商品の価値を上げる

大崎市のある大きな会社から新聞バッグの注文を頂けることになりました。

地元というのが嬉しくて、「サンプルがほしい」と言われて、張り切って四万十行き直前のあやさんに
「初めてのお客様だからうんと素敵なの作ってね」と頼みました。

午前中は喫茶店のお仕事、午後からは幼稚園のお仕事で時間めいっぱいだとは思うんだけど
あやさんは翌日には、新聞バッグの大、中、小、もじゃくりバッグを作り上げてくれてました。

ちょっと前、イタリアのKさんからもうさぎのお人形頼まれているので、一緒に前よりも進化した新聞バッグ
を見てもらいたいから日本の文字にしてね、イタリアだから、と頼んでいました。

紅葉真っ盛りのある日、風がびゅーびゅー吹く川渡温泉の待ち合わせ場所で、出来上がった新聞バッグ
を受け取りました。

そして驚きました。たいした出来上がりなんですよ!
なんかもう、ただの物入れる新聞バッグというよりアート作品のような新聞バッグ。
この頃サンプルを頼まれてお見せする度に「素敵ねー!」とまず第一声で聞くことが多いです。作り方が変わったとか特殊な形をしているとか、そういうことではないんだけど、選ぶ新聞紙面で引き立っているのだと思います。
それと丁寧さの完成度。 両方合わせて、私が見ても凄いなあ、と思うもの。

これぞ、手業なんですね。

今度の東北新聞バッグプロジェクトのキーワードはデザイナー梅原真先生が提唱される「タノシムチカラデ」
あやさん、これ作っている時、そして企業さんやお店などからサンプル頼まれた時、「どんな紙面で作ろうかなあ」ときっといろんなイメージを頭の中で膨らませていると思うんです。その時間はきっと楽しいでしょうねえ。

今、この後注文を頂いているお仕事は、化粧品の会社から「これからクリスマスに向かって化粧品などを入れるので、紙面は楽しくて彩があって華やかな。そんなのだったら嬉しいです」と。そう言われると私も新聞見る度に
華やかなの、色が美しいの、と読む以外の目的も持って新聞に相対してます。自然に。

自動車の会社、というのもあります。だから面白い車の写真の紙面を探そうと思ってます。
自分のお餅や花の仕事以外に頭がめくるめいていますので、もしかするとこの時間は私のボケ防止になるのかも・・・。

こんなふうにお客様に喜んでいただこう、と物を作るのが、手で物を作って売るということの楽しさであり醍醐味
だと思います。最初は新聞なんだから200円でも高いと言っていたお客様が、「素敵だねえ!200円じゃ安過ぎない?もっと高くていいと思うよ」なんて言っていただく時には嬉しいです。

お金が儲かる! じゃなくて、仕事の価値を認めていただいて価値が上がったということだから。

新しいお客様はどんなことを望まれているのか、これから知るのが楽しみです。
日本の新聞でも外国の新聞でも新聞には森羅万象、どんなことでも書いてあるので、こちらも選ぶのが楽しみです。

あやさんの日本語ニューバージョンモジャクリバッグ。

ありがとう、って。
これ、イタリアに送ってあげよう。

 

 

 

 

 

 

変化の時&再び四万十へ

海の手山の手ネットワークを始めてから1年7か月。
まったくもって今現在のような姿になるなんて、思いもしなかったのですが、どうにかこうにか続けて
くることができました。

 

どれだけたくさんの方に援けていただいたか。
震災以後は起こってくること、過ぎ去って行くことのスピードが速くて、自分の中にその出来事を
留めておくことができないまま通り過ぎていくことが多かった。でもこうして立ち止まって起こったこと、出会った方、援けていただいたさまざまなことを思い返すと、有難うございましたという気持ちだけではなくて、これだけこれだけ世の中は悲惨な事件が多いのだけれども、それでも人は、この世の中は信ずるに足る、という気持ちがします。

 

1年7か月経って今、海の手山の手ネットワークは変化する時期になりました。
山の手の構成メンバーは4人。よっちゃんを始として自営業者が3人。NPO事務局1人。よっちゃんなんばんも    梅っこ屋もお餅&花屋も事務局もみんな本気に一生懸命がんばりました。

 

何もかも流れたほうも、家、土地が壊れ商売が落ち込んでしまったほうも、残ってすぐに使えるのは「手」しかないので、海と山とが手を取り合って、あるものを使って手を使って物を作り出して、売ってお金を稼ごうよ。         と考えたのが最初。ちっちゃいお金だけど、物を作っていれば人の輪ができ、生活のリズムも作れるし、何にもなくてもあるもので工夫すればこんな素敵なもの作れるよーと世の中の人にメッセージ送れる。 現場からの発信もできる。 何より新聞紙で入れ物作るというのは素朴に基本じゃないか。

 

というような気持ちが基本で始まりました。
そしていつか海の手の人たちの生活再建が成った時には、以前にように山の手が住む内陸部に温泉や買い物に
来てほしい。そしたら私たちもお客様が増えて商いがよくなって税金払えるし、そうなったら東北の経済もよくなるし、ついでに日本の経済もよくなるんじゃないの、というのが海山の野望だったんです。

 

笑えるけど。                                                             でも本気で今もそう思ってます。  自分たちの手でものを作ってお金を稼ぐのが基本。
その形が定着して海の手の人たちのお仕事も増えてきたので、これまで居候させて頂いていたNPOの事務所
を離れて、会社になります。

 

私たちはもともとの仕事を持っているので、海の手の人たちのお仕事を作る会社です。
デザイナーの梅原真氏がいつも仰ること。夢想しなさい、と。夢想してそれを絵に描く。さすればそのようにコトは
動くと。タノシムチカラで夢想せよと。

 

海山ネットを始めてからことあるごとに夢想、妄想が止まらなくなって顔が合えば、コンビニの駐車場(喫茶店
がないので)会議をしたものです。その夢物語が今は現実になって手を繋いだ海の手さんたちはみんな立派な
インストラクターになって、明日から高知四万十ドラマでの新聞バッグコンクールに参加します。

 

私は行かないけど、7人も行くんですよ。ほんと嬉しいです。

その間の雑用は私が引き受けます。
がんばってねー。海山インストラクター。幸運を祈ります。