高知

                  毎日暖かい。高知では暑いくらいだったけど、ここでもあったかい。

        天気も良いおかげで、道の駅の仕事がめいっぱい忙しい。

        お餅。土佐で見てきたお餅の真似をして売ってみました。売れるかなあー。

        売れました!

        今日は白いお餅だったけど、高知の朝市では蓬、砂糖、黒砂糖、豆、きび、サツ

        マツモ、その他いろんなものをお餅に搗きこんで、搗いてすぐにポリ袋に入れて

        売ってました。私もやってみたい。

        私の今の販売品のパンジー、ハボタンも日曜市で売ってたけど、パンジーの

        売値は高知が高い。温度が下がらないので、高知のハボタンは緑色でした。

        やっぱり、百聞は一見にしかず。

        見ることからしか新しい発想は生まれて来ない。

        高知は何回でも訪れたい、見たいものがいっぱいある魅力的な街です。

        

帰ってきました

       高知四万十新聞バッグコンクールから帰ってきました。

       高知県は初めて訪れましたが、暖かくて(夏みたいだった)、ほんとうに素晴らしい

       ところでした。高松城と桂浜に行きましたよ。

       桂浜の波の荒さにはびっくりしました。ここから坂本竜馬は海の向こうを見て、

       「新しい日本を作ろうと思ったんだなあ」と感激して、桂浜のきれいな石を拾って

       お土産に持って帰りました。私たちにずっと動向してくれた高知のスーパーウー

       マンとも子姉さんの話によれば五色砂というんだそうです。

      さて、新聞バッグ。受賞させていただきました。

      それはとてもとても嬉しいことだったけど、審査後の交流会で、参加者からかけら

      れた「声」がまあ、ショックといえばショックでした。

      たくさんの新聞バッグが会場の今は廃校になっている元広井小学校の教室に

      展示されているのですが、わが東北新聞バッグはひとつの教室に、他の震災

      に関連した新聞バッグと共に展示されていました。

      その教室に入って、南三陸の、女川の、南相馬のみんなが真剣に311以降の

      新聞の紙面を選んで作った新聞バッグが目に入った途端になんということか

      涙がこぼれてきてしまいました。よっちゃん農場おくさんのミッチャンも同じ想い

      らしく、泣けるー、と言ってます。たぶんよっちゃんも泣きそうになったと思います。

      でも、周りの人は私たちがなぜ泣くのかけげんに思ったことでしょう。

      交流会の会場で一人の年配の女性から

      「私はあの教室には入ることができませんでした。とても見れなくて」

      ええーッ、どうして? せっかくみんな一生懸命作ったのに。

      見てほしかったなあ。

      次の男性

      「あの展示を見たとたん、鳥肌がたちました」

      別の男性

      「泣きそうになった」

     それでようやくわかりました。津波や被災や苦しみや悲しみや希望の記事は

     私たちにとっては日常でも、東北以外の人々にとっては非日常なのだと。

     311以来の新聞に被災者や復旧、復興の記事が載らない日はありません。

     なかったら忘れ物をしたような気がしてしまう。

     そのへんでこれは新聞バッグといっても受け止め方が違ったんだねえ、と

     受賞を諦めたのですが、でも選んでいただきました。

     タイトルは「信じて前へ」

     みんな喜ぶと思います。副賞をお土産に持って帰ります。

     四万十の旅は本当に素晴らしい旅でした。四万十ドラマの関係者の方々に

     大変よくしていただきました。山ほどの新しい発見がありました。

     これからも新聞バッグを作り続けて来年は再度挑戦します。東北の新聞で

     東北の気持ちで作って、でも「見ませんでした」なんて言われないように。

     

      

      

四万十

      28日、29日、30日は四国、高知県の四万十に行ってきます。

      新聞バッグコンクールです。

      四万十は新幹線に乗って東京まで行き、羽田空港から飛行機に乗って

      高知竜馬空港まで行き、降りて車で3時間走って到着します。

     あまりの遠さにどうしょうか、と行くのを躊躇いましたが、やっぱり行って

     新聞バッグを見届けます。

     帰ったらご報告します。

約束

       紅葉シーズンの大多忙の中で、パナソニックさんのイベントが終了しました。

       片付けの時、パナソニックさんが作ってくださった海山ネットの直売用の大きい

       看板を見て感激しました。海山ネットの山の手メンバー4人だけでは予算的に

       もなかなか物品販売の形を整えるまでにいかないのですが、こうしたご支援

       のお心遣いによって私たちの活動は成り立たせていただいているのだな、と

       実感します。

       終わりかけにはパナソニックさんの方々が何人も買い物に来てくださり、志津川

       のSさんが販売している海産物がたくさん売れました。

       Sさんは元自動車会社勤務。津波で家とお仕事場を失くされ、今は仮設住宅の

       支援員というお仕事をされています。支援員というのは来年の3月までの国の

       補助事業で仮設住宅を一軒一軒回って入居者の状況を知ったり、お話を聞い

       たりするお仕事です。

       海山ネットの海の手メンバーとして、今回のパナソニックさんのイベントでS

       さんは、海産物を自分で仕入れて販売するという試みを始めました。さすがに

       元営業マン。自動車であれ、海産物であれ、売るということは基本的には

       変わらないらしく、販売の姿勢にSさんの長年の経験に裏打ちされた無駄の

       なさを感じました。

       Sさんが突然「冷蔵庫が欲しいねえ」と言い出しました。6回の販売を経て

       海産物屋さんがSさんの名前を付けて売ってもいい、と言ってくれたそうで

       すが、完売できなかった時に保管する場所がありません。

       置き場所、それからSさんが志津川まで帰れない時(1時間半くらいかかる)、

       の寝場所くらいは私の家を利用してもらっていいけれど、冷蔵庫を買うとな

       るとねえ。うーーーん。二人で唸り声しか出てきません。

       でも私は思うのですが、自立とか自活とかというのはこういうこと、今Sさんが

       がんばろうとしているようなことではないのかと。

       働くことができない人に支援をすることは重要だけど、どうにか被災の打撃か

       ら立ち上がろう、脱却しよう、まずは自力で進もうとしているSさんのような方

       には支援というよりも、自立自活の応援をしなければならないと、一緒にいて

       思います。

       来年の3月にSさんの仕事がなくなったら、一緒にお店でも始めようというのが

       Sさんと私の約束です。

       

       

       

      

       

紅葉シーズン

        ここ1週間ほどで栗駒山の紅葉も下界まで降りてきて、鬼首、中山平、鳴

       子峡などの紅葉の名所もいよいよ見頃のようです。  道の駅も紅葉見物の

       お客様で連日にぎわっています。

       それにしても暖かい。さきほどたまには外ご飯をと10キロほど離れた隣町

       のファミリーレストランまで山道を走って出かけたのですが、 この東北で10

       月下旬の夜なのに20度。暖かいからか外は20メーター先も見えないくらいに

       真っ白い靄が立ち込め、ヘッドライトの先に子狐の姿が浮かび上がりました。

       轢かれなきゃいいけど、と思っていたら、今度は丸まったグレーの生き物が、

       尻尾を引きずるような歩き方で右の田んぼから左の藪へとヒョコヒョコと横

       切ります。ウサギ? 狸の子供? のような感じでした。

       人は歩いてないから人を轢く心配はなく、車とぶつかる心配もないけれど、夜

       の運転は動物を轢かないようにととても神経を使います。

        つい2、3日前までたくさん見えていた山栗が落ちつくしたのかどの木にも

       見えなくなりました。越してきた年に植えて10年たって今年初めて実をつけた

       姫クルミ。「やっとなった!」と喜んでいたら、全部リスに持っていかれて

       全く採れませんでした。このように山里の暮らしは動物たちと共にあります。

        いるんです! 熊も。

       今年は山の実りが豊かなようで、熊出没が大変少ない。こういう年は本当に

       ホッとします。人が怪我することもないし、熊が殺されることもないから。

       でも私は夕方の畑でガサガサッと音がすると緊張して逃げ腰になります。

       昨年は気合を入れて作ったトウモロコシを3回に渡って全部熊の親子に食べ

       られました。1本も採れなくて、熊の食べ残しのトウモロコシを拾って食べま    

       した。悔しいので今年は作らなかったけれど、でもやっぱり秋になって冬眠

       の前に食べ物がないのはかわいそうで、木の実が豊作の年にはたくさん

       採って保管して置いて、 不作の年には山に撒いてこようかしら、などと

       思ったりします。

       今日は私の身の周りの動物の話ばかりでした。

       明日はパナソニックさんのイベントの最終日です。海の手山の手ネットワーク

       は仙台、石巻、多賀城と3週に渡って週末には出店させていただきました。

       パナソニックさんのご支援のお気持ちに感謝いたします。

       ありがとうございました。

   

       

    

なんか違うなあ

      大震災から7か月が経ったが、沿岸被災地では避難所にいた方々が仮設住宅

      に入ったくらいが主だった変化で、後は取り立ててどこかで格別の復興が進んだ

      という話は聞かない。

      たまに仮設住宅に行くと、住んでいる人で住まいの外観に違いというか、差が出

      てきたことを感じる。つまりはゆとりのある人は暮らし易いように外観を整え、ゆと

      りのない人は仮設住宅そのまんまと具合で、当たり前といえば当たり前のことだ

      が、たまに行って外側から見ると胸が詰まる気持ちになる。

      私は市街地育ちの都市生活者で、もともと団地育ち。結婚して子育てをしている

      間も団地、マンション、郊外の住宅地と、見知らぬ者が寄り集まる住環境で暮らし

      てきたが、ここの人たちは違う。

      もともとの在所で生まれて育って、顔見知りの住民同士が同じ土地で暮らして

      きたのが、ある日突然たった1日で家も仕事も何もかもなくなって、あっちやこっち

      で散らばって避難生活をした後、抽選で当たってこの仮設住宅に入った、という

      ことなのだ。

      その心を想像しようたってできない。

      毎日テレビでは国会討論の中継や、復興についての討論などが取り上げられ

      ている。取り上げられないより取り上げられたほうが良いに決まっているが、

      でも聞いていて、違うなあ、と思ってばかりだ。町の復興は取り上げられるが、

      人々の復興が取り上げられていない。

      なんか違うなあ、と思うことをこれから書いてゆきたい。

      

    

 

      

道路がなおった

               ようやく道路がなおった。

       道路といっても家の下にある県道から我が家までの勾配のきつい進入路で、

       舗装が剥がれて荒れに荒れた私道を直してもらえないか、とずいぶん以前に    

       知り合いの土木工事会社の社長にお願いした修理だった。

       大震災の影響で、土木工事とか、家をなおすとか、そういう類の工事は、まず

       直してもらえない、というのが、東北在住の私たちの今の常識なんだけど、でも

       実際には非常に困る。

       先日保健所に行ったら「どこか壊れませんでしたか」と訊かれたけれど、家は

       壊れていないが、地盤に亀裂が入り、少々傾いている。ほっとけないので直したい

       のだけれど、修理を頼めるところがない。

      「そうなんですよねえ。家とか作業場とか壊れた人はみんな待ってるんですよねえ。

       材料も揃えて待ってる。でも全然来てもらえない、と言ってますよ」

       担当の人はそう言って笑っているが、屋根の修理など2年待ち、3年待ちという話

       も聞いた。

       何時まで待つのかというのが分かれば有難いが、数週間なのか、数か月なのか

       さっぱりわからないので困ってしまう。が、状況が状況なので、「何時来ても

       らえますか」とはとても聞けない。我が家の進入路については一回だけ「何時

       頃?」と電話をしたが、返事が来ないので2度は聞けなかった。

       でも寒さが来る。12月になったら道が凍る。雪が降ったら、こんなにデコボコで

       雪が掻けるのか。心配になって、来てもらえない間は自力で少しづつ修理をする

       ことに決めた。

       とりあえずホームセンターの砂利をトラックで一杯運んでもらおうと、頼みに

       行ったら、なんと来てくれるのが1ヵ月先とのこと。運んでもらうだけで。

       後できることはバケツ1杯とか土嚢袋1袋とかの単位で少しずつ買って運んで

       来ては亀裂や穴を埋めるしか方法がない。

       今日買ってくるか、明日にするか(畑の側溝で脱輪して車が上がらなかった)

       と迷っていたら、今日、日曜日に来てくれると連絡があった。

       応急処置ながら亀裂が埋まってきれいになった道にほっと一安心。感謝してい

       ます。

       でも、この土木や家周りの修理の工事など、これからどうしたものかと実に困惑

       する。家の周辺でも3月11日の大地震の時に大きく壊れたままの道路が何か所

       もあるし、一回修理をしても車が走ればまた壊れ、その上に被せてまた直すの

       でだんだん道路はデコボコになり、最初は15㎝くらいだった段差がこの7か月

       の間に20㎝くらいの段差になった道路などあって油断ができない。

       きのうは海山ネットの石巻での出店で、石巻まで行ったが混雑する幹線道路を

       避けて田舎道の県道を行ったら、ひっきりなしの損壊応急処置道路で、気疲れ

       した。これだけたくさん壊れているんだもの。トラックも重機も人夫さんも余って

       るわけないし、やっぱり私たちは待つしかないのですねえ。

       

       

       

       

新聞バッグコンクール

       快晴で無風。10月も半ばなのに異常に暖かい。ということで、午後3時になって急

       に思い立って、栗駒山に紅葉を見に行って来ました。家から1時間弱で表登山道が

       あるいわかがみ平に到着。紅葉を見に行って最盛期にピッタリということはあまり

       ないのですが、今日ばかりは思ったとおり大当たり! 栗駒山から東栗駒までの

       全山が残照を浴びて輝くような紅葉でした。下に降りてくるまでにはもう少し、間が

       ありそうです。

       明日の締め切りに向って女川から、南三陸から、鳴子在住の南相馬のKさんから

       思い思いに選んだ新聞で作った新聞バッグが送られてきました。

       久しぶりに見る3月12日からの記事です。以前に元南三陸新聞記者だった及川氏

       から預かっている、及川さんの宝物のさまざまな新品の新聞を使わせていただき

       ました。

       写真を撮るカメラマンも記事を書く記者もきっと胸も潰れるような思いで、泣きな

       がら撮ったであろう、書いたであろう報道写真の極みとも思える写真、記事ばかり

       です。私はこの新聞を毎日読んでいる頃は、新聞に向って手を合わせてばかり

       いました。耐える人々を見ては手を合わせ、自衛隊を見ては手を合わせ、アメリ

       カの兵士を見ては手を合わせ、祈ることしかできず、読んでは見ては涙が出るの

       を止められなかったことを思い出します。

       この新聞バッグはこの悲しい被災を、そしてそこから立ち上がる人々の姿を

       物語るとてもとても貴重な新聞バッグになるであろうと予感します。折ってくれた

       みんなにどんなことを想って折ったのか聞いてみました。

       いろいろな答えが返ってきましたよ。

       今年、3月12日からの新聞を私は捨てられずにいます。古新聞が必要になった

       時、新聞を使えないのは不便なのですが、どうしてもの時は記事を一枚一枚

       確かめてから不要のページだけ使います。震災以来の新聞を読んで感じる

       のは、識者や作家などの震災に関する文章が、これまで読んだどんな文章   

       よりも心を打つ文章が多いということです。その文章をも捨てられなくて私は    

       新聞を重ね続けています。

      

3連休

              いよいよ本格的紅葉シーズン。道の駅のお客様もギュウギュウ。鳴子はまだだ

      が新聞で見ると栗駒山の頂上から中腹にかけてはナナカマドやブナが鮮やかな

      赤や黄色に染まっている。全くもって東北の山独特の全山見事な紅葉。

       ようやく忙しさが極まる3連休が終わった。この3連休支援のため宮城に来てい

      たD社長も帰られた。

      

      土曜、日曜の仙台に於いてのパナソニックさんのお仕事では、私たち山の手メン

      バーの頭数では足りなくなり、海の手さんのSさん、A君に販売をお願いした。これ

      までほとんどの海山ネットの出店の時には山の手主導でお手伝いをしてもらって

      きたが、今回はこれだけ時間が経ったことでもあり、南三陸のSさんには南三陸

      の海の産物を自分で仕入れて販売してもらう形に変えた。私たちが住む大崎

      から最も近い登米市の仮設に住むA君は一度も販売をしたことがないニューフェ

      イス。山の手メンバー事務局のKに二人お揃いのエプロンをつけてもらい、新聞

      バッグや布小物などを担当するKと一緒に販売に立った。

      結果は、SさんA君組は私たち山の手組の倍くらいの売り上げ高。

      なーんだ! こんなにやれるんじゃない。

      当のSさんは「自分たちの産物を売ってもらうのと、自分で売るのとは全然違う

      ことがわかった」A君もそれなりに頑張ってたよー、という山の手Kの感想です。

      そうなんですよ。ほんとにわかってもらってよかったし、次の石巻ではもっと張り

      切って南三陸の産物で利益を上げようと思ってくれるかもしれない。

      ちょっとした時間でいろいろな工夫を凝らして、わかめやふのりや乾物などの

      海の産品をこれだけ販売できるSさんに、どこかから運搬できる中古車の一台

      でも寄付があればS商事ができるのではないかと思うのですが….。

       昨夜はD社長と夕食を共にしながらお話する機会があった。都会のバリバリ

      の実業家であるDさんの東北の復興を支援しようとしてくださる形と受け止める

      被災地側の人々の間では、ズレが生じるということが身に染みた。正直、被災

      地側では家、仕事、将来の展望とないない尽くしの異常事態の中で困り果てて

      いるのが現状だけれど、被災地以外の場所での平常時での経済感覚とスピー

      ド感覚での復興支援には心が付いていかないのだ。異常時ではなく、平常時で

      さえ、普段の暮らしぶりが水と油ほどに全く違い、暮らしの中で大切にしている

      ことがこれもまた全く違うのだから。

      ひとつ、よっちゃん農場のよっちゃんの話がとてもよかった。第一次産業を大切

      しよう。そこを中心にして先を考えていこう。私も異常事態に気をとられて足元

      を見落とすところだった。

      

      いよいよ新聞バッグコンクールも間近。海の手新聞バッグの作り手にエールを

      送ります。がんばりましょう!海の手山の手新聞バッグ!!

     

      

      

      

      

     

 

  

新米、枝豆

       昨日、今日、毎朝包丁で切るお餅が柔らか過ぎて切りづらく、餅搗き担当の夫

       に「なんでこんなに柔らかいんだろう」と尋ねたら、「新米だからだよ」と答えが

       返って来ました。市街地育ちで農業のことは何も知らず農村に住み始めた私は

       新米については「ご飯を炊く時、水を少なめに」くらいしか知らず、ここに来て初

       めてお米の検査というのは水分まで量るんだ、ということを知りました。

       周りの人たちはみんなお米を作る人ばかりですが、お米というのは作るのも売

       るのもいろいろ規則が多いみたいだなあ、と日々思っています。

       海山ネットメンバーの生業は、よっちゃん農場、梅農場、そして私はお餅屋と花

       の生産です。もう一人いますが事務局です。よっちゃん農場ではよっちゃんなん

       ばんとその主体をなす、なんばん(唐辛子)や他の野菜に米。梅農場は7、8千

       本の梅の大木に実る梅で作る梅干しやその他の製品、漬物、そして広大な畑

       で栽培される枝豆です。私は小さいお餅屋、花は今はパンジー、ビオラがちらほ

       ら咲き始めハボタンが育っています。

       近頃海の手山の手の活動もいろいろとあって忙しくなってきましたが、メンバー

       は季節を追いかけながらの生業との時間調整にけっこう四苦八苦することが

       多く、稲刈りの頃のよっちゃんは相当疲れていました。

       前回のミーティングの時は開口一番「コンバインが壊れたあ!」

       ええッ、聞いている私たちも一緒に困惑します。稲刈りの時期に稲刈り機械の

       コンバインが壊れたらえらいことです。

       でもさすがよっちゃん、稲刈りをお父さんと奥さんのみっちゃんと一緒に終えた

       ようで、南三陸のHさん、女川のSさん、その他の方たちから新米が届いたとの

       知らせを聞きました。そして梅農場からはみなさんに枝豆が届けられたとのこ

       と。「俺は仕事が忙しくて何にもできないけれど、梅農場に仕事に来てもらった

       人たちと良いご縁ができたと思っている。これからもずーっと良い縁を繋げる

       と思っているし、枝豆ができたら送るよ」

       何時だったか梅農場の3代目、Sさんが言っていましたが、ほんとうに日々忙し

       い中、よっちゃんもSさんもちゃんと送ったんだなあと感心してます。

       よっちゃん、Sさんの想いが詰まった新米、枝豆。放射能のこともあり、どうなる

       ことかと不安でしたが、豊作でよかったです。