80歳万歳!90歳万歳!!

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1年に1回の春の恒例、高田宏教室生の同人誌『みず』の23号発刊打ち上げの会に行ってきました。

1年に1度の『みず』を発刊し始めてから23年。この同人誌は参加している高田先生の教室生の人生そのものです。
一時期、消えかけた線香花火のようにもうダメかなあ、と思った時期もあったけど、この23号で、全然、全然、
そんなことなくて、持ち直して来たなあ、と感じ入りました。

そして今まで気がつかなかったけど、先生を始めとして、この23年間ずーっと校正、編集をやってくださっている
S氏、仲間の4、5人が80歳なんだってことを知りました。私たち海山ネットが東京で物販やる時には何度も
神奈川県の大磯からステッキついてリュック背負って通ってきてくれたSさんは85歳になってたんだ!

驚きました。なんて立派な80歳たちなんでしょう。

みんなが書いた23号のそれぞれのエッセイ。文章を書く集中力といい、歴史認識の深さといい、明晰な洞察力
といい、視点の広さといい、読みながらその力強さに圧倒されました。

100の著書をお持ちになる高田先生は今も石川県の九谷焼美術館と深田久弥山の博物館の館長であり、
美術館での朗読会などの催しを続けられています。朗読されるのは先生の著書「島焼け」やその他です。
次には大仏次郎賞を受賞なさった「言葉の海へ」も朗読されるとか。

23年間丁寧な校正でお世話になってきたS氏は早稲田のグリークラブ時代から80歳の現在に至るまで合唱
を続けておられます。ご病気の奥様のお世話をなさりながら。
「自分たちの今はやってもいいし、やらなくてもいいんだ」と仰った時、けだし名言だと思いました。
80歳ともなれば社会的責任は果たし、後はやってもいいし、やらなくてもいいんです。

 

世田谷住まいのSさんは、早逝された娘さんの遺児である四つ子ちゃんを立派に育て上げ、四つ子ちゃんたちは
みな大学を出て就職をし、一人は結婚されて夏には玄孫ちゃんが生まれるとか。その孫育ての過程は
大変なことでした。その道程はエッセイで読み写真で見て仲間はみな知っています。

 

ご主人を失くされた後、久しぶりでお会いするOさんは、ジャズコンサートのプロデュースをなさっている。
70歳と聞いてびっくり!見かけも動きも全然そんなふうに見えません。そんなふうに、というのはどんなふうに?
大体私、70歳というのをどんなふう、だと思っていたんだろう。

そして私の仲良しTさん。こっちも70歳だけど太極拳2段の検定を受けます。首都圏住まいで主婦業だった時は
本読むだけでなんにもしていなかったけれど、田舎に行ったら太極拳の先生になりつつあります。

80歳も70歳も実に精神充実して心強い。目からウロコです。

今回、前代表の要望で、海の手山の手の代表を引き受けましたが、内心「私のような年齢の代表じゃ周りの人がびっくりするんじゃないのー?」なんて思ってました。でも『みず』同人の80歳の女性たちと会って、「70歳なんてまだまだじゃないか」と思い知らされました。年齢関係なし。私なりにできる範囲で海山代表を務めます。

 

昨夜はおばの家に泊まって、今日は91歳の叔母を連れて宮城に戻りました。
どれほどヨロヨロしているのかと心配しましたが、しっかりしたものです。91歳でも同じ年齢の叔父を二人で暮らし、
病気の叔父を介護していますが、何をする時も「自分でやらなきゃね」と毎回言います。

ズボンを履く時、靴下を履く時、長い時間がかかっても「自分でやらなくっちゃね」と独り言。

80歳も90歳もほんとに立派だと感動したこの2日でした。

 

 

 

 

寒かったり暖かかったり、また寒かったり

最高に新緑が美しくなってきましたが、昨日の寒かったこと。寒すぎ!!

5月10日になって、ストーブにもう一回灯油入れて点けるなんて、これまでなかったんじゃないかなあ。
寒いとなーんにもしたくなくなって、やることたくさんあるんだけど、デレデレ時間が過ぎてゆきます。

ありがたいことに新聞バッグの注文は相次いでいるのですが、わかめの収穫シーズンが終わった南三陸
部隊が張り切って作ってくれています。私も作りかけてはいるんだけど、寒くてちっとも進まない。

今日は長嶋新聞バッグをお送りした仙台銀行さんからお電話を頂きました。
「感動しました」と言っていただいて嬉しいです。あやさんのところで出来上がりを見た時は私も感動しました。ただの長嶋監督が載った新聞なんだけど、あんなに長嶋選手を好きなK氏が喜んでくださるかもしれない、と思うと迫力が出ました。手作りの醍醐味というのはこういうところにあるのかもしれないです。

 

鳴子温泉住まいのあやさんのところへ行った帰り道で撮った、秋の紅葉の名所「小黒ケ崎」の新緑。
「きれいだなあ!」と車を停めて眺めていたら、折よく陸羽東線の新庄行き電車が走ってきました。
湯けむり号とかいうのが3両かな。普通は2両です。真っ暗な中で見ると灯りが煌々としてトトロの電車みたいです。

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近所で見つけた新しい散歩道。隣町の幼稚園に行く途中にあります。

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以前スペインでの紙の催しで海の手山の手の新聞バッグを販売して頂いた代金を、その時にお世話になった
ミゲル氏が来日され、持ってきてくださいました。スペイン語がわからない海山ネットのために間を繋いで
お世話くださっている恵比寿のギャラリーまあるのオーナーkさん、ありがとうございます。

 

それから福岡の麦プロジェクトさんにもお世話になっています。麦プロジェクト製作のソーメンを入れる袋に
新聞バッグを使っていただいています。今日緊急のご注文を頂いたので大急ぎで準備をします。

最初は新聞を折るだけで何のアイデアもなかったのに、今では、お酒を入れたり、ソーメンを入れたり、スリッパを入れたり、ノベルティーとしてお客様に差し上げたり、いろんな場面で新聞バッグを使って頂けることが感慨深いです。

 

明日は1年1回発刊のの同人誌「みず」の打ち上げのために東京に向かいます。
そして南三陸へ行ってみたいという91歳のおばを連れて戻ります。どうなることやら・・・。

 

 

 

 

巨人&長嶋新聞バッグ

東北新聞バッグプロジェクトが完了してから2か月。
このプロジェクトがご縁で、これまで知らなかったたくさんんと方々とお知り合いになり、お世話になりました。

2月には仙台銀行ビジネスクラブのSBC講演会でお客様方に新聞バッグをご紹介頂き、なんと晴れがましくも
講演会終了後のお客様との交流会にも参加させて頂きました。

日頃滅多に口にしないような御馳走を頂きながら、仙台銀行さんの役員の方々ともお話しをする機会を得ましたが、
その時に実に気さくに楽しいお話しをしてくださったのがK取締役。K取締役は何より巨人の長嶋監督がお好き   なのだそうです。

講演会の日は始まりから終わりまで、本当に過分に親切にして頂き、そして新聞バッグもたくさん買って頂き
ました。何かお礼をと思うものの全然思いつきません。

周りの方が仰るには、K取締役には長嶋選手の新聞バッグが一番いいと。
でも長嶋監督の選手時代の新聞紙を見つけ出すのは難しいです。
どこかにないかなあ、と思い続けていたところが・・・。

 

突然、先日の国民栄誉賞で巨人の終身名誉監督長嶋茂雄氏が新聞紙上に現れました。投手、松井氏とともに。

翌日コンビニに走って長嶋監督が載っている新聞全紙を買いました。そして、鳴子温泉に行き、海山の凄腕インストラクターあやさんに「作って」と頼みました。

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この新聞バッグを見て凄いなあ、と感心したのは、長嶋監督にとって大切だと思われる言葉や写真が随所に活かされていること。
スポーツ新聞が全部ではくどくなるという配慮で、中は英字新聞が使ってあります。
下の写真の車に乗った長嶋さんと松井投手はポケットになっています。
新聞バッグを作って、こんなに自在に出したい文字を出したり、写真を配置したりするのは私には至難の業です。

あやさんがどれだけきちんと新聞紙全体を見て、この記事を出したいという意思を以って、新聞バッグを作ったかが見てとれます。そしてお世話になった K取締役に喜んで頂こうという思いを込めて作ったこともわかります。

 

明日、仙台銀行さんに送ります。
喜んで頂けたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

震災教育

今日は、ほんとに珍しく暖かーい初夏らしい1日でした。
強風は吹かず、曇ることもなく、鳴子や栗駒の山々は青空の下、くっきりと白い頂を見せ、吹き渡る柔らかい
風は爽やかで、布団干そうか、倉庫片付ける?、いや、庭の草取りだ、と欲張ってウロウロしました。

動いた順序で写真を撮りました。

朝、うちの前の田んぼに水が入りましたよ。まだ全部じゃないけどね。
12年前、私が来た頃に較べると、ずいぶん田植えが遅くなりました。

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いよいよ1年の始まりー、という気がします。

道の駅直売所の前のいつものつばめの巣。
つばめの父さん、母さん今は大変いそがしそうですが、今はご夫婦お留守です。

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毎日直売所の外に出して販売する花の苗です。

あ・ら・伊達な道の駅直売所には産直には珍しく市場出荷をする花生産者が3人います。市場には出さない
花の生産者もいて、そろぞれに独自の花を作るので、花の種類が多い直売所と思います。

ちなみにこれはうちの花です。

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ニゲラ、アルメリア、アッツザクラ、セラスチウム、カリフォルニアポピー、パンジーは50円です。

店内にはマーガレット、多肉、サボテン、宿根サルビア、ナデシコなど、他には白いシラネアオイ、ニリンソウ、
カタクリ、エビネ、その他の山野草、野菜の苗も少し出てます。水仙はいろいろあります。
毎日出したり入れたりしているうちに、今何があるのか覚えてしまいました。

道の駅の帰りに通りかかったIさんの桃畑。真っ黄黄の菜の花と桃の花のコントラストが最高にきれいです。

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で、べつの話。

ある学校関係のお客様からお電話を頂きました。関東圏在住の海山ネットのお客様です。

いろいろお話しをしていて、中で耳に止まったのが「震災教育」という言葉。今、東北地方以外の首都圏やその他の
学校で「震災教育」ということで、震災に関する何かを子供たちに伝えようという動きがあるらしいです。

それはとてもいいことだとは思うけど、「震災教育ねえ」
うーーむ、と唸ってしまいました。
何を以って震災教育とするか。

大震災があったことを教訓に何かを知る、学ぶということは山のようにあります。                     防災も地震や津波の時の逃げ方も人々の助け合いも、漁業や養殖などの海の仕事のことも、震災で一人ぼっちになった方々のことも、仕事がないことも、観光客が激減したことも、風評被害も、原発事故も、今でも避難中の方々が30万人以上もいることも。

そして、その状況を抱えながら希望を失わず未来を切り拓かなければならない、ということも。

 

うーん、難しいです。
海山ネットの活動や新聞バッグが関連しているので、真面目に向き合わざるを得ません。

 

東京に91歳になる叔母がいます。
若い人が少なくなった住宅地に90歳の叔父と二人で暮らしています。あまり元気ではない叔父の世話を
しながら独力で暮らす叔母の気力に、よくできるもんだなあ、と私は常々感心しています。

その叔母が、外国で暮らす従妹が実家に戻ってしばらく居るので、来週、一人でこちらに来たいと言ってきました。一人でなんてとんでもない。「迎えに行くから」と慌てて止めました。
温泉にでも連れて行こうか、と思っていたら、沿岸被災地を「この目で見たい」のだそうです。

南三陸にしても石巻にしても車で1時間半はかかります。足腰弱っているのに、とは思いますが本人のたっての
希望なので花束とお線香を用意して連れていこうと思ってます。

 

目で見てもこの「大震災がどういうことであるか」はまず伝わって来ないと思う。
私など初めて行った時、津波の前の町の姿を知らないので、最初から何にもない広場かと思ったりしました。

でもその何にもない草の生えた広場の背後に大切なことがいっぱいあるのだと、解かりました。

学校の子供たちにも91歳の叔母にも、難しいことは今は何も言えないけれども、ただ一つだけ
「自分以外の人とコミュニケーションをとる」ことはとても重要だということと、「助け合う」ことの大切さは伝えたい
と思います。

都会育ちで、「一人でだって生きられる」と思っていた私が、震災を経て「一人では本当になーんにも出来ないんだ」ということが骨身に沁みて解かりましたから。

 

おいおい答えを見つけてゆこうと思っています。

 

 

 

 

 

山菜シーズン

連休が終わって静かになった今朝の直売所のバーコード室で(バーコード室というのは生産者が値札をつけたりするバックヤードです)、隅っこの椅子に座って何やら真剣に書きものをしている生産者のKさん。

「何やってるのー?」
「検査の申請書書いてるの」

そうか、山で山菜と採るのが好きなKさん。遠くまで行ってきたんだね。
「どこのー?」
「秋田に行ってきたのよー」

秋田で採れた山菜でも道の駅では放射能の検査対象になります。
「面倒くさいねえ、いちいち。だけどしないわけにはいかないしねえ」

と話しているうちにだんだん腹が立ってきます。

うちだって、畠の竹林に行けば、タケノコが頭を出しているはず。でも、食べない、売れないタケノコを苦労してきつい
斜面の竹の林から掘り出すのも癪なんですよ。バカみたいで。いつまでか解かっているならまだしも、いつまでだか解からないし、来年どうなるのかも解からない。でもほっとけば竹になるから掘るしかないんだけど・・・。

事故から2年が過ぎて、福島から遠く離れた県北のここでさえ、目に見えない放射能で苦労させられているのに
「稼働」という言葉を再々聞きますからね。わからん!

今日、歯医者からの帰り、道路脇に大変な量の畠から剥がしたような土が積み上げられているのを見て、
思わず、牧場で剥がした表土か?と思いましたよ。いつもいつも放射能のことを考えているわけではないけれど、
でも日々の生活の中でいつの間にか染みついたように放射能に身構えているんだなあ、と思いました。

私たちでさえそうなんですもの。福島の方々のご苦労が思いやられます。

 

例年、今頃の時期になると、道路沿いにあるうちのタラの芽は我が家の食卓に上ることなく、なくなります。
通りかかる人が採っていかれるのだと思うけど、この連休で気になったのは、遠りかかりの人が車を停めて
道路沿いの林や田の畔や草むらで何かを採っておられる姿。

都会じゃないので犬の散歩でおしっこかかってるなんてことはほぼないのですが、でもやっぱりここに住む
私たちでさえ、出所の解からないものは採らない、食べない今日この頃、気を付けて頂いたほうがいいのでは
ないかなあ、と老婆心ながら思います。

 

それとKさん曰く
「融雪剤もいっぱいまいたんだよね。道路沿いの蕗なんか採らないほうがいいよ」

私もそう思います。

 

 

 

ゴールデンウイーク最終日

うちの山桜がようやく咲きました。
来た頃は真っ直ぐ立っていたのがだんだん斜面の土がずり落ちるに連れて傾いてきて、もう2、3年後には
倒れるんじゃないかなあ、という角度で咲いてます。

こんなデッカイ木倒れたらどうするんだろう。

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「バーチャン、バーチャン、シラネアオイが咲いてるよ」の声に呼ばれてカメラを片手に庭へ。
シラネアオイなんてどこで覚えたんだろう。

花びらを虫に食われたシラネアオイ。植えた覚えがないので、自然発生、天然シラネアオイ。
そういえばシラネアオイの自生地である日光の白根山に登った時、本場もんのシラネアオイは鹿に食べられて
ボロボロでしたっけ。木の皮まで食べられてました。

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12年前、ここに来た時に持ってきたカウスリップのタネがこぼれたのか、ポツリと草の中に咲くカウスリップ。
そうなんだ、私はこんな花を作っていたんだ、と懐かしくなりました。

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いつの間にか絨毯のように広がっているアジュガ。まだ開いていません。たぶん他の色のもあると思う。

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このー木なんの木? 自分で植えといてわかりません。枝垂れ桜?

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足元はスミレが原。スミレだらけ。

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朝起きてから、日のある限りハウスにいるか外にいるかのうちの4歳。もらった写らない一眼レフカメラを抱えて
山のてっぺんで写真を撮ってます。撮れたらいいんだけどねえ。
連休が終わって、また明日からはうなだれて幼稚園に向かいます。

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お餅と花で忙しい寒ーい連休が終わりました。
自分の仕事が終わった後は、新聞バッグの梱包、お手紙や伝票書き、で午後が過ぎました。
雨が降らない間に庭を一巡りしたし、花の写真も撮ったし、今から発送に出かけます。

 

 

 

 

 

 

 

 

西日本新聞社のTさん

西日本新聞、というのは、範囲的にはどこからどこまでカバーされているのか解かりませんが、私が子供の時から最も慣れ親しんだ北九州の大手地方新聞です。

その昔福岡では朝日や読売などの新聞を読む人は少なかったので、新聞といえば西日本新聞かフクニチ新聞
だと思ってました。長じて転勤族となり関東圏に落ち着いてからは朝日、読売の読者であり、当地に来てからは
河北新報を読んで、西日本新聞というのは遠い彼方の新聞でした。

忘れかけていた西日本新聞社とご縁ができたのは、福岡の津屋崎ブランチで毎春行われる「よっちゃん祭」で
代表の山口氏から大量の新聞バッグを販売して頂くようになってからです。

今年は特に、大震災から2年が経過し、東北から遠い福岡では「まるで復興がなされたように思っている人も多い」ということから、風化させないようにと東北の新聞で作った新聞バッグを、注文して頂きました。

その後に連絡をしていないので、売れたかどうか聞くのが不安、というのが今の私の心境です。

その時に「よっちゃん祭」を西日本新聞に載せるということで、新聞バッグの作り手として西日本新聞社のTさんの
電話での取材を受けました。

その後暫らくして、Tさんから私が作った震災後の記事のスクラップやその他の記事を読んでみたい、とご連絡を
頂きました。大震災から2年経過した今の東北3県、そして福島から先にはあまり行き渡ってはいないだろう記事を探してダンボールに詰めて送りました。

 

5月の連休に入って、生業でバタバタして新聞を送ったことすら忘れかけていた今日、Tさんからお手紙を
頂きました。

昨年の初めくらいの記事から目を通しているが、復興とはほど遠い被災地の実態に目が覚めました。
311の記憶の風化が進んでいることに危機感を抱き、11日という日には、震災関連の記事を掲載するように   声を挙げてゆきたい。と書いて頂きました。

アベノミクスだの、株価が上がっただの、円が安くなって外国土産が買えない、だのと景気の良い話が耳に入ってくる今の時期に、東北から遠く離れた新聞社の若い新聞記者さんが被災地に心を向けてくれる。

そのことに深い安堵感を覚えます。
きっと一人ではないはず。日本の各地にそんな方がいらっしゃるのだと思います。

T記者のこれからのご活躍を祈って、これからもゆっくりじっくり読んで頂きたい記事を送ってゆきます。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

寒ーい!ゴールデンウイーク

1年間で前半のクライマックスといえるゴールデンウイークが始まって、今日は8日目。                 休日じゃない日を中3日挟むとはいえ、長い寒い冬が終わってやっと人が動く時期なので、道の駅や物を作って
販売する者にとっては大事な時期なのです。

ここがかきいれどき。
なのに、毎日寒ーい!シャレにならないくらい寒い。

道の駅の直売所前では27日からテントを建てて、漬物その他の加工品の試食販売会をやってますが、寒い上に
連日のように雨が降り、毎日毎日強い風が吹いて、ゴールデンウイークの天気としては最悪コンディションです。

 

しかしなんでこんなに気温が低いんだろう。

5月なのにうちに栗の木は「忘れてるんじゃないの?」といいたいくらい芽が出ない。
新緑が見ごろになるまでまだ時間がかかりそうです。

今直売所の花の販売の中心は、もうこれで最後というところのパンジーやビオラや春の草花なんですが、
6月半ばくらいには春の定番パンジーなどが咲き終わって、夏花壇に切り替わります。
その頃になると、マリーゴールドやベゴニア、サルビアなどの夏から秋まで咲く花に植え替えられます。

本来なら花の生産者としては、その頃までに夏花壇用の花を育てていなければならないのだけれど、        ハウスの中で全然大きくなりません。
夜には、暖太郎という小さいストーブを入れたり不織布かけてみたり、いろいろやってますが、この分では      6月半ばに花壇に植えても、ちっちゃくてかわいそうなくらい貧相な苗になりそうです。

 

テレビで見てると、ディズニーランドだの博多どんたくだの幕張メッセだの国内のイベント会場は人出で
大賑わいの様子。博多どんたくの100万人にはほんと、びっくりです。
あれって出たことあるけど、「ぼんちかわいやねんねしな」という歌に合わせてしゃもじ叩いて、歩くだけなん
だけど。
昔は花電車が走っていたけど、今は路面電車がなくなったので花バスが走るらしい。
それで100万人もの人が集まるのが不思議です。

 

それと比べると、東北は震災で見どころなくして行くところ少ないし、車で来るには高速代高いし、寒いし、放射能で山のものは採れないし、まあ、ほんとに分が悪い。

今日は鳴子から山形へぬける国道47号線は車がいっぱいでした。
ちょうど端境期の上に山の山菜も自由には出せなくて、品数が豊富とはいえない道の駅にたくさんのお客様に
来て頂いて、ありがとうございます。

今日は少しあったかくてホッとしました。外販売をしている者も震えずに済みます。
明日もあったかくて、何より風が止んでくれれば助かるのですが。

家の前の耕作されなくなった田んぼに木がはえてました。このまま放置すれば林になるんでしょうねえ。
使わなくなった田んぼは耕さなかったらこうなるのかと…..。
やっぱりトラクターで鋤くだけでも大事なことなんでしょうか。素人考えですが。
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昨年の春、栗駒山の世界谷地に行ったら、ニッコウキスゲやワタスゲが咲く湿原に木がたくさん生えてました。
「わあ、木が入っちゃったですねえ」と管理の人に言ったら、内陸地震で人が入らなくなったら、木が増えた
そうです。木が入れば入るほど湿原が山っぽくなっていきます。

あれと同じなんですね。
田んぼは田んぼであってほしい。中山間地の農業事情は知れば知るほど大変だなあ、とは思いつつも
やっぱりそう思います。

私が若くてトラクターでも持っていたら、借りてレンゲソウや紅そばなんかのタネをいっぱい蒔いてみたいです。

 

 

 

 

 

 

国道398号線

毎年ゴールデンウイーク前に除雪が終わって冬季閉鎖が解かれる国道398号線。冬場は何メートルにもなるという雪の壁を見たくて1度は行ってみたいなあ、と思っていたのですが、思い立って今日行って見ました。

4、5日前冬タイヤを普通タイヤに替えたので、行けるところまで、と恐る恐る。

国道398号線は、宮城県石巻から秋田県由利本庄に至る国道です。栗原市の花山温湯から先は宮城から
秋田へと抜ける栗駒山の山麓を巡る山岳道路で、2008年6月14日の岩手、宮城内陸地震では道路に沿う山々が
大崩落し、2010年の9月半ばまで2年3か月も通行止めになりました。

今もその爪痕は深く残っています。
現在も修理中の山。
もっと凄いところもあります。なにしろ栗駒山の山頂の一部が崩れ落ちて無くなっちゃいましたから。

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そして2011年の3月11日には大津波で宮城県沿岸部が被災するという、なんだか被災の多い道路です。
うちからは花山まで30分ほどで行けるので、新緑とか紅葉とか湿原とか、理由をみつけては3時間ほどで
行って戻ってきます。

どのくらい雪があるんだろう!と見にいったのだけれど、雪はなかった!

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明日からの3連休は人は来るんでしょうけど、まあ、車の少ないこと!ポツリポツリとすれ違うくらいです。

美しいブナ林。

今の時期以外の時はブナの木の根っこまでは見えません。普通はブッシュで近づけない。
今は葉っぱがないので、木の根っこまで見えて、歩けそうだけど、スキーかかんじき履かないとたぶん
ズブズブと沈むでしょうねえ。

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まだ新芽も小さくて緑の色が見えません。
うすぼんやりとした芽吹き。
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宮城県境を過ぎ、秋田県に入りましたが、残念。栗駒山方向はまだ閉鎖中でした。
もしかすると岩手県側からは入れるかもしれないです。

秋田県の小安峡まで行って、名物の稲庭うどんを食べてUターン。
秋田はジャバジャバの雨です。
戻って宮城県側に入ると雨の気配なし。

雪解け水で満タンの花山湖。

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お昼に出て行って3時には戻ってきました。

戻ってくると来年分の海山ネットのお仕事の電話がふたつ、今年の秋の分の電話がひとつ。
忘れないで声をかけてくださる方がいらっしゃることに感動します。

明日からは3連休、お餅とお花の仕事が忙しくなります。