一路長野へ(その2)

朝6時。たいしたもんです。みんなほとんど寝ていないのに時間ぴったりに玄関に勢ぞろい。
昨日の残りのお握りをかじりながら今日の会場の元オリンピック会場の長野エムウエーブに向かいます。

長野の町に入ると目立つのは山。多分2000メーター級くらいの山々に町がぐるーッと囲まれてます。
宮城は周辺ほとんど緑だけれど、山波は遥か遠くに連なり、近くにあるのは筍を採ったり茸を採ったり
する里山です。あとはまっ平の平野なので、ずいぶん違った風景です。

長野エムウエーブはアルファベットのMの形をした、元アイススケートの会場である大きな建物
でした。8時から入館。販売準備を始めます。

先に長野入りしたオカザワさんが手伝いを兼ねて迎えてくれました。ご一緒のお友達のMさんは
この催事のプロデユースを担当されています。

10時開館、販売開始です。

前にオカザワさんから聞いていたとおりものすごく大きな会場で、様々な分野が様々な工夫を
凝らして出店しています。食べ物、飲み物、地場産品、自動車、住宅機器  木工、etc.
そして真ん中に広ーい会場が作られているのがカルチャー講座の教室。
海山ネットの新聞バッグインストラクターあやさんは14日、午前と午後の2回、ここで新聞バッグの
講習をやることになってます。

SBC(信越放送)の取材を受ける代表よっちゃん。

新聞バッグ講習が始まりました。次から次であやさんは休む間がありません。

初めてのカルチャー講座で先生を勤めるあやさんです。

 

 

今日はここまでで止めます。

 

 

一路長野へ(その1)

13日、出発当日。

なんてったって海山主要メンバーは各々が生業を持つ身なので、一日めいっぱい働いてこれから
留守する2日間の生産物と用事を片付けてからの出発となります。

事務所へは行きたいけれど全然行けず、隊長よっちゃんに後はおまかせの形で自分の生産物と
何となく自分の役割分担になっている海山ネットのメッセージカードやポップの準備をしたところで
時間切れ。ちょっと遅れて7時半に事務所着、事務局KJに見送られていざ長野へ、いや、その前に
仙台へ。 続きを表示

あっぱっぱ

明日から長野へ行きます。長野市のエムウエーブで行われる大人の文化祭2012に参加、出店します。

今回の出店の中心にするのは新聞バッグ。

ちょっとおしゃれな「もじゃぐり新聞バッグ」です。皺加工バッグをもじゃぐりと名付けました。
うちの草だらけの庭で夕日を浴びたエリンジュームと竹盆栽。こんなふうにも使えます。

そして南三陸から縫い終えたあっぱっぱが送られてきました。

ダンゴウオちゃんです。かわいいです。

一味違うダンゴウオさんです。

ダイナミックなとうがらしとおもちゃ箱のようなとうがらし

 

次はわかめ。大きなわかめと平目。

そしてさんま。このさんまのあっぱっぱを見た時には笑ってしまいました。

さんまのあっぱっぱを着た子を想像してみてください。あまりの意外性に笑えてきます。

全て東北にとって大切な産物です。希望の産物。

これからサイズが大きい物、ズボンなどにも取り組みますが、南三陸の縫製者の方たちは腕も確かだけど
速いです。1枚2000円で販売します。赤ちゃんへのプレゼントなどにもご利用ください。

販売は海山ネットワークで行なっています。よろしくお願いいたします。

最後に山の手メンバーのひとりごと、にはそぐわないかもしれないけれど、大津のいじめられて自殺した
中学生のことで一言。

ご両親の無念はいかばかりかと心が痛みます。

警察の強制捜査が学校に入ったことで、今朝のテレビであるコメンテイターが「慎重であるべきだ」と
発言してました。その是非についてはしっかり考えてないので、すぐには答えがでませんが、
ただひとつだけ言えるのは、自分の経験からみて、子供たちは、特にいじめという行為を実行した
子供たちは大人が怖くないのです。親も先生も、見つからなければ警察も怖くない。

いけないことはいけないと厳しく戒める大人が周りにいない子供たちは不幸です。ここから考えることが
必要なのではないか、と思います。

私の子供は私に言いました。だから一緒に闘うことができました。                          昔のことですが、思い出しても緊張する出来事です。息子や娘の子供たちに同じことが起こってほしくない。「慎重にあるべきだ」などと人ごとのようなことを言ってないで、大人は本気になってどうしたらいじめがなくなるか、どうしたらいじめが防げるか、どうしたら死なせずに済むか、死に物狂いで研究してほしいと
願います。子供は宝です。

 

 

値段をつけるのは難しい

朝5時から深夜12時までずーっと仕事をしっぱなしでやっと今日の分を終了しました。

終了ではないんだけど、もう疲れて残りはあした回しです。

明後日は長野なので、その準備をしているのですが、なんか忘れてないかと思うと不安が消えません。

今日は一日日々の仕事と長野の準備で家を出たり入ったり、あっちに行ったりこっちに行ったり。
何日か前テレビに生出演したよっちゃんは注文殺到の上に長野の準備で、その忙しさたるや
大変なことだろうと思います。

だからできるだけ電話をしないで、自分でできることは自分でと、メッセージカードの文章作ったり
持って行く商品の値段をつけたりしているのですが、文章作るのも楽ではないけど、新しい
商品に値段をつけるのはもっと気を遣うというのか、いくらにしていいのか解からないというのか。

私は直売所やスーパーマーケットでおもちや花を売っているけど、それは直売所値段なんですね。
遠くの商店に置いてもらう値づけではない。

海山ネットで販売する商品は遠くのお店で販売することもあるので、その場所での値段をつけなければ
ならないのですが、不慣れで、すぐに直売所値段になってしまいます。どこが違うのかといえば、自分で
作って自分で持って行くから、タネ代と材料代とお店の手数料以外はほとんど乗せません。安いのかも
しれないけど、自分で作っているから、まあ、いいやと100円とか200円とか切のいい数字になってしまいます。

ところが遠くのお店に置いてもらったり、繁華街のお店で販売する時には、手数料は高いしガソリン代、駐車場代、商品のラッピング代、などなど細かにお金がかかっているのですが、これを値段にのせることが
なかなかできない。これが駄目なんですねえ。自分は販売者なのに、すぐに購買者側に立ってしまって、
安く安くしようとする。

 

今日は知り合いの人に聞いて、「ふんばらなきゃ駄目なんだよー」と助言いただきました。
材料と手間がかかったものは、その分と、その先も商品が進化、展開できるように値付けをしなければならない。素敵ないいモノ作っていくために。

そうなんですよねえ。売りたいために安くしたり、エイ、いいやと安くしたりしていたら、、素敵ないいモノのを作れないし、価値は伝わらないし、そこで働く人の給料も上がらないですよねえ。材料だってやすいのを買いたくなっちゃう。

だって値段が安かったらたくさん売らなきゃ回転しないし、従業員の給料だって高くは払えないもの。
そういうふうに考えていったら、流通の値段の仕組みがわかるような気がします。

アドバイスを頂いたから、エイッとばかりに値をつけて「あっぱっぱ」販売します。

縫ってくれているのは南三陸の仮設住宅の方々です。仙台ろっけんぱーく、や長野で初売りです。
近々HPにも載せます。よろしくお願い致します。

 

 

 

長野へ

週末に長野に行きます。

ここに来る前、山に登っていた時にはずいぶん軽井沢とか霧ヶ峰とか行ったけれど、まさか宮城から
新聞バッグを持っていくことになろうとは、想像もしませんでした。ほんとに人生わからないもんです。

宮城からみると長野はほんとに遠い。車で行きますが、正直体力に不安が残る。

さて、今回本気で宣伝販売するのは新聞バッグ。いろいろなバリエーションがあります。新聞紙5枚で
作るーまるでパズルのような作り方のー大新聞バッグ、中も小もありますが、またこれがトート型だったり
まちつきだったりなので、全部は持って行けず、中心にするのは皺加工新聞バッグです。

新聞を皺くちゃにして作る新聞バッグは難しいです。皺くちゃにするのも難しいし、合わせるのも大変。
でも出来上がったバッグはふんわりして風合いが優しく好い感じです。素敵ないいモノです。

是非長野のみなさんに宮城の仮設住宅ではこんな素敵なものを作っています、と伝えたい。
南相馬から避難してきたKAさんも、こんなに新聞バッグ作りの凄腕になってます、と伝えたい。

新聞バッグを東北以外でも知ってもらって広がったら、南相馬や石巻の「やってみたいなあ」と思っている
方にも作ってもらえます。小さいけれども被災地の方への自活応援です。

私たち山の手メンバーと、そして新宿高島屋でご一緒した東北村のメンバーも一緒に販売します。
全員自分たちの商品も販売しますが、よっちゃんやみっちゃんや私と共に、南三陸タカちゃんの娘さんノンちゃんと南相馬のKAさん、娘のakariちゃんも一緒に行けるのが嬉しいです。

しっかり売りたいです。全て自分たちの手で作った商品ばかりなので自信を持って胸を張って売れます。
これでたくさん売れたら、ほんとに絵に描いたような東北の経済の復興なんですが。

 

長野の皆さんにも新聞バッグの作り方を知って頂く場を作ります。新聞紙との付き合いが深まれば深まるほど、古いものを利用して、新しい素敵ないいモノを作り出すのは、「おおー!」とみんな揃って声を
上げるような新しい発見があり、また楽しい瞬間です。

お天気がよいことを祈ります。

 

 

素敵で良いモノ

東京在住の版画家のオカザワさんから、お願いしていた手拭いのタグが送られてきました。
手拭いの柄が何なのかが解かる工夫をしたい、と言ったら急いでハンコで作ってくれました。

ダンゴウオ(南三陸や北海道の海に棲む小さい可愛い金魚のような魚です。津波でさらわれて
しまったのかと探したら、ちゃんと岩にくっついて生き残ってました)とワカメです。

とうがらし(海山ネットの二人の男性大黒柱の生産物はなんばん唐辛子と梅です)
とうがらしと梅にはお世話になってます。感謝と東北復興への希いを込めて作りました。

ハンコでこんなものも作れるのよ、と素敵なポチ袋も入ってました。

こういうものが自分で作れるなんて、これまで考えたこともなかった。

私は紙が好きで、時間がある時には文房具屋さんに寄り、便箋だのハガキだの手帳だの買ったり
するのですが、私の好きなものが、それもとびきり好きなものが向こうから近づいてきてくれた、
という気がします。

「素敵だ、素敵だ」と大喜びの私に「誉めすぎよ」とオカザワさんは笑ってますが、オカザワさんの
モノ作りの根っこの姿勢は、お洒落なモノを作るのではなく「素敵で良いモノ」と作ること。

今日事務所で南相馬から避難中のKAさんが新しく作った皺加工の新聞バッグを見ました。
小さいものはもう売り出して仙台のろっけんぱーくで販売中ですが、今日新たに見たのは大きい
A4以上の皺加工新聞バッグです。その完成度の高さには、「うーん、素晴らしい!」と唸るばかり。

彼女は昨年7月に、海山ネットではこれからリサイクル新聞紙を使って新聞バッグを作ろうと決めて
四万十バッグの講習を受け、インストラクターになった10人の中の一人です。
とても研究熱心で工夫を重ね、新聞バッグ作りのエキスパートになってきました。
決して手をぬかず、「素敵で良いモノ」ばかりを作ります。

じゃがいもが似合うような素朴な新聞バッグも、高い値段をつけるほうが妥当と思えるほど丁寧に
デザイン性豊かに作られた新聞バッグも、彼女にとって向き合う姿勢は真剣勝負なのだと思います。

新聞バッグが売れればその代金の一部は仮設住宅での収入になり、手拭いが売れれば新聞が被災地に行き、新聞バッグになって戻ってくる運送費になります。手拭いで作った子供のあっぱっぱが売れれば、
その縫製代金は仮設住宅での収入になります。

素敵でいいモノを作ります。よろしくお願いいたします。

 

 

がれきの話

新潟の友達から電話がかかってきました。エッセイ教室仲間です。

神奈川に住んでいる時には、家の中で格別何もしてない奥様だったのに、故郷新潟に戻ってから10年、
太極拳と出会い今では日々が太極拳とともにあるベテランになってしまいました。

「そろそろだね」
そーなんです。もう次の「みず」発行の時期が近づいてきました。1年の速いこと! 続きを表示

よっちゃん、みっちゃん、テレビに生出演!

雨が降り続いています。

東北は雨が少ない地方と思いますが、珍しくこの2、3日は1日降ったり、間をあけて降ったり。
土が濡れるので畑仕事ができない日が続いています。

さっきのニュースでは岐阜で土砂崩れ。40人が孤立とか。昨日は九州で川が氾濫してましたし、
青森では竜巻じゃないですか。もうすぐ収穫の時期を迎えるりんごがひどい状態でした。

雨、強風、竜巻、地震、日本中どこで自然の災害が起きるか予測ができない日々ですね。

今日、よっちゃん農場代表、海の手山の手代表のよっちゃんが(ちなみによっちゃんというのは彼の
名前ではなく、亡くなられたお母様の名前です)、東北元気です!!というテレビに出ました。

彼は声が大きくて闊達な青年ですが、別の面で考え深く純粋でナイーブな人物でもあります。
だから緊張すると上がり性。伴侶のみっちゃんはどんとこい!のしっかり奥さん。

ほとんど仕事でいない昼間の番組ですが、今日は特別。雨も降ってることだし、家族みんなで見ました。
画面に出て来たよっちゃん夫妻は、東京の版画家オカザワさんが作ったお揃いのティーシャツを来て、
トレードマークの手拭いを肩から垂らし、正式の時には何時も履く紺色のモンペパンツ姿、裸足に
ぞうりでした。最高です!!ティーシャツの柄はとうがらし、肩の手拭いも唐辛子柄(オカザワ作)
手に持つ新聞バッグの中味はよっちゃんなんばん! でした。

番組の中心人物アパッチケン氏、中本氏との会話も自然で普段のとおり。落ち着いてよく笑い、
番組の最後に前から憧れていた首のタオルをとって「ほっかむり」というのを遂にやってみせてくれ
ました。きっと中本さんが許してくださったのでしょうが、彼がやりたがっているのを知っている私は
「やった!!」と嬉しかった。

おいしいよっちゃんなんばんダレがきちんとおいしく見える楽しい番組でした。
東北6県だけの放送らしいから全国通津浦々とはいかないけれど、でもきっとお客様がどっと増える
ことでしょう。

13日から行って出店予定の長野の大人の文化祭でも放送で取り上げて頂けるかもしれないので
よっちゃんなんばんも新聞バッグもきちんと用意をして行こうと思います。

よっちゃん、みっちゃん、よかったねえ、最高でしたよ!!

 

元の生活に戻ろう

一昨日うかがった東北ろっけんぱーく。                                           今度の日曜日に、海山ネット代表のよっちゃんが新聞バッグを持っていくというので、             急遽他の用事を取りやめて事務所に向かいました。

新聞バッグは新聞バッグだけで販売するのではなく、私たちの思いをこめたカードやタグを小さく
作り上げて、取っ手に吊るしています。それを作りにいきました。

今日は事務局のKJは不在。事務所にいるのはNPOのスタッフ二人と、海の手山の手ネット事務の
chieちゃんと私についてきたうちの娘とあやさん。                                    NPO法人大崎地域創造研究会の事務所に、海の手山の手ネットワークという自営業3人が集まった     任意団体が一緒にいさせてもらっているので,時々海山ネットもNPOと間違われたりします。

海山ネットはNPOではなく、ただの3人の個人の集まりです。

あやさんは昨年の3月12日に南相馬を出て以来鳴子温泉で避難生活をしている海の手山の手の
ベテラン新聞バッグインストラクターであり、私たち山の手からすると彼女は海の手さんです。
あやさんのご主人と長男は南相馬、次男は新潟、あやさんと娘のakariちゃんは鳴子温泉で暮らしています。生活を支えるために午前と午後ふたつの仕事を持ち、時間がある限りで新聞バッグを折ってくれてます。

私が感心するのは、彼女の暗い顔を見たことがないこと。全く自分に非がない理由のために自宅に
帰れなくなり、家族離散の生活を余儀なくされ、その生活を支えるために働ける限り働かなきゃならない
日々であるにも関わらず、いつも明るく前向きで面白い。そのうえに仕事は確実。研究熱心で新しい
アイデアで新聞バッグを開発します。「こういう人こそカッコイイイというんじゃないかなあ」と私は       あやさんのことを思っています。

あやさんと娘との午後のひと時、あやさんはこう言ったそうです。
「時々南相馬に変ってみんなに会うと、私だけのうのうと暮らしてほんとに申し訳ないなあ、と思う」と。
私も福島の人と会ったり、話を聞いたりすると、置かれている環境がほんとにお気の毒で、なんとも
いえない気持ちになります。

でも何にもできないので「東京での原発再稼働反対のデモに行きたい。けれどお金がないので行けない」と娘に言ったったそうです。「私も行きたい。でもお金がないからいけないね」と娘も言ってました。

いつも元気なあやさんの心の中には、子供のためとは言いながら自分だけ避難してきているという
負い目があるのでしょう。

「原発はいらないよ。元の生活にもどろう」
あやさんが最後に言いました。

元の生活に戻ろう。                                                       原発の前の生活に、事故の前の生活に。時間がかかっていいからそうしたいものです。

 

東北ろっけんパーク

仙台駅近くのクリスロード商店街にある「東北ろっけんパーク」に行ってきました。

東北ろっけんパークとは。東北復興交流ツインステーションと謳ってあります。

私もうかがうのは初めてですが、東北村のM氏に付き添って頂いて、新聞バッグをお店に置かせて
頂きたいとお願いに行きました。

店内は広く2階までがパークということですが、そこには被災された方々やサポートする人たちが出会って
交流して、復興のために作った物を販売したり、宣伝したりできる場。なのだと受け止めました。

海山ネットとしてはまさにこれまで出会いたかった人であり、場所です。

新聞バッグはこれまで売ったことがない、皺加工した新聞バッグ。「もじゃぐり」とネーミングした新聞
バッグを持参しました。新聞はジャパンタイムズとイギリスの薄赤色の新聞紙ファイナンシャルタイムズ。

どんなもんかなあ、と心配しながら6、7個持っていったのですが、ありがたいことに、「素晴らしい!」と
お褒めの言葉をいただきました。よかった、ホント!

全部の新聞バッグを居合わせた方々に見本としてお渡しすることができました。
これから新聞バッグに今制作中のタグをつけ、東京で海山を応援してくださっている版画家オカザワさん
デザインのハンコを押し、完成したらろっけんパークの店内に並べます。

合わせて、福島在住の方の矢竹のお箸や箸袋(お扇子も入れられます)、梅農場の梅の木のお箸や
ダンゴウオやワカメやサンマや唐辛子柄の復興手拭い、手拭いで作った子供のアッパッパなど
製品にしてろっけんパークを訪れる方々に見て頂きたいと思います。

 

昨年から1年間、たくさんの方々の支援を頂きました。
そのご支援を支援として続けて頂くのではなく、自分たちの製品に作り上げて、この場所から
この被災地から、この東北から、発信、販売していこうじゃないか、というのが今の海の手山の手ネットワークのがんばりどころです。

頂く支援を支援のまま続けて頂くのでは、どこまで行っても次の段階へ進めない、と海山ネットなりの進化のステップを今進み始めたところです。

震災から1年4か月。
町の復興のほうはどうなっているのか、止まったままのような、どこが進んでいるのかわからない状況
ですが、人の復興、みんながまず元気になって仕事を持ち、手仕事で経済の底上げをしよう、を目標
とする海の手山の手ネットワークは、またこのろっけんパークで新しい人と出会い、新しい場面を拓いて
ゆきたいと思います。

サポートして頂いている皆さんにここまで一緒に歩んで頂いて、本当に感謝しています。
みなさんありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。