夏ハゼの実の収穫です

 

秋が深まり、畑にある4本の夏ハゼの実の収穫時期になりました。
この地では通称ヤロッコハチマキ(黒い実にぐるりと細い鉢巻のような筋が入っていることから、男の子の鉢巻)
と言われる夏ハゼの実。生食もできますが、ジュースとかジャムとかにするとブルーベリーよりもコクがあって
味が濃い感じがします。 続きを表示

紅葉の栗駒山

朝からいい天気です。

何日かうちに雨が降ったら、と思うと毎日が狙い目のような気がして、朝のお餅仕事を終えて即栗駒山へ。

栗駒山は表側と裏側があって、つまりは南側と北側ですが、南側にはいわかがみ平、反対側に須川温泉があります。うちからはどちらに行っても車で1時間弱。今日は須川温泉に行ってみることにしました。須川温泉までの道には、湯浜峠という全山紅葉が見られる絶好の場所があるので。

一迫を抜けて、旧花山村を通過し温湯温泉を過ぎてから山道に入ります。温湯温泉脇には番所という昔の関所があり、傍近くの渓谷脇には佐藤旅館という昔からの旅館があるのですが、、4年前の内陸の大地震から後は
営業していないみたいです。
そこも過ぎて進む。
えー!? 全然紅葉してない。山も林もすこーし黄ばんでいるぐらいでまだ緑のほうが多い。えー!? 遅すぎる。
近年、秋も春も来るのが遅くなりました。秋はなかなか来ないし、春もなかなか来ない。

もうちょっと行ったらもうちょっと行ったらと期待しながら、昨年息をのむほどの全山紅葉を見た湯浜峠に着きました。

でもこんな感じ。全山紅葉までまだ1週間や10日かかりそう。
ずいぶん遅れてます。

がっかりしながら、それでもせっかく来たのだからと須川温泉に向かいました。
栗駒山は標高1600メーターちょっと。須川近くまで来ると、おー!紅葉してます。きれいです。

やっと来てよかった、という気持ちになりました。

今の時期、なかなか大駐車場には車が停められないのですが、今日はやっと1台分みつけて駐車できました。
少し登ってみます。

源泉から流れ落ちるあったかーいお湯の川でみなさん足湯をしています。
4年前の内陸の大地震でこの辺りの形が変わってしまいました。以前はもっと硫黄だらけだったような
覚えがあるのですが・・・。今のほうが使い勝手がよくなった、というのかきれいになったというのか。

今度の大震災でも同じでしょう。
元のようには戻らない。意識的に元の形を変えないようにしよう、としない限りは必ず変わるんだなー、と実感します。変わることに順応するしかないですね。人間は。

以前は硫黄の川に板が渡してありました。そこに座って足を浸けてた。熱かったけど今はどうかな?

あちこちからこんな湯気が湧き上がってます。全体を見ているとこの山は一体どうなってるんだ、と地面の下を    想像してなにやら恐ろしくなります。


大地震の前はここに大きな湯治用の自炊棟があったのですが、なくなりました。
とりあえずは見たので安心しました。

 

戻って花を切って、この秋最後のタネ蒔きの準備をして、本日は終了。

夕飯のおかずはうちの4歳が畑で掘ってきたさつまいもの天ぷらです。さつまいももじゃがいもも
ピーマンも茄子も、採ってきたものは全部揚げて食べました。

 

 

 

東北村村営田舎学校、被災菊農家のお手伝い

今日は東北村の村営田舎学校で南三陸被災菊農家、つまりは菊の師匠の菊畑の後片付けを手伝う日。

しかしながら、東北の山々もいよいよ全山紅葉観光シーズンに入って、私の道の駅でのお餅の仕事も
忙しくなってきました。
昨日は東京出張で朝4時前には起床。今日も早々起きてお餅の出荷仕事を終わらせて、お昼過ぎ
に出発。せっかく南三陸へ行くのだからと娘と4歳の孫も誘いました。

 

小野寺師匠の菊畑の始末の手伝いはお昼で終了とのこと。初めて東北村田舎学校参加の方もいる
ということで南三陸の復興商店街で待ち合わせをしました。
復興商店街へは、以前できたての頃に来たことはあるのですが、中をゆっくり見て回ったことはまだないです。

南三陸さんさん商店街。中のお店にあるキラキラ丼というお刺身がいっぱいのっかった丼が有名です。

今日は日曜日でまあ、混んでいるほうなんでしょうけれど、お客様はこのくらい。ちょっと少ないねえ!

田舎郡東北村の本日参加者の最終ミーティングです。

東北村事務局マッツアンを中心にして、栃木から学校の先生、マッツアンの奥様も4歳のノンちゃんも
参加してくれました。そしていつも来てくれるインターン生と新入のアルバイトの方、山形から参加して
くださったフラワーコーディネーターのKさん。

遠い南三陸まで来てくださって、被災した菊の師匠夫妻の畑仕事を手伝ってくださってありがとうございました。
今年、またどこかでお顔を合わせる時がもてたらいいですね。

田舎教室部隊と別れて、本日の孫の目的地である”海”へ。
海のそばにいるというのに、浜に降りられる海がありません。

どこかに浜辺はないかと探しながら気仙沼にほど近い師匠の仮設住宅も通り過ぎて本吉の海へ。
被災してそのままの海や浸水して海だか海の続きだかわからないようなところはいくらでもあるんですが、
なかなか孫が「海どこォ?」というような海が見つけられません。まず降りられない。降りる気になれない。

本吉も過ぎて大谷海岸までやってきました。

流されてしまった道の駅大谷海岸は、今は仮設作りの直売所一つのような姿で営業しています。その背後に
広々とした砂浜があるはずだったのですが、海岸道路も何もなく、あるのは海との境目に延々と並ぶ黒い袋の
土のう。ロープまで張られていて海へは近づけません。

どうしよう。! うなだれる4歳になんとしても浜を歩かせ貝殻を拾わせたい。

キョロキョロしながら戻る道すがら浜辺を見つけました。
レストランだかペンションだかわかりませんが海べりの白い建物の脇から下へ道が続き、草に覆われた線路を
越えてハーブガーデンに入り、そこを過ぎて浜辺へと続きます。

海への入り口、ハーブガーデン。

被災後に作られたのだと思いますが、今も胸痛む風景が多い中、1年でここまでハーブを育て上げられた
努力に頭が下がります。


手前は線路。
線路は草に埋もれ、花が咲いていました。

海を見て満足して小野寺氏の仮設住宅へ。

大人の会話に飽きて外に出た孫は、間違えて隣の家に入ってしまいました。全部同じだものねえ。
優しい隣家の奥様からお菓子を頂き、お兄ちゃんからは遊んでいただきました。

今年のうちにどこかで海山、みーんなで温泉に行きたいねえ、と企画を約束して帰途につきました。

 

 

 

 

 

東京台東区役所での消費生活展

昨日のよっちゃんに引き続いて、今日は私が東京へ出張します。

朝のお餅仕事を終えて6時に出発。
道路に出るとこの虹!
もともと虹が立つことが多い土地だけれど、これだけ壮大なのはそうそうは見られません。

空は快晴。こんなに空が青く、雲が見えないと、即、栗駒山に紅葉を見に行きたくなります。
東北の山はこれからが全山紅葉の見ごろです。が、2000メートル級の山になると雲がある時に行ったら
寒くてガスって何にも見えなくて全然楽しくない。
今日はねらい目のような気もするのですが、6時59分のハヤテで東京へ。

 

9時過ぎには台東区役所に着いてしまいました。
第37回消費生活展。
何故台東区の消費生活展に参加しているのかといえば、大崎市と東京都台東区は、太平洋戦争時、
台東区の子供たちが大崎市鳴子に疎開していたという歴史があり、そのようなご縁から姉妹都市としての
交流があり、呼んでいただいているのだそうです。

長年東京近郊で暮らしてきた私ですが、元々の土地の人が住む山手線の内側には住んだことがありません。
会場においでになるお客様、そして参加なさっている方々の年齢が高いのに驚きました。
みなさん、お近くの方が多いみたいでした。

その年齢もあってか新聞バッグは興味を持って頂くことはあっても、実戦参加は人気がない。
甘酒やあられやよっちゃんなんばんや漬物などの大崎市の食品には興味を持って頂いて、だいぶ売れて
いました。

今日の販売員は観光課職員とともに副市長も参加されて、こまめにお客様の応対をなさっていました。
副市長のお宅では餅米も作っていらっしゃるとのことで、加工についてお話しして楽しかったです。

午後から四万十新聞バッグインストラクターのフクトメさん登場。
私一人では心もとないのでお願いして来ていただいたのです。

東京青山在住のフードコーディネーターという職業をなさりながら、塩釜などへ度々出かけて被災地の
子供たちの支援活動を続けるなど八面六臂の活躍をなさっている素敵な女性。こういう方が新聞バッグ
のインストラクターなんて、新聞バッグのお洒落度が増したような気がします。

消費生活展終了後は東京駅で木口版画家のオカザワさんと待ち合わせ。
何の気なしに丸の内側の改札を出て、何かのデモ行進かと見間違うばかりの多大な人の波にビックリ!!
いや、ほんとにびっくりした。何かと思ったら改装が終わった丸の内側東京駅を見る人並みだったのですね。
カメラで外側を撮ってる人が多かった。それからドーム状の天井を見上げている人も。

やっぱり東京は人が多いわ!
休むこともままならない状況の中、なんとか場所を探してオカザワさんと打ち合わせ後、本日の日程
終了しました。

 

 

 

東北村会議

開けて9日は東北村会議。

会場のよっちゃん宅に午後3時に行くと、軒から煙がもくもくもく。
何の煙かなーと思ったら、昨年冬から稼働しているよっちゃん手作りのマキストーブの煙なのでした。

農家というのはいいですねえ。
必要だと思ったら、なんでも手作り。
できるだけ自分の周りにあるもので材料を調達して、仕事の合間の時間を調整して少しづつ作っていく。

よく本屋に田舎暮らしの雑誌がきれいな色刷りで並んでいるじゃないですか。田舎に土地を得て、素敵な木造とかの家を建てて、自然酵母のパンを焼いたり石窯でスパゲティー作ったりハーブを育てて乾燥させて吊るしたり、
素敵だなあ、と田舎暮らしをしている張本人の私が羨んだりしてますが、実際にここに住んでみると、
よその土地から来た人たちの田舎暮らしはけっこう素朴です。

 

町を流れる川のすぐ近くにある週末蕎麦屋さん。
そば打ち職人さんだけど、手作り家具の職人さんでもある。週末だけ蕎麦を打って、自力で作ったお店で(厨房から
店内のインテリアまで自作だそうです)お蕎麦屋さんをします。、河原の畑では変わったカボチャや好きな野菜を
栽培し、採れたルバーブやイチジクでジャムを作る。何回かもらいました。ここ3、4年お蕎麦でプリンをつくり、
新たに自分で加工場も作って道の駅やその他のお店でのソバプリンの販売も始めました。

お蕎麦を食べに行くと、自作の漬物を朱色の塗りお椀に入れて出してくれます。美しくておいしいです。
お蕎麦屋の名前は愉多工房。岩出山にお出での際には寄ってください。

田舎暮らしの雑誌の写真のようではないけど、いつも工夫して何かを作っていて自由で何時出会っても元気で
楽しそうで、田舎暮らしのよさはこんなところにあるんだな、と思わせられます。
私もたぶん同じようなものだと思います。

 

さて、東北村会議。

きのう、(株)ファミリアさんの超近代的野菜加工場で超先進的かつ高価な機械を見た後での今日の東北村
会議なので、参加している面々も仕事のやり方もあまりにも違う、180度くらい違う感じがして、思わずおかしくなってしまいました。

でもやっていることの根幹は同じ。大きなお金を投資して大事業を展開するのも、よっちゃんや東北村の村民のように地場の産物を自分の手や体でじっくりと丁寧に作り上げていくのも、東北の経済を発展させ、被災地に仕事を創ろうとする想いは同じです。やり方が違うだけ。

今日の会議の眼目は来る1月4日からの新宿高島屋の催事出店の企画立案です。
できるだけ多くの東北の産物を紹介して、できるだけたくさんの生産者の顔を見せて、できるだけ現地で現物を
試食してもらって、と企画の妄想は膨らみます。

このところぶっつづけで新聞バッグ制作から、仙台市内のナビ役、その他細々と雑務を引き受けてくれている
よっちゃん奥様みっちゃんが、採れたての新米でみんなのために夕食を作ってくれました。
ありがとうございます。おいしいヨッ!

遅くなって石巻の外れで15町歩の無農薬のお米を作っている田伝むしさんが参加。
本気で農業と取り組んでこられる方のお話は、ほんとにほんとに何時まで聞いても飽きないくらい面白い。
話題は自分が作るお米から外国の干ばつによる穀物の不作、ホルムズ海峡の石油まで森羅万象
つきることがありません。

 

何時の間にやら本筋をを外れて田伝むしさんの独演を聞いているような形で会議終了。

ああ、面白かった!

 

 

 

 

 

 

 

東北新聞バッグプロジェクト2日目in多賀城

東北新聞バッグプロジェクトは3つの団体が入って進められます。

南三陸戸倉のNPOみなとみらい、株式会社ファミリア、そして海の手山の手ネットワーク。

海山ネットのワークショップは第1日目で終わり、2日目は多賀城の(株)ファミリアで行われます。

まず最初に(株)ファミリアさんの会社の設備を見せていただけるそうなので、わくわくしながら多賀城の
ソニーの工場内にある(株)ファミリアさんに向かいました。
農業6次化プロジェクト、や被災地に仕事を作ることを目標として大事業を展開させている島田社長はまだ
29歳。これまで出会ったことがないような、知的な考えを明晰に語る青年社長でした。

畑、野菜の加工場、蕎麦屋、パン屋を同時進行で完成させていくプロジェクトの中での中枢部、野菜の
加工場を見せていただけることになりました。
冷凍するにも乾燥するにも粉砕するにも、農業者にとってはただただ垂涎の的としかいいようのない見事な
機械の数々。これは売れちゃって売れちゃってしようがないだろう、と思っていたら、島田社長から数字の
説明。が、ゼロが多すぎて頭に収まりきれません。

会社の加工場で作られた昼食を頂いた後、午後にワークショップです。

このミネストローネもエッグサラダも美味しいですよ!しっかり身が詰まってドッシリしたパンは2、3切れ
食べただけでお腹満杯です。残りは家に持ち帰って家族で頂きました。

ワークショップの内容は昨日と同じ、新聞バッグをこのファミリアさんでどのように使っていくのか。
震災後、2万食の炊き出しをされた島田社長は、復興活動でもたくさんの重要な役割をこなされた方です。
きっと素晴らしい使い方を考えられて、被災地の仕事作りに貢献されるのだと思います。

ワークショップ終了後は、島田社長ご推薦の仙台のお蕎麦も食べられる料理やさんで懇親会。
呑んで食べてたくさんおしゃべりをして1本締めで終了しました。

四万十チームの方々、そしてご一緒に参加してくださった方々。
私たち海山ネットの「なーんにもないでも残った手で古新聞でこーんなにいろんなもの作れるんだよ」という
小さい小さい活動を、このような形で取り上げていただいてありがとうございました。

四万十チームのみなさま。遠いところを何度もお出でいただいてありがとうございました。
次には新聞バッグコンクールに参戦します。四万十にうかがいます。
今回誕生した最年少中学1年生の新聞バッグインストラクターがどんな新聞バッグを作るのか楽しみです。

 

 

 

 

 

TOHOKU SHINBUNBAG PROJECT 会議&会議&会議

2012年10月5日 南三陸新聞バッグインストラクション
6日 多賀城((株))ファミリアでのインストラクション
7日 大崎の事務所でのインストラクション及びワークショップ
8日 多賀城((株))ファミリアでのワークショップ

というスケジュールで始まったTOHOKU SHINBUNBAG PROJECT 第2弾。
終わりました。ハードでした。疲れました。楽しかった。面白かった。感動した。たくさん学んだ。

 

四万十からワークショップ及び新聞バッグ教室のために来てくださったのは

前回と同じ
道の駅十和社長畦地履正氏、デザイナー梅原真氏、ファシリテーター畑中智子姉さん、ファンドレイジング担当
智子さんのご主人洋行氏、道の駅支配人森岡氏、畦地2世ショーゲン君、東北学院大学柳井教授、
インストラクターの黒田さん、高岡さん、河北新報の畠山氏、そしてオジキ(お名前を失念)               朝日新聞取材記者、そしてBS12Ch取材記者さん。
海山ネットは山の手4人のフルメンバーで出席。

あまりにもたくさんの方々がいらしてくださっていることに驚くとともに、こんなに重要な大きいPUROJECTに
自分達海山ネットはちゃんとやるべき仕事がやれるのか、と不安です。

新聞バッグ教室が終わった後、事務所で前回のワークショップで終わったところからの続きのワークショップが始まりました。

このプロジェクトを誰がやるのか、どこでやるのか、どうやってやるのか、というよっちゃんと私にとっての悩ましい
問題を、智子姉さんの優秀なファシリテーションと梅原デザイナーの説明によって、既に四万十で考えられた構図が
明確にされてゆきます。

説明を終えた後で「大いなる他力本願でいいんやない?」と智子姉さん。

「大いなる他力本願!」 なんといい言葉!                                          いいです、いいです! ありがたいです!大賛成です。

新聞バッグを作ってたいしたお金が得られるわけではないんです。生活費の補助くらいのお金でいい。
毎月5万円でいい。新聞バッグ作って毎月5万円を12か月得ることができたら、それで1年分の
食費くらいは賄えます。
そこを目標にして大いなる他力本願でプロジェクトを進めたい。

びっしりと内容が詰まった密度の濃いワークショップは6時に終了。

古川の料理屋さんでの懇親会。
今日は重要なイベントがあります。

 

なんと、よっちゃんの40歳の誕生日なのです。

畏敬する梅原真氏、そして大好きな畦地氏と四万十のみなさん、畠山さんやオジキさんなど、みなさんに
祝っていただける誕生日です。

宴たけなわの頃、智子姉さんより、東京から持ってきたのよ、とケーキがプレゼントされました。
次に宴も最終盤に入って来た頃、電燈が消され、奥様みっちゃんからのケーキも贈られました。

ハッピバースデイツーユーの合唱とともにプレゼントされたのはみなさんの寄せ書きの巻物。
よっちゃんにとっては、最高の誕生日!

みんなでよっちゃんを祝っていい笑顔です。

 

そして続きは明日。

 

 

 

 

 

 

 

TOHOKU SHINBUNBAG PROJECT 第2弾

10月4日からTOHOKU SHINBUNBAG PROJEKCT の第2回目が始まりました。

4日は南三陸で新聞バッグ作り。2人の新聞バッグインストラクターの誕生。
5日は多賀城で新聞バッグ作りの講習。7人のインストラクターが生まれました。

そして今日は大崎の事務所での講習で、6人のインスラクター誕生。
この中には南相馬のKさんの娘のアカリちゃんもインストラクターになりました。

 

夜は前回と同じお店での懇親会でしたが、大変素晴らしい意見の交換の場でした。

またこの日はよっちゃんの40歳の誕生日。

不惑の年と言いますが、これだけたくさんの人たちに誕生日を祝っていただけるなんて、
彼は果報者です。

 

詳細は明日。

 

 

新聞バッグインストラクター2人誕生

昨日の朝刊の一面の記事には「福島の震災関連死者1000人以上に」と。
福島だけでこの人数、心痛みます。

そして今日は朝のテレビで久しぶりにロバート・キャンベル先生のお顔をみました。お元気そうでした。
昨年の夏、海山ネットで作り始めた新聞バッグに英文でのフレーズを書いて頂きたくて、鳴子温泉で
先生が開催されていた「読む」という文学講座にうかがったことがあります。

文学のお話を聴く場なのに、最初の日の最初の時間から先生の横に座り、自己紹介でまず「翻訳を
お願いしにきました」と言ったら「あなた、あつかましいですねえ」と言われたことを思い出します。

でも先生はその日のうちに海の手山の手を「Sea Side&Hill Side」と訳してくださいました。
とても真摯で心優しい先生は、ご自分がご両親を介護なさった時のことを、後悔ばかりだ、と私と同じ
ようなことを仰るのが心に残っています。
文学のお話は素晴らしかったです。ご病気になられたけれど、治られてお元気そうでよかった!

 

そして今日はまた東北にとプレゼントをいただきました。

東北に笑顔を、とニッコリマークの刺繍を縫って、まとまったら送ってくださるAさん。
ありがとうございます。前回の分は仮設住宅に送り、今回送って頂いたのは5、6日に石巻で販売させて
いただくことにしました。

そしてもうひとつは福岡のAR先生がご指導なさるキルト教室の皆さま方から、小さいバッグやポーチなど。
いつもながら素晴らしい技術の素敵な作品をありがとうございます。

さっそく明日からの石巻での販売に使わせていただきます。

一昨日から今日まで、滋賀県のT社長、くるくるネットさん、石巻パナソニックさんなどのご注文で新聞バッグや
メンバー各々の物産の送付で目の回るような忙しさでした。
そして今日は南三陸で第1回目の新聞バッグワークショップ。

菊の師匠の奥様ムッチャンにも参加してもらい、東北村の事務局Mさんも参戦して海山ネット、そして東北村
では新たな新聞バッグインストラクターが誕生しました。法人化を目指して心強いです。

ワークショップが終わった後、古川駅で落ち合って、短い時間ですがよっちゃん、みっちゃん、四万十新聞バッグ
インストラクターのKさん、Oさん、そして私で食事をしながらの交流会。
これはいろいろと参考になりました。

 

次なる東京での新聞バッグ講習&物販イベントにはOさんが横浜から参加してくれることになりました。
よかった! Oさんは新聞バッグインストラクターのベテラン。
未熟者の私は肩の荷が下りてほんと嬉しいです。物販に専念します。

東京台東区での「生活展」
みなさま是非お出でください。

 

 

 

放射能の検査

今日の天気予報は雨。

でも午前中は降りそうにないので、出荷仕事が終わった後、大急ぎで畑に行って一生懸命に花を切ったら
午後も全然降らなくて、得したような損したような1日でした。

当地で言うヤロッコハチマキ(夏ハゼの実)が黒く色づいてきました。生食でも食べられるけどジャムに
するとブルーベリーよりもコクがあっておいしいです。
例年採ったら生のままだったり、ジャムにしたりして道の駅で販売するのですが、去年からは放射能の
検査をしなければ売れないんですよねえ。

栗もそう。

今年はもう栗が出てきてもいい時期なのに、全然出てきません。
私はもう今年はやめました。栗の実なりはよくないし、放射能検査は受けなければならないし、なんか
勢いをそがれるというのか、もういいかなあ、と思っちゃう。

クルミの実がバケツいっぱいあります。外側を腐らせてタネをとるのですが、これって果肉の中だから
検査しなくていいのかなあ。

埼玉のくるくるネットさんのところでおまつりがあるので、商品送ってください、と連絡をいただきました。
くるくるネットさんは大震災後からずーっと長い間、沿岸被災地に出かけていっては応援活動をなさっている
東北応援隊でもあります。お知り合いになってからこうしてイベントをする度に声をかけて頂くので感謝
しています。

くるくるネットさんからの要請は商品と放射能検査の証明書。
私が送れるのはお餅とアラレくらいだけど、この放射能検査の証明書というのが、何を検査したらいいんだろう。

餅米だったら去年のだからねえ。セシウムの検査はお米ができた時点で終わっているけど、でもお餅やアラレ
にしちゃったらその形で計測の必要があるんでしょう?
というふうに考えるとどうしたらいいのかわからなくなります。そしてやっぱり勢いが削がれて、グズグズ考え
ているうちに、もういいかなあ、と思っちゃう。

今日よっちゃんと電話で話した時に、午後よっちゃんちに会社勤めを辞めて東北の復興や発展のために何かをやろうとしている人がいる、と以前聞いたことがあるご当人がみえると聞きました。
身近にできる放射能の検査を始められるそうです。
今度お話しを聞いてみよう。
今道の駅以外でだったら1検体2万円近くかかる検査料が1000円とか2000円とかでできるそうな。
それだったら片端から検査を受けて、検査表をくっつけて胸張って販売したいなあ、と思います。

 

昨年3月の大震災後、水が出なくなって隣の集落の湧水まで家族みんなで貰い水に行きました。
その時雪が降っていて、家を出る前から雪を直接被るな。帽子を被れ、手袋しろとうるさく言う娘に私は苛立って
半ば喧嘩のようになりました。
こんなことになるなんて。娘が正しかったんだなあ、と今思います。