

映画館

朝起きると雪。

ずーっと晴れていたので、わー、やだなあ、という感じ。小雪で降りしきると言う降り方だから
ある程度は積もると思います。

昨日から滋賀県のT社長からご注文いただいたお餅作りに集中してます。

全部終わって午後、諸々の事情があってうちの4歳を連れて古川の映画館へ。
私としては実に久しぶりの映画館なのですが、見るのは「仮面ライダーフオーゼ」

孫も初めての映画館でポップコーン、フライドポテト、ジュースまで取り揃えて入りました。

すごい!! 貸切だった!!
私の長い人生の中で映画館で4歳と二人っきり、というのは初めての体験です。
全部で3人だった、というのは過去あったなあ。

耳をつんざく大きな音、巨大な画面。最初は食い入るように画面に見入っていた4歳は
30分を過ぎた頃、「うるさいなあ。疲れたからバーチャン、帰ろう」

 

たぶんこの体験で孫はもう映画館には来たい、とは言わないと思うけど、でもなぜあんなに
音が大きいんだろうか。私もうるさかった。

しかし、田舎暮らしというのはほんと素晴らしいです。何をするのも混んでどうしようもない、という苦労が
全然ないもの。映画はちゃんと東京と同じように新しいのが来るけど、駐車場は空いてるし、タダだし、
映画館の中はきれいだけど並ぶ必要もないし、スタッフは親切だし。

 

夜は新聞バッグ作り。
取っ手巻き蒔き作業と糊貼り作業を家の者に特訓しながら、私も本格的に作ります。

大和総研のK様、新聞をお送りくださってありがとうございました。
とてもとても助かります。送っていただいた新聞で作った素敵なバレンタイン用ハート型バッグを
お送り致します。

 

 

 

冬場の野菜、そして新聞バッグ教室

うー!  寒いです。

毎朝、道の駅にお餅を出荷に行って嬉しいことは、誰かが持ってくる野菜と出会えること。

自分の仕事が終わると、今日は何の野菜が出ているかなあ、と店内を一回りします。1月の今は
葉物は少ないけれど、でも大根、サトイモ、長芋、レタス、トマトなど毎日新しい品が出てきます。

そういえば今日はトマト生産者のYさんのプチベールとアイスプラントが出てました。K子さんのカリフラワー
もあったなあ。ゴボウや大根生産をするNさんところは毎日きれいなキャベツを持ってきます。N子ちゃんは
小松菜、と大体今あるものはわかるんだけど、今日は来てなかった。チンゲンサイと水菜はあった。 続きを表示

秋田へ

前からちょっとだけ行ってみたいなあ、と思っていた鬼首道路から秋の宮温泉郷を抜けて秋田県の雄勝まで行く
というのをやってみました。

毎年11月初めになると、山形方面つまり日本海側に行く道路のいくつかは冬季閉鎖になります。

加美から銀山温泉を抜けて山形に至る道は雪深い峠が越えられないので閉鎖。
栗駒山の中腹を縫って秋田に至る道は5月連休前まで全く近づけなくなります。もの凄い雪だから。

私が毎日通う道の駅に至る国道47号線は、鳴子温泉の先の峠が低いので唯一最上を通って新庄、
酒田方面に抜けられる道です。もうひとつ鳴子温泉から鬼首温泉をぬけて秋田に至る道があります。
これは大変な山越えなので当然閉鎖だと思っていたら、トンネルなので行けるんだ、ということが判明
しました。

 

だったら行ってみたい。1月の秋田へ。でも雪の日は怖いので晴れた日に行きたい。                  と狙っていたら、昨日、今日は風は強いけど雪が降らなさそう。

よし、行ってみっぺ、と道の駅から直行。

鬼首を過ぎるとこんな感じ。この先どうなるとドキドキします。

やっぱりトンネルというのは雪道の苦労がなくすいすい進みました。

毎年本格的冬が来る前は、必ず来るというのが解かっているのに、寒くなる日が1日でも遅いほうがいいような
気がします。でもこうして冬になると、やっぱり冬はいいなあ、雪ってなんときれいなんだろう、と思います。
どこもかしこも真っ白で。

戸外温度がマイナス4度とか5度とかになると外にいるだけでも辛くなるのですが、でも首都圏にいた時のように
マイナスにはならない程度の寒さだと、どうしても外仕事もやらざるを得なくなる。
でも今はあっさり「冬は外の仕事はしない」と決めて、家の中で夏できなかったアレコレをやるのはとても
楽しい時間です。パソコンやったり本読んだりDVD見たり。家の中から雪見たり。

 

あっさりと秋の宮温泉に着いたので、あと17キロ足を延ばして雄勝の道の駅まで行きました。

秋田土産を買ってりんごをいっぱい買って戻ってきました。私は九州育ちです。真冬の秋田に来れた、という
だけでも嬉しい。

今度はまた狙い目の日に最上を抜けて新庄まで行ってみようと思います。楽しかったー!!

 

 

 

1年の計は?

1年の計は元旦にあり、と言いますが・・・。

さて、私及び海の手山の手の1年の計は?

日記というのが続いたことがありません。農家日記であろうが3年、5年日記であろうが必ず途中で
挫折します。同じく家計簿も育児日記も全然ダメ。

大震災の年、元旦から何日か書いてそのまま書かなくなっていた日記帳を見つけて開いてみたら
3月11日に「大地震が起きた。えらいことになった」と書いてあってびっくりしました。

それだけ書いて後は空白。ということは何も書けなかったのかもしれない。 続きを表示

50年のサイクル

晩秋のある日、畑で熊除けに大音響でかけたラジオの国会中継を聞きながらインゲンマメを採ってました。
収穫をするのは楽しい無心の時間です。ところがラジオの中継になんとも聞き捨てならない名前が何度も
登場します。

「〇〇〇」。                                                             会社の名前ですが、かつて私が働いた会社の名。夫が大学卒業以来仕事をしてきた会社でもあります。
その会社が突然に不当に社員を解雇している。そんな横暴を許していいのか。応えよ、野田総理、という質問でした。野田総理がウヤムヤと答えようがまた元に戻って「こんな解雇を放置するのか。野田総理」とオウムのように
同じ質問が繰り返されます。 続きを表示

地域を守る

正月の2日は毎年決まって集会所でこの集落の新年会があります。たぶん何処の集落も日にちは違うかも
しれないけれども同様の新年会をやるんだろうと思います。

 

会費は私たちが当地に来た12年前から1万円で今も変わらず。夫は雪降りしきる中、傘をさして1万円
持って歩いて集会所に向かいました。

 

私の住むこの地区の世帯数は12年前はこの別荘地の住民も入れて30世帯くらい。
そして今は24世帯。そのうち一人暮らしが3分の一。子供はいないので先行きの人口としては寒-い
状態です。

 

正直私はこんなふうになるとは思ってなかった。
この地域は駅にも高速道にも町にも30分以内で行けるし、雪も深くは降らない。学校も保育園も公民館も
郵便局も派出所も歩いて行ける距離にあるし、食品スーパーもホームセンターも車で15分も走れば
3つも4つもあって、車さえ乗れれば生活の不便はありません。病院は小さいのから救命救急医療センターが
ある基幹病院まで時間をかけずに行けるし、救急車は呼ぶと5、6分で到着します。

 

こんなに便利で山も川も美しく人情も優しい土地には滅多に出会えない。                        私のようなよそ者が別荘地であれ何世帯か住み着けば、人口は増えるのではないか、と考えてました。

 

でも全く甘かった。
高齢化のスピードのほうがうんと早く、子供の姿を見かけなくなり、普通に言う就職という意味での仕事場は
ないので、遠くない先には限界集落になるのでは、という思いが今は強いです。

 

古い小さい集会所は311の大地震で見事に壊れました。集会所だけではなくてその近所の家々も大規模に
壊れて修復不可能で解体したところもあります。

 

集会所の修復には1千万くらいの費用がかかる。でも行政からの補助は出ない。ということで何度かの
話し合いがもたれました。
「1年に1度の新年会くらいしか使わない集会所だったらお金出して直さなくてもいいんじゃない?。みんなあちこち壊れてお金ないんだから」
というのが私ともう1軒、別荘地に住むよそ者のビジネスライクな乱暴な意見。

 

でも集落の人たちは違ったんですねえ。
みんなでお金を出し合って、役に就いている方は応分かまたはそれ以上の負担を担って、昨年の秋に
新しい集会所が出来上がったのでした。これからはそこで新年会だけではなく、違ったこともやっていきたい
ということでした。

 

今日は新装なって第1回目の新年会です。
1軒1軒の敷地が広いために、隣家の人の顔を1年間見ないことも不思議ではない土地柄です。
あの人はどうした?この人は元気か?と近隣の人の情報を得る場でもあります。

お昼過ぎ、出されたお寿司を持って夫が帰ってきました。
県会議員のNさんもみえたそうです。きっとこの先の復興がどうなるのかお話しをされた筈です。

雪が止んで雨に変わりました。                                                  これからお茶でもいれて、集会所での話を根掘り葉掘り聞きます。
お正月はいいものです。のんびりとして。