ほっかぶり市新聞バッグワークショップ

朝7時、夜行バスから電車に乗りついだ四万十インストラクターKさんを出迎えに岩出山駅へ。
暖かい高知から、まだ朝夕は凍ることもある県北までやってきてくれました。

「寒いねえー」と第一声。寒い上にまたもや風が強くて、今日梅農場で催されるほっかぶり市が気がかりです。
屋内ならまだしも強風が吹く梅農場で、バタバタする新聞紙を抑えながら新聞バッグ作りを教える様はいただけません。

風が吹かないことを祈るのみ。

9時、私は道の駅その他へ出荷へ。
Kさんは朝食を食べてもらった後梅農場へ。
午前10時からほっかぶり市は始まります。

お昼前に夫を病院に連れて行ったりした後に、孫を乗せて梅農場へ。
あー、やっぱり梅はまだ咲いませんでした。蕾もまだ硬め。紅梅だけが紅色に枝を染めて咲いてます。
でも梅は咲かなくても、梅園にいれば梅見の気分は味わえるので、けっこうな人出です。

この農場の専務である3代目のSさんはしっかりがんばったんだねえ。道路沿いの草地もきれいに草が刈られて
広い広い駐車場ができてました。停めきれないほどの数の車が停まっています。

講師を四万十Kさんとあやさんで務める新聞バッグワークショップ
ほっかぶりで花粉症だとこんな姿になります。

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たくさん来て頂きました。新聞バッグの作り方を教えるほうも励みになります。

ほっかぶり市目玉のミニSL。ほっかぶらないと乗れません。

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花の生産者仲間のKさん。持ってきた分、ぜーんぶ売れたそうです。よかったね!!

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梅の木を1本1本触りながら、駐車場に向かいます。
それにしても何回来ても広いなあ、と思います。半端じゃなく広いわ。

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終わってあやさんの家(みなし仮設ですが)で、13歳から70歳までの4インストラクターですきやきパーティを
やりました。

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新聞&新聞バッグに囲まれてしゃべって食べて、満足!な夜でした。

10時散会。
Kさん、あやさん、akariちゃんは川渡温泉、藤島旅館へ。
残念ながら、私は真っ暗な夜道を家に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モノツクリネット情報交換会

明日から4日間ほど、四万十の生え抜きインストラクターのKさんが、宮城見聞にきてくれます。
どうせ来るなら、とよっちゃんたちのお祭り、ほっかぶり市でワークショップをやってくれることになりました。

会場は岩出山の梅農場です。梅の花はまだ盛りとはいえませんが、紅梅は2、3分咲きくらいです。
明日、明後日は暖かそうなので、是非お寄りください。新聞バッグ作りにも是非挑戦してみてください。

今回はKさんにはうちに泊まってもらうことにしました。日頃掃除の行き届かない部屋を大掃除するいい機会
だと思って張り切っていたのですが、なんだのかんだのと用事ができて、全然大掃除できない。

 

困った、困った、と思いつつ、今日は以前から美里町在住愛媛県人会のOさんにお誘い頂いていた会合に
参加してきました。

私とOさんの間では、Oさんが現在美里町南郷高校の生徒さんたちと一緒に取り組んでいるラベンダー栽培の
ことで時々お話合いをしています。そのことで行ったつもりだったのですが、、、。

会合でお会いするメンバーは全員、モノを作る方々でした。

リーダーのSさんはお餅その他の農産物を生産、販売する会社の社長さん。大震災で800戸が失われた仙台市の
荒浜地区に所持されていた田畠が壊滅し、その後に綿を栽培されて、現在は東北コットンプロジェクトを大きく
展開されています。

お父さんの介護をしたことから自力で介護老人施設を作って運営しているMさん、被災後、以前からやっていた織りの仕事を始められた方、自然薯の本気栽培を志すS氏、学校や行政と連携しながらラベンダーの商品開発を
すすめている方、そしてOさん、布でモノ作りのグループを率いているMさん、バラの花でバラ染めをしているHさんたち二人。その他にも今日は都合で来られない方がいるそうです。

みなさん、年齢的には中高年で、ここに移住して以来、この年齢のものつくりの方々が集まっている場に初めて
出ました。驚いたし、楽しいし、感動しました。
これまでわからなかったお餅のこと、縫物のこと、商品の展開のこと、なんでも聞ける。教えてもらえる。

最初のリーダー挨拶&自己紹介が終わったら情報交換おしゃべり会に。
それぞれの製品、ちらし、パンフレットなど見せあいます。

 

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全て手織りです。

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第1回目の今日は、ものつくりネット情報交換会でした。

次はこのものつくりネットに名前がついて、会が設立されるそうですので、楽しみです。
木工とか大工さんとか壁紙貼りとかのベテランの方がおられたら、うれしいけどなあ。

 

 

 

 

 

 

 

桃源院

お昼前に珍しい方から電話がありました。

古川の在宅緩和ケア支援センター「はるか」のマネージャー、大石さんです。4年前に、母が亡くなったら翌日
父も亡くなって、茫然としていた頃からお知り合いになりました。隣接するクリニックでは三浦ドクターに
家族全員お世話になっています。

今日はクリニックに必要なお花を買うことと、4月20日に催される日本在宅ホスピス協会会長、小笠原文雄
先生の講演会のお知らせと、その時に先生と看護婦さんにお渡しするお土産の相談でみえました。

「はるか」では毎週1度、差し入れの食事など作って、スタッフが分かれて在宅で一人とか二人とかで
闘病されている患者さん宅を訪れてお話しをするという、ライフカフェをやっています。

患者さんや介護する家族が日頃感じているつらさや、やってほしいことをスタッフが聞いて、希望に叶うように
先生始めスタッフのみなさんが動く、という医療活動をなさっています。

 

今も時折り思い出す、忘れられない出来事があります。

だいぶ前のことです。大石さんから、ある患者さんのお宅に伺う時に一緒に来ないか、とお誘いがありました。
患者さんや介護なさっている方のお話しを聴くのだそうです。先生にもスタッフの皆さんにも日頃お世話になって  います。役に立つのかどうかわからないけれども、「行きます」と返事をしてガンが進んだ患者さんを介護して
いるおばーさんのお話しを聴きにスタッフに連れて行ってもらいました。いっぱいご苦労があるだろう、と思って。
私も両親の介護がきつかったから、たくさんお話しを聴こうと思って。

ところが、おばーさんの言葉が全然解からない。どんなに耳をそばだてても宮城の方言が聞き取れない。    はァ?と1度聞き返したら、申し訳なくて2度3度は聞き返せなくて、戻ってすぐにこの任務は断念しました。

 

それからずいぶんずいぶん経った時、たまたま行く人が少なかったのか、もう1度松山に同道を誘われました。

今度はお話はする必要がなかった。喉の患部にあてた器具でお話しをされるのですが、はっきり聞き取れて
まったく困ることはなかった。きれいに整理整頓されたお部屋で一人の男性が暮らされていました。         預かっていった差し入れの食事をお渡しするとと、「今は自分が食べたいものを食べたいので、次から辞退したい」 と断られました。若い時のこと。結婚せず、ずっと一人身だったこと。病気になってからのこと。手術をして退院した日に一人でお寺に行って自分のお墓を購入し、人とのお話の機会を持ちたいのでクリニックに出向いたことなど、   器具を喉にあてながらゆっくりゆっくり話をされました。

人の欲みたいなものが全くなくて、ただ生きている今の時間の対話を楽しまれているように感じられて、       私はこの方が好きになり、大石さんにお願いして時々連れて来て頂こう、と思いました。

この身体だが、今の望みは親しい者と一緒に鹿児島に行ってみたいのだそうです。その頃鹿児島に行ってみたいなあと思っていた私は、次に来る時には食事ではなく、鹿児島のパンフレットなど揃えて持ってきましょう。きっと
クリニックの先生やみなさんが介助して連れて行ってくださいますよ。と言って日が落ちる頃においとましました。

翌朝、大石さんから電話がありました。
夜のうちに一人で亡くなられていたそうです。
初めて会って30分ほどしか話したことのない人との別れに泣くのは初めてでした。

お別れに鹿児島のパンフレットを持って行き、ご親戚の方にお渡ししてきました。
お寺は松山の桃源院。風情のある名前から想像すると、桃の花が咲くお寺なのかもしれません。
もう少し暖かくなったら、桃源院に行ってみようと思っています。

 

 

大石さんからご紹介頂いた講演会は、夫が行くことになりました。
よかった、よかった。男の人はなかなか動かないので、時々こうした催しに呼んで頂けると有難いです。

 

夕方から昨日の暴風の庭片付け。枝拾い。

クリスマスローズの葉をどけたら出てきたクリスマスローズの芽。
こういうのがあるから、草取りを人にやってもらえないんです。

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私が動くとおりに付いてくるシロリン。

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土筆が出てました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強風の日に

昨日の夜から凄い風です。

朝いったん収まり、青空も見えて、少しはよくなるのかなあ、と期待していたら、10時頃からまたもや
走っている車がグラグラ揺れるほどの風。車に乗り込んで扉を閉められなくて、でも風に負けたら
扉が壊れそうで、両手で必死でしがみつくなんて経験は初めてです。

やっと直したハウスがまた壊れなきゃいいんですけどねえ。

仙台よりの7つの町で壊れたハウスが30棟ですって。明日になったらもっとたくさんに増えていると思う。
これまでビニールハウス中で育っていた野菜が、強風でビニールを吹き飛ばされて、むき出しになった姿は
無残です。

葉っぱも茎も風に吹きまくられてボロボロに傷んで、再生は難しい。
大体の野菜は、花もですが種を蒔いてからほぼ3か月で収穫できます。春、夏の気温がある時はそうだけど
冬の低温では秋に蒔いたり植えたりした野菜とか、または1月頃に電熱を入れて大事に育てた野菜が
一晩でパーになるのだから、ほんとになんと言っていいんだか。

 

今日は海山初めての新年度会議をやろうとして夜、古川に集合することになってたのですが、集合場所
の近くまで行ったところで、「今日、来れない人二人いるから中止」と連絡が入りました。

業務用食材店で買い物があるので、かまわないんですけどね。

古川の町を走りながら、ふと気づいたこと。
道がなおっている。
大震災で滅茶滅茶に壊れた古川を貫通する江合川の橋の周辺道路。修理が2年経っても終わらず、
ついこの間まで川沿い道路は右にも左にも通行禁止でした。

直れば気になるのは、以前から江合川にいた白鳥のこと。
白鳥のたまり場みたいな場所があって、白鳥もガンもカモも最盛期には駐車場にも上がってきて、車が
停められなくなっていました。白鳥にカッパエビセンや食パンのかけらを与える人もいるので、トンビも
カモメ、鳩、その他の鳥まで集まってくる場所でした。

もう白鳥は帰ってしまったけど、もしかして残っているのがいるかなあ、と橋の欄干越しにのぞいてみたら、
なんと河原の緑の草の上に7、8羽の白鳥が上がってました。やっぱりいたよ。
なんだか嬉しい。やっと終わった、と思っているかな。

 

この風に困っていると思います。飛べないもの。

さて、日を改めて風のない日に新年度の海山会議第1回をやります。
アベノミックスとかでまあー景気の良い話がテレビやラジオから聞こえてきますが、移り変わる世情や
これまで関わって来た方々との連携の中で、この先の計画を決めていく必要があります。

 

ただ、今日本の経済状態は変わっていっているのかもしれない。何十万もする高級な服が売れたり
景気がよくなっているように見えることがいっぱいあるのかもしれない。

 

でも、被災地は何にも変わっていません。
仮設住宅の入居できる期限がもう1年延ばされました。それくらいかな、変化は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本新聞博物館ミュージアムショップ

大雨ですぞ。

今外に出てみたら風はさほどではないけど、横殴りの雨がけっこう強く降ってます。

さっき、東京では洪水警報が出たとか。注意報ではなくて警報だから、あっちこっちで洪水になるくらい
どしゃ降りなんでしょうか。

ここではどこに行くのも玄関先に置いた車に乗ってでかけるので、風が吹こうが雨が降ろうがかまわないですが、
東京は電車に乗ったりバスに乗ったりしなければならないので、体力、気力、我慢力勝負になりますね。
タクシーに乗るったって、簡単じゃないもの。雨の日は。

雨がひどくなる前に、横浜にある日本新聞博物館のミュージアムショップに送る新聞バッグを揃えました。

震災後から日本新聞博物館のミュージアムショップ、ル.サロン.ドウ.ミュゼさんには大変お世話になっています。 海の手山の手ネットワークの新聞バッグを毎月ご注文頂いています。

最初にお電話頂いた時、日本に新聞博物館というものがあるとは全く知らなかったので、そんなところが
あるのか、と驚き、興味を持ちました。私自身が文字とか活字とか新聞とか本とかが好きなので。

興味津々でパソコンで検索してみたら、素敵なところ!
ミュージアムショップのル.サロン.ドウ.ミュゼさんはお店の佇まいも置いてあるものも実に素敵です。
書籍やステーショナリー、その他。たぶん全部新聞に関連しているのでしょうが選び抜かれた品が置かれている
雰囲気です。

 

こんなところに置いていただくのでは、と新聞博物館さんの新聞バッグつくりには拍車がかかりました。
紙面を選んでできるだけお洒落なものを作る。手抜きをしない。きっちり作る、などなど自分に課して、折り手さんに
作ってもらいます。

東北新聞バッグprojectのために、ご注文の指定日より、ずいぶん遅れてしまいましたが、腕に覚えのこれ!という新聞バッグを選んでダンボール箱に詰めました。

 

明日、到着致します。よろしくお願いいたします。

いつか東京に行くことがあったら、横浜まで足を伸ばして行って見たいと思っています。
楽しみです。

 

 

 

 

子狸と水芭蕉

朝!
朝に事件は起こります。

「狸がいるよ。車の横にボーッと座ってる。怪我してるのかな」
直売所に持って行くお餅を車に運んでいたうちの者が知らせにきました。

えーッ?!怪我した野生動物と出会うのはほんとに困るんだ。触われないし、怪我がひどくて触われるに
してもどこに運ぶ?動物病院に連れて行ったら、病原菌持ってるかもしれないので怒られそうだし。

でもこの辺りに野生動物保護センターってあるのかしら。

どんな具合?と見にいったら座っていました。痩せてボロボロの子狸。お腹空いてそうー。
犬、猫ならともかく狸はなんと呼んだらいいんだろ。
チッチッチと舌をならしてみたり、コラコラと呼んでみたりするうち、子狸はなんだ、このおばさん、と思ったのか
立ちあがって、よろよろもせず上の家のほうに登って行きました。

下に下りたら道路で車が走るけど、上なら山だから心配なし。でもお腹空いてそうー。
母親とはぐれたみたい。

とぼとぼと去る後姿。
元気で生き抜けよ!

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朝のNHKのニュースで一迫の水芭蕉が5分咲というので、夫と孫を車に乗せて行ってみました。

一迫は隣町です。農村です。

国道398号線から一迫川のほうに下りて行った一角に水芭蕉公園がありました。
植栽された水芭蕉が5、6分咲で咲いていました。
尾瀬沼とか尾瀬ヶ原の野性的で強靭そうな水芭蕉とは全然違う、こじんまりとしてかわいらしい水芭蕉。       野生の水芭蕉は反対側の隣町加美町の奥地に行くと見られます。

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この水芭蕉園の広いこと。たぶん町の活性化のために作られたのでしょうが、広くて眺めがよくて
トイレも四阿もきちんと作られています。
子供用の遊具もあるので、うちの4歳はウルトラマンになりきって滑り台を登ったり下ったり。

 

一周の散歩道をゆくジーチャンと孫。

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走るわ走るわ。ジーチャンのいる高台に向かって一直線。
追いつけません!

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斜面に咲くイチゲ。イチゲはいろんな種類があるのでなんというイチゲかわからないけど、一面に自生しています。
キクザキイチゲかなあ。

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この一帯は5年前の朝起こったマグニチュード7.2、震度6強の宮城内陸地震で、完璧に傷めつけられました。
398号線に沿う山々は崩れ落ちて、この道の駅路田里はなやま(自然薯の館)から先は2年間不通になりました。
ここが自衛隊の前線基地で、お風呂もここに作られていました。

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一迫川にはまだ5年前の崩落の跡が残っています。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

いったん壊れてしまったものが元に戻るということはないのだけれど、でもずるずるずるずる岩や砂が落ちるのを
止めて、落ちた土砂を片付けてまた新たに普通に水が流れるようになるまでには、月日がかかるものだ、と
改めて認識させられます。

この道の駅から国道を秋田方面に進むと栗駒山に至りますが、崩壊で一部がなくなってしまった栗駒山の
森林を切り開いて2年で道路が再開された時には、人の叡智と努力に感動しました。
路田里はなやまは宮城内陸地震の苦難を乗り越えた象徴のような道の駅です。

自然薯といわれる長芋と蕎麦が名物です。1度寄ってけらいんよ!!

 

 

 

 

 

魚釣り

朝から珍しく雨。

小雨ではなくて普通くらいに降る雨ですが、昨日から夫と4歳の孫、そして娘夫婦が出かけて行った山形の
海では晴れで暖かいようで一安心です。

若い頃から釣りが唯一の趣味の夫は、東関東大震災でこれまでたまに通っていた女川や石巻の好みの
釣り場を失くしました。岩出山からローカル電車に乗って、小牛田で仙石線に乗り換えて、一人でのんびり
行くのが好きだったのですが、大震災以来ピッタリ止めました。

大好きな南三陸の海は津波でずたずたになっているということもあり、電車がなくなったということもあり、
釣り具屋さんも餌もないし、泊まる宿もない、ということで行こうったって条件は整わないのですが、
ぴったり止めた原因は、行く気持ちがなくなったという心の問題だった、と思います。

行きたいなら車で行こう、と何度も言ってみたのですが、「いや、海で魚を釣る気持ちにはなれない」の
一点張りでした。

 

この間、南三陸のショウエイさんと話した時、今の海の話になりました。
「今海の中はもの凄くきれいなんだよ。これまでいなかった魚がいるようになっている。ただまだ理由は解らないが ワカメの色が薄い場所と場所とがある」
というような話でした。

かろうじて回復の途上にある海産物の養殖とは違って、魚を獲る漁業のほうは未だ先は読めません。
大震災前にあった釣り船というのはまだないけれど、養殖の方々が使う船では収穫時期ではない時に時々魚を釣ることもあるそうです。

そんな話をしたら、突然夫が釣りに行くと言いました。
被災地の海で釣りをするなんてそんな無礼なことはできない、と思っていたが、そんな形で船に乗せて頂ければ  ありがたい、という気持ちになった、ということでした。

 

季節がよくなったらお願いして釣りをさせていただきたいな、と思ってます。

抗がん剤の投与後でちょっと体力的に不安でしたが、暖かい日に恵まれて、釣果は1日で小さい魚1匹。
陽射しは暖かくても、日本海はまだ水温が低いんだろうな、とのこと。
4歳も釣り糸を垂らして熱中し、帰らないと大騒ぎしたそうです。

海から帰ってきたら、即刻商売のお餅つきが始まりました。

いつの日か、ジーチャンと孫が並んで南三陸の波止で魚を釣る日が来ますように・・・。

 

 

 

 

 

 

 

基本に戻る

昔、子供が小学校だった頃、班ごとで貰うシールの獲得数がうちの子供のトロさで伸びない、とかの理由で、
うちの子供だけ教壇の上に机を置かれて勉強する、という状況になったことがあります。

うちの子供は学校に行きたがらなくなりました。

「のんびり」が班の足並みを引っ張るのは解かるけれども、だからといって教壇の上で子供が傷つくのは
見過ごせない。という訳で学校に行って先生とお話しをすることにしました。

ところが出てきた先生は最初っからまるで私が喧嘩でもしに来たように防御姿勢で凝り固まって、「子供は
ウソを言うので、子供を連れて来なければ話さない」などと仰る。

で、私は「文句を言ってるわけじゃないんだ」「子供がウソを言ってないのは母親だからわかるんだ」
「文句じゃなくて今のやり方では子供が傷ついて学校に来たくなくなるだけなので、相談に来たんだ」と説明する  のですが、先生のカチカチ防御態勢はなかなか崩れません。

で、私はその時思ったんですよ。

「目標は同じじゃないの?親も先生も。子供をちゃんとした心豊かな大人に育てたいという目標は。
敵同士じゃないんだよ」
言葉はこのとおりじゃないけど、そんなことを言ったら先生の肩の力が抜けました。

それからはちゃんと話を聞いてくれて、子供は元の班に戻り、卒業まで先生とはよーくお話しをしました。
そんなことがあったから、あれから40年近く経ったのに、先生のお名前もお顔も覚えています。

 

昨日、道の駅で会社と出荷組合の会議がありました。
会議の間、ふーっと、その時のことを思い出していました。同じだなあ、と思って。
道の駅の中に付随する私たち町の住民の生産物を販売する農産物直売所がオープンしてから12年。
その歴史は、私がこの土地に越して来た年数と重なります。

越してきた年の秋に町役場の方が見えてこう言いました。                                 「この地方ではずーっとお米を作ってきました。来春道の駅がオープンするのですが、ここでは野菜や花は
家庭消費用くらいしか作っていないので足りないのです。花を出してもらえませんか」
庭に放置したままの前の仕事の花卉資材を見て来られたようです。

町役場の方は1軒1軒農家を回って、出荷を頼まれてました。

越して来るまでは、道の駅ができてその直売所で花を売るなんて、考えたこともなかったのですが、
それからタネを蒔いたり苗を買ったりして準備をしました。

最初の出荷者数は約90名。これでやっていけるのか、と不安になるほど皆不慣れ。管理運営は道の駅の会社に
お願いして10年余り。場所もよかったのでしょうが、会社には細々とお世話をして頂き、出荷者も季節毎の野菜
作りなど努力をして、時が過ぎるうちにたくさんのお客様に来て頂くようになり、出荷者も3倍くらいに増えました。

規模が大きくなると、いろいろ問題も出て来ます。

場所が狭い、とか大勢のお客様のニーズに応える品揃え、とか放射能問題とか、いろいろです。           時勢は変わり、大震災や放射能問題などの突発的事故も起こり、組合員は高齢化し、若い生産者は数少ない。
やたら寒かったり雪が多かったりやたら暑かったり、気候の荒々しさが起こす問題も深刻です。

そこを見ながら管理のお世話をして頂いている会社と、生産に携わっている組合員は話し合って良いお店
作りをしていかなければならない。昨日は生産側からお願いしての会議でした。会社も快く応じてくれました。

 

会議ではともすれば末端の事例に捉われて、本来の目標が何だったのか忘れそうになることが多いです。
みんな一生懸命だということです。

地域振興のために国のお金で建てていただいた立派な道の駅の施設。大切に使わせてもらって、お客様に
喜んでもらえる新鮮野菜や品揃いの良いお店になるように、しっかり考えて次の会議に臨みたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

びっくり!蒸気機関車が。

今朝はびっくりしましたよ!!

朝、直売所にお餅を出しての帰り道、国道47号線は古川から鳴子温泉、新庄に向かうJR陸羽東線の線路に沿って
いるのですが、向こうの方からもくもくもくもくと白い煙が見えたかと思うと、ボッボーッと大音量で汽笛を鳴らして
蒸気機関車が走ってくるではないですか!

 

いやー、びっくりした。思わずブレーキ踏んだ。

近頃新聞バッグ作りに忙しくて、まともに新聞なんぞ読んでいたかったもんだから、地元のニュースは全く
知らなくて、近々陸羽東線を蒸気機関車が走ることになってるなんて、全然知りませんでした。
今日は試運転だそうです。

そうやって古川と鳴子だかの間を何回も試運転して、たくさんのお客さんを乗せる本番に臨むのだそうです。
ゆっくり走ってよく見たら、田んぼの畦道だとか土手下に車だとか人が何人もいて過ぎ去る列車を見送って     いました。

知ってる人は知ってるんだねえ。
その後向かったあやさんの仕事場である鳴子温泉の駅傍の老舗喫茶「玉子屋」さんでは、あやさんが
「私本番で乗るんだー」と自慢してました。

大丈夫です。私も1度4歳の孫を乗せたことあるけど、喜ぶのは蒸気機関車の外見だけで、中に入ったら
興味をなくしてしまいました。だからもう乗せない。

 

蒸気機関車などというものは、昔をしのぶ大人のお祭りみたいなものかもしれないです。
廃線になった電車はもうひとつあって、それは「くりでん」と呼ばれるくりはら田園鉄道。文字通り緑一色の     田園の中を1両で走る電車で、最終日までに乗りたい、乗りたいと思っていたけど果たせませんでした。

 

栗原側の終点は細倉マインパーク駅。1200年の歴史がある細倉鉱山跡を利用したテーマパークがあります。
86歳で大都会福岡から父と共に東北のこの地に移り住んだ私の母は、筑豊炭田飯塚の生まれ育ちでした。
92歳でなくなりましたが、初めて細倉鉱山跡に連れて行った時、「久しぶりに炭鉱を見た」と喜んだ姿を
思い出します。

近くにはリリーフランキー氏原作、映画「東京タワー」のロケで撮影したキキキリンさん演ずる「おかん」の
家などあります。

蒸気機関車を見てびっくりして、そのほかのことまで思い出しました、の巻でした。