田舎暮らしを支えてくれる人達たちーよっちゃんー

夕方、畑で花切りの真っ最中、近所のユミちゃんが、またその近所のヨッチャンを連れてやってきました。
花が大好きなヨッチャンは、うちの畑の花がどんだけ咲いているか見たいので、ユミちゃんに頼んで車で連れて
きてもらったそうです。

来てすぐ、ヨッチャンは花を見るより先にワサワサに大きくなった夏ミョウガを見つけました。
「なってるかちょっと見てみっから」
うちのミョウガは出ている範囲が広いのです。大きく育って葉がワサワサになってたくさんのミョウガが出てる
と思うけど、毎年採ったことありません。誰も食べないし、採って売るのも面倒だから。

ヨッチャンはそういうのが見逃せないんですね。
筍でも蓬でも採れるものは全てちゃんと採って保存する、というのがヨッチャンの信条のようで、それは自分の
うちのものでも人のうちのものでもミョウガはミョウガで放ってはおけない。

ということで、「見てみっから」が「採ってけっから」になり、ミョウガの叢の中に入って出ているミョウガを全て
採ってくれました。そして「おれは要らない」と置いていったのが、このミョウガです。

放っては置けないので、きれいに洗ってお客様に食べていただくことにして道の駅で販売。
今日は完売しました。
ありがとう、よっちゃん。よっちゃんのおかげでみょうがを無駄にしないで済みました。

蓬が出る時期にも、うちのお餅用のヨモギを摘んでくれます。

よっちゃんはご主人も子供さんも病気で亡くなったので、一人で暮らしています。一人だけれども近所の人
とか親戚の方の協力でたくさんの野菜を作って、梅干しや漬物など漬けます。そしてそれをわけてくれます。
勿論好きな花もたくさん植えていて、家は花に囲まれています。
2、3年前、突然動けなくなる病気になって、心配しましたが見事復帰しました。

退院してくる前も今も同じですが、一人暮らしで運転もできないのだけれど、買い物でも温泉通いでも、
お芝居を見に行ったりすることでも、よっちゃんは不自由がないように見えます。

近所の人たちや親戚の人たちが、何かをする時、どこかへ行く時、よっちゃんを誘って連れて行くからです。
温泉帰りでツルツルの顔で、道の駅でばったり会ったりする時、「なんだ、よっちゃん、私より優雅じゃん」と
言ったりするのですが、こうして一人で暮らしていても病気になっても周囲の人との連携で質素に暮らして
いけるというのが、こういう地方の小さい集落のすごいところだなあ、と都会者の私は感心します。

よっちゃんは人にどこかへ連れて行ってもらうのを、まったく悪びれません。
「連れてけー」と全く普通に言う。そして、周りの人が困っている時には留守番でも農作業の手伝いでも
「やってけっから」と気軽に手伝ってくれます。

うちの場合は、畑に苗を植えてもらったら、50メーターくらいの畑でも全然休まず中腰のまま植えてしまう。
くんたん焼きは素晴らしく上手です。よっちゃんは農業のプロなんだね、と思わせられます。

食べ物は、自分が食べないでも無駄にするのは気持ちよくないです。
今年はよっちゃんのおかげで、夏みょうがを無駄にしないで済みました。

さっき、お礼に畑の花をお墓に飾れるようによっちゃんちに持って行ってきました。
よっちゃんは小さい愛らしいような花はきれいだとは認めません。「ふーん、こんなちっちゃいの、きれいでない」と 言うので、間違って出てきたような大きい花ばかり集めて花束にして置いてきました。
きれいだなーと喜んでいた。

 

 

 

 

 

伊豆沼で蓮の舟に乗りました。

お盆です。

忙しい花切りの合間を縫って、絶対見たい蓮沼に行ってきました。見たいだけではなくて蓮の舟に乗りたい。
あの不思議な感覚は、他では体験できない、蓮の花に覆われた広大な沼を舟で周らなければ得られないと
思うので。

極楽浄土でございます。

どこまでもどこまでも続いています。今年は例年より花が多いそうで、東京ドームの約10倍あるという伊豆沼の
8割から9割蓮の花で覆われているそうです。
この蓮の沼がここには、3つもあります。伊豆沼、内沼、長沼といいます。
冬は白鳥や雁の越冬地であり、ラムサール条約の指定地であるので、蓮を持ち出すことはできません。

すごいなあ! すごい、すごい、今年はすごいわ! が止まらない。

こうして船で水路を作って進みます。

まだ蓮がさほど大きくないので遠くまで見渡せますが、もうじき蓮の背丈が高くなって2メートルもそれ以上も
なると展望は林立した蓮の茎ということになります。

船頭さんが言うには
「蓮が大きくなると、迷子ちゅうか、どこにいるのかわからないような気持ちになる」
この蓮は自然のもので植えたわけではない。風に弱いので10年前の台風では全滅したが根っこが活きている
ので10年かかってこうなった。

「もっといっぱいの人に見てもらいたいですねえ。こんな素晴らしい景色は」と私。
「日本中、いや世界でもこんなにたくさんの蓮が咲くところはないと思うよ」船頭さん。
そう船頭さんが言ってもおかしくないような光景です。
「もっと宣伝するからねえ」
「宣伝してください。栗原市は宣伝が下手だからもっと宣伝してたくさんの人に見てもらいたいなあ」
と船頭さんが言ってますので、是非ごらんください。東北新幹線ならくりこま高原駅から車で20分くらいかしら。
それから船頭さんが言うには、是非とも船に乗ってもらいたい。乗らなければこの素晴らしさは分らないと思う。

それから白鳥は蓮根が大好きなので、北帰行の前になると栄養をつけるために湖面にお尻を突き出して
逆立ちするようにして蓮根を食べる。だから白鳥が食べたとこは減っちゃったの。ごめんね。

ということでした。

乗船場のすぐ上にバードサンクチュアリかな。鳥など見られる施設があります。
そこからの眺めです。

 

 

さて、大急ぎで畑に戻ってお盆用の花束つくりです。
切っては束ね、切っては束ね。

花束作りの傍らで進めているのは秋のパンジーの種蒔き。

その傍らではハボタンが育っています。

今日も今から花束作りです。
終わって帰ってくるとヘロヘロになってます。
さあ、がんばっぺ!

 

キャスナー先生への手紙

昨年の東北大震災後、2か月ほどの時、アメリカ人と結婚してカリフォルニアに住んでいる従妹を通じて
サンディエゴにあるマウントカーメル高校の先生方や生徒たちみんなで作った被災地を励ます動画が
送られてきました。校長先生はドーン・キャスナーという方です。

マウントカーメル高校の生徒たちほぼ全員が参加して作った動画のようで、大きな垂れ幕にガンバレガンバレ
と書いてありました。サンディエゴでも大きな山火事があった時に家が被害にあった生徒たちは仮住まい
を余儀なくされたそうです。

どこかに送って見てほしいとは思ったけれど、その頃はまだ学校が再開されていなくて、先生も生徒も
学校に戻っていませんでした。
で、知り合いに頼んで大崎タイムズを紹介してもらい、大きく新聞に載せていただきました。

その後に大崎タイムズの報道写真集にも掲載されたので、マウントカーメル高校のみなさんが送ってくれた
励ましの言葉は後々まで残ることになりました。

そのことをキャスナー先生にお知らせしたい。みなさんにお礼を言いたい。
と思い続けて1年。写真集を送りたい気持ちはあるのだけれど、英語で手紙というのがどうしよう。
グズグズグズグズして、遂に決心して日本語で手紙を書いて、新聞バッグや手拭いとともに送りました。

でも日本語の手紙をそのまま送るのはなんとも失礼な気がして、書きました。どなたか日本語が解かる方
に翻訳していただいてください、と英文で。
でもやっぱり丁寧な形では書けなかった。遂に諦めて娘に書いてもらって自分でタイピングしました。

そうしたら普段パソコンでローマ字変換ばかりしているものだから、英文書くのに間違ってばかり。
単語のスペルさえ出てこない。
きのう老化のことをここに書いたけど、やらなければこんなに忘れるものかと愕然としましたね。

 

若い頃、アメリカ空軍の戦闘隊のオフィスでコンピューターの仕事をしてました。上司はアイルランド系とか
ドイツ系アメリカ人とかチェロキーインディアンとか。同僚は日本人の女性数人と後は兵隊で普通の日本の
事務所のように普通に仕事をして普通に昼休みにおしゃべりしたりしてました。ベトナム戦争の前のことで
その頃のみんなとの思い出は私の胸の中にしまってます。
その後に入社した会社は外資で、その時代、まだ翻訳が間に合わず書類も英文でした。

そうやって働いて給料もらって暮らしてきたのに、ぜーんぶ忘れてしまっている。

 

この間東北村の会議でプロダクト活性のMさんから「戦後のことなど話してほしい」と言われて超ビックリ
しましたが(語り部は人がやるもののように思い込んでいました)、考えてみれば、私が幼かった頃の
戦後の暮らしや、基地内での仕事のことなど知っている人が少なくなっているということですね。

 

キャスナー先生に手紙を書いたことで、もうちょこっと英文を書いてみようかという気になってます。
書いてみたら楽しかったから。

 

 

 

 

年齢と向き合うということ

今日、ロンドンオリンピックのメダリストの会見でハンマー投げの室伏選手がテレビで話してました。
その話を聞いていて、「うーん、私と同じだ」と思った。

私がハンマー投げの練習をしているということではなくて、「年齢と向き合うということ」で。

室伏広治選手はアテネ大会以来2大会ぶりの37歳でのメダル獲得だそうです。
37歳といっったらやっぱりスポーツ選手としては年齢が高い方ですね。若い選手よりももっとたくさんの
身体の準備とか、ハンマー投げを続けていくための工夫をしなければならない。

で、室伏選手はその時間をこんなふうに言ってました。
「年齢と付き合うのは楽しい」
「可能性を探すのは楽しい」
この大会に出るまでの時間を「意義深い4年間だった」

年齢が進むというのは筋肉が硬くなる。足が遅くなる。瞬発力が弱くなる。バランス感覚も変わってくる。
そこのところをどう付き合ってどうクリアしてハンマー投げを続けるか。

そうなんですよね。私も同じようなことを思います。
朝5時から起きて草刈ってお餅のお仕事やって、海山ネットのメンバー仕事をやり、花の生産者で畑で暗く
なるまで花を切り、ご飯の支度もしてパソコンもやって本も読むみたいなことやってますが、年齢は70歳です。

友達や知り合いから「身体大丈夫? 身体壊さないでね」としょっちゅう言われてます。

でも体はどこもなんともありません。ただ室伏選手と同じでいつも自分の体を気にかけているというか、見ています。ここまでは気力でやれるとか、途中で寝なきゃダメだなとか、食事は多く食べてはいけないし食べなくてもいけないとか。自然に自分の体が保てるような時間の使い方をしてます。
全然風邪もひかない。だから自分が病気になった時は分り易いし、受け入れやすいかもしれないです。

で、それでわかるのは老化を老化のまま受け入れたら、動けなくなるだろう、ということ。少しずつでもできる形で動き続けているから動いていられるんだなあ、と思います。

バランス感覚が変わってくる、というのは気がつかなかった。

この7、8月、北アルプスで亡くなる人が多いですよねえ。槍、穂高、白馬岳などで7月20日頃から8月初めまでの
間に5、6人の登山者が滑落して亡くなっている。全部65歳半ばから70歳半ばまでの女性が多い。男性少し。

70歳を過ぎて北アルプスに登られる実力は凄いなあ、と思うのですが、東北に較べて山小屋の整備が良い北アルプスでも2、3日の行程だったら女性でも10キロから15キロくらいの装備は背負うでしょう。
私たちの年代でさほど身体が大きな女性は少ないです。
山に登り慣れてても、年齢でバランス感覚が変わるとすれば、重い荷物でバランスがとれなくなるということが
あるのかもしれない。下りでは身体よりも重い荷物のほうが先に落ちていきそうになりますから。女性は特に。

というようなことを今日は室伏選手の話を聞きながら考えさせられました。

70歳になっていろんなことができるのは、周りの若い人たちが年齢に関係なく仲間として受け入れてくれている
からです。私の元気はそのおかげがとても大きいと思います。若い人たちに感謝しています。

 

 

 

東北に遊びに来てください

お盆が近づいてきました。
毎日、夕方には畑で花切り、花束つくりに追われています。

先日、道の駅で隣町鳴子温泉の旅館の方とお話ししました。
「土曜日だけどお客さん少なくないですか?」と旅館のRさん。
「少ないんですよ。夏休みとは思えないですね。暑いからですかね。どうですか鳴子温泉は?」

と尋ねたら
「お客さん、少ないですねえ。これから来年にかけて自分たちがかつて経験したことのない状況になるんじゃ
ないですかね。この先も景気が上向くということは考えられないでしょう。だってよくなる条件なんて何もない
ですから」
と言われ、気持ちがシーンとなりました。

そう、よくなる条件なんて今私も思いつきません。
難しいなあ。でもやらねばならん、ということなら新聞バッグも含めていくらでも思いつく。

大震災から1年半経って、とても難しい状況になってきているな、と実感します。
これだけ東北の観光地に人が来なくなって、また放射能も合わさって、売り上げが落ちるやら営業ができなく
なったりする中で(南三陸へ行く途中の町の中でガラス戸に「放射能が原因で閉店します」という紙が
貼り付けられているお店を見ました)政治家の人たちは毎日何をやっているんでしょうねえ。

昨日の日曜日いったん聞き出したら止められなくなって車のラジオで日曜討論聞いてました。
一体あの人たちは消費税を上げることをなんだと思っているのか。

そういえば今日夕方南三陸の小野寺さんから
「菊、売れました。今日農協に出した分も合わせて完売しました。ありがとう」と連絡がありました。
菊の値段も震災前の値よりも落ちてました。小野寺さんの菊が安くなったのではなく流通での相場が
下がってます。

単純に難しいこと考えないで、全国の人が東北に観光に来てほしいなあ、と思います。
今はというよりもこの先数年はですが、被災地には見どころみたいなものはないですが、自然は春夏秋冬
美しい。

東京から来るお客さんには今度はどこを見せようかな。
栗駒山に連れて行こうかな? 伊豆沼や長沼の蓮の花の中を遊覧する船に乗せようかしら? それとも
鳴子温泉を越えて最上川まで行ってみる? 平泉で世界遺産の中尊寺を見る?
ちょっと考えるだけでも案内したいところはいくらでも出て来ます。

なんてことを夢想しつつ今日も花切りをしてました。

 

 

 

 

菊そして潟沼

人のブログ読んで喜ぶのもなんだけど、さっき、海山ネット代表のよっちゃんなんばんドタバタ日記を
読んでホッ!

菊のことです。

一昨日南三陸の志津川菊栽培者の小野寺さんから電話があり、「もう少し菊があるんだけどどこか
聞いてもらえないか」と頼まれてました。昨日、今日あっちこっち声をかけていたので、「よかったァ!」
関西でたくさん買って頂けるなんて想像もしなかったけど、ほんとよかったです

菊を買ってくださった方、ほんとにありがとうございます。
小野寺さんは昨年津波で家も菊畑も全部流されて、今は仮設住宅で暮らしておられます。去年は鳴子温泉に
避難されていたので、よっちゃんのお父さんと私は菊の栽培を習いました。

今年は畑を借りて菊の栽培を再開されることになり、早春から借りた畑を一人で耕して、苗を植え、
ようやく出荷にこぎつけられました。勿論志津川菊として東京市場などには出荷されますが、少し葉やけを
した菊があり、それは出荷はできないのでバラとか束で販売を希望されています。

お仕事はされるようになりましたが、まだ仮設住宅を出る目途などは経たない状況だと思います。
もし購入希望の方がおられましたら、下記までご連絡ください。見事に立派な黄色の輪菊です。

omochi@uminote-yamanote.net

暑くて食欲も出ないので、娘とうちの4歳と一緒に鳴子温泉で昼ご飯を食べて潟沼に行きました。
お客さんは少ーし。ボートに乗ってる人もいて、風が吹き渡って静かです。
ここのお茶屋さんがいつも面倒見ているカモの親子。
お茶屋さんは11月には閉まります。それからは動物たちの世界。

風で吹き寄せられるように動く波紋を見つめていたら、座っている自分が動いているような錯覚が・・・。

のんびりお昼の時間を遊んで帰ってきたらすぐ、大急ぎで畑着に着替えて虫よけを体中に振りまくって
畑で花切りの始まり始まり。暑くて汗だくになりました。

5時半になったら、花切りを止めて家に帰ってまた着替えて、今度は道の駅の売り場掃除に。
なんとも暑くて忙しい1日でした。
でも潟沼はきれいで楽しかったです。家から30分ほどで行けます。

 

 

 

猛暑

今日から朝5時から草刈りをすることに決めて、その第1日目。

ちゃんと5時に起きて即刻庭へ。もの凄い草と蔓。山アジサイなんか葛に覆われてしまって花が見えません。
植えた覚えがないねむの木が自分の場所を得たような顔でしっかり丈を伸ばしてます。クワの木もいつの間にか
大きくなってます。どっちも伐る。

蔓を引っ張りおろして樹木の下草を鎌で刈って、平たいところを機械で草を刈って1時間。
がんばったんだけど、あまりきれいになったようには見えない。
終わって今度はお餅の仕事。

今日から1週間くらいこの作業を続ければ少しは草だらけの庭もさっぱりするだろう、とは思うんですが、
なんで夏草というのはこう伸びるんだろう。

毎日朝は薄曇っていて、もしかして今日は曇り?なんて期待しては裏切られてばかりいたのですが、今日は
ほんとに期待どおり1日曇りで、動き易くて助かりました。

いつもだったら夕方から始める花切りを今日は3時からはじめました。

千日紅ですが、スロベリーフィールドという意味不明の品種名がついてます。千日紅という名前どおり、切っても
切っても花が咲いてきて、霜が降りるまで咲き続けます。私も切り続けます。

千日紅の次はアスター、おみなえし、りんどう、と切り続けたところで、うちの4歳が娘に連れられて
じゃがいも掘りにやってきました。今度は私こと「ばーちゃん」はじゃがいも掘りにつきあいます。
上のほうに出ていたじゃがいもは何かの動物に齧られています。じゃがいも食べるって何の動物だろう。
狸、熊は食べないよねえ。かぼちゃも半分くらい齧られたりするんだけど何が食べるんだろう。
ねずみかなあ。

普通の花の籠ケースの半分くらいの小ケースに、じゃがいも、トマト、ピーマン、ちっちゃいスイカを
彩りよく詰めて、仕事から帰ってくるお父さんへのお土産を作って終了。
あとこの頃蛙を捕まえられるようになった4歳の孫は、小さいの、ちょっと大きいの、と蛙を7匹捕えて
ペットボトルに入れて帰ります。
帰ったらたらいの中で泳がせてから逃がすというのが日課です。

花束を作って、忙しかった今日の仕事も終了。
毎日暑いけれど、冷房をかける必要はなく、夜が涼しくて眠れるのでバテずにがんばれています。

 

 

なんか、元気なくすわー。

オリンピックでの日本人選手の大活躍、毎日元気をもらえてますが、今日、昼間に買い物に行って
なんか、元気なくなりました。

今って夏休みじゃない?
と自分を疑いたくなるくらい人が少ないんですよねえ。
道の駅も明らかに人が少ない。子供さんは少ないと思う。

暑いからかしら?
みんなおうちでオリンピック見てる?
もしかして放射能が嫌だから東北に人が来ない?
高速道路料金が割引じゃないから?
どれも少しは当たっているかもね。

東北でも少数だけど除染して海開きした浜があります。が、わざわざ除染した海辺に子供連れで来るファミリーは
少ないかもしれない。

なんてことを考えていると元気なくしてくるんですが、今日町に古くからある小さなスーパーマーケットに行ったら、
なんだかもうやっぱりダメだなあ、と思ってしまった。
前にも書いたけど、このお店は魚が多くて、新鮮で安いというところが魅力だったんですが、その魚の種類が
めちゃめちゃ減ってしまった。魚の流通のことはよく解かりませんが、これだけ減るということはどういうことなんだろう。

やっぱり港に船が寄港しなくなった、できなくなったということですか。以前のようにたくさんの漁船は入れないとか。
港に船が入っても加工工場がないとか、市場の機能が回復しなくて売る買うの状況にないとか。
全部私の想像で、勉強不足で正確なことは何もわかりませんが、でももしこのお店が営業を続けていくことが
できなくなる日が来るとしたら、こういうお店をなくしていいのかなあ、ととても残念に思います。

私が住むこの小さな町にもちょっとした都市ならどこにでもある大型スーパーが2店あります。生鮮食料品から
チーズ、ワイン、高級レトルトカレー、パスタソースと何でも揃っていて買い物に不自由はありません。        でも並んでいる商品に土の匂いはしません。デパ地下と同じ。洗い上げたような野菜に、調理されてパック詰め
になった魚。調理に手間はかからないけど、海の匂いも潮の香りもしません。

でも今日私が行ったお店の魚は海からきた魚そのものでした。アサリやシジミも発砲スチロールの箱の水の中に
入っていて、時々ピュッと塩水吹いたりする貝をオタマですくって自分でビニール袋に入れてました。
その貝が置かれた様子で、貝がこういう性質のものなんだと理解できます。

私たちは日々食品を買うけど、その食品の生まれた背景を知るのは大事なことだと私は思います。
野菜の自然、海の魚や海藻や貝などの自然。
ぜーんぶデパ地下にあるようなデコレーション的な野菜や魚になってしまったら、私たちが食べるものが
どんなふうに生きてたのかさっぱり分からなくなってしまう。

ピーナッツは土に中に潜り込んでいってできるんだよ、なんて言ったら、落花生の一生を知らない人は
ウソかと思うかもしれないですね。

話が脱線しそうですが、今日行ったようなお店が衰退していくのを見るのはつらいです。
私はできるだけ買い物に行くので、がんばってほしいと思います。

 

 

姫胡桃

植えて10年のヒメクルミの木。木だけがやたらに大きくなって実が成らないので、今年は半分くらいに
伐ってやる、と思っていたら、「まずい!伐られる」と思ってか遂に成りました。
でもクルミというのはなかなか成熟しないというのか、いつまで経っても枝にくっついていて落ちません。
実の重みでだんだん枝が垂れ下がってきて、車の屋根に届きそう。いつ落ちるんだろう。

この2、3日は南三陸の小野寺さんの菊の心配をしていたけれど、畑に行ってみたらうちの花も切り時を
迎えてました。菊、アスター、千日紅。といっても千日紅だけでも3種類あります。

ついこの間まで伸びない、伸びないと言っていたのが、ちょっと見ない間に千日紅など今切らないとまずい、
という状況になってきてました。切り遅れると柔らかい茎が曲がって切るのも束ねるのも倍手間がかかります。

この暑さでは、日中は花は切れないので、早朝か夕方温度が下がってからが作業時間。これから先はどこに行っても夕方にはまっすぐ畑に行って花を切るというのが日課になります。千日紅は霜が下りるまで咲き続けるのでけっこうきついです。気持ちが追われて。
今日は試しに千日紅と小菊とアスターを少量ずつ切って花束を作りました。

今日、大崎観光公社さんより、先日鳴子温泉のホテルで新聞バッグ作りの講習をした中国国家行政学院公務員
訪日研修団のレポートが送られてきました。日中会館のHPです。
何枚かの写真の中に、公務員の方たちを前にして新聞バッグの説明をする海の手メンバーayaさんの写真が
ありました。

なんだか嬉しいです。

私たちのような小さなグループにこんなチャンスを与えてくださった関係機関に改めて感謝します。

 

 

 

お餅のはなし

暑いですねえ!

この山の中に居ても「アツアツ」言ってるけど、南三陸の仮設住宅住まいの小野寺さんが「仮設はアッツイよー!」
と言ってましたっけ。
天井が低いし、床が地面にくっっついているようなものだから暑いでしょうねえ。
クーラーがついていたけど、あの狭さでクーラーつけていたら、体おかしくなると思う。

菊のお花の件、皆様方のご協力のおかげで、大体の行く先が決まりました。
今年のお盆は花は豊富なんだそうです。

ともあれ小野寺さんが復活されたこと、ほんとによかったと思います。

今朝は海山代表よっちゃん農場に、お餅のことを調べたい学生がみえるというので、私も同席しました。
隣の集落の農家息子さんで、大学を卒業したら農家を継ぐ、ということなので楽しみです。
家で次ぐ仕事があるっていいですねえ。

お土産にと大学で作った、加工食品をいくつか頂きました。
ジャム、とかトマトピューレーとか、焼肉のたれとか。こういう食品を学校のお勉強の中で作るなんて
楽しそう。

お餅に関して言うなら、

私はお餅を作り始めて10年近くになりますが(それまではお餅には全く縁がなかった。お餅はお正月
に食べるものだ、くらいに思ってました)、お餅というのは食品として大変優れもんだと思います。
けれどその生産の仕事は地味で、お餅を扱うのはなかなか難しいです。お餅という食品の性質が
難しいのです。どこまで行っても「わからないなあ」と頭をひねってます。

優れている、と思う理由は
おもちは少量でも食べれば満腹感があります。
災害などの備蓄食品として利用すれば、お米の30キロ袋よりも家庭で置きやすいと思う。
ラーメンをため込んでも、家族4人で1週間なんて、置けないし食べられないです。レトルト食品などは
お皿が汚れて、後の手間がかかる。
醤油や味噌やきなこ砂糖,など家に常にある食品を利用すれば主食代わりにもおやつにもなる。

それから携行食品としてもいいんんじゃないかと思います。
私はここに住み着くまで、山歩きをしていましたが、お餅を持って行って、網で焼いたりお湯で柔らかくして
きなこ餅にしたりラーメンに入れたりしてました。バーバキューで焼いてもいいし、アウトドア食品としても
優れもんだと思います。

というようなことがあんまり認知されていない。
それと黴びるので、そこをなんとか適切に工夫しなければならない。
かびさせないために水分をなくすと、パサパサして美味しくなくなります。

いろいろ難しい点はあるけど、餅米は今新しい品種がいくつか出てくるようですから、青青とした田んぼを
保てるように、お米の食文化をもっと盛り上げるように、がんばってほしい、とお話ししました。