市川ニッケコルトンプラザに行って来ました。

       7月30日、31日の土曜、日曜日に千葉県市川ニッケコルトンプラザ「宮城つく

       びと産直市」に参加してきました。

       金曜日の午後出発。話には聞いていたけど、東北道の混み方にはびっくり。

       郡山から常磐道に進路を変更して8時過ぎには市川に到着しました。10年ぶり

       に見るコルトンプラザは方向がわからないほど大きく立派になっていてまたび

       っくり。そして市川なのになんとなく薄暗いのにも驚きました。これが節電な

       んですね。

       翌土曜日から販売開始。販売場所をダイエー、ピーコックと専門店外の

       間に設置していただいているので、たくさんのお客様においでいただいて、

       産直市は盛況でした。

       夜は本八幡で懇親会を開いていただきました。席上、挨拶に立ったタカちゃ

       ん、南三陸から避難してきてよっちゃんなんばん高橋夫妻に出会い、なんば

       んの仕事をするようになったことを「嬉しい。感謝しています。これから岩出山

       住みます」と話すうちうるうるしてきて涙声に。傍にいたみちよさんも「ちょっと

       今の言葉聞きました?」と涙ぽろぽろ。高橋君も私もさおちゃんもこれまで

       あまりにも一生懸命だった反動でうるうるしてしまいましたが、タカちゃんの

       挨拶は大拍手で終わりました。

       翌日曜日は、最終日ということで気合を入れて臨み、土曜日以上にがんば

       ってお客様と接することができました。

       海山ネットワークに寄ってくださったお客様、そして、こんな機会を設けて

       くださった関係者の方々、ありがとうございました。                

       

       

       

    

       

       

       

       

       

       

       

梅30キロのジャムつくり

      せっかく仲間に梅の木が8千本もある梅農場のSさんがいるのに、梅製品を作ら

      ないのはもったいないと梅ジャムを作ることにした。

      実は梅干し苦手の私は梅のジャムを一度も作ったことがない。毎年作るのは夏

      ハゼのジャム。あとは苺のジャムしか作ったことがない。梅干し漬けに丁度良い

      くらいの黄色くなった梅を30キロ。せっかく作るのならと30キロにしたのだが、

      実は30キロの梅を見たのも初めてだ。こんな大量の梅をどうやって煮るんだ?

      と腰が引けているところによっちゃん農場のよっちゃんが取り出したのは、子供

      のお風呂にでも使えそうな特大の寸胴鍋。30キロの梅をどッと一度に入れても

      半分以下だ。覗き込んでかき混ぜるだけでも上腕の内側を火傷しそうになる。

      煮ること2時間半。砂糖の量も多いので、煮詰めるのもなかなか時間がかかり、

      6時半でいったん終了。多すぎて出来上がりませんでした。

      昨日、一昨日、勾当台公園(仙台)でのTBC夏祭りでよっちゃんねぎヤキソバ

      を作って奮闘したよっちゃん奥様が疲労困憊の様子なので、大鍋3杯分くらい

      の作りかけの梅ジャムを持って帰って、ただいま深夜12時まで奮闘しており

      ます。どこで出来上がっているのか、終了なのかほとんどわからない。

      梅が30キロなら砂糖も30キロでいったい何キロの梅ジャムを作っているのか

      それも想像がつかない。いったいいつ終わるんだろう。

      

    

市川コルトンプラザで出店します。

      次の土、日、7月30日と31日に海の手山の手ネットワークは、千葉県市川市

      のニッケコルトンプラザで出店します。

      行くのは私たち海の手山の手ネットワーク4人組と南三陸元気母さんタカちゃん

      新聞バッグ作りのエース、南三陸サオちゃんです。

      販売するのは海商店、山商店のいろいろ。

      まず新聞バッグ、大、中、小。新聞バッグを作っているうちに、自分がファンにな

      り、家の中に新聞バッグが増えてきました。キャットフード、ドッグフード、

      じゃがいも、紙袋など入れるのに大変都合が良い。蒸れないのがよろしい。

      それから南三陸の縫製さんが作ったエプロン、腕カバー、コースターなどの

      布小物。今日は透明袋に入れてラフィアで結ぶラッピングの作業をしました。

      全国の方々から送っていただいた布地は色も柄もさまざまで、楽しい時間でし

      た。いずれ写真入りポストカードを作って、送ってくださった皆様にお送りしたい

      と考えています。

      それから、南三陸の津波の前のわかめ。自分で売る時はさっぱり自信がなか

      たけれど、今度はわかめの仕事をしていたタカちゃんが販売しますので、わ

      かめのことなら何でも聞いてください。わかめも生きている海の場所で厚かっ

      たり薄かったり柔らかだったり歯ごたえがあったりいろいろなんだそうです。

      タカちゃんに聞いて私も初めて知りました。家も農機具も流されたけど、干椎茸

      だけが残ったという、運の強い干し椎茸。秤がないというので海山ネットで測って

      袋詰めしました。竹盆栽は御茶ノ水のガイヤでの販売の時よりずいぶん大きく

      なりました。苔も深い緑色がきれいになりましたよ。

      よっちゃんなんばん、梅干し、あられに蓬茶はいつもの通り。明日は青梅で

      ジャムを作ります。ぜんぶ、手づくり自然食品です。

      田舎暮らしでこの地に来た私にとっては古巣へ戻ることになりますが、海山

      メンバーにとっては初めての市川。どんな販売会になるのだろうと楽しみです。

      お近くの方、ご来場をお待ちします。

      

      

      

      

     

和紙

            女川のNさん、この日曜日の仮設入居を控えて、今日最後の、と言っても避難

     先のこちらでの新聞バッグ作りのお願いをした。電話では何度も話したけれど、

     直接会うのは新聞バッグ作りの講習会以来。昨日お願いしておいたバッグを持っ

     て来てくれた。非常にきれいにできている。私も少しずつ作っているが、こんなふ

     うにきれいにはできない。どうして?

     「新聞は一面と最後の面は使わないほうがよい。伸びているのでずれる」

     「色刷りのところは弱いから使わないほうがよい」

     「大きいバッグの時は寝押しをする」

     「糊は刷毛で混ぜてはダメ。刷毛の目に詰る。のばす時はスプーンなどでかき

      混ぜる。あまりゆるめないほうがよい」

     えーーッ、なんでそんなに詳しいんだろ、と思ったら、Nさんは津波の前、和紙の

     お仕事をしていたそうなのだった。

     まただ。らどん温泉で初めて今は仮設住宅住まいの0さんが作ったエプロンを見

     た時の驚きを思い出す。あまりにも見事な仕上がりなので、「どうしてこんなに

     上手なの」と聞いたら、津波で流された縫製工場で30年も制服を縫っていた方

     が縫ったエプロンと聞いてプロ仕様だと納得がいった。

     菊もそうだ。0さんのご主人が志津川で菊を作っていた方だと知って、5000本の

     菊を購入して菊栽培を教えていただくことにしたのだが、後で志津川の菊の

     会長さんで、東京の市場まで出荷している方だと聞いて冷や汗が出た。

     沿岸部の方だからなんとなく海の仕事ばかりを想像していたが、いろんな仕事の

     熟練の方がおられて、その都度びっくりしたり、出会えた幸運を喜んだり。でも

     こんな方たちが腕を振るう仕事の場がないというのは、なんと勿体ないことだろう

     か、と思う。

     Nさんは仮設住宅に入られても新聞バッグを作ってくださるそうだ。今度綺麗な

     和紙で何かを作ってもらおう。海商店になぜか和紙の商品が出てくるかもしれな  

     い。楽しみだ。

     

     

     

     

海商店、山商店

      仮設住宅入居後の支援打ち切りで、日々支払うお金が心配で、3度の食事に

      カップラーメンばかり食べているという女性をテレビで見ました。まだ若い。50歳

      代くらい。この若さでラーメンを主食のように食べていたら、いずれ病気になって

      しまうでしょう。またやはり仮設住宅に入居した石巻の女性。これまで食事支援

      を受けていた避難所の配食がなくなり、炎天下を40分も歩いてボランティアの

      食事支援の場所で食事を貰い、またテクテクと白いビニール袋を提げて戻る

      姿を見ました。ボランティアの食事提供がなくなればもう当てはないそうです。

      うーん、なんだか頭を抱えてしまいます。

      役所の人は「いつまでも支援はできない。自立してもらわなければいけないか

      ら」と言うけど、どちらの方も震災前は海のお仕事でした。海や港湾の仕事も

      農業も商業も未だできる状態ではない。従って仕事場がない。仕事がなければ

      収入が得られない。にも関わらず、「自立してもらわなければいけない」と言われ

      ても、収入がないのにどうやって自立するんですかねえ。あなただったらできる

      の、と聞きたい気分。

      その話題が終わったとたんに、首都圏での暑ーい夏を涼しく、というので

      高尾山でビールを飲む人たちや、ロングヴァケーションとかで北海道で長期

      滞在を計画する人たちに場面が一転。

      なんだかなあ・・・

      それが悪いということではないのだけれど、いいんだけれど、ニュースの繋ぎ

      方としては気持ちが滅入ります。だって、あまりにも落差が多き過ぎるのです

      もの。

      そして、稲藁問題。これも大変な問題なのです。牛がいっぱいいるこの辺りで

      は。口蹄疫ではないのだから、牛は生きています。生きている牛は月何十万

      も餌代がかかる。保障してくれるのでしょうか。してくれると言ったところで今

      間に合うということではなく何年も先のことでしょう。

      今、目の先をどうするか。あっちを見てもこっちを見ても先の読めないことばか

      り。長年生きてきて、こんなに先の読めないことは初めてですが、国も県も町

      も自立とか平等とかで即刻できることが少ないのなら、やはり個人で、民間で

      助け合うしかないんだよねえ、と海山ネットでは話し合っています。

      海商店のみんな、がんばって新聞バッグ作ってね。エプロンやコースター等

      布製品作ってね。山商店はジャム作り始めますよ。そして一緒に販売して

      小さな経済復興に励みましょう。

      

      

      

         

      

      

キャンベル先生と「読もう」第4回

     キャンベル先生とのご縁は、私たち「海の手山の手ネットワーク」の活動理念であ

     る「宮城、東北の復興なくして日本の再生はなし」「海の手山の手ネットワークは知

     恵と工夫でお互いの『手』を活かします!」という言葉をきちんとした英語に翻訳し

     てほしくて、たまたま鳴子温泉でキャンベル先生の「読もう」という文学講座が開か

     れるのを知って出かけていったのが最初です。

     テレビを見ないので、ロバート・キャンベルさんがどういう方なのかそれまで知り

     ませんでした。東京大学の教授だということは「読もう」のポスターで知ったけど、

     ただ講座で使われる本が、織田作之助の「蛍」とあったので、ずいぶん渋い本

     が選ばれるんだなと興味を持ちました。

     第1回目の自己紹介の時、先生の横に座った私は自己紹介より何より「翻訳

     して頂きたくて来ました」と目的を告げ、先生に「あつかましいですね」と言われ

     ながらも講座が終わった後、お帰りの電車の時刻までの短い時間に無理無理

     お願いして翻訳をして頂いたのでした。お礼と言っても何もないので、毎朝作る

     道の駅での販売用のあんこのお餅と切り餅を差し出し、でも先生のお荷物の

     重そうなのに驚いて引っ込めようとしたら、「いや、いいです。いいです。持って   

     帰ります」と言って受け取ってくださったのだけど重かっただろうと思います。

     私は必死だったけど、主催者の方々は迷惑そうでした。その時先生が「翻訳

     しましたから全部の講座に出てくださいね」と仰ったので、いや、これはもう何が

     何でも10月の最終講座まで出よう」と決めました。

     その4回目の今日は、午前中は中学生や希望参加者と共に鳴子、中山平の

     奥の細道を歩こう、というプログラムでその後は鳴子中学校での放談、そして

     3時からのいつものブッククラブという順序。もの凄く暑くてどれかひとつというくら   

     いしか参加できないので、放談に行きました。鳴子中学校に行くのは初めてです。

     明るく開放的でまるで外国の学校のような素敵な校舎でした。全校生徒を前に

     してのお話で先生の放談は終わり。

     その後、先生にお会いしたら、先生のお顔がヘンです。青い。ほっぺたが赤い。

     目が潤んで見える。「先生、具合が悪いんですか?」

     なんと、先生は昨日、発熱39度で鳴子に見えたのだそうです。

     「えーッ、この暑いのに、歩いたんですか」

     「いえ、ぼく、車の中に大体いましたけど」

     今も38度の熱がある身体で次のブッククラブの会場高橋亭に向かわれました。

     なんと責任感の強い方でしょう。

     まだ4回しかお目にかかっていないのですが、日本文学において大変博識な

     方であるのと同時に、自分以外の人への尊重において際立って謙虚な方だと

     感じます。あつかましくも翻訳をお願いしに行ったのですが、今では出会いに

     感謝しています。お話を聞くのが楽しみです。

     

     

     

    

新聞バッグ考

      新聞バッグ講習を受けてから1週間、日々バッグ作りに励んでます、と言いたい

      ところですが、毎日が目いっぱいで、おまけに頼みの新聞バッグ作り部隊の南

      三陸H3人組さんは、梅農場で朝から夕方までこの炎天下、梅の収獲に励んで

      います。一緒に練習しよう、とは言いにくい状況の中、23日、30日と注文を控え

      ているので、押して夜8時から旅館の大広間を借りて練習しました。

      何度も作ったはずなのに、ウロオボエとはこういうことかと感心するほど、要所

      要所で覚えていない。でもエース、さおちゃんに導かれて少しずつ思い出させ

      もらいます。さおちゃんは27歳。大体の時はお母さんと一緒に仕事をしている

      素敵な女性です。詳しいことは知らないけれど、「あのわかめはどこへ行った

      んだろうねえ」という3人の津波の時の話から察するに、たぶんさおちゃん、

      お母さん、もう一人のHさんの3人は常々一緒に海辺で仕事をしていたのだと

      思います。

      これからの新聞バッグ作りは、これまでのように鳴子の旅館で手から手へ、と

      いうのではなく、女川でも南相馬でも仮設住宅に入っても作ってもらおうという

      目的なので、バッグの形を一定させるため、寸法もきちんと決めました。

      決めたら合うかと思ったら、これが合わない。4人で作ってさえこっちが足りな

      い。余る。「あれェ、なんでこうなるの!」と定規を持って測ってばかりでなかな

      か合わない。恐るべし、新聞バッグ作り。甘いものではありませんでした。

      新聞バッグを何のために作るか。

      1個作ってもらって、海山ネットで買い取れば、被災を受けた方たちにとっては

      僅かだけれど収入のプラスアルファーにはなります。でもそれだけではない。

      この新聞バッグは宮城県をカバーしている河北新報社の新聞紙を使用します

      がその記事によって、被災地の今を全国へ発信できます。新聞バッグを使え

      ばレジ袋を貰わずに買い物ができる。資源の再生です。そして最も重要なこと

      は新聞バッグを作ることで人と人を繋ぐことができます。

      という考察をして新聞バッグ作りに励んだのですが、合わないばかりか、目がく

      っつきそうになってきたので終了しました。

      報告に行った山の手T家で帰りにもらった新聞バッグ入りじゃがいも。最高に

      新聞バッグとまん丸いじゃがいもがマッチングしてました。素朴です。いい感じ!

      もしかすると新聞バッグは野菜を入れるのが一番似合っているのかもしれま

      せん。

      

      

     

     

新聞バッグインストラクター講座終了

      かねてからお願いしていた高知県四万十の㈱四万十ドラマから新聞バッグ作り

      の講師の方が2名、そして翌日曜日にはわざわざ社長が新聞バッグのインスト

      ラクター講習のため遠路遥々鳴子まで来てくださった。新聞バッグは鳴子避難

      者の方が旅館で仲間作りをしたり、少しでもお金を得るお仕事として取り組んで

      いただくために海山ネットで始めたものだが、きちんとしたバッグを作りたくて、

      その技術を㈱四万十ドラマさんに教えていただくことにしたのだった。講師はお

      二人ともなぜか東京の方。そして初めて見せていただいた新聞バッグのさまざ

      まな形は大変素晴らしく驚かされた。新聞の絵も字も広告も色もバッグの隅々

      に活かされていて芸術的ですらある。日本でより外国で注目されていて世界の

      国々から注文が来ます、という社長のお話だった。

      講習を受けるのは私も含めて山の手メンバー、海の手さんは、南相馬、女川

      南三陸の避難者の方々。朝9時から夕方5時まで、途中で地震というハプニン

      グもあったけど、ものともせず、がんばったおかげで、全員インストラクターの

      認定証をいただけた。新聞紙を2枚も5枚も重ねて作るバッグは新聞紙のクイ

      ズのようで、すぐにも忘れるのじゃないかと不安だけれど、避難者の方々には

      仮設住宅に入っても機会があればバッグを一緒に作って、連携を繋いでゆき

      たいと思っている。

      ㈱四万十ドラマの社長は指定管理者として道の駅も運営されていて、そして

      ご自身もお茶の生産者であるというそのお話は、道の駅出荷者でもある私達

      にとって大変興味深かった。いただいた道の駅の紹介パンフレットには

      四万十ドラマは高知県四万十川の中流域にある「考え方をつくる会社です」

      「古新聞を包装資材として生活場面で再利用することを一つの哲学とし、四万

      十川流域の考え方アイデンティティーとしたい」

      「ユタカサ」とは何か?その考え方を四万十川からつくりたい  とあり、

      その取り組みの新しさと力強さと考え深さに瞠目させられた。

      是非一度新聞バッグの故郷四万十川に伺いたいと思います。㈱四万十ドラマ

      の皆様、ありがとうございました。

      

      

      

      

    

   

      

      

      

旅するわかめ

     この2、3日わかめ販売に力を入れ、本日完売しました。

     南三陸、津波から生き残ったわかめです。海の手山の手ネットワークを始めてま

     だ日も浅い頃、鳴子滞在中の南三陸 S氏に紹介され300袋買いました。

     最初の販売会で三分の一ほど売った後、出番がありませんでした。出番は作れ

     ばあるのですが、野菜を売るのとは勝手が違ってどうも売りにくいのです。

     食べれば柔らかくて美味しいわかめです。水に放せばすぐに戻って塩もとれ、手

     間がかかりません。にも関わらず、日々農産物を生産している山の手住民の我

     々はじゃがいもや菜っぱや花なら大声で産物のアピールができるのですが、わか

     めとなると、わかめの生まれ方も育ち方も知らないために、わかめの魅力をお客

     様に伝えることができません。そうこうしているうちに暑い夏が近づき、本格的に

     九州や関東の友人達に南三陸のわかめを紹介することにしました。私の故郷

     福岡からは東北はとても遠くに感じられる異郷の地です。海に突き出す崖の

     端の端まで深い原生林に覆われた美しいリアス式の南三陸の海岸線、そして

     緑に囲まれ鏡のように静かな湾に面した美しい町は、都会化され海が昔の

     海辺ではなくなった福岡の友人達には想像がつかないでしょう。

     福岡の友人たち、そして千葉の友人たちが大勢南三陸のわかめを食べてくれ

     ることになりました。「福岡を旅しておいで」とわかめを送り出したところで

     仲間が南三陸の干し椎茸と出会ってしまいました。干し椎茸だけ残って家も農

     機具も干し椎茸を作る道具も津波で流されてしまったそうです。原木椎茸なら

     見慣れているのでいくらでもお客様に宣伝できるのですが、でも干し椎茸に

     も「南三陸産干し椎茸」として福岡や関東を旅してほしいという気もしています。

     

     

     

     

    

     

    

     

キャンベル先生と「読もう」第3回

      鳴子温泉ホットスプリング読書倶楽部キャンベル先生と「読もう」第3回に参加

      してきました。1、2回目に参加したのは第3部の読書倶楽部ですが、今回は

      よっちゃん農場山の手T夫妻、穂波の郷クリニックの三浦ドクター、Oマネージャ

      ーとご一緒して第2部から。”放談”に参加するのは初めてですが、今日の

      キャンベル教授のお話のテーマは「日本史が語る、災害とコミュニティの絆」。

      天保の大飢饉のように歴史の中で大災害が起こった時、人々はどのように動き

      どのような物を食べ、そして民を司る人はどのように災害を乗り越えようとした

      か、まさに今起こっていること、自分たちが今行動していることにそのまま当て

      嵌まる内容で大変興味深くまた楽しかったです。

      終わって、先日先生に翻訳していただいた短い文章を海山ネットマークと共に

      貼り付けた新聞バッグ「SEASIDE&HILLSIDE BAG」に海の手商品、山の手

      商品を詰めて先生に進呈しました。南三陸縫製凄腕Oさんが作ってくれた先生

      の身の丈に合わせたエプロンとキャップと[let’bloom a big flower, a flower

      of hope」のシールを貼った竹盆栽も差し上げました。

      「こんなふうに使ってくれて私も嬉しいです」と先生は喜んでくださいました。

       いよいよ明日は注文していただいたお中元用海山商品セットの梱包です。

     セットの中味は「山の手」よっちゃんなんばん、梅干し、あられに蓬茶、「海の  

     手」布小物製品、時には南三陸わかめに南三陸生き残りの干し椎茸など、

     盛りたくさん。海と山を詰めたバッグが自分で自己宣伝できるくらいに良い商品

     を作ったなら、誰が作ったなど関係なく経済は廻り、私たちが目指す雇用や

     ミニミニの仕事場を作り出すという目標少しでも近づけるかもしれません。

     がんばれ、「SEASIDE&HILLSIDE BAG」

     海山セットをよろしくお願いいたします。         山の手S記