一人一人のお正月

あけましておめでとうございます。

明けて2013年、復興2年の元旦は、風もなく雪もなく日差しの暖かい良いお天気の一日でした。

昨年は世界遺産になった中尊寺に夫と娘と3歳の孫を連れて出かけましたが、今年は雪模様の日
が多いので、北へ向かうのは止めて、もう少し人が少なくなってから松島の瑞巌寺へ行ってみようかと
思っています。

松島は大震災以来行っていません。松島は点在している美しい小島によって大きな被害は食い止められたので
きっと、町は賑やかになっていることでしょう。

今朝はお餅の仕事が終えたら(道の駅は年中無休です)、家に戻って年賀状書きをしました。
私の年賀状は印刷なしなので、毎年元旦を迎えてから一人一人のお正月を想像しながら書きます。

友人たちも年老いたり亡くなったりして年賀状の数も少なくなっていたのですが、今年はぐんと増えました。
大震災以後、2年近くの間にそれだけたくさんの方とお知り合いになったということで、嬉しく有難いです。

 

夜になって子供たちから年賀の電話。
長男のところの近況は、奥さんのご両親がだいぶお耳が遠くなられたとのこと。
6年間の介護の後、半日違いで二人とも亡くなってしまった父と母が、ほぼ全然と言えるほど耳が遠くて
父と母との会話も私との会話も成り立たなかった苦労を思い出します。

私の声はどんな時でもだんだん大きくなってゆき、外で人と話している時でも大声をだしている自分に
はッと気付いて慄然とすることがよくありました。1日中大声を出して夜はクタクタに疲れてました。          自然のことだけれども一緒に暮らす人間には大変なことです。がんばってほしい。

 

次いで次男からの電話。
職場でノロが出たとのこと。都会での暮らしは人との接触は必然なので、家に持ち込まないように。
4歳の女の子がいるので罹ったら大変。

 

夜になって家族みんなでお正月迎えの夕飯です。
久しぶりに30、31日の時間の隙間を縫って作った私流おせち。                              料理本に書いてあるような立派なものはなく、きんとんは畑で野ネズミからいっぱい食べられた残りで
作りました。今年は水仙の球根を植えてネズミを撃退するつもり。

豆は霜が降りるようになってあわてて採った皺皺の皮だったけど、煮ると大丈夫でした。蓮根はコンノさん、
大根はナオコさん、という具合で材料の向こうには作った人の顔があります。

南天はうちのだけど松と笹はよそんちの山から採ってきました。

昔はこうして作ったおせちを一人暮らしの子供らに送ったりしてましたけど、もうみんな自分の家族との
お正月を過ごすようになりました。

 

今年が平穏な年でありますように。

 

 

 

 

 

 

暮れてゆく復興元年

復興元年、ついに最終日になりました。

大震災から2度目の大晦日です。

いろいろなことがありました。東京へも何度も行ったし長野へも行った。南三陸へは何度も何度も行ったし、
石巻にも陸前高田にも多賀城にも仙台空港へも行きました。

ガレキの山は片付いてきて、町は少しづつ傷跡を修復しつつありますが、でもそれは見えているところだけ。
まだまだまだまだ、被災した方たちが生活を取り戻すまでには時間がかかります。

うちも2年近くも経ってやっと壊れたところを直してもらいました。直してくれる業者さんを探すのも大変
なら、やってもらった後、決して気持ちよくなかった。注文つけてさらに直してもらったけど、もっと気分
悪かった。2度と頼みたくない、と思ってます。

そんなところ、そんなこと、いくらでもあると思う。今の状態では。

今日の新聞に被災の現状が書いてあったので記しておきます。
仮設住宅などで避難生活を強いられている方たちは約32万5000人。
福島県の県外避難者が約58000人、

 

この1年、まさかこんな方と思うような方と何人も巡り会いました。頭も体も目いっぱいの日々だったけれど、
出会った方からたくさんの心の贈り物を頂きました。私のこのうえない大切な財産です。

みんな穏やかに年を越されていると思います。
去年一人ぼっちのお正月を過ごされた方も、今年1年でご近所ともお知り合いになって寂しくない
お正月を過ごされればいいのですが。

今年1年、みなさまほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。
来年も早々から怒涛のような日々がやってきそうです。

心を平らにして、乱暴にならないように、身体を壊さないように、過ごそうと思ってます。

来年もよろしくお願い申し上げます。