チビ

朝の出来事。

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ふと窓の外を見ると、庭で一番高い杉だかヒノキだかの木のてっぺんに、こうのとり?

そんなことないですね。白鷺が1羽とまってました。

東京にお互い91歳で老々介護をしている叔母がいます。ちょっと加減が悪いので、様子を見に行ってこようと思うのですが、問題はうちの老犬。激しく老犬なのです。

病院に預けようとお願いに行ったら、夜先生がいらっしゃらないので、無理だと断られました。
ペットショップに預けたら?と言われたのですが、どう考えたって無理だね。これでは。

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チビです。

国道47号線で車に撥ねられていたところを娘と動物病院の先生に助けられました。
飛び出した目を先生が一生懸命入れようとしてくれたのですが、不可能だったのでその時から片目になりました。でもチビは全く平気。

死なずに生きぬいたので、うちの犬になりました。その頃黒ラブラドールが2頭いて、一番年長のセツが娘の相棒、2番目娘のハルが私の相棒だったので、チビはオトーサンの相棒になりました。

年齢はいくつだかわかりません。でもこの老いさらばえぶりをみると相当歳みたい。

残った目も白く濁って全く見えず、耳は全然聞こえない。鼻だけで生活しているみたいです。
生活はものすごくシンプル。ほとんど1日中眠っていて、ご飯が食べたくなったら起きてドッグフードを食べ、夜、昼構わずヨロヨロヨロヨロあちこちに突き当たりながら外に出て、トイレと外に置いたボールの水を飲みます。家の中では絶対に飲まない。

仕事が済むと「ワンッ」と一声吠えて「開けてくれ!」と。開けても入って来ない時は「水がないよ」と。

開けてやるとヨロヨロヨロヨロ入ってきて寝床に戻りまたすやすやと眠ります。この繰り返し。
朝でも夜中でも全然関係ない。

いやあ、どうしようかと考えて、大変申し訳ないけど、インストラクターの黒田さんにうちに泊まってもらうことにしました。

今度の日曜、月曜は東京世田谷のボロ市です。東北応援部隊、チームワンネスの大谷さんがまたボロ市で
新聞バッグや布の小物を販売してくださいます。黒田さんも行きます。
その準備をしてもらいながら、泊まり込みで犬を見てもらうことにしました。

 

1日か2日家を空けますが、御用の場合はよっちゃん農場にご連絡ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

妄想・・・海の手山の手3部作

11月の初め頃からだんだん元気がなくなって、風邪ひいて熱出して、何日経っても熱が下がらなくなって
いい加減嫌になっているところに、恒例の1年に1回発刊する同人誌「みず」の締め切りがきました。

昨年までは原稿を集めたりする担当者に名を連ねていたけれども(実際には何もやってない)、今年は
担当を外れたので、さっそく仲間に電話をして「今年はやめる。書かない」と言ったら、言下に「ダメよ!
待つから。時間かかってもいいから書かなきゃダメよ。書いてね」と。

80歳をこされた先生(作家の高田宏先生)がお元気な間はなんとか続けたい、と1年に1回の原稿を
書き続けてきて今度で24回目。
やっぱりなあ、1回もパスしたことないんだから書いたほうがいいかなあ、と熱が下がった時を見計らって
海釣りが大好きなだった夫が行きたがった女川に釣り場を探しに行った時のことを20枚の原稿用紙に  書きました。

いやあ、これは悲しかった。今でもこの状況を思い出すと涙が止まらなくなる。津波で何もかも壊された
女川には夫が親しんだ釣り場がもうないことも、癌が進んで体力がなくなった夫を宿泊させる設備が
ないことも、電話の向こうで良い答えを期待する夫に何ひとつ良い返事ができないことも、悲しかった。

で、書いてしまってから思ったんですが・・・。

海の手山の手3部作、というのを書いてみたいなあ、と。

もちろん、第1部は海の手山の手「新聞バッグものがたり」。                             よっちゃんが言う「ことのはじまり」から東北新聞バッグコンクールinニュヨークまで。

第2部は海の手山の手「花ものがたり」。                                          梅農場での菊作りの師匠との出会い。そして師匠から指導を受けての、よっちゃんのお父さんと私の生まれて初めての4000本の菊作り。それから時が経って小野寺菊農場が再開されるまで。

第3部は海の手山の手「布ものがたり」。                                          布の物語ははまだ完結していません。今も途上にある。避難所の旅館で初めて手縫いのエプロンを見て、その腕の見事さにびっくり仰天したことから、縫製工場の方たちだと知ってミシンを集めたこと。
思い起こせばたくさんのものがたりと出来事があったし、今も手元にある糸や布をどう使うかというのも海山の課題です。

 

妄想、妄想、妄想!

デザイナーの梅原先生が仰ってました。何事も妄想から始まるんだと。

でもね、書く時間もないし、書き方もわからない。物忘れはひどいし、集中力もあやしい。
誰か、こうやって書くんだよ、と教えてくれる人いないかなあ。

夢、夢、夢!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手仕事

昨日、テレビでティッシュペーパーのネピアティッシュアニマルズというコマーシャルを見ました。

箱の中からふわふわっとティッシュが1枚出て、それが植物の形や動物の形に変わるんです。
そして「良い紙づくりはいい森づくりから。森にありがとう」というフレーズ。

その撮影のために何人かの社員の人たちがティッシュペーパーで熊や狼や芽が出た双葉などを
折り紙のように作っている現場の写真もでました。

「おーー!、凄い。ふわふわしたティッシュがすぐに動物の形に変わるというのも斬新、素晴らしいなー、と思うけど、やっぱりあれを新聞紙で作りたい」というのが本音です。

 

横浜のSさんから送ってくださったドイツの新聞紙が入った箱を開けると、とても素敵なプレゼントが
入ってました。

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Sさんは以前にドイツにお住まいになっていた方で、ドイツではクリスマスにこうしたクリスマスの飾り物を
手作りで作るのだそうです。Sさんはお菓子の箱についていた紐で作ったけれど、もしかして新聞バッグに
合うのでは、と送ってくださいました。

竹細工のような飾り物はストロー細工とのこと。

クリスマスが近づく頃、紐だとか紙だとか身近にあるものを利用して、みんなで手作りの飾り物を作るというのは日本もドイツもアメリカもきっと同じようなものでしょう。
この飾りはとても綺麗です。ツリーにぶら下げなくても壁に吊るしても映えると思う。
手でできる仕事の美しさ、緻密さに感動します。

Sさんは折り紙をなさる方です。
ドイツに行った時に新聞バッグを持って行ったら、お知り合いの方が興味を持って、新聞バッグの作り方を
教えました、と以前のメールにありました。

うちのクリスマスツリーの飾りつけもこれからです。孫と一緒にこの飾りを吊るしましょう。

今日用事があってよっちゃんちに行ったら、加工場でみっちゃん、のんちゃん、3人がかりで1万本の
よっちゃんなんばん詰め方作業の真っ最中。
駅の土産食品コーナーや食品スーパーマーケットなどでたくさん並んだよっちゃんなんばんを見ると
まるで機械で詰めたように整然とみえますが、正真正銘手で詰めています。

「機械で詰めたらなんか違うじゃないですか」                                      ここれだけは、とよっちゃんの譲らないこだわり。
解かります。私も毎日鍋で2時間以上かけて餡子を煮るし、柔らかいお餅を包丁で切るもの。
「今何本?」
のんちゃんに聞いたら「4000本くらいですかね。」
「えーー、まだ6000本詰めるの?」
気の遠くなるような作業を邪魔して、しばらくしゃべって帰ってきました。

ごめんね。よっちゃん、みっちゃん。

 

 

 

 

 

東日本大震災から1000日

今日で東日本大震災から1000日。
避難生活を続けておられる方々は今なお27万人。
石巻だけでも仮設住宅133か所。1万5000人が仮設住宅での暮らしを強いられているということですが、
15000人といったら、私が住む町の人口と同じです。

仮設住宅を訪れる度に、特に子供さんがいる家庭や、お年寄りがおられる家庭は、この狭さで暮らして
いくのはほんとうに大変だろうなあ、と思います。

というふうに言うと、南三陸のけいこさんちのおじいさん、おばあさんが言われます。
「いやあ、避難所に入れてもらったり、仮設住宅に住まわせてもらったり、有難いことだー」って。
「狭い、不自由なんて言ってられない」といったスタンスです。が、でももうすぐ被災から3年という時間を
考えると、やっぱりねえ。遅いわ。

何より震災の話をすると、なんだか流行遅れの話題を持ち出しているような感覚が私までする、という   ことがそもそも問題なんだよね。

 

海山ネットでも新聞バッグを作り始めて2年半経ちました。

時々注文が途切れて、もう新聞バッグは魅力が薄れてきたのかな、と不安というより半ば諦めのよう
な気持ちで思う頃にまたどーっと注文を頂いて、もう12月。振り返ってみると注文が途切れたのは春の
ほんのひと時期で、後はずーっと忙しく海山メンバーは新聞バッグを作ってました。

東京渋谷区の恵比須駅近くに「まある」さんというギャラリーがあります。とても素敵な雰囲気の、主には
絵画の新しい作家さんたちの作品を応援しつつ展示即売されているお店です。

まあるのオーナー木川さんにはこの2年半の始まりから現在に至るまで、必ずといっていいほど毎月
決まった枚数の新聞バッグをご注文頂いています。ひと月2回ということもあります。先日お電話を
頂いた時は、次の催しが「新見南吉(童話のごんぎつね、手袋を買いにの作者)の絵本の装丁」の展示
なので、新聞バッグにご本を入れて差し上げようと、思ってと仰っていました。

前回は宮沢賢治だったそう。そんなふうに新聞バッグが使われているところを見てみたいです。

横浜の日本新聞博物館のミュージアムショップでももう長い間、新聞バッグを置いてくださっています。

大津の株式会社ウルズの角川社長も常に気を遣っていただいて、ご自分の会社のみならず、その
お客様まで紹介して頂いて、昨年も今年もずいぶんたくさんの新聞バッグのご注文を頂きました。

仙台には横山芳夫建設設計事務所、あとりえ横山さんからも、ご協力頂いています。
あとりえ横山さんの社歴を見て、びっくりしました。女川の魚市場、塩釜の魚市場、歴史に残る宮城の学校、公共の建物を築かれており、先の大震災でほぼ全てが失われて、どれほどかがっかりなさっただろうと
思います。

支援として、ということもありますが、でもエコのクラフトを作る仕事として、素晴らしいと思ってくださっての
ご注文であろう、と信じています。

今日は横浜のSさんから重たい箱いっぱいのドイツの新聞が送られてきました。

ありがとうございます。
支援×善意×人を繋ぐ×新聞バッグ作りの腕前を仕事として認めてもらう対等な関係×あるものを利用して
新しい価値を作る×イロイロ。

そんなふうに考えると、この新聞バッグを作るという仕事は、なんだか今までにない仕事の形だなあ、と思えます。
まだまだ続くよ。ニューヨークまで。

 

 

 

 

 

 

納豆

「よっちゃん農場ドタバタ日記」という海山元代表よっちゃんのブログ。
今回よっちゃんと奥さんのみっちゃんが初挑戦する納豆作り用大豆、くるみちゃん、の収穫風景を3回くらい
の連載で書いてますが、ドキドキしながらみてました。

今日は3回目の最終日で南三陸照英さん(しょうえいさん、北海道から帰ってきたんだ!、秋刀魚たくさん 食べさせていただきました)の娘ののんちゃんがお手伝いして終わったようでよかった、よかった。

豆を作るって簡単なようでなかなか大変。タネまけば芽は出ますが、肥料が多ければ葉っぱばっかり大きくなるし、茎が細いので風に弱くてすぐ倒れるし、ハクビシンや狸、カラスに鹿まで、みんな豆が好きみたいで
できた端から食べるしで、よっちゃんは鹿で苦労してました。

採って乾燥したら、今度は莢から豆を外して、豆の選別が終わったら納豆になります。
私は自分の生産物のお餅の餡子を作ろうと小豆を作ってみたら、保管した納屋でねずみにボロボロに食われて、1回で止めました。

納豆、楽しみですねえ。

私がこの町に越して来た頃はつと納豆がありました。道の駅で人気モノだった。でも作る人の家庭の事情やら、高齢になられたことやらで、今は藁に包まれたつと納豆はありません。今は稲藁を使うことのほうが
難しいので、よっちゃんは普通の納豆を作るのだと思います。

「なくなったものを取り戻そうよ」とはよく言うのですが、なかなか実践まではゆきません。

もう今から「食べたーい!」という人が何人もいます。
私も、と言いたいけれど、福岡生まれで納豆という食文化がなかったので、納豆は苦手。匂いだけで酔っ払いそう。でもクルミちゃん納豆は食べてみよう、と思ってます。

周りの人までワクワクさせる納豆作り。

よっちゃん農場の挑戦は素晴らしいです。  拍手!!!
こうやって、みんなでいろんなもの作れたら楽しいよねえ。きっと。