初めてづくし、二日目

初めて泊るカプセルホテルの朝食は部屋から出てラウンジで。

普段ホテルで食べるメニュー満載の朝食バイキングをもっともっと簡素にしたような、でも
温かい数種のパンやミルクやハム、卵、野菜、必要なものは全て揃う朝食でした。

ぐっすり眠ってシャワーを浴びて必要な食事が食べられればそれで充分。
昔那須の修道院の宿泊所に泊って感じた過不足のなさを思い出したカプセルホテルでした。

 

毎月第2土曜、日曜日に開催されるという太陽のマルシェ。
どんな市なのか全く知らないのですが、6000個の卵が2時間で売れるという話をテレビで
聞いたことがあります。
だいたいどんな卵だったら1日で6000個も売れるのか。

その現場を見たいので、10時オープンのところを9時には到着して見聞することに。
9時、現場に到着したらもう卵を待つ人の長い行列ができてました。
行列を整理する係りの人の配置もされています。

 

場所は勝鬨駅前の児童公園。太陽のマルシェという名前から想像していた大きなものではなく
物販ブースとワークショップブースとキッチンブースが寄り添う白いテント屋根が連なる
こじんまりとした市でした。

児童館

その角の端っこに位置して件の卵ショップ。栃木の卵屋さんで3種類の卵があり、今日の卵は
8千何百個とかの凄い量。販売が始まってどんどん行列が動くかと思いきや、そのスピードは
ゆっくりゆっくり。これほど並んだ長い行列でも、次から次にお客をさばく売り方ではなく、
卵を買う人の各々に対面販売しているのが見てとれました。買う量にも制限があって1人
2パックまで。。
これはある意味凄いことで、3時間も並ぶ長蛇の列を前にすると、待たせてるという脅迫観念に
動かされて、行列を流す、さばく、という売り方になりがちなのですが、ここにはそれがない。
8千何百個かの卵は3時間かけて完売になったと思います。

この石市の主催は月島一帯を開発する住宅開発会社で、目的は市の売り上げではなく、
増すシェを開催することによる町の活性化で、もう4年継続されているとのこと。
場所は築地に近く、昔息子の入院で聖路加国際病院に毎日通った頃とはすっかり
町の様子は変わってしまって、数十階建ての高層住宅ビルが林立する住宅地に
変貌していました。

お客の年齢層は若年から年配まで。ベビーカーの赤ちゃん連れから子供連れ、小さい
犬を連れた人が多いのが目を引きます。
昔はペっと禁止のマンション住まい。今はペット可が主流になったここならでの
生活風景でしょう。

ベビーカーに乗っているのは赤ちゃんだけではなく、立派なベビーカーならぬドッグ
カーに乗せられた小型犬が多い。むくむくの大きなチャウチャウが可愛いベビーカーに
納まっていました。

 

お店の様子はやはり東京風。陳列もポップなどの告知方法も洗練されています。
それなりの審査はあるのでしょうが、売り手さんは全国対象。外国の方も多く見られます。
販売物は野菜、乾物、お菓子にワイン、パンなどなど、宛がいの什器は同じでも売り方は
それぞれで工夫されています。

お茶詰め放題1000円。

なんでもかんでもピクルス。

ぜーーんぶベーグル。ポップが面白い!

実に刺激的な直売市で、多くを学ばせてもらいました。

 

マルシェの後は恵比寿のガーデンプレイスでお洒落雑貨の勉強をするつもりでしたが、
時間不足で、大震災以来7年間も新聞バッグの注文を頂いているギャラリーまあるさんに
ご挨拶に。いつも変わらず画廊の片隅に新聞バッグとよっちゃんなんばんを置いて
くださっています。

とても刺激的かつ勉強になった2日間でした。
お母さんのような年齢の私を連れ歩いてくれた野田さんに感謝です。

 

 

 

初めてづくし

今日から東京。

今回は先行した野田さんと一緒に、自分の用事も含めて、野田さんの用事と月島で
毎月第2土、日に開催されるという太陽のマルシェを見聞に。

野田さんとの合流地点は有楽町駅前。
新幹線から山手線を乗り継ぎ、有楽町の改札を出て待っていると、なんと野田さんが
駆ってきたのは真っ赤なBMB。私の疲労を配慮してくれたのか、レンタカーを借りる
とは聞いたけど、これまで乗ったことない派手車。
乗ってしまえば外は見えないからいいのですが・・・。

最初の訪問先は、野田さんが探しておいてくれたグリーンのお店。
ここにはハーバリウムというビン詰め加工の花&グリーンを見にきました。
店内にあるグリーンや花は、あまり他では見られないものばかり。
店におられた男性にお話を伺うと、なんとハーバリウムを最初に作られた方でした。
今ではどこででも見られるけれど、最初はずいぶん苦労されたとのこと。
初めて行ったお店で、こんな運のいい出遭いが得られて有難いことです。

ぎっしり詰まった乾燥花。
こんなに多種の花や実がぎっしり詰まったビンを見たことがないし、入っている実も
見たことがない。名前を教わったけれど忘れました。

私も庭や山にある花や葉や実をぎっしり詰め込んでこんなハーバリウムを作ってみたい。

岩出山に来て16年。
同じくらい、いやそれ以上暮らした東京湾岸地域、浦安、市川、船橋地域に向かいます。
私の用事は本籍地である市川市役所で書類を揃えること。
長年来の友達Tが市役所まで来てくれて合流し、野田さんとともに船橋のO氏宅へ。
O氏ご夫妻は陶芸家で、私が岩出山に来る前の数年間お世話になりました。
今私が住む集落にあるO先生の別荘を野田さんに貸して頂くことをお願いし、ひとりひとり
立派なお茶碗を頂いておいとましました。

夕食は上野で。
若い男性の野田君と一緒なので、中高年女子同士ではまず行くことがない飲み処と食べ処が
一緒になったような大きな食事屋の一番奥のテーブルに席をもらってほぼ2時間、飲んで
食べてたくさん話して楽しい時間でした。

しかし混んでます。入れ替わり立ち変わりほぼお勤め帰りとおぼしきサラリーマンやら
女性たちやらでお客が途切れることがない。もう時間ですよ、と追い出されることもない。

喧騒うずまくお客の間を縫って、唄を歌う女性や、ギターを弾く男性や、手品を見せる
男性の姿が見えます。昔からある流しのお仕事だと思うけれど、いまでも続いているのかと
驚きました。

そして野田さんが予約してくれた、おっかなびっくりの今夜の宿。
普段はホテルを予約するのだけれど、野田さんがやってくれるというので任せた今夜の宿は
たぶん私の推測では今はやりのカプセルホテル?

カプセルホテルってどんなところ?
犬のケージみたいな丸いカプセル状の宿泊部屋が並んでいるのかと思ったら、全然違いました。
ホテルのように1個室ではないけれど、小さい空間に清潔なベッドと全てのサニタリー用品も
パジャマも用意されたまったく問題ない宿泊場所で、気に入りました。
共同使用のシャワールームもレストルームも数は充分で不自由なし。個室空間が狭いので
仕事をしたりお茶を飲んだり寛ぐのはラウンジで、ということで当然若い人が多いし、外国人
も多い。というような進化したカプセルホテルに初めての宿泊体験でした。

ビジネスホテルの半額くらいで泊まれるこの手の宿はこれからどんどん増えていくのではない
かしら。ただこういう宿泊場所を知る機会もないシニア年代には、周りが若い人ばかりと
いうのはちょっとつらい。
おそるおそるでしたが、この年ではちょっとできない体験を野田さんにさせてもらいました。
実に面白かったし、楽しかった。

明日はもうひとつの目的、太陽のマルシェを見聞に行きます。
1日6000個の卵が2時間で完売するのだという、その現場を見てみたい。
しかし人が2時間も行列を作って買うという卵は、どんな卵なんだろう?

 

 

スキー・キャンベル先生講演

土曜日の朝は快晴。

温度もそれなりにあって、絶好のスキー日和。

もう一度行きたい、と孫にせがまれていたスキーに行くことにしました。

スキー場は前回とは違って、我が家から30分ほどの鳴子温泉の奥、上野野スキー場。

小さいけれどちゃんと2本のリフトを備えた、ファミリー向きスキー場です。

道の駅にお餅出荷後、孫と花のおじさんも一緒に上野野へ。

鬼首スキー場に行くと言っていた野田&オサム君も来てくれてました。

ということで本日の孫のスキーは野田&オサム君&おじさんの3人にガードされての

超ぜいたくな第2回目のスキー練習となりました。

野田&オサム君に付き添われながら滑ってきます。

野田さんに続いて少しづつサマになってきました。

リフトに乗れないので、短時間で汗びっしょり。
リフトに乗れないので、滑るより歩いて登っている時間のほうが多く短時間で
お疲れの様子。

午前中で終了。
またお天気がよい日に第3回目の練習に来ます。

午後はロバート・キャンベル先生の講演とキャンベル先生×芥川賞作家、朝吹真理子氏
の対談を聞くために鳴子公民館へ。

公民館は聴衆でいっぱいでした。宮城県の奥の鳴子温泉に仙台や遠くは東京からも
キャンベル先生の講演を聴きに来る方もいるのだとか。

キャンベル先生の講演は昨年の同時期にも行われましたが、先生が何度も仰るように
この講演会の始まりは、大震災後に先生が鳴子温泉に避難中の沿岸部の被災者の方々と
ともに開かれた本を読む会「読もう」。
私はその第1回目からの「読もう」の参加者でした。

アメリカ人であるのにその日本文学への理解の深さにも驚かされましたが、なによりも
決して人の邪魔をされない先生のお気持ちの優しさに感じ入った「読もう」の時間でした。
残念ながら重い感染症にかかられて「読もう」は中断しましたが、すっかり回復されて
お元気な様子のキャンベル先生の講演を拝聴できるのは嬉しいことです。

第2回目の講演会の今回のテーマは「温泉と読書」
対談相手の朝吹真理子さんには未発表の新作の著書のある部分を朝吹さんご自身の朗読で
聴かせていただきました。
普通の話す声とは全く違う朗読の声にびっくり。
囁くような耳をそばだてたくなるような密やかな声。

講演の時間が終って、6年ぶりくらいにキャンベル先生とお話することができました。

振り返ると大震災後のどさくさとはいえ、私は先生に復興のためのスローガンのような
言葉の翻訳をお願いしたりして、本当にお世話になりました。
お話できてほんとうによかった。

先生はこの先も鳴子温泉との縁をつないで、温泉や文学を通じてお力添えくださるとのこと。
またお話を聴かせていただける日が楽しみです。

 

 

2月

新しい年になってもう1ヶ月も過ぎて2月。

外の様子はあまり変わらない。
ここの雪は例年根雪になることはないのに、今年は家の周りも根雪になって
大山小山。凍り付いてガチガチ。
猫のシロリンは自分の巣にひきこもって全然出てきません。ホカロンが入って
水も餌も傍にあるので、首だけ突き出して餌食べてたりしてます。

今朝の空。朝焼け。

2月になって変わったこと。

大震災直後、福島から鳴子に避難してきた時は小学生だったアカリちゃんが、この
春には東京で大学生になり、3人の子供を福島在のご主人と共に大学に送った上條さんは、
大役を果たして鳴子のたまご屋さんを辞し、道の駅に入社しました。

入れ替わりに道の駅の仕事を終えた野田さんは、かねてから計画中の自分の仕事に
向かって動き出します。

何事も永久に続くということはなく、こうして日を重ねながら事態は動いていくことを
実感する2月の始めです。

3月になったら花の仕事やら新聞バッグ講習やらとスケジュールが詰まりそうなので
今年の春には思い切って行こうと決心していた眼科に行くことにしました。

だんだん見えにくくなってきた私の老眼。
前回の免許更新時もだいぶ苦労したので、次の更新は更なる苦労を強いられること必至。
この見えにくさは白内障だろうと勝手に決めて、2年前に眼科に行ったら、メガネを
替えるようにとの処方で手術には至りませんでした。

もし白内障なら手術を受けて見えるようになりたい。
けれども昨今白内障の手術を受ける人はとても多くて短くても2ヶ月待ちとか。
今受診すれば4月頃には手術を受けられると踏んで、恐ろしさ半分見えるようになりたい
気持ち半分で、前とは違う眼科へ行きました。

噂には聞いていたけれど、ほんとうに優しい先生で、検査も全然痛くも怖くもなくて
晴れて白内障との診断をいただきました。あとは手術を待つばかり。

それで手術の日は?というと、なんと2月21日ですって。
ええッ、2ヶ月後じゃないんですか。なんでそんなすぐなの・・・。
ありがたいんだけど、心の準備ができてなくて戸惑うばかり。
「今ちょうど空いているんですよ。たぶん雪や寒さで空いたんだと思います」との説明。

伸ばしたところで必ずその日は来ると諦めて、手術を受けることにしました。

点眼薬で瞳孔が開いた目では運転できずに長時間歩いたせいもあり、頭の中を手術、
眼帯、安静、術後のゴーグル、麻酔などがぐるぐる回るせいもあり、へとへとに疲れた
1日でした。

歩きながら大橋から眺めた江合い川の雪景色の美しいこと。

手術を受ければこの景色ももっとすっきりくっきり見えるのでしょうね。
何より、眼鏡が要らなくなれば、ほんとうに嬉しいのだけれど・・・。

 

 

 

雪・雪・雪・・・。

晴れるか?
リビングの窓から見る朝日。

今年の冬は、実に厳しくて、毎日マイナス4度から7度の低温続き。

その上、毎日のように雪。それもちょっと降って翌日晴れて溶けてしまうという
雪ではなく、降る時は本気降り。みるみる20cmも30cmも積もって、除雪車が
来なくては家から出られなくなるうえに、低温のせいでまったく溶けず、とうとう
我が家の周りは道路も庭も圧雪状態になってしまいました。

こういう雪は数年ぶり。
生活面でもいろいろ不自由しています。

この状態で家から下の道路に降りようとしたら、タイヤが滑ること滑ること!
おっかなくて下りられなくなり、孫の学校へのお迎えは花のおじさんに依頼。

昨日も一昨日も娘と私に代わって近くの小学校まで迎えに行ってくれました。
都会では考えられないことだけれど、もともとここの子供たちは車通学。
降りしきる雪の中、校庭に入ってくるお迎えの車が次々に子供を拾います。

お迎えが来るまで、子供たちは雪のなかで、雪投げをしたり遊んだり。
なかなか車に乗ろうとしない。

道の駅はこんな状況です。

ただでも野菜が少ない道の駅にこんな状況ではお客様も足が向かないでしょうね。

そんななか私の状況はというと、20年ぶりくらいに持病勃発。
胸痛で2日間ほど動けなくなって、昨日は娘と婿さんに病院に運んでもらいました。

その途中の景色がこれ。
地吹雪でなにがなんだか・・・・。
かんべんしてほしいです。

薬局の人に聞いたら、まる3年ぶりの来院だとか。
3年前に来た時にはインフルエンザだったそうで、だいぶ長いこと病院とはご縁が
なかったという経緯から、先生の指示でレントゲン、心電図、採血までの検査を
受けました。

時間が経つうちに持病が回復してきて元気になりました。
今朝の温度はマイナス7度。道はガリガリに凍る温度。
珍しく少し緩んで今0度。今のうちにガソリン入れて買い物に行きます。

この強烈寒波、早く終わってほしい~!

 

 

 

 

2018年 スタート

お正月もあっという間に過ぎて、いろいろと2018年度が始る時期。

道の駅出荷組合花卉部会は1月半ばに宮城県農業普及センター大崎支部花担当の水戸氏と
初打ち合わせ。
次長さんまでご一緒に来ていただいて、ありがたいことです。

花卉部会の今年度の事業は、昨年から引き続いての菊の栽培。
仕入れをするよりも生産者で菊を栽培しよう、と始めたお盆用菊の勉強だったのですが、
菊は想像していたよりも気難しい菊独特の決まりごとが多く、栽培講習すること昨年だけで
5回。今年の春にもう1回採穂という大切な仕事が残っています。

3月末の採穂講習の前に、1年の事業方針を決める3月初めのミーティングからスタート。
新しい品種選びや、フラワーアレンジメント、ドライフラワーの研究などやるべきこと多々。
せっかく始めた部会事業なので、普及センターの応援を頂きながら、みんなで協力し合い
ひとつひとつ丁寧に現場作業を行おうと思っています。特筆すべきは、他直売所の
花部会と団体交流できそうなこと。これは楽しみ。

午前中の打ち合わせを終えた後、午後から出荷組合理事会の監査、及び理事会。
2月の組合総会前は理事会や部会が続きます。私の任期はあと1年。もうこの年齢だから
そろそろ終りにしたいところなんだけれど、事業が続いているので退き際が難しい。

この冬は雪も多いけれど、強烈な寒さが続いています。
先日から連日マイナス6度や7度になったかと思うと、この数日は快晴続きで積もっていた
雪がすっかり溶けてしまいました。

この晴れの土、日は野田さんも理君もついでに私と孫までスキー。
小3の孫は初スキー。クロカンやテレマークスキーは山でやっていたけど、ゲレンデスキー
をやったことない私は孫の付き添い。

野田さんはこの厳冬期に1700メーターの山に登るというので周り全員で反対したけど
彼は絶好調の天候の中、冬山初登頂に成功!
凄い!とは思うけど、無事に戻ってくれてほんとよかった!

その後の野田、オサム両名は蔵王でスキー。

加美町のやくらい山の麓に広がるやくらいスキー場。
春、夏は植え込まれた花々が美しいハーブガーデンだけれど、今はリフトも備えられた
ファミリー向きスキー場で、近隣のこどもたちがたくさん滑り遊んでいます。
小さい頃からの学校課目なのか、子供たちはスキーもボードもめちゃめちゃ達者。

初めてF先生からスキーを教わるわが孫は、始めはおっかなびっくり。
F先生の「楽しいことから始めよう」式スキーレッスンが攻を奏し、みるみるうちに100M
200Mと距離を伸ばして、ゆるい斜面を滑り下りてこれるようになりました。

最初。

形になってきた!

遠くの中央のふたつの点が孫。

これだけの距離を滑ってこれるようになったところで、終了。
鼻高々、意気揚々、だけれど、これだけの距離を滑っては登り、滑っては登りした
もので、相当お疲れの様子。
初スキーの楽しさは、F先生の指導の賜物。ほんとうに感謝です。

すっかりスキーが気に入った孫は次にスキーに行く日を楽しみししています。

ということで今週末は、家から近い鳴子のスキー場へ行って、私も10数年ぶりに
スキーを履いてみようかと思っています。

 

 

 

 

 

夏に冷菓を作りたくて捜していた和菓子の教室。

ネットで検索してうまいこと家から遠くない教室を見つけ出し、よし、1年間病気
しないでがんばろう、と気合よろしく申し込みしようとしたのだけれど、何故か
探しても見つからない申し込み先を、苦心して見つけ出してやっと申し込み終了。

生徒は先着4名のみ。
申し込み者が多いから、わざと判らなくしているのかなあ、と半ば諦め気分で
いたところ、昨日OKの返事がきました。
これで晴れて和菓子のお教室生になります。

葛の和菓子だとか水ようかんだとかを、岩出山には山ほどある青竹を利用して作った
器に入れて商品を作ってみたいというのが今の憧れ。

2、3日前のサントリーの新聞広告に倉本聡氏の写真とともに倉本先生の言葉が掲載
されてました。曰く「60代の若者たちよ、しまっておいた夢を取り出してみないか」

じーんときました。
60代の若者たちよ。83歳の倉本先生からすると60代はまだ若者かもしれません。
76歳の私からみても60代はまだ若い。

しまっておいた夢?
私の50代、60代は、年齢が大人になった子供の行方を見まもるのにまだ気がぬけず、
夫の退職後に開始した60代の田舎暮らしでは、新たに始めた仕事をしながら九州から
後を追ってきた私の両親の介護から見送るまでに時間を費やし、自分の胸の中に
しまっている夢があるかなんて考えたこともなかった。

でもあったのですよ、私の夢。
ここに来た時の私の夢は、田舎に住んでこじんまりとしたハーブ園をやりたかった。
植物に関って10数年、いろんな花を植えてガーデン作りに励みたいと思っていたけど、
時の経過で、独りでターシャ・チューダーさんのように庭仕事を続ける根性もなく、
植えたバラは年々増える蕨にとって代わられするうちに、いつの間にやら花から離れて
お餅屋さんになって毎日お餅をつく生活を送るようになってしまってました。

全然夢のとおりにはなってない。
でも胸の中に夢があったから、それがとっかかりになって世界が広がり、人と繋がり
動いて動いて、花も新聞バッグもお餅もお菓子も一緒になって今の日々の目標になって
いると思えば、60歳を過ぎて、さてこの先の長い時間をどうしようと考えたあの時間は
大切だったのだと今わかります。

時折り80歳を超えられた黒田さんのお母さんから折り紙や手作りの押し花などを頂きます。
どれもこれも生き生きとして、思わず嘆声をあげるほど素敵です。

このあいだ頂いたクマモン。

クリスマスにはサンタの折り紙もいただきました。
高橋よっちゃん、私、娘、由美さん。1人1人の特徴を捉えた押し花。

私はラベンダー。よっちゃんは筍、由美さんは稲穂。

 

80歳になっても黒田さんのお母さんのように、あげたい人のために作りたいものを
作れるような頭と体でいたいと願います。

倉本先生の「60代の若者たちよ」に刺激されて、60歳、これからどうしよう、と
思った頃を思い出しました。

 

 

学ぶ

朝、目覚めたらまたこれ!

うんざり。もう雪たくさん!

だいぶ迷って、行くしかないと諦めて朝作ったお餅を持って道の駅へ。
このお天気では売れませんが、売り場の賑わいに・・・。

家を出てみれば、ホワイトアウトはなかったので、一安心。
この冬はこんな雪が何度も降るのかもしれません。
ここに移住して来たとき、寒さに怯えて東京で購入した私にしては高価なダウンコート。
あまり着ることもなかったのに、まさか17年も経って引っ張り出して着ることになろうとは。
毎日このコートで寒さを凌いでおります。

 

喫茶パーシモンで、お客様に出すケーキを作る相談をしました。
オーナー夫妻の自宅は岩手県一関。
材料費を低く抑えるために、自宅近辺が産地のりんごを使うとすればアップルパイ。

以前アップルパイをたくさん焼いていた、本職は家具職人だけれど土曜日曜は蕎麦屋、
蕎麦打ちの間にはプリンやお菓子も作る週末蕎麦屋のハガさんに先生を依頼することに。

ええーっ、オレが~、と言いながらも承諾を得て、とある1日パイ作りにみんなで挑戦。
その日用事ができた私は味見役。
先生は道具まで持ちこんできて、アップルパイのみならずマフィンまで作ってくれました。

ここがきっかけでマフィン作りに火がついたオサム君。
カレー作りが好きで、スパイス大好きで、愛用の分厚いスパイス辞典を持ち歩くオサム君は
仕事が休みの1日、果物、野菜、スパイシーマフィンを試作。
練り方とか、固さとか、種々納得できない部分はあるようですが、たくさんのマフィンを
焼き上げました。

みんなで食べてしまうのはもったいないので、不納得部分を消化するために、三本木の
パンレストラン「青い虹」のオーナー、ジュンコさんのところへマフィンともどもオサム君
を連れて訪問。

長年上質のパン一筋に焼いてきたジュンコさんはパンも焼けばお菓子も焼く、小麦粉使い
のプロフェッショナルです。
マフィンに向き合う若いオサム君の真剣さを見て、共にパンを焼く息子さんと一緒に
粉のこと、野菜のこと、スパイスのこと、たくさんのヒントを与えてくれました。
頂いた小麦粉を使って、ここで焼いていいよ、と言われたガスオーブンを使って、オサム君は
きっと、自分が最も気に入ったマフィンを作っていくのだと思います。

私がマフィンよりも気になったのは、ジュンコさんが「コーヒーにはきっと合うと思う」と
作り始めたお饅頭。前回会った時には、和菓子職人のお客様から習得中だという餡子作りの
最中だったのだけれど、今回は見事なお饅頭になってました。

私もお饅頭を作りたい。
和菓子職人さんは80歳くらいだというから私もまだ習い覚えられるかも。
捜しました、見つけました。和菓子の教室。
4月から1年間和菓子を学びます。学んで美味しい餡子でお饅頭やら桜餅やらを作りたい。
夏になったら岩出山中にある竹を器にして冷菓を作ってみたい。

7年間新聞バッグをやってて、とてもできなかったけれど、新聞バッグが落ち着いてきたら
やりたいことがもろもろ出てきました。

作りたいって有難いものです。元気がでるから。

 

 

 

詣でる

例年、正月2日は部落の新年会。

部落の家族代表16人が集会所に集い、お雑煮を食べながら新年を祝って、各集会所を
廻ってくる部落から出た市会議員、県会議員の行く年新しい年の話を聴くという行事で
夫が亡くなって私が出るようになって4回目。

世帯数がめっきり減ったとはいえ、男性陣の平均年齢が若返っていること、熊本に帰省中の
黒田さんも入れれば女性が6人もいるのに心強くなりました。

 

3日は初詣。
岩手の中尊寺に行くと決めていたのだけれど、朝から大雪。
朝、道の駅に出動する時には5センチほどの積雪が、わずか2時間ほどで20cmを超える
くらいに本気ムードで降りまくり、帰宅途中は完全にホワイトアウト。国道の車も
ライトをつけて数珠繋ぎ。

これはもう初詣はなし。
という心積もりになった昼近く、突然太陽が・・・。
どうなってるんですかねえ。
除雪車が来ない前の我が家の進入路。


迎えに来てくれた野田君の車でオサム君と一緒に一路岩手県一関へ。

 

毎回岩手に来る度に思うのだけれど、一番雪が多いのは鳴子辺り、次我が家近辺で
北方岩手に向かうほどに雪がなくなっていくのが不思議。
今回も同様で、やっぱり一関市街に積雪はない。

目指す中尊寺はロケーションが山。踏み固められた坂道の参道が滑ることを考慮して
ちょっと手前の毛越寺に初詣先を変更。
昨年の正月に詣でた時には全く雪がなかった園庭は、さすがに白く雪に覆われて
清浄な美しさを見せてくれていました。

まずは身を清め、頭から線香の煙を浴びて、毛越寺の社殿に初詣。
一家の安全祈願、商売祈願、健康祈願に、野田さんがお勉強を教えている受験生、
Uちゃんの合格祈願。
みんなで祈願してお札まで買ったから、Uちゃんはきっと希望の学校に入れます。

詣でた後は、奥州藤原氏の栄華を偲びながら浄土庭園を一回り。

一関に戻り、いつもお世話になっているパーシモンのマスター、土屋氏のお宅に
初めてうかがいます。

ここにはもうひとつのパーシモンが・・・・。
楽曲喫茶と名づけたパーシモンのオーディオ装置だけでもびっくりするほど凄い
のに自宅にも同じくらい大掛かりなオーディオ機器が置かれていてさらにびっくり!

このスピーカーでジャズを聴きながらお節料理を食べるという初めての経験をしました。

 

初詣も終って明日からまた仕事初め。

新聞バッグの活動が静かに続くという形になってきたので、今年からまた新しい
商品作りに挑戦します。

今年1年、ただただ健康を祈るのみ。
体に合わせて山に登り、仕事をして、仲間とともに楽しい時間を過ごしたいと
思います。

 

 

 

 

年の初め

2018年 あけまして おめでとうございます。

 

雪の富良野から24日に帰った翌日から、こちらも大雪、大荒れ。

除雪車待ったり、ホワイトアウトで前も見えないなか、戦々恐々で道の駅に行ったり、
ヤマトに発送に行ったりしつつ、正月用のお餅つきで怒涛のような暮れを過ごして
おりました。

しかし今年(もう去年か)は雪は早い。それに寒い。
雪も本気ムードで降るので、雪かきしたり道が凍りついたりで生活に手間がかかります。
富良野に較べたら、そんなことも言ってられないのですが・・・。

昨年はいろいろと変化があった年でした。
春から夏にかけてパーシモンのマスター夫妻や東京から来た野田さんやオサム君と知り合った
ことから16年間も冬眠状態だった登山を再開。この年になって、まさか登れるとも思って
なかった鳥海山に2度も行けて、栗駒山、荒尾岳と4度も山を歩くことができました。

そして新聞バッグのご縁で知り合った高知大学の女子学生、咲菜ちゃんとあやねちゃん。
岩出山に来てくれて、この度同行した富良野でも本当に真面目でガッツのある根性で
富良野の方たちを魅了していました。

今年は海山メンバーに加えて、この若者たちも一緒に何かできたらいいな、と思っています。
スケジュールぎっしりだった富良野からの報告はまた改めて。

31日までのお餅つきを終了し、家族や野田さんも一緒に年越しそばを食べ、大急ぎでおせち
を作りお正月を祝って、とにもかくにもひととおりの自分流正月行事を終えてやっとひと息。

お世話になったみなさま、昨年はありがとうございました。
メールなどのお返事もなかなかできずすみません。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

2018年、元旦の夜。ボブ・ジェームスのピアノを聴きながら・・・。
78歳の今も精力的に活躍中だそう。
そういえば今年はジャズにも目覚めました。楽しい!