海商店、山商店

      仮設住宅入居後の支援打ち切りで、日々支払うお金が心配で、3度の食事に

      カップラーメンばかり食べているという女性をテレビで見ました。まだ若い。50歳

      代くらい。この若さでラーメンを主食のように食べていたら、いずれ病気になって

      しまうでしょう。またやはり仮設住宅に入居した石巻の女性。これまで食事支援

      を受けていた避難所の配食がなくなり、炎天下を40分も歩いてボランティアの

      食事支援の場所で食事を貰い、またテクテクと白いビニール袋を提げて戻る

      姿を見ました。ボランティアの食事提供がなくなればもう当てはないそうです。

      うーん、なんだか頭を抱えてしまいます。

      役所の人は「いつまでも支援はできない。自立してもらわなければいけないか

      ら」と言うけど、どちらの方も震災前は海のお仕事でした。海や港湾の仕事も

      農業も商業も未だできる状態ではない。従って仕事場がない。仕事がなければ

      収入が得られない。にも関わらず、「自立してもらわなければいけない」と言われ

      ても、収入がないのにどうやって自立するんですかねえ。あなただったらできる

      の、と聞きたい気分。

      その話題が終わったとたんに、首都圏での暑ーい夏を涼しく、というので

      高尾山でビールを飲む人たちや、ロングヴァケーションとかで北海道で長期

      滞在を計画する人たちに場面が一転。

      なんだかなあ・・・

      それが悪いということではないのだけれど、いいんだけれど、ニュースの繋ぎ

      方としては気持ちが滅入ります。だって、あまりにも落差が多き過ぎるのです

      もの。

      そして、稲藁問題。これも大変な問題なのです。牛がいっぱいいるこの辺りで

      は。口蹄疫ではないのだから、牛は生きています。生きている牛は月何十万

      も餌代がかかる。保障してくれるのでしょうか。してくれると言ったところで今

      間に合うということではなく何年も先のことでしょう。

      今、目の先をどうするか。あっちを見てもこっちを見ても先の読めないことばか

      り。長年生きてきて、こんなに先の読めないことは初めてですが、国も県も町

      も自立とか平等とかで即刻できることが少ないのなら、やはり個人で、民間で

      助け合うしかないんだよねえ、と海山ネットでは話し合っています。

      海商店のみんな、がんばって新聞バッグ作ってね。エプロンやコースター等

      布製品作ってね。山商店はジャム作り始めますよ。そして一緒に販売して

      小さな経済復興に励みましょう。

      

      

      

         

      

      

キャンベル先生と「読もう」第4回

     キャンベル先生とのご縁は、私たち「海の手山の手ネットワーク」の活動理念であ

     る「宮城、東北の復興なくして日本の再生はなし」「海の手山の手ネットワークは知

     恵と工夫でお互いの『手』を活かします!」という言葉をきちんとした英語に翻訳し

     てほしくて、たまたま鳴子温泉でキャンベル先生の「読もう」という文学講座が開か

     れるのを知って出かけていったのが最初です。

     テレビを見ないので、ロバート・キャンベルさんがどういう方なのかそれまで知り

     ませんでした。東京大学の教授だということは「読もう」のポスターで知ったけど、

     ただ講座で使われる本が、織田作之助の「蛍」とあったので、ずいぶん渋い本

     が選ばれるんだなと興味を持ちました。

     第1回目の自己紹介の時、先生の横に座った私は自己紹介より何より「翻訳

     して頂きたくて来ました」と目的を告げ、先生に「あつかましいですね」と言われ

     ながらも講座が終わった後、お帰りの電車の時刻までの短い時間に無理無理

     お願いして翻訳をして頂いたのでした。お礼と言っても何もないので、毎朝作る

     道の駅での販売用のあんこのお餅と切り餅を差し出し、でも先生のお荷物の

     重そうなのに驚いて引っ込めようとしたら、「いや、いいです。いいです。持って   

     帰ります」と言って受け取ってくださったのだけど重かっただろうと思います。

     私は必死だったけど、主催者の方々は迷惑そうでした。その時先生が「翻訳

     しましたから全部の講座に出てくださいね」と仰ったので、いや、これはもう何が

     何でも10月の最終講座まで出よう」と決めました。

     その4回目の今日は、午前中は中学生や希望参加者と共に鳴子、中山平の

     奥の細道を歩こう、というプログラムでその後は鳴子中学校での放談、そして

     3時からのいつものブッククラブという順序。もの凄く暑くてどれかひとつというくら   

     いしか参加できないので、放談に行きました。鳴子中学校に行くのは初めてです。

     明るく開放的でまるで外国の学校のような素敵な校舎でした。全校生徒を前に

     してのお話で先生の放談は終わり。

     その後、先生にお会いしたら、先生のお顔がヘンです。青い。ほっぺたが赤い。

     目が潤んで見える。「先生、具合が悪いんですか?」

     なんと、先生は昨日、発熱39度で鳴子に見えたのだそうです。

     「えーッ、この暑いのに、歩いたんですか」

     「いえ、ぼく、車の中に大体いましたけど」

     今も38度の熱がある身体で次のブッククラブの会場高橋亭に向かわれました。

     なんと責任感の強い方でしょう。

     まだ4回しかお目にかかっていないのですが、日本文学において大変博識な

     方であるのと同時に、自分以外の人への尊重において際立って謙虚な方だと

     感じます。あつかましくも翻訳をお願いしに行ったのですが、今では出会いに

     感謝しています。お話を聞くのが楽しみです。

     

     

     

    

新聞バッグ考

      新聞バッグ講習を受けてから1週間、日々バッグ作りに励んでます、と言いたい

      ところですが、毎日が目いっぱいで、おまけに頼みの新聞バッグ作り部隊の南

      三陸H3人組さんは、梅農場で朝から夕方までこの炎天下、梅の収獲に励んで

      います。一緒に練習しよう、とは言いにくい状況の中、23日、30日と注文を控え

      ているので、押して夜8時から旅館の大広間を借りて練習しました。

      何度も作ったはずなのに、ウロオボエとはこういうことかと感心するほど、要所

      要所で覚えていない。でもエース、さおちゃんに導かれて少しずつ思い出させ

      もらいます。さおちゃんは27歳。大体の時はお母さんと一緒に仕事をしている

      素敵な女性です。詳しいことは知らないけれど、「あのわかめはどこへ行った

      んだろうねえ」という3人の津波の時の話から察するに、たぶんさおちゃん、

      お母さん、もう一人のHさんの3人は常々一緒に海辺で仕事をしていたのだと

      思います。

      これからの新聞バッグ作りは、これまでのように鳴子の旅館で手から手へ、と

      いうのではなく、女川でも南相馬でも仮設住宅に入っても作ってもらおうという

      目的なので、バッグの形を一定させるため、寸法もきちんと決めました。

      決めたら合うかと思ったら、これが合わない。4人で作ってさえこっちが足りな

      い。余る。「あれェ、なんでこうなるの!」と定規を持って測ってばかりでなかな

      か合わない。恐るべし、新聞バッグ作り。甘いものではありませんでした。

      新聞バッグを何のために作るか。

      1個作ってもらって、海山ネットで買い取れば、被災を受けた方たちにとっては

      僅かだけれど収入のプラスアルファーにはなります。でもそれだけではない。

      この新聞バッグは宮城県をカバーしている河北新報社の新聞紙を使用します

      がその記事によって、被災地の今を全国へ発信できます。新聞バッグを使え

      ばレジ袋を貰わずに買い物ができる。資源の再生です。そして最も重要なこと

      は新聞バッグを作ることで人と人を繋ぐことができます。

      という考察をして新聞バッグ作りに励んだのですが、合わないばかりか、目がく

      っつきそうになってきたので終了しました。

      報告に行った山の手T家で帰りにもらった新聞バッグ入りじゃがいも。最高に

      新聞バッグとまん丸いじゃがいもがマッチングしてました。素朴です。いい感じ!

      もしかすると新聞バッグは野菜を入れるのが一番似合っているのかもしれま

      せん。

      

      

     

     

新聞バッグインストラクター講座終了

      かねてからお願いしていた高知県四万十の㈱四万十ドラマから新聞バッグ作り

      の講師の方が2名、そして翌日曜日にはわざわざ社長が新聞バッグのインスト

      ラクター講習のため遠路遥々鳴子まで来てくださった。新聞バッグは鳴子避難

      者の方が旅館で仲間作りをしたり、少しでもお金を得るお仕事として取り組んで

      いただくために海山ネットで始めたものだが、きちんとしたバッグを作りたくて、

      その技術を㈱四万十ドラマさんに教えていただくことにしたのだった。講師はお

      二人ともなぜか東京の方。そして初めて見せていただいた新聞バッグのさまざ

      まな形は大変素晴らしく驚かされた。新聞の絵も字も広告も色もバッグの隅々

      に活かされていて芸術的ですらある。日本でより外国で注目されていて世界の

      国々から注文が来ます、という社長のお話だった。

      講習を受けるのは私も含めて山の手メンバー、海の手さんは、南相馬、女川

      南三陸の避難者の方々。朝9時から夕方5時まで、途中で地震というハプニン

      グもあったけど、ものともせず、がんばったおかげで、全員インストラクターの

      認定証をいただけた。新聞紙を2枚も5枚も重ねて作るバッグは新聞紙のクイ

      ズのようで、すぐにも忘れるのじゃないかと不安だけれど、避難者の方々には

      仮設住宅に入っても機会があればバッグを一緒に作って、連携を繋いでゆき

      たいと思っている。

      ㈱四万十ドラマの社長は指定管理者として道の駅も運営されていて、そして

      ご自身もお茶の生産者であるというそのお話は、道の駅出荷者でもある私達

      にとって大変興味深かった。いただいた道の駅の紹介パンフレットには

      四万十ドラマは高知県四万十川の中流域にある「考え方をつくる会社です」

      「古新聞を包装資材として生活場面で再利用することを一つの哲学とし、四万

      十川流域の考え方アイデンティティーとしたい」

      「ユタカサ」とは何か?その考え方を四万十川からつくりたい  とあり、

      その取り組みの新しさと力強さと考え深さに瞠目させられた。

      是非一度新聞バッグの故郷四万十川に伺いたいと思います。㈱四万十ドラマ

      の皆様、ありがとうございました。

      

      

      

      

    

   

      

      

      

旅するわかめ

     この2、3日わかめ販売に力を入れ、本日完売しました。

     南三陸、津波から生き残ったわかめです。海の手山の手ネットワークを始めてま

     だ日も浅い頃、鳴子滞在中の南三陸 S氏に紹介され300袋買いました。

     最初の販売会で三分の一ほど売った後、出番がありませんでした。出番は作れ

     ばあるのですが、野菜を売るのとは勝手が違ってどうも売りにくいのです。

     食べれば柔らかくて美味しいわかめです。水に放せばすぐに戻って塩もとれ、手

     間がかかりません。にも関わらず、日々農産物を生産している山の手住民の我

     々はじゃがいもや菜っぱや花なら大声で産物のアピールができるのですが、わか

     めとなると、わかめの生まれ方も育ち方も知らないために、わかめの魅力をお客

     様に伝えることができません。そうこうしているうちに暑い夏が近づき、本格的に

     九州や関東の友人達に南三陸のわかめを紹介することにしました。私の故郷

     福岡からは東北はとても遠くに感じられる異郷の地です。海に突き出す崖の

     端の端まで深い原生林に覆われた美しいリアス式の南三陸の海岸線、そして

     緑に囲まれ鏡のように静かな湾に面した美しい町は、都会化され海が昔の

     海辺ではなくなった福岡の友人達には想像がつかないでしょう。

     福岡の友人たち、そして千葉の友人たちが大勢南三陸のわかめを食べてくれ

     ることになりました。「福岡を旅しておいで」とわかめを送り出したところで

     仲間が南三陸の干し椎茸と出会ってしまいました。干し椎茸だけ残って家も農

     機具も干し椎茸を作る道具も津波で流されてしまったそうです。原木椎茸なら

     見慣れているのでいくらでもお客様に宣伝できるのですが、でも干し椎茸に

     も「南三陸産干し椎茸」として福岡や関東を旅してほしいという気もしています。

     

     

     

     

    

     

    

     

キャンベル先生と「読もう」第3回

      鳴子温泉ホットスプリング読書倶楽部キャンベル先生と「読もう」第3回に参加

      してきました。1、2回目に参加したのは第3部の読書倶楽部ですが、今回は

      よっちゃん農場山の手T夫妻、穂波の郷クリニックの三浦ドクター、Oマネージャ

      ーとご一緒して第2部から。”放談”に参加するのは初めてですが、今日の

      キャンベル教授のお話のテーマは「日本史が語る、災害とコミュニティの絆」。

      天保の大飢饉のように歴史の中で大災害が起こった時、人々はどのように動き

      どのような物を食べ、そして民を司る人はどのように災害を乗り越えようとした

      か、まさに今起こっていること、自分たちが今行動していることにそのまま当て

      嵌まる内容で大変興味深くまた楽しかったです。

      終わって、先日先生に翻訳していただいた短い文章を海山ネットマークと共に

      貼り付けた新聞バッグ「SEASIDE&HILLSIDE BAG」に海の手商品、山の手

      商品を詰めて先生に進呈しました。南三陸縫製凄腕Oさんが作ってくれた先生

      の身の丈に合わせたエプロンとキャップと[let’bloom a big flower, a flower

      of hope」のシールを貼った竹盆栽も差し上げました。

      「こんなふうに使ってくれて私も嬉しいです」と先生は喜んでくださいました。

       いよいよ明日は注文していただいたお中元用海山商品セットの梱包です。

     セットの中味は「山の手」よっちゃんなんばん、梅干し、あられに蓬茶、「海の  

     手」布小物製品、時には南三陸わかめに南三陸生き残りの干し椎茸など、

     盛りたくさん。海と山を詰めたバッグが自分で自己宣伝できるくらいに良い商品

     を作ったなら、誰が作ったなど関係なく経済は廻り、私たちが目指す雇用や

     ミニミニの仕事場を作り出すという目標少しでも近づけるかもしれません。

     がんばれ、「SEASIDE&HILLSIDE BAG」

     海山セットをよろしくお願いいたします。         山の手S記

      

渋滞

           私一人がブツブツ怒っていても仕方がないのだけれど、高速料金土日千円が終

     了し、東北被災者は通行料無料、それ以外は普通料金になってから、高速道イン

     ターの混むこと混むこと。だいたい宮城県内の東北自動車道のインターで行列作

     って20分待ちとか30分待ちとかあり得ないようなことが、今は平日でも起こって

     いることを、関係者は知っているのだろうか。昨夜遅く仙台の向こうから戻ってき

     た山の手Sは「ETCでお金払ったほうがよほどいい。こんなじや仕事にならない。

     東北にとってとんでもないことをしてくれたよ」と怒っていたが、夏休みになったら

     どうなるんだろうか。私が出荷する道の駅に東北以外の県からの車が増えたとい

     うことでは全くない。被災者証明を持った車が行列するのだから、ETCのように

     被災者カードを持てば通れるとか、渋滞しない方法が考えられないのだろうか。

     被災者証明を出すために通常より多い人員を役所に配置し、その被災者証明を

     確かめるためにこれまで不要だった人員を高速出入り口に配置し、そして車は

     渋滞して間に合う仕事も間に合わなくなったりするのだったら、この制度が

     東北のことを考えての上でのことだとするなら、トンチンカンな考えだと思う。

     大きく物事は動けない、大きくお金も動かないというこの状況の中、せめても

     草の根からの復旧復興をと小さい仲間でがんばっている時に、こういう形での不

     自由さをべつのところから発生させられると、ほんとにがっかりしてしまうのです。

                                      山の手S記

     

お中元商品ができました。

        また福岡からたくさんのキルトのバッグを送っていただきました。「支援品だ

      から売ってください」と親切なお手紙が添えられているけれど、やはり簡単に

      お金に代えるのがためらわれるようなプロ仕様です。大切に大切にお心

      に添えるよう役立たせていただこうと思います。ありがとうございました。

      それから前にも布を送ってくださったサトー様、また布と針を送っていただき

      ありがとうございました。なにより覚えて頂いているのがとても嬉しいです。

      ありがとうございました。

      話は変わりますが今日商品ができました。東京の会社より海山ネットにご注

      文いただいたお中元商品です。中味は山の手3人の商品、よっちゃんなんばん

      梅農場の干し梅、梅エキス、それに私の「あられ」と「蓬のお茶」、そして海の手

      さんが作ったコースター。皆さまから送っていただいた布で作ったコースターは

      とてもお洒落です。ほんとうは自慢のエプロンも入れたいところですが、お中元

      にエプロンでは格好がつかないので、コースターにしました。

      そういえばエプロン、なぜこんなに出来栄えが素晴らしいのか、判明しました。

      よっちゃん農場の南三陸看板母さん、タカちゃんによれば、エプロンを縫ってい

      るのは津波で流された縫製工場で30年も制服を縫っていた方達だそうです。

      なんて私たちは運がいいんでしょう。菊栽培のOさんといい、復興のため小さな

      商いから始めようと、やり始めた布小物作りに携わってくれている方たちは

      その道のプロなんです。巡り会いたいからって、願って巡り会えるようなもので

      はない方たちに私たちは津波をきっかけにして出会ったのです。

      「私たちが援けてもらえるんだわ!」内陸被災者の私たちの感想です。

      話を戻します。よっちゃん農場でよっちゃんは「わあ、いいじゃないですか」

      あられをポリポリ食べながら「うまい!」

      誉めてもらって嬉しいけどそれだけでは足りません。加工場で仕事をしている

      奥さんと南三陸母さんタカちゃんにも見てほしい。

      初めは南三陸には何もないからまず支援なんて思っていたけど、3ヶ月もたって

      みればタカちゃんもOさんも海山ネットの中に絶対にいてもらわなければならな

      い人に既になっているのでした。

      「どう思う? タカちゃん」

      「いいじゃないですか。いいよ。よくがんばったねえ」

      この言葉を聞いてようやく安心。海山ネット商品の完成です。

      海山ネットの最初の始まりは、「沿岸地被災者、内陸被災者が海の手と山の手

      と手を取り合って小さい商いに取り組み、経済回復に助け合いましょう」という

      目的だったのですが、すでに心だけはちゃんと通じ合ってほぼ目標どおりに

      なっているようです。が肝心の経済回復は、まだまだ道のりは遠い!

      そう肝に銘じて生産活動、これからもがんばります。

                                      山の手S記                            

      

     

      

                  

       

       

      

出会えて良かった!

      菊の栽培と海山ネットの布製品を作ってくれているOさんご夫妻の仮設住宅入

      居が決まりました。これまで販売した代金を持って雨の中中山平温泉へ。緑濃

      い鳴子の山々は雨で煙って墨絵の世界。Oさんはこのひどい雨の中、山の手

      Sの梅農場で梅の収獲とのこと。雨でも風でも収獲の時期には時期を外さず

      どうしても収獲しなければならないのが農業なんですねえ。

      Oさんは元南三陸町志津川の菊栽培の小菊部門の会長さん。菊作りのプロな

      んだよ、と先日県の担当の方から聞いたばかりで、きっかけが津波だから喜

      んでいいんだか、とは思いますが花栽培20年くらいやっていても菊を作ったこ

      とのない私にとって、巡り会えてほんとに良かった会長さんです。

      眺望天下一品のお部屋に上がって、奥様とこれからの話をします。仮設に行

      っても作ってもらいたいものがたくさんあるのです。まずエプロンたくさん。数

      日前6枚出来上がって人に見せたら、その日のうちに全部売り切れてしまいま

      した。仕上がりが素敵とういうだけではなく、腕前がすばらしい。

      たくさんの方からたくさん布地を頂いたからたくさんエプロン作ってプレゼント

      したいねえ、と意見が一致。あと温泉のお風呂で泊り客の方から糸の提供の

      お話をもらったそうで、これでレース編みも存分にできそうです。

      「これじゃあ仮設に入っても忙しいねえ」そう言ったら

      「津波のことは仕方がないの。でもここに来てみんなに会えたからこうして毎日

      楽しく暮らせる。ここに来てほんとに良かった!」

      と思いがけない言葉を聞きました。

      お二人には内緒ですが、仮設に越される前にOさんが好きなクラシック音楽の

      CDとプレーヤーをプレゼントします。

      私たちもOさんご夫妻に会えてほんとに良かった!!

                                         山の手S記

      

      

     

地震の時のトイレ

           朝早く、検査のため夫を車に乗せて病院へ。

     下ろして検査が終わるのを待つ間、古川の町に用足しに行く。

     まず久しぶりに古川で最も大きいショピングセンタージャスコへ。地震から3ヶ月

     半は経っているのだけど、まだ爪痕は深い。その上に節電で暗くて暑い。

     2階は相変わらず使えず、1階のみの営業だけど、ガランとして品物が少ない。

     食品のみ買って、地震以来行かずじまいになっている隣りのビル1階のパソコン

     教室へ行く。すぐには直しようがないのか、入り口階段の上、ビルの土台と建物

     の間の横7、80cmくらいにかけて、縦15㎝くらいの穴がパックリ開いたままに

     なっている。その他の部分が繋がっているから大丈夫なのかもしれないが、地震

     当日、這ってビルよりできるだけ遠くに逃げながら、振り返るとメリメリバキバキ

     と音がしてタイルがパラパラと弾け、みるみるコンクリートに裂け目が入っていくの

     を目の当たりにして、その少し前に起こったクライストチャーチの地震のように

     このビルは崩壊すると必死に逃げたことを思い出した。以来、もう再開しました。

     来てください、と何度電話をもらっても来る気をなくしていたのだが、教室は相変

     わらず盛況で空いている席がないくらい満杯状態。退会手続きをするはずがや

     っぱりやりたいなあ、と気が変わった。「続けてもいいですか」先生にお願いして

     みるとOKが出て、以前のように週1ではなく2週に1度、フリーで来てもよろしいと

     許可をいただいた。

     これも小さな復旧というところか。地震当日、ガタガタガタガタと止まらない震えを

     押さえつけながら家まで帰った途上で最も困ったのはトイレだった。トイレどころ

     かどこかの建物にさえ入れない。早く早くと家に帰る道のりの、あっちが壊れ、

     こっちが壊れしている道路を行き詰ったり、どうにか迂回したり、行きも戻りもでき

     なくなったりしながら家に辿りついた時の泣きそうな思いは今も忘れない。

     でも巨大地震が起きたらトイレに行けないというのは大発見だった。ここは田舎

     だからどうにかなっても都会の大地震だったらどうなるのだろう、と想像もつかな

     い。                            山の手S記