ラベンダー”夢のようなはなし”

たまたまのことで知り合った美里町のOさんにお願いして分けていただくことにしたラベンダー400本、

2年がかりでやっと手元に運ばれてきました。

4分の3が香りのラバンジン、残りがイングリッシュラベンダー。北海道のオカムラサキも10株ほど

持ってきて頂きました。

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5月に穂挿しした20センチほどの立派な苗です。道の駅まで運んできてくださったのは、美里町の隣町南

郷町の第3セクター施設土田畑村のハーブ園を管理されている渡邊氏。

環境美化という目的もありますが、大震災後に津波の塩害で稲作が出来なくなった田に綿の種を蒔いて

コットンプロジェクトを始められた美里町の町議、赤坂氏が拓かれた広大な綿畑の隣に既に3500本の

苗を定植されたばかりだということです。その苗はオイルをとったり、クラフト、草木染めなど、商品製作に

利用されます。約4000本の苗を挿し穂するということは、気が遠くなるような作業なので、70代半ばを

過ぎられた渡邊氏にとってどれほどか負担が大きいお仕事だったか察せられます。

 

前夜10時まで東京の新丸ビルの料理屋でお酒が入った交流会に参加し、八重洲のホテルで宿泊して、

早朝の新幹線で急ぎ宮城に戻って、10時からのラベンダー講習に間に合いました。

集まった出荷組合の生産者十数名を前に、渡邊氏は懇切丁寧にラベンダー栽培のノウハウを教えて

くださり、各自注文したラベンダーを持ち帰りましたが、来年の夏には是非美しい青い花を咲かせて

クラフトや商品つくりに利用してほしいものです。

 

ラベンダー苗を3本鳴子の喫茶店、玉子屋さんに持って行きました。

このラベンダーを育ててお母さんにして、花が咲いたら穂を採って挿し穂して子株を作る。

その株からまた穂をとって新しい苗を作り、数を増やして今は閉園されているスキー場に植える。

鳴子温泉には歴史のある立派なスキー場があります。今は使われていないけど、遠くからでもその傾斜の

きついコースが見えます。

あのコースが青い色に染まったら、見事だろうなあ、と思います。

飛行機に乗って北海道の富良野まで行かなくても、新幹線に乗って鳴子温泉のラベンダー畠を見よう

というお客さんが増えたらいいねえー!

 

玉子屋のオーナーMさんと夢のような話をして盛り上がり、Mさんはプランターにその夢の親になる

ラベンダーを早速植えてくれました。

鳴子温泉のラベンダー第1号です。

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞バッグ会議IN東京

あっという間に時が過ぎて、またチーム四万十+チーム海山の新聞バッグ会議in東京の日になりました。

会議の中味の動きは大きく、スピードも速いので、前回からはよっちゃんと私、二人参加と決めました。

二人で聞いても聞き落としそうな濃密会議です。

今日新しくお目にかかるのは、全高知県知事の橋本大二郎氏と、先日から舞台公演で新聞バッグを・・と

打診を頂いていた「北の国から」でお馴染みの倉本聰氏のスタッフのYさん。

新聞バッグ会議の総プロデュースをなさる梅原真氏の下、四万十、東北海山両チームは、それぞれの

現在進行中やこれから起こりそうなことなどを提示して中味をすり合わせ、先の方向性や展開を論議します。

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高知県では新聞バッグで中山間地の町興しというような企画が進められていますし、海山ではそんな

立派な企画はないのですが、今頂いているお仕事の相談などしてアドバイスを頂きます。

こうした会議に同席させて頂くことは力のない弱小団体である海山にとって本当にありがたいことで、

この席で数々のお仕事のお話を頂いたりしてきているのですが、ひとつだけ四万十チームの方々に

伝えることが難しい、と思うことがありました。

それは高知と(つまりは非被災地のことですが)東北では時間の流れが違うこと。

これは本当にどう説明していいかとても難しくて、ほとんど諦めていたのですが、今日の会議に参加して

くださったYさんからの言葉がとても的を得ていて、大きく安堵しました。

倉本聰さんが常々仰るのは

「急いではいけない。住んでいる人の時間に合わせなさい」と。

実際に被災、被害に合われないところの方々にとっては、そこと東北と時間の流れ方にどんな違いがある

のか、と不審に思われるに違いありません。

でも全然違うのです。理屈とかお金とかでは人の心も事態も動きません。優しい心とか情とかでも

それだけでは動かない。ゆっくりゆっくり流れる時間をじっくりと待って初めて人の心も事態も動く。

そんな感じです。住んでみたら解るとしかいいようがない。

それを倉本聰さんはよくわかっていらっしゃる。そう思いました。倉本聰さんのテレビドラマは「北の国

から」を初めとして、ほとんどの作品を見ました。その作品を書かれた方に、こんな時にこんな形で新聞バッ

グを知って頂くなど想像したこともありませんでしたが、でもこんな機会ですので、富良野の住民の方々にも

新聞バッグを知って頂こう、と四万十+海山新聞バッグチームで富良野訪問を決めました。

 

会議を終えた後は、新丸ビル上階の料理屋さんで恒例の交流会。

また新たなゲスト、世界のお金持ちが預金をするS銀行のさんから、新聞紙を頂けることになりました。

DSCF2322会議に出る度に新たな出会いと収穫があります。

次は富良野で、お約束しての終了となりました。