カルチャーセンターで新聞バッグ講座開催

もしかすると何かの役に立つ、ということもあるのかもしれないから書いておこうと思う。

夫が抗がん剤投与を受け始めてから2日目。今日はそろそろ気持ちが悪い、とかご飯が食べられないとか
お薬の副作用が出るのかなあ、と気になって、朝起きてきた夫に訊いてみると「いやあ、変わらんなあー。
薬が効いてないのかなあ」

実は夫が転移性の肝がんで抗がん剤投与を受けるのは、2度目です。1度目は1年くらい前。
手術できるようになるまで受けてましたが、ご飯が食べられなくなるのは、投与後3,4日後まで。
その後は徐々に普通に戻っていってました。手のしびれと、口内炎ができる、というのが主たる副作用で
抜けるだろう、と覚悟していた髪の毛には変化はありませんでした。

 

当の抗がん剤投与を受けている夫は、いつもと全然変わらず、お餅屋としての仕事を順次こなし、
間々で休憩をとり、孫の相手をし、3年前から娘に援けてもらって始めた食事療法をきっちり守り、がんのことに
付いて訊きたい病院などに電話をして予約をとったりして、マイペースで規則正しく暮らしています。

 

自分ががんになって、がんと付き合ってみて、これまで考えもしなかったがんについての科学的な意味での、    知りたいこと、先生に訊いてみたいことが山のように湧いてくる、のだそうです。そしてその知りたいことを知る
ために、他所の病院に行ってみたい、という夫の申し出を「いいよ、訊いてきなさい」とお忙しい中、紹介状を書いてくださる主治医の先生には深く感謝しています。

 

なんか、面白いなあ、と思って、夫の疑問に興味を持ってます。
何かわかったらここに書きます。

 

さて、新聞バッグですが、今日も1日新聞バッグ三昧。

今日は1月1度のほっかぶり隊のほっかぶり市の開催日なのですが、全然のぞく暇なし。
本日発送予定の新聞バッグを受け取りに鳴子温泉のあやさん宅へ昼過ぎに行きました。

 

話題は今月30日から始まる東京、自由ヶ丘のカルチャーセンターでの新聞バッグ講座。全3回の予定です。
これまで、東京のカルチャーセンターに自分が何かを学びたくて通った経験はあるけれど、まさか
福島から避難中の原発事故自主避難者であるあやさんと一緒に講師で行くなんて、まったく人生は
何が起こってくるやらほんとびっくり!です。

 

1回目にどういうものを生徒さんに渡して、何から最初に教えたら喜んでもらえるかしら。等々、徐々に迫ってくる講習日までに詰めなければなりません。

 

版画家の岡澤加代子さん、そして四万十の熟練新聞バッグインストラクターのJさんも来てくれるので
初めて新聞バッグを作られる講習生の方に楽しんでもらえる楽しい企画にしたいと思います。

 

お近くの方、是非産経学園カルチャーセンター自由が丘教室をのぞいてみてください。
新聞バッグ講座初回は3月30日です。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

宮城ー滋賀ー広島

yahoo!復興デパート、海山商店。開店してから数日ですが、たくさんのご注文を頂いてありがとうございます。

お陰様で新聞バッグの必要数がどーんと増えて、製作が忙しくなりました。

時間がある限り、せっせせっせ、と新聞バッグ作りに追われています。早く南三陸のワカメの仕事が終わる5月
が来てほしい。新聞バッグつくりは南三陸部隊なしでは成り立たん、とつくづく思います。

今日、広島在住の女性の方から「英字新聞が必要なんですか?」という問い合わせの電話がありました。
自然食品店にお買いものに行ったところ、品物が新聞バッグに入ってきて、中に「英字新聞探しています」という
海の手山の手のチラシが入っていたそうです。で、電話をしてみたと・・・。

少量では運賃のコストが高いので、というお話しをすると、「ではあちこち声をかけてみて集まったら送ります」と
言って頂きましたが、さて、なんで海山新聞バッグが広島の自然食品店に?

と考えていて、ハタと思い当たりました。
昨年の夏、津波被害で売り先がなくなった南三陸の菊作り名人O氏の大輪菊を大量に買ってくださった、滋賀県  の会社ウルズのTさんという女性社長と出会いました。その時以来Tさんは海の手山の手にとってはなくてはならぬ
大恩人で、仕事の面で精神面で多大にサポートして頂いています。

 

そのT社長が滋賀県で自分の会社の取引先とかお客様に海の手山の手の」活動を紹介してくださっています。
その中のお一人が広島の会社の社長さんでした。

広島の会社の社長さんにはびっくりするほど多量の新聞バッグを買っていただいたので、どんなことに利用される
のかな、とは思っていたのですが、自然食品店の紙バッグになるとは思わなかった。

こんなふうにして繋がるんだねえ! 宮城、滋賀、広島と。
少し長電話をして、広島の日常にはたぶん届かないだろう宮城の現状をお話ししました。

Tさん、ありがとうございました。今日の未知の女性からのお電話は嬉しかったですよ。
Tさんがまかれた種はこんなふうに広がっていることをご報告します。

 

さて、春がやってきました。強風とともに。

「フクジュショウだよ」とうちの4歳孫がハウス周りから引き抜いてきた福寿草。
知らない間にこんなに咲いてました。

 

 

 

3年目の始まり

大震災から2年経ちました。

振り返ってみると、この2年間、これまでやったこともないことばかり、ダメモト。でも諦めないで挑戦し続けてきた日々でした。

古川で地面が大揺れに揺れる地震が起こり、右に左に車輪が動く車にようやく乗りこんで、ブルブルブルブル
振るえる右手を左手で抑え込んで運転したこと、忘れません。とにかく家に帰りたい一心で。

でも道路がメチャメチャに壊れてて進めませんでした。新幹線の高架の柱がボキボキに折れて、水も噴き出して
商店街の中の道路がどっちが上だったのかかわからないくらい波打って、今思い返しても血の気が引きそう。

 

本当に昔の友達、友人、知人、親戚、たくさんの方たちに援けて頂きました。
よっちゃんも「びっくりした!」と言っていたけど、私も、誰からも、親からさえ貰ったことがないお金を人様から
頂いてびっくりしました。どうしようー、と思った。

このお金や品物や温かいお心遣いを頂いたこと、今もそれが続いていることは、言葉にできないほど感謝
しています。貰うから感謝ではなくて、こんなに心温い方々がいらっしゃるんだ、と自分が思えることが
大きいです。

うちは前の宮城内陸地震の時にもボーリング井戸のポンプが壊れ、今度もまた壊れ、加工場は斜面をずり落ち、  みたいなことにはなってたんですが、「このお金で直してほしい」と皆さんに勧めて頂いても、できなかった。

 

大切にしてきた築150年の家は土台から外れ、壁が大幅に剥がれ落ちたよっちゃんも同じ思いのようで、
「自分ちの壁直しました」と壁の写真を送るよりも、もっと違う写真送ったほうが喜ばれるでしょう」           とよっちゃんは言い、結果、沿岸部からの避難の方たちを梅農場にご招待しての「梅見の会」になりました。

大震災から間もない頃で、まさか津波で傷ついた方たちが花見に来てくれるなんて全く自信がなかった
のに、250人もの花見になって、海の人と山の人が出会えたのでした。
梅農場での出会いが、「何にもないけど残った手でみんなで一緒の仕事をつくろう」という海山ネットの始まり    でした。
津波が縁なんですが、「出会えてよかったねえ」とみんなで言ってます。ほんとに出会えてよかった。

 

少ない人数で海山ネットをやっていくには情報の共有というのが大事。でもパソコンワークが未熟な私は      四苦八苦しています。

南三陸に行くと、今ガレキはきれいになくなり、海に向かって茫漠たる更地が広がっています。
家があったはずなのに、建物があったはずなのに。もう暫らくすると夏草に覆われて、ここに住まいがあった人は、
自分が住んだ痕跡も見い出せないのでは?と思います。人生を途中で失くしたような気持ちになるのでは。

 

新しく始まったけいこさんちの海に近い作業場。
わかめのお仕事は、舟でワカメを収穫してから釜で茹で、冷やし、塩をまぶし、手作業で茎とわかめを分け、
脱水機にかけて、塩蔵ワカメになるという手間のかかる工程でした。

ストーブで温かい作業小屋の作業台を囲んで、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんのけいこさん、
が座って、みんなで作業をやっていました。犬のマック君もいるのだけれど、お兄ちゃんが散歩に連れて
行ってました。朝早くから船を出してワカメを獲って、お昼のご飯も作業場で食べて、こうして家族全員が       力を合わせてワカメという商品が出来上がっていく。

おじいさんもおばあさんも本当に優しいお顔をなさっています。
みんなで分けながらお仕事をなさる姿は家族の原点をみるようです。

 

都会で生まれ育って、都会で暮らし、お金を払えば自分の身の周りのことは何でも、自分が出したゴミでも
始末してもらえる生活をしてきた私は、ここに住んで、そして何度も大地震を経験して、ついには極めつけの    大震災まで経て、収入さえ得られれば一人でも生きられる、というのは幻想なんだ、と知りました。

たくさんのことを教えてもらった2年間でした。

復興は進んでいません。時が経てば経つほど難しさも複雑さも増していくと思います。
でもやっぱり希望を持って3年目を歩み始めましょう!

 

 

 

 

 

 

 

暴風

一昨日からもの凄ーい風でした。

隣町古川では最大瞬間風速37・数キロメーターの強風。福岡生まれで台風慣れしている私でも
この風はちょっとヤバイヨという気がするので、朝お餅を出荷しただけで1日家籠り状況で過ごしてました。

一昨日道の駅では風で体が浮いてまっすぐ歩けなかった。
工事で岩出山大橋の上で車を停められ、強風が吹く度に車がグラグラ揺れるので本気で怖かった。
こんな日にこんな河の橋の上で車を停まらせていいのか、と思った。

2、3日前まで西へ東へと空を飛び交っていた白鳥や雁が、数をぐんと減らして、田んぼの上にいるには
いるのだけれど、強風で進まないらしく同じ場所を上下にバタバタバタバタしていた。

昨日の朝は風が静かになって、もう終わったかなあと思っていたら、時間が経つにつれて、一昨日より
もっとひどく強くなって、白鳥もガンも全く見えなくなった。

ハンパじゃない強風!家の中にいても凄い風の唸る音。
隣りの家とジーチャン、バーチャンのいる私の家を1日中行ったり来たりしているうちの4歳が、単独で
外に出るのは禁止となった。飛ばされるからねえ。

夕方のよっちゃんからのメールでは「風で凄いことになっている。イグネの木が折れて屋根にめり込んでいる。
梅農場の先の自販機が倒れている。おっかなーい!」

 

そして今朝、近所のyumiちゃんが朝やってきました。
「うちのハウスねじれたよー!」yumiちゃんちだけではなく、うちのハウスの屋根は飛ばされたし、借りてる
ハウスの屋根ビニールはなくなりました。

あっちこっちの農家でハウスのフレームは曲がり、ビニールは破け、屋根は飛ばされ、えらい損害。
「うちの木は折れて曲がって地面に突き刺さってるよ」
極めつけは
「シンショージさん(この集落のお寺です)の屋根が飛ばされて、黒い屋根が下地の赤い屋根になっちゃった」

大震災から丸2年目の今日、テレビで追悼の記念式典を見ながら、ハウスの屋根を眺めてため息ついてます。
まだ、風は完璧には止まないんだよなー。

あまりの強風に渡り鳥たちは嫌になって、北帰行に旅立ったかと思っていたのですが、いました。
田んぼの上を白鳥もガンもひと群れ、ふた群れと行き交ってました。

 

 

 

 

 

 

「両方良くなる」

朝、お餅の出荷を終えて、よっちゃんちに書類を届けに行きました。
よっちゃん夫妻は(株)コンピューターシステム研究所からご注文頂いたレターバッグサイズの新聞バッグの梱包
作業中で、丁度よいところに行き合わせ、手伝って終了しました。

㈱コンピューターシステム研究所さんは先日の仙台銀行さんのビジネスクラブ講演、交流会で初めて御挨拶させて頂いた仙台銀行さんのお客様です。交流会後、光栄にも、この度同会社で受賞された「グッドカンパニー大賞」の記念式典のために新聞バッグを使って頂けることになったのです。

その他にもその時のお客様の数社から、お声をかけて頂いてますが、こうした東北地方の会社からのご注文には、何故か心が張り切ります。

いいものを作りたい、直接のお客様、そしてそのお客様のお客様。どちらにも喜んで頂けるものを作りたい、と素直に
思えます。

 

「何故普通より張り切るのかな」、と考える時、これは海の手山の手が以前お世話になっていたNPO大崎地域創造研究会の事務局Kさんがいつも言ってたことなんですが、「両方良くなる」「両方良くなりたい」という考えが持てるからなんだと思います。

先日、福島で復興のためにいろいろな活動をなさっている団体の活動発表会に出席しました。
東京の有識者の先生方をお呼びしての、復興活動を応援する活動の場をのぞいたこともあります。

でもなんだかしっくりこない。なんか海の手山の手とはどこかでかみ合わないような気がいつもする。
なぜなんだろうかなあ、と常々思ってました。

被災を受けない土地の方々が、被災を受けた土地のために工夫を凝らして応援の組織を作り、活動を続け
てくださっている。とても有難いことです。特に今、風化が問題になっている時なのですから。

 

海山代表のよっちゃんはいつも言います

「支援の枠を越えようー」って。

そう思って、海の手山の手は、海と山の仲間が一緒にモノ作りをして、これまでご協力頂いたたくさんの方々との
ご縁繋がりで、新聞バッグを広げて頂いています。

「支援しますよ」と買って頂くのも嬉しく有難いことですが、そこを越えて商品としてお客様のニーズに合う新聞バッグ
を作りたい。そして、新聞バッグに詰めた海山の商品を紹介、販売してゆきたい。と思ってますが、

この度yahoo復興デパートでも海の手山の手商店が開店しました。
是非ご利用になってください。

 

海の手山の手が始まってもうすぐ丸2年。 まあ、なんとか赤字ではないものの、台所はカツカツで、未だに新聞バッグの折り手さん以外は無報酬、手弁当でやってます。                                    運送代も印刷代も高いので出そうにも出せないのですが、何時の日か「両方良くなって」、東北の経済もよくなって海の手山の手で報酬がなんぼかでも出せるようになったら嬉しいなあ、と夢想してます。

やっぱり海の手山の手は最初から現在まで小さい小さい経済活動の道を歩んでいます!

 

 

 

 

 

1230枚、高知銀行さんと府中美術館へ発送完了

新聞バッグで1000枚というのはたいした数です。
特に今回の高知銀行さんへ送る新聞バッグは「もじゃくり新聞バッグ」という、新聞をグチャグチャに揉んで
皺加工のようにして作るバッグなので、普段作るものよりひと手間かかります。

 

それが全部で2700枚。                                                      その最初の締め切りの1000枚だけでも作れるのかなあと、想像がつかなかったのですが、南三陸のけいこさんやシンコさんの踏ん張りで、一昨日歌津に行ったらたくさんの新聞バッグができてました。

 

で、今日は私たちの地元、山の手新聞バッグインストラクターが折った新聞バッグの検品、袋詰め作業をやります。
そして合わせて、1000枚になってなきゃいけない、というのが今日の絶対的指令。新聞バッグを作り覚えた折り手の仲間たちが、仕事の合間に50個、100個と折った新聞バッグ。集めてみなければいくつあるのかわかりません。

 

スリル満点。そのうえにもうひとつのスリルがあって、府中美術館で使っていただく新聞バッグ200個。これも今日が
発送予定日です。

 

午後1時、町の社協のホールをお借りして、この先の新聞バッグ作りを見越した、新しい人達の新聞バッグ教室と
よっちゃんが先導する検品、発送作業を同時進行でスタート。

最初はインストラクターの数が揃わず、これでできるのかと心配したのですが、仕事だの、家の用事だのを済ませて
一人一人と作業に加わってくれて、大過なく作業を終了することができました。

新聞バッグを前から知っていた人も知らなかった人も、作業を見るとなんとなく手伝ってくれるのが不思議です。

 

府中美術館担当の私は家で大車輪。こっちも娘や、ふだんは新聞バッグに手を出さない家の者も、糊をつけたり
数えたりと1日手伝ってくれて、時間ギリギリにヤマトに滑り込んで発送終了。

 

よっちゃんから電話。「終わりましたよー、1030枚、ハーーーーッ」

私も終わったよー、あはははは・・・。

いやー、笑うしかないような怒涛の1日でした。疲れた!

 

 

 

 

 

 

 

 

南三陸に新聞バッグを受け取りに

暫らくぶりで南三陸の歌津へ。

戸倉の仮設住宅にはこないだ行ったけど、逆側、気仙沼方向に向かう歌津にはしばらく行っていません。、

どうなってるかなあ、変わっていないんだろうなあ、と思いつつ車を走らせました。
午前中は雪まじりだったけど、お昼を過ぎたら温かくなって良いお天気。

ガレキもタイヤの山もコンクリートの塊の累々たる山々もきれいに方付いて、広い広い更地に変わってました。
壊れかけたコンクリートの建物がなくなって、見えなかった海が見えるようになりました。

 

でもね、これは復興ではないのよね。壊れたものが片付いた、というだけです。
ここからが大変。国とか県とか地権者とか個人の思いとか、複雑な要素がからんだこの更地を利用できるまで
にはまだまだまだまだ遠い道のりです。

 

そして被害に合って、遠く離れた土地や仮設住宅に暮らす人たちは、大震災から2年経つ今、31万人以上。

その中のひとつ、歌津のけいこさんやシンコさんたちが暮らす仮設住宅に今日は、高知銀行さんに納める新聞
バッグを受け取りに、ついでに袋詰めをするために、海山一同参集しました。

M仮設に住む菊作り名人、Oさん夫人むっちゃんにも来てもらいました。シンコさんにもむっちゃんにも会うのは   久しぶりなので嬉しい。
会った早々にむっちゃんから、わかめや、ワカメの茎、メカブを頂きました。シンコさんは私たちのために
とびきり大きいメカブを用意してくれてました。

1時から5時近くまでかかって、けいこさんやシンコさんが作った新聞バッグを検品。700個くらいもあるんですから
なーんと、まあ!!です。わかめで忙しいのに、よくこれだけ作れるもんだわ。

 

検品済み新聞バッグを梅原デザイナーがデザインした袋に詰めて、高知銀行さんに送って終了、というと
簡単だけど、いろいろ滞りもあって時間との闘いで緊迫します。

帰る前にけいこさん宅のわかめの作業小屋にお邪魔しました。
流失した自宅跡に建てられた作業小屋の中で、おじいさん、おばあさん、お父さん、けいこさん、一家総出で
わかめの作業中でした。初めて見た養殖わかめの作業。

こんなに手間がかかるものだとは想像だにしなかった。
これまでまったく知ることがなかった海の手仕事を間近に見る機会が増えて、「海にはなんでもあるんだ」と
海の豊饒に気づかされました。

 

夕食はさんさん商店街でANAのM氏とご一緒にお食事兼打ち合わせ。
M氏には、世界の空を飛ぶANAの機内で読まれる外国の新聞紙をこの先頂けるようにお骨折り
頂いています。

 

明日はまた地元岩出山に戻って、今度は山の手新聞バッグの点検、発送を続けます。

 

 

 

 

 

新聞整理

朝一で東京の版画家、岡澤さんから「梅原さんが朝日新聞のフロントランナーと言う記事に出ていらっしゃる」という電話。                                                                そのことは前から聞いていたので、早速入手しようと、暴風、強風で雪巻き上がる中、道の駅へのお餅出荷を
終えて、コンビニ3軒回るもなし。

ここって朝日は人気ないのかなあ。
がっかりして帰るも、後でよっちゃんもコンビニ回って、買い占めたことが判明。
買い占めたといっても2部で、それでぜーんぶだったそう。私が行ってもないわけだ。

 

買ってきてすぐによっちゃん奥さんみっちゃんは、梅原新聞バッグを作ってました。

 

それにしても昨夜からの暴風は強烈です。当然地吹雪も猛烈。
朝出かけて、うんざり、こりごりして、今日は1日籠城、新聞バッグ作りに専念することにしました。

でもその前に、きのうよっちゃん宅でもらってきた、でっかいダンボール箱入り英字新聞を整理することにしました。 東京の江戸川の方から回収された新聞紙を送って頂いているのです。
どこで回収されたのかはわからない。

 

でも凄いのは、世界のいろんな国の新聞が入っていること。

普通サイズ、横長、縦長、お洒落な新聞、ドハデな色合い。いろいろあって、実に興味深く面白い。

ジャパンタイムズ、ヘラルドトリビューン、ニューヨークタイムズ、デイリーヨミウリ、フィナンシャルタイムズ、
ウオールストリートジャーナル、ドイツ語のようなの、フランス語のようなの、韓国語、中国語、いろんな
新聞があります。

全体的な感想としては

外国の新聞って、なんだってこんなに写真がリアルなんだろ。闘いの風景もリアル、悲惨もリアル。
「こんなリアルが必要あるのか」                                                 新聞バッグに使いたくないので、知らず知らず隅から隅までネガティブリアルの写真ばっかりを
探している自分がいます。

世界はこんなに悲惨が溢れている。銃だらけだ。日本はなんて平和なんだろ。

でもその反面、新聞バッグに使いたい写真も選ぶので、自然や絵画、バレエや演劇、人々の暮らし、ファッション、
きれいな色彩、思わず見入ってしまう素敵な写真とも出会います。

そして読んでない新聞の多いことにもびっくりします。                                    新聞バッグのためには未読の新聞のほうがいいに決まってるんですが、それでも、「こんな無駄しちゃっていいのかなあ」なんて思います。

そして今日の外国新聞整理作業の総括。

世界には悲惨も美しさも溢れいるけれど、これらの新聞紙で、入れ物とか折り紙とか新聞バッグを作ったら
楽しいだろうなあ。

 

目の裏に出上がった新聞バッグをちらつかせながら、新聞バッグ制作再開します。

 

 

2月の終わり、そして3月

毎日道の駅でバーコードというお餅に貼り付ける値札を作ります。
2月28日の次に3月1日と打ち込むと、なんだか急で、日にちがすっ飛んだようなヘンな感じ。

2月の終わりに、町の社会福祉協議会の学習室を借りて、新聞バッグもじゃくり講座を開催しました。

今度は私の集落の農家のお母さん方が来てくれました。海の手山の手の代表よっちゃんがいつも言うように
海の手と山の手が一緒にやらなくちゃ、ということで。

でも新聞バッグの風合いが変わって面白かった!

英字でバッグを作ることが多いけど、日本語もほんといい!!
「父の日」ですねえー。
どうですか。お父さん方、こんな新聞バッグをもらったら!

くじけないで。トヨさん、亡くなられたんだ。
ご冥福を祈ります。最後の最後まで人の心に染み入る素敵な言葉を遺されて、立派ですねえ。

タスカルって、自転車の名前?

どうです、トラクター!                                                       ここは東北、農村の真っただ中。ササニシキ発祥の地。

タネの広告、野菜の絵柄、農業資材などなど。そしてそんな新聞ばかり探し出してはバッグに折ってるyumiちゃん。
「農業新聞がいいよー」って。
「昨日さァ、夜のうちに仔牛が生まれていたんだよー」
「ずいぶん手間のかからない安産の牛だねー」
ガハハと笑いながら新聞バッグ制作中。

四万十新聞バッグコンクールに習って東北コンクールをやりたくなりました。

そして、前回からパーツや新聞もじゃくりなどをお願いするようになったフリースクールからも参加頂き、
今回は町にある福祉施設の方々もいらしてくださいました。少しずつみんなでお仕事できたらいいですね。

そして3月。

近くの田んぼに下りた白鳥とマガン。

マガンというのはほんとに美しい鳥。雪と羽の色のコントラストが絶妙です。
以前隣町の渡り鳥の越冬地、蕪栗沼で聞いた「ガンはね、一生一夫一婦でとても仲いいんですよ」とまるで
雁の家族の一員のようにように雁が好きで話やまらない娘さんのことを思い出しました。

 

この白鳥や雁の姿を田んぼや頭上で見なくなったら本格的な春の到来です。