雪・雪・雪・・・。

晴れるか?
リビングの窓から見る朝日。

今年の冬は、実に厳しくて、毎日マイナス4度から7度の低温続き。

その上、毎日のように雪。それもちょっと降って翌日晴れて溶けてしまうという
雪ではなく、降る時は本気降り。みるみる20cmも30cmも積もって、除雪車が
来なくては家から出られなくなるうえに、低温のせいでまったく溶けず、とうとう
我が家の周りは道路も庭も圧雪状態になってしまいました。

こういう雪は数年ぶり。
生活面でもいろいろ不自由しています。

この状態で家から下の道路に降りようとしたら、タイヤが滑ること滑ること!
おっかなくて下りられなくなり、孫の学校へのお迎えは花のおじさんに依頼。

昨日も一昨日も娘と私に代わって近くの小学校まで迎えに行ってくれました。
都会では考えられないことだけれど、もともとここの子供たちは車通学。
降りしきる雪の中、校庭に入ってくるお迎えの車が次々に子供を拾います。

お迎えが来るまで、子供たちは雪のなかで、雪投げをしたり遊んだり。
なかなか車に乗ろうとしない。

道の駅はこんな状況です。

ただでも野菜が少ない道の駅にこんな状況ではお客様も足が向かないでしょうね。

そんななか私の状況はというと、20年ぶりくらいに持病勃発。
胸痛で2日間ほど動けなくなって、昨日は娘と婿さんに病院に運んでもらいました。

その途中の景色がこれ。
地吹雪でなにがなんだか・・・・。
かんべんしてほしいです。

薬局の人に聞いたら、まる3年ぶりの来院だとか。
3年前に来た時にはインフルエンザだったそうで、だいぶ長いこと病院とはご縁が
なかったという経緯から、先生の指示でレントゲン、心電図、採血までの検査を
受けました。

時間が経つうちに持病が回復してきて元気になりました。
今朝の温度はマイナス7度。道はガリガリに凍る温度。
珍しく少し緩んで今0度。今のうちにガソリン入れて買い物に行きます。

この強烈寒波、早く終わってほしい~!

 

 

 

 

2018年 スタート

お正月もあっという間に過ぎて、いろいろと2018年度が始る時期。

道の駅出荷組合花卉部会は1月半ばに宮城県農業普及センター大崎支部花担当の水戸氏と
初打ち合わせ。
次長さんまでご一緒に来ていただいて、ありがたいことです。

花卉部会の今年度の事業は、昨年から引き続いての菊の栽培。
仕入れをするよりも生産者で菊を栽培しよう、と始めたお盆用菊の勉強だったのですが、
菊は想像していたよりも気難しい菊独特の決まりごとが多く、栽培講習すること昨年だけで
5回。今年の春にもう1回採穂という大切な仕事が残っています。

3月末の採穂講習の前に、1年の事業方針を決める3月初めのミーティングからスタート。
新しい品種選びや、フラワーアレンジメント、ドライフラワーの研究などやるべきこと多々。
せっかく始めた部会事業なので、普及センターの応援を頂きながら、みんなで協力し合い
ひとつひとつ丁寧に現場作業を行おうと思っています。特筆すべきは、他直売所の
花部会と団体交流できそうなこと。これは楽しみ。

午前中の打ち合わせを終えた後、午後から出荷組合理事会の監査、及び理事会。
2月の組合総会前は理事会や部会が続きます。私の任期はあと1年。もうこの年齢だから
そろそろ終りにしたいところなんだけれど、事業が続いているので退き際が難しい。

この冬は雪も多いけれど、強烈な寒さが続いています。
先日から連日マイナス6度や7度になったかと思うと、この数日は快晴続きで積もっていた
雪がすっかり溶けてしまいました。

この晴れの土、日は野田さんも理君もついでに私と孫までスキー。
小3の孫は初スキー。クロカンやテレマークスキーは山でやっていたけど、ゲレンデスキー
をやったことない私は孫の付き添い。

野田さんはこの厳冬期に1700メーターの山に登るというので周り全員で反対したけど
彼は絶好調の天候の中、冬山初登頂に成功!
凄い!とは思うけど、無事に戻ってくれてほんとよかった!

その後の野田、オサム両名は蔵王でスキー。

加美町のやくらい山の麓に広がるやくらいスキー場。
春、夏は植え込まれた花々が美しいハーブガーデンだけれど、今はリフトも備えられた
ファミリー向きスキー場で、近隣のこどもたちがたくさん滑り遊んでいます。
小さい頃からの学校課目なのか、子供たちはスキーもボードもめちゃめちゃ達者。

初めてF先生からスキーを教わるわが孫は、始めはおっかなびっくり。
F先生の「楽しいことから始めよう」式スキーレッスンが攻を奏し、みるみるうちに100M
200Mと距離を伸ばして、ゆるい斜面を滑り下りてこれるようになりました。

最初。

形になってきた!

遠くの中央のふたつの点が孫。

これだけの距離を滑ってこれるようになったところで、終了。
鼻高々、意気揚々、だけれど、これだけの距離を滑っては登り、滑っては登りした
もので、相当お疲れの様子。
初スキーの楽しさは、F先生の指導の賜物。ほんとうに感謝です。

すっかりスキーが気に入った孫は次にスキーに行く日を楽しみししています。

ということで今週末は、家から近い鳴子のスキー場へ行って、私も10数年ぶりに
スキーを履いてみようかと思っています。

 

 

 

 

 

夏に冷菓を作りたくて捜していた和菓子の教室。

ネットで検索してうまいこと家から遠くない教室を見つけ出し、よし、1年間病気
しないでがんばろう、と気合よろしく申し込みしようとしたのだけれど、何故か
探しても見つからない申し込み先を、苦心して見つけ出してやっと申し込み終了。

生徒は先着4名のみ。
申し込み者が多いから、わざと判らなくしているのかなあ、と半ば諦め気分で
いたところ、昨日OKの返事がきました。
これで晴れて和菓子のお教室生になります。

葛の和菓子だとか水ようかんだとかを、岩出山には山ほどある青竹を利用して作った
器に入れて商品を作ってみたいというのが今の憧れ。

2、3日前のサントリーの新聞広告に倉本聡氏の写真とともに倉本先生の言葉が掲載
されてました。曰く「60代の若者たちよ、しまっておいた夢を取り出してみないか」

じーんときました。
60代の若者たちよ。83歳の倉本先生からすると60代はまだ若者かもしれません。
76歳の私からみても60代はまだ若い。

しまっておいた夢?
私の50代、60代は、年齢が大人になった子供の行方を見まもるのにまだ気がぬけず、
夫の退職後に開始した60代の田舎暮らしでは、新たに始めた仕事をしながら九州から
後を追ってきた私の両親の介護から見送るまでに時間を費やし、自分の胸の中に
しまっている夢があるかなんて考えたこともなかった。

でもあったのですよ、私の夢。
ここに来た時の私の夢は、田舎に住んでこじんまりとしたハーブ園をやりたかった。
植物に関って10数年、いろんな花を植えてガーデン作りに励みたいと思っていたけど、
時の経過で、独りでターシャ・チューダーさんのように庭仕事を続ける根性もなく、
植えたバラは年々増える蕨にとって代わられするうちに、いつの間にやら花から離れて
お餅屋さんになって毎日お餅をつく生活を送るようになってしまってました。

全然夢のとおりにはなってない。
でも胸の中に夢があったから、それがとっかかりになって世界が広がり、人と繋がり
動いて動いて、花も新聞バッグもお餅もお菓子も一緒になって今の日々の目標になって
いると思えば、60歳を過ぎて、さてこの先の長い時間をどうしようと考えたあの時間は
大切だったのだと今わかります。

時折り80歳を超えられた黒田さんのお母さんから折り紙や手作りの押し花などを頂きます。
どれもこれも生き生きとして、思わず嘆声をあげるほど素敵です。

このあいだ頂いたクマモン。

クリスマスにはサンタの折り紙もいただきました。
高橋よっちゃん、私、娘、由美さん。1人1人の特徴を捉えた押し花。

私はラベンダー。よっちゃんは筍、由美さんは稲穂。

 

80歳になっても黒田さんのお母さんのように、あげたい人のために作りたいものを
作れるような頭と体でいたいと願います。

倉本先生の「60代の若者たちよ」に刺激されて、60歳、これからどうしよう、と
思った頃を思い出しました。

 

 

学ぶ

朝、目覚めたらまたこれ!

うんざり。もう雪たくさん!

だいぶ迷って、行くしかないと諦めて朝作ったお餅を持って道の駅へ。
このお天気では売れませんが、売り場の賑わいに・・・。

家を出てみれば、ホワイトアウトはなかったので、一安心。
この冬はこんな雪が何度も降るのかもしれません。
ここに移住して来たとき、寒さに怯えて東京で購入した私にしては高価なダウンコート。
あまり着ることもなかったのに、まさか17年も経って引っ張り出して着ることになろうとは。
毎日このコートで寒さを凌いでおります。

 

喫茶パーシモンで、お客様に出すケーキを作る相談をしました。
オーナー夫妻の自宅は岩手県一関。
材料費を低く抑えるために、自宅近辺が産地のりんごを使うとすればアップルパイ。

以前アップルパイをたくさん焼いていた、本職は家具職人だけれど土曜日曜は蕎麦屋、
蕎麦打ちの間にはプリンやお菓子も作る週末蕎麦屋のハガさんに先生を依頼することに。

ええーっ、オレが~、と言いながらも承諾を得て、とある1日パイ作りにみんなで挑戦。
その日用事ができた私は味見役。
先生は道具まで持ちこんできて、アップルパイのみならずマフィンまで作ってくれました。

ここがきっかけでマフィン作りに火がついたオサム君。
カレー作りが好きで、スパイス大好きで、愛用の分厚いスパイス辞典を持ち歩くオサム君は
仕事が休みの1日、果物、野菜、スパイシーマフィンを試作。
練り方とか、固さとか、種々納得できない部分はあるようですが、たくさんのマフィンを
焼き上げました。

みんなで食べてしまうのはもったいないので、不納得部分を消化するために、三本木の
パンレストラン「青い虹」のオーナー、ジュンコさんのところへマフィンともどもオサム君
を連れて訪問。

長年上質のパン一筋に焼いてきたジュンコさんはパンも焼けばお菓子も焼く、小麦粉使い
のプロフェッショナルです。
マフィンに向き合う若いオサム君の真剣さを見て、共にパンを焼く息子さんと一緒に
粉のこと、野菜のこと、スパイスのこと、たくさんのヒントを与えてくれました。
頂いた小麦粉を使って、ここで焼いていいよ、と言われたガスオーブンを使って、オサム君は
きっと、自分が最も気に入ったマフィンを作っていくのだと思います。

私がマフィンよりも気になったのは、ジュンコさんが「コーヒーにはきっと合うと思う」と
作り始めたお饅頭。前回会った時には、和菓子職人のお客様から習得中だという餡子作りの
最中だったのだけれど、今回は見事なお饅頭になってました。

私もお饅頭を作りたい。
和菓子職人さんは80歳くらいだというから私もまだ習い覚えられるかも。
捜しました、見つけました。和菓子の教室。
4月から1年間和菓子を学びます。学んで美味しい餡子でお饅頭やら桜餅やらを作りたい。
夏になったら岩出山中にある竹を器にして冷菓を作ってみたい。

7年間新聞バッグをやってて、とてもできなかったけれど、新聞バッグが落ち着いてきたら
やりたいことがもろもろ出てきました。

作りたいって有難いものです。元気がでるから。

 

 

 

詣でる

例年、正月2日は部落の新年会。

部落の家族代表16人が集会所に集い、お雑煮を食べながら新年を祝って、各集会所を
廻ってくる部落から出た市会議員、県会議員の行く年新しい年の話を聴くという行事で
夫が亡くなって私が出るようになって4回目。

世帯数がめっきり減ったとはいえ、男性陣の平均年齢が若返っていること、熊本に帰省中の
黒田さんも入れれば女性が6人もいるのに心強くなりました。

 

3日は初詣。
岩手の中尊寺に行くと決めていたのだけれど、朝から大雪。
朝、道の駅に出動する時には5センチほどの積雪が、わずか2時間ほどで20cmを超える
くらいに本気ムードで降りまくり、帰宅途中は完全にホワイトアウト。国道の車も
ライトをつけて数珠繋ぎ。

これはもう初詣はなし。
という心積もりになった昼近く、突然太陽が・・・。
どうなってるんですかねえ。
除雪車が来ない前の我が家の進入路。


迎えに来てくれた野田君の車でオサム君と一緒に一路岩手県一関へ。

 

毎回岩手に来る度に思うのだけれど、一番雪が多いのは鳴子辺り、次我が家近辺で
北方岩手に向かうほどに雪がなくなっていくのが不思議。
今回も同様で、やっぱり一関市街に積雪はない。

目指す中尊寺はロケーションが山。踏み固められた坂道の参道が滑ることを考慮して
ちょっと手前の毛越寺に初詣先を変更。
昨年の正月に詣でた時には全く雪がなかった園庭は、さすがに白く雪に覆われて
清浄な美しさを見せてくれていました。

まずは身を清め、頭から線香の煙を浴びて、毛越寺の社殿に初詣。
一家の安全祈願、商売祈願、健康祈願に、野田さんがお勉強を教えている受験生、
Uちゃんの合格祈願。
みんなで祈願してお札まで買ったから、Uちゃんはきっと希望の学校に入れます。

詣でた後は、奥州藤原氏の栄華を偲びながら浄土庭園を一回り。

一関に戻り、いつもお世話になっているパーシモンのマスター、土屋氏のお宅に
初めてうかがいます。

ここにはもうひとつのパーシモンが・・・・。
楽曲喫茶と名づけたパーシモンのオーディオ装置だけでもびっくりするほど凄い
のに自宅にも同じくらい大掛かりなオーディオ機器が置かれていてさらにびっくり!

このスピーカーでジャズを聴きながらお節料理を食べるという初めての経験をしました。

 

初詣も終って明日からまた仕事初め。

新聞バッグの活動が静かに続くという形になってきたので、今年からまた新しい
商品作りに挑戦します。

今年1年、ただただ健康を祈るのみ。
体に合わせて山に登り、仕事をして、仲間とともに楽しい時間を過ごしたいと
思います。

 

 

 

 

年の初め

2018年 あけまして おめでとうございます。

 

雪の富良野から24日に帰った翌日から、こちらも大雪、大荒れ。

除雪車待ったり、ホワイトアウトで前も見えないなか、戦々恐々で道の駅に行ったり、
ヤマトに発送に行ったりしつつ、正月用のお餅つきで怒涛のような暮れを過ごして
おりました。

しかし今年(もう去年か)は雪は早い。それに寒い。
雪も本気ムードで降るので、雪かきしたり道が凍りついたりで生活に手間がかかります。
富良野に較べたら、そんなことも言ってられないのですが・・・。

昨年はいろいろと変化があった年でした。
春から夏にかけてパーシモンのマスター夫妻や東京から来た野田さんやオサム君と知り合った
ことから16年間も冬眠状態だった登山を再開。この年になって、まさか登れるとも思って
なかった鳥海山に2度も行けて、栗駒山、荒尾岳と4度も山を歩くことができました。

そして新聞バッグのご縁で知り合った高知大学の女子学生、咲菜ちゃんとあやねちゃん。
岩出山に来てくれて、この度同行した富良野でも本当に真面目でガッツのある根性で
富良野の方たちを魅了していました。

今年は海山メンバーに加えて、この若者たちも一緒に何かできたらいいな、と思っています。
スケジュールぎっしりだった富良野からの報告はまた改めて。

31日までのお餅つきを終了し、家族や野田さんも一緒に年越しそばを食べ、大急ぎでおせち
を作りお正月を祝って、とにもかくにもひととおりの自分流正月行事を終えてやっとひと息。

お世話になったみなさま、昨年はありがとうございました。
メールなどのお返事もなかなかできずすみません。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2018年、元旦の夜。ボブ・ジェームスのピアノを聴きながら・・・。
78歳の今も精力的に活躍中だそう。
そういえば今年はジャズにも目覚めました。楽しい!

 

 

 

 

 

 

 

明日から富良野

少し寒気が緩んで昨日今日はいい天気。

明日から富良野へ行くので、この1週間、家族や友人へのクリスマスプレゼントを
選んだり発送したり、合間に留守の間の大量の正月用餅つきやら材料の買い物やら
でばたばたでした。

クリスマス会も忘年会も終えて、まあまあ安心して富良野に迎えます。

明日は午前中に新千歳空港に着いたら、まっすぐに富良野に向かい、午後はみっちり
3時間の富良野groupコミュニケーションワークショップに参加します。
場所は富良野塾。

もう今は真っ白に雪に覆われているだろう富良野塾の佇まいを思い浮かべると、夏は
緑の木立の中で冬は厚い雪の中に埋もれるように眠っていた富良野塾の建物が今目を
覚ましかけているような、そんな感じがします。

翌土曜日の午後は倉本先生の今年最後の講演を聴く時間。

同行するのは今回はよっちゃんではなく、野田君、オサム君。
今年から始めた注連縄作りで忙しいよっちゃんに代わって、富良野に行くことになりました。

新千歳で高知大学の優秀な女子学生、サキナちゃんとアヤネちゃん、そしてその師である
佐藤洋子先生と合流し、黒田さん、私を加えた7人は一路富良野へ。

といいたいところだけれど、レンタカーの運転手を務めてくれるはずの野田君が今日になって
足を捻って捻挫。
我が家では我が家全体のお湯を賄ってくれているエコキュートが故障。私がいない間に治して
くれることになっているけれど、今でよかった。要注意、要注意。

慣れない雪道、誰も怪我などしないように無事に戻って来たいと思います。

 

 

クリスマス音楽会

今朝は強烈に寒くて、車のドアがバリバリに凍って開きませんでした。
マイナス5度くらいか。

午前中は正月用仕事の買い物をして、帰って新聞バッグ発送、夜はパーシモンで
クリスマス音楽会の反省会。

第1回柿の木クリスマス音楽会は17日日曜日の夜に開催。

「開店して1年以上経ったのだから、来てくださるお客様にお礼の意味もこめて
クリスマス会でもしたら?」

商売気の薄いパーシモンのオーナー夫妻に提案したのがはじまりで、クリスマスといえば
普通はライブなんぞをやるんだろうけれど、楽曲cafeのパーシモンでは料理も音楽も
持ち込み手作りでやろうということに決めました。しかしやったことないので手探り状態。

料理は持ち込めるけれど、音楽は?

パーシモンに居座るどーんとでっかいステージ用ピアノは、若マスターの信君が弾くのでOK。
いざとなれば我が家の3年生の孫にも常連の学校の先生にも弾いてもらうということでクリア。

ギターは2人いて、オサム君とマスター。マスターはもう70歳間近だけれど、
一関の自宅までギターをとりに行って参戦。喫茶店仕事そこのけの練習が始りました。

あと、できればパーカッション、ということでこれはドラマーのよっちゃん農場、よっちゃん
みっちゃん夫妻にお願いすることに。
名づけて「柿の木バンド」の発足。

それからの「柿の木バンド」の練習は凄かった。
時間がある限り、お店が閉ってから、10時、11時まで仕事帰りに集まってセッション開始。
中心にいるのは信君のピアノ。それに合わせてマスターのギターとオサム君の弾き歌い。
選曲は4曲。少年のような声で歌うオサム君の声は日を追うごとに大きくなり高くなり
良い仕上がりを見せてきたところで、打楽器カホン参入。

音楽を聴くのは好きだったけれど、日々の練習を聴くうちに、楽器を合わせることの楽しさ
(自分は何も弾けないけれど)、打楽器の重要さなど、これまで知らなかったことが少し
づつ解るようになり、やはり聴くだけよりも参加の重要さを実感。ただそこにいるだけでも。

そして迎えたクリスマス音楽会。
お客様はお店に入るだけ目いっぱい。
持ち込み料理でカウンターはいっぱい。

柿の木バンドの演奏は?

出番を作ってもらってピアノ伴奏をする小3の孫。
皆さんに3番まで歌ってもらって感動!

一関からみえた古川さんのピアノは、人を楽しませるエンターテインメントピアノ。

生バンドで歌うみっちゃん。

即興でサババンド、パーシモン、よっちゃん農場新商品YOSCOのコマーシャルソング
が出来上がりました。

クリスマスソングを歌い、プレゼント交換を終えて終了。
楽しかった、と帰って行かれるお客様の笑顔が有難かった。

そして今日の反省会はしっかりと足りないところを反省して、次は春の柿の木バンド
コンサートを目指します。

新しい楽器歓迎、演奏する人、歌う人、踊る人、聴くだけの人、岩出山の人、鳴子の人、
そのほかの方も大歓迎。みんなでジャジーな夜を・・・・。
歳が明けてからの練習開始。聴くだけの私は楽しみです。

 

 

プレゼンテーション

雪、雪、大雪。

12月の半ばにもならないのに、時ならぬこの大雪。

早朝から降りはじめた雪は、どんどんどんどん積もって10時頃には20cmくらい。

お餅は搗いてつくって出る用意はしたのだけれど、車を下の道路まで出すことは出せる。
でも帰りに登ってこれない。ということで結局出荷を諦め家ごもりに。

夜は川渡温泉でミーティングがあるのです。
それまでになんとか止んでほしいという私の願いは虚しく、しんしんしんしん雪は降り積もり、
家を出る頃には20cm超え。
行くことは行ける。でも夜9時過ぎになるだろう帰りはどうやって帰ろう、とひたすら除雪車
が来てくれることを願いながら、川渡温泉へ。

 

川渡温泉のcafeカガモクさんでは、毎月1回カレーの集いをやってます。
集まった者の1人が作ったカレーを作って食べながら鳴子、岩出山のモノ、コト、ヒトのことを
語り合いましょう、という会で今回が4回目。

前々回から、鳴子温泉在住のメディアマン野田さんが提唱したブレストミーティングをやること
になり、前回は大崎市の町起こし協力隊員として中山平で漆塗り職人修行中の佐藤君のプレゼン
を聞きました。大変面白かった。
途絶えかけている漆職人という仕事をさまざまな勉強をしながら師の元で一人前の漆職人になって
自分の仕事にしていこうという佐藤君の熱意がよくわかりました。

今回プレゼンターを務めるのはなんと私。目的は6月に催した富良野groupコミュニケーション
ワークショップをもう一度やりたい、続けたいというのが主眼で、カレーを作ってくれるのは上條さん。

この雪だもの。誰も来ないんじゃない?
という予測は外れて、それなりに人々は集まってくれました。
焼き芋用のお芋をいっぱい持って週末そば屋のはがさんが現われたのでびっくり。

1人でプレゼンをやるのは不安だけれど、黒田さんと上條さんに手伝ってもらって、今年6月に行った
「富良野な日」の講演とコミュニケーションワークショップがいかに素晴らしかったか、
を伝えるつもりなんだけれども、富良野という遠い土地でやっているワークショップを見たことも
聞いたこともない人たちに、伝えることの難しさを痛感しました。

富良野のことを話すためには海山ネットワークの新聞バッグに触れねばならず、今では日本中、世界
のいくつかの国にまで広がっている新聞バッグに触れれば話はあちこちに脱線し、を繰り返しながらも
参加の方たちに助けられて、今の時代に必要とされている企画だと言ってもらえてひと安心しました。

5年後でもいい、10年後でもいい。
何時の日か、これから廃校になる小学校の校舎を使って、町の人みんなで、ワークショップやったり
市民劇場やったり、音楽やったりできるようになったら嬉しいのですが。

雪降りよりもカチンコチンに凍った道路を気にしながら帰ってきたら除雪が終ってました。
よかった、帰れて。

 

 

 

 

 

 

追悼ミサとバスレー画集

毎年6月になると東京の友人と誘いあって訪ねていた那須トラピスト修道院の
友人、グリーリ・栄子さんが亡くなって1年が経ち、東京四谷の聖イグナチオ教会
で行われた追悼ミサに参列してきました。

今年の6月には訪ねるつもりだったから、「帰天されました」という突然に訃報に
衝撃を受けました。

私のブログで俗世界では知ることのできないグリーリさんの消息をお知りになりたい
方もいるだろうけれど、栄子さんの死を口に出したくなくて口を噤んだままでした。
が、今日のミサで、ようやく栄子さんが自ら望んで神様に導かれて御許に行ったのだと
納得できました。

良いお家に生まれ育って音楽や文学の才能に秀でていた栄子さん。会う時は何時も
笑顔でエネルギッシュで、尼僧の姿になっても華やかさを失わない方でした。

普通の世界におられる時は数冊の著書を出し、著名な音楽評論家であるご主人とともに
世界の舞台で活躍された栄子さんは、ご主人とご子息を亡くされた後に修道院に
入られることになったのだけれど、その時は70歳。
70歳で修道院に入るのは実は困難なことなのだ、と神父さまが述懐されていました。

70歳まで普通の世界で生きた者が、若い時分から沈黙の世界で生きてきた人々とともに
修道院の中で暮らすという、その心のうちは察することもできないけれど、栄子さんは
いつも「でも私の居場所はここなのです」という言葉で締めくくられました、と、それも
神父さまのお言葉でした。

お昼だからかガランガランとなり続ける聖イグナチオ教会の鐘。

栄子さんとはこれでお別れです。
良い出会いでした。

 

中央線の電車の中で、娘へのクリスマスプレゼントを何にしよう、とぼんやりと考えて
いる時、クレール・バスレーの画集を欲しがっていたことを思い出しました。
検索していて、目に入ったのが吉祥時にあるお花屋さんに画衆がある、と。
なんで本屋じゃなくてお花屋さんなのかはわからないけれど、とにかくそのロビニエという
お店がある吉祥時の駅に50年ぶりくらいに降り立ちました。

わあ、変わっちゃった!
駅の前の横丁はまだ健在。大きなビルが立ち並び、お洒落なお店が軒を連ねていて。
この雰囲気、今は最も若者たちに好まれる町なのではないかと・・。現在田舎者の推察ですが。

駅前からかなり歩いた通りの奥にその目立たないけれどとてもお洒落なロビニアはありました。
ロビニアとはフランス語でロバの木のこと。壁に大きなバスレー作、ロバの木の絵が架け
られています。店の置かれたお花は数は少ないけれど、クオリティの高さは抜群。そのへんの
お店には見られない珍しい色合いの花が置かれています。

訊ねてみたらクレール・バスレーさんの画集は出回ってなくて、フランスからこのお店に
送られてくるとのこと。3巻の画集が発刊されているけれど、第1巻、第2巻はもうない。
手に入れられそうなのは第3巻のみ。その第3巻も問い合わせなきゃわからない、ということで
もう勢いで、7,8センチの超分厚い画集を注文。高そうだけど、来たら来た時のことで。

 

友人とふたり、吉祥時をふらりふらり、楽しい散策でした。