スクラップブックつくり

頭にきてても仕方がないので、何か東北の現状を伝える手立てはないかと考える。

そうだ!!、と思いついたのがスクラップブック。
確か茶色の紙に新聞の切り抜きを張り付けた思い出が大昔にある。
あれだ。あれをやろう。
と、近所のスーパーへ行ってスクラップブックを購入。ついでに糊とはさみも。

そしておもむろに、これまで読んだ新聞、読まなかった新聞。
大震災以来、できるだけ使わないように重ね置いてきた新聞を一枚一枚
丹念に読む。

そして感じたこと。 続きを表示

がっかり、がっかり、ほんと!がっかり!!!

朝道の駅で、鳴子避難中の南相馬のKさんと待ち合わせ。彼女は海の手メンバーで新聞バッグ作りの
エキスパート。この半年で新聞バッグ作りの講習ができる腕前になりました。
久しぶりに会ったので、レストランでコーヒー飲んで情報交換。

お正月は小学生の娘さんと中学生の息子さんと3人で過ごしたそうです。ご主人と長男さんは南相馬。
ついこの間までご主人は新潟でお仕事と聞いていたから、「ご主人戻られてよかったね」と言ったら
中学生の息子さんが新潟の高校に入るから、また3か所に分かれての生活だからどーしようって。 続きを表示

小さな小さな経済の回転

朗報です!!

 

朝、世田谷のチームワンネスさんよりご連絡があり、世田谷ボロ市での全商品。
気仙沼公園仮設住宅の方々が作ったフッコロ他、海の手山の手で作った新聞バッグ、
布バッグ、エコバッグ、コースターなど、それから新しい仲間の方4人の方の作品、

ぜーんぶ、初日の土曜日には8割方、翌日曜日には大変な人出で早々に完売
したそうです。
嘘みたい! 正直売れないんじゃないかなあ、と思ってました。                               メンバーのKが黙々黙々黙々と物も言わずにラッピングに専念していた努力が実りました。

チームワンネス、気仙沼の方々、新しい仲間の方々。
この寒空に2日間、物だけ送って販売していただいてありがとうございました。
これまで何度も販売したので、2日の疲労はよくわかります。
見たとき、涙出そうだった。それほど「売れないだろうなあ」と諦めているという
ことなんですが。

前回と合わせてみーんなで3十万円以上の売り上げ。さすが大都市東京、宮城では
絶対にこうはゆきません。売り上げの一部が、難病と闘う子供たちのために
来年発刊される絵本の支援として、リブフォーライフ美奈子基金に送られました。

どうしてテームワンネスさんと知り合うことになったのか、というと
ほんとにちょっとしたきっかけです。

四万十に行った時、四万十ドラマの社長、畦地さんそしてその仲間の方々と
ご一緒の、美味しーいカツオ料理のお食事に誘っていただきました。その宴に
だいぶ遅くなって参加された歌手のうーみさん。宴も終わって別れ際、
うーみさんに「お布団ありませんか?」と声をかけられました。

「お布団?」

石巻で被災され一か所に数世帯で避難生活を送られていた方々が、家の修理が
終わって戻られることになり、お布団が必要とのこと。
宮城に戻って、必要数の3組のお布団を手に入れたら、受取りに佐沼まで来て
くださったのが、津山の優さん。優さんは東京から来られたチームワンネスの方々ご一緒に、大震災後、
気仙沼で炊き出しをされていたワンネスメンバーお一人でした。

それがたまたま世田谷ボロ市が行われる前で、誘っていただき、リブフォーライフ
美奈子基金の方ともお知り合いになり、絵本を作る一助にもなれました。

縁というのはほんとに不思議。一つの同じ目標があれば、選んでなくともこうして
自然にひとつひとつ繋がっていくんですねえ。
売り上げのお金は、新聞バッグを作ってくれた南三陸、女川、南相馬の海の手さん
のところに行き、また海山ネットが活動するための源になり、そこでまた新聞バッグが
作られて同じ工程が繰り返される。

小さな小さなお金の回転。小さな小さな経済復興への確かな足取りになれば
いいと思うのですが・・・・。
でも、小さすぎるか!

 

 

 

 

海山ネットのこれからは

悩み事ではないんだけど、まあ、年の初めも関係してのことだと思うが、海山ネットを
どう続けるかということが頭を離れない。

ありがたいことですが、近頃新聞バッグをご注文くださるお客様が少しづつ増えてきた。
これから「置いてもいいですよ」と言ってくださるところも、お願いすればある。
南三陸、女川、南相馬(今は大崎市)の海の手さんたちの新聞バッグ作りの腕前は
数を重ねて職人はだしの見事さだ。

今朝は湘南の素敵な喫茶店の方から、ご連絡をいただいた。
近場では宮城の酒蔵一ノ蔵さんはもとより、これからは志津川のホテル観洋さん、
東京や仙台のギャラリーさん、その他単発でのご注文も多数ある。

比べて少数なのが海山ネットの山の手メンバー。
全4人のうち3人は個人事業者で、家でものづくりの仕事をやっている。生産物を作る
ために、農作業、加工場作業と日々時間に追われる作業をしながら、もともと居住人口の
少ない町での役割を務めることもあり、道の駅での出荷という日課もある。

個人事業者ではない事務局のKはもともと某NPOの事務局が本職であり、そちらの仕事
の比重が重い。その中で、新聞バッグ発注、受取り、ラッピング、発送、営業、広報、
海の手さんとの連携と、一人飛び回ってがんばってくれている。

これ以上忙しくなったらどうするか、が大問題。
初めに4人で決めた海山ネットの目標は、海と山、力を合わせて「手仕事で経済復興」
現状では経済復興なんて全然成ってないのだし、今年は更にスケジュールは過密に
なりそうだから、そこをなんとかクリアする方法を考えなければならない。

誰かにお手伝いをお願いすれば雇用が発生。お給料を稼がねばならない。
ということで私は新たな商品を販売することを考えています。

それが手拭い。福島、宮城、岩手、青森、東北の心を伝える手拭い。今三春で怖い想いを
なさった方に心を伝える絵を描いていただけますか? とお願いしたら、考えますとのこと。

できあがるのがとっても楽しみです。

今日の東京のお天気はどうだったのでしょう。
新聞バッグや布のバッグなどの販売をお願いしたチームワンネスの皆様、気仙沼の皆様
2日間、お疲れさまでした。ありがとうございました。

 

 

朗報!

朗報です。!!

さっき福岡の「木の花」さんから嬉しい連絡がありました。
「木の花」さんは、昨年末私の親友のご主人の病気見舞いに帰福した際に、街を歩いていて
飛び込みでフラリと入った素敵な木綿屋さんです。

その「木の花」さんの人気商品、作務衣スタイルの上っ張りの縫製を、南三陸の海の手さんに
発注してくださることになっていたのですが、その最初の上っ張り5枚がきれいに縫い上げられて
戻ってきたそうです。

「とてもきれいに縫っていただきました。感謝します」と書いてあって、これから月20枚の上っ張りを
注文してくださるということでした。
なんと嬉しい!! 私は嬉しくて涙が出ましたよ。
だって普通見も知らぬ者に、お店の看板商品の縫製を頼んだりしないでしょう。
もちろん東北応援のお気持ちもあったと思いますが、それでも福岡の女性の懐の深さ、心優しさに
(この10か月変わらずずーっと支援し続けてくれている級友たちも含めて)、心から感謝し、私も
福岡出身の一人として誇りに思いました。

「着物も縫ってくださいね」とおっしゃっていたから、この先ご縁が深くなったら、もっと違う
お仕事もできるかも。
南三陸がいつか再興する日まで、遠い福岡とご縁をつないで質の高い手仕事を続ける
ことができたら嬉しいことです。

お餅屋の私は朝ドラを見る時間はまずないのですが、たまたま見かけたカーネーション。
糸子さんが
「服はしょせん服。戦争で傷ついた人の心を助けることができるのはこの手なんや」
と言ってました。「神様、力をお貸しください」と祈ってました。
いい言葉だなあ、とお餅を切りつつ感動!
海の手も山の手も手を大切にし、手を磨きあげましょう。

朗報2
南三陸志津川のホテル観洋さんでも新聞バッグお買い求めになれるようになりました。
よろしくお願いいたします。

 

 

 

大正ロマン

「ほーッ」
居並ぶ5人から嘆息の声が漏れる。
保管している着物地の中から、私が一等気に入っている薄地の布を出した時のことだ。

なんと、きれいな、エレガントな着物の布。色は赤とも朱とも形容のしようがない。
黒い格子柄が入っている。もう一枚は全体に薄淡いピンクの花柄が描かれた総柄。
「大正の着物よ。大正から昭和の初めの着物の布。なんてきれいなんだろう!」
手芸の先生の声ご一緒にみえた先生のご主人も身を乗り出して来られた。

そいえばそうだ。初めて見た時からなんと美しい布だろうと思っていたけど、言われて
みれば見覚えがある。昔の雑誌「ひまわり」に中原淳一が描いた少女が来ていた着物の柄、
そして竹久夢二の絵の中の美少女の着物の柄だ。

午前10時半から始めた手芸の先生と、手拭いのデザインの絵をお願いしたくて
三春からお越しいただいたAさん、そしてAさんのお兄さんご夫妻との6人ミーティング。
初対面のご挨拶が終わった後、すぐにAさんが「こんなものを作ったのですが」と出して
くださったのは、破竹のような細い竹を使って作ったお箸入れ。ほんとうに見事なもので
スポンと音をさせて蓋を抜き取ると、きちんと普通のお箸の形をした、けれど竹で
作ったお箸がお行儀よく現れる。矢竹という竹を使用するのだそうだ。

物作りの極致というか、ほんとうに素晴らしい。
全国の皆様から送って頂いた着物を利用して、どんな方法で家庭洋裁から仕事としての
洋裁、または手芸に転じることができるのか、一過性の品物を作るのではなく、永続性の
ある商品としての製品を作れるのか、そんな相談をお願いした手芸の先生が、この
お箸入れには袋があるほうがもっと素敵になりますよ、とおっしゃった。

そして選ばれたのが男性の袴の布地。
黒い色の布地があるな、とは思っていたけど、男性用袴の布地だなんて考えたことも
なかった。大正の布地と袴の布地を合わせて袋のモデルができました。
これはミラノ行き。

着物布地の選別、整理。手拭いの話、志津川のご出身で津波でご実家を無くされた
先生のご主人のお話、三春で、原発の爆発のきのこ雲を見、翌日には閃光、そして爆発音
を聞いて、逃げました、とおっしゃるAさんのお話、宮城では話題にもならないリアルな
放射能の話。
話題の種はつきず、ミーティングは夜7時半に終了。

話のあまりの面白さに気が付きませんでしたが、外はしんしんと雪が降り積もり銀世界に
なっていました。

 

 

 

 

着物

昨日は仙台での会議で1日が終わってしまったので、今日は15日からの世田谷ボロ市で
販売をお願いする新聞バッグや布小物を送り出さなければならない。と一日の時間割を
考えているところに、手拭いの絵をお願いした方のお兄さんご夫婦と食品スーパーで
バッタリ遭遇。思わず長時間ミーティングになる。

奥様は以前から私がお願いしていた、手芸の先生を探してくださったそうで明日仙台から
ご夫婦でお見えになるとのこと。私もお目にかかることにして、急ぎ事務所で保管している
布地の点検へ。ちょっと見ない間にまた着物が増えている気がする。よっちゃん農場が
持ってきたのかな。

これまで送っていただいた布地、反物、帯地、着物などなど見ていると、今日本には
どれだけの着ない着物が女性たちのもとで保管されているのだろう、と想像してしまう。
天文学的数字じゃないだろうか。まったく着物を着ない、この先も着るあてのない私でさえも
若い時からの着物を数えあげれば数枚ではきかない。亡くなった母の着物も手つかずで
あるし、結婚した娘の着物もそのままだ。

こういうのをどうにかしてなんとかならないのかしら。
復興に役立たない? 着物地のスリッパというのも見たよ。わんちゃん、ネコちゃんの
着物地のお洋服というのもあるんだって。
一日世田谷ボロ市用新聞バッグのラッピングに余念がないメンバーのKに言うと、「着物
地のまんま売ったらいいんじゃないんですか」とバッサリ。

海山ネットの一連の活動の中で思うのは、中間の作業の大変なこと。着物地でリメイク
されたお洋服は素敵だけれど、作ったら?とよく人には言われるけれど、中間のほどいて
洗ってという手間のところで必ずひっかかる。誰がやるのか。
一部南三陸に送ってほどいて洗ってをお願いしたけれど、安い手間賃に気がひける。
とはいえ、海山ネットもお金がないのです。

今日は南方仮設住宅で立ち上げられたNPO代表のUさんに、手芸教室を開いたら来たい
人いるかしら、と尋ねてみました。声をかけてみるわ、とのこと。
明日先生に、効率的に着物を活用するには、とご相談してみましょう。経験豊かな先生の
お考えで、着物や布や帯が、仮設の人たちの手によって、新しい価値のある品物に生まれ
変わったら素晴らしいですよねえ。
世田谷ボロ市用大きなダンボール箱が2個出来上がって、ヤマトに運んで今日の海山
の仕事は終了。

東京のみなさま、15日16日には是非世田谷ボロ市、NPOリブ・フォー・ライフ(本田)美奈子
基金のブースまでおでかけくださいね。

 

東北地域活性化推進協議会&ミラノからの便り

マイナス6度!
朝9時半、道の駅に出荷にいく途中の国道47号線の電光掲示板を見て目を疑る。

うそーォ。 寒くて電光掲示板が壊れた?
年中無休の道の駅に毎日通っているが、朝9時にマイナス6度なんてことはかつてない。
30分ほど経ってやってきたA出荷者が「マイナス4度だ」というのを聞いて、やっぱ
ほんとに寒いんだ、と納得。
雪はないけど猛烈に寒い。昨日販売機で買ったお茶を飲もうとしたけど、逆さにしても
出てこない。

ミラノからのお便りが届く。
ハンドメイドのお店を経営なさっている日本人の女性で、イタリアも物作りが盛んな国。
でも実際に売られているのは中国製品ばかり。ものづくりを大切に思う者として、大震災で
大きな痛手を負いながらも、一歩一歩踏み出そうとする東北の人々の心や力やものづくりの             、
工夫を、経済の低迷で荒れてゆくイタリアの人々に伝えたいと。

午後から仙台で、東北地域活性化推進協議会に海山ネット代表の代理として出席。
代表のよっちゃん農場は少し遅れるということで、私一人でそうそうたる男性メンバーの
お話を聞きました。総括して「東北村プロジェクト」

つまり「東北村プロジェクト」では
田舎郡東北村という現実の地図にはない仮想の村を作り、その住民は東北の生産者、
工業者、商業者、その他東北の物を作る人たち。そこはみんなで助け合い、分け合う
結の里。そこで作ったものは実際のリアル事業へと展開し、プロジェクトを担うTLC事務局
によって首都圏への流通に向かい、向かった先の販売場所では、物を売るだけではなく
再生する東北の心を伝えます。同じ動きがバーチャル事業としても展開されます。

これもまたイタリアへ伝えたいお話ですが、逆にまた東北の心を世界に向けて発信
できるということでもあり、今日は寒くて会議は濃密でとても疲れたけれど、豊かな時間
をもらえた一日でした。   感謝!

 

 

 

手拭い作り

ここ2、3か月手拭いを作りたいなあ、と思っている。何の手脱ぐいかというと、新聞バッグと一緒に
販売する手拭い。手拭いって素敵な手拭いはほんとに素敵でしょ。私たち加工をする人間は
いつだって頭に被ってるし、縫えば袋にもバッグにもなるし、小さい子供の夏のアッパッパーなんか
手拭いで作ったら涼しいだろうなあ、と思って。

これまで東北復興イベントなどで、新聞バッグと共に布で作ったエプロンや袋ものなどを販売して
きましたが、正直エプロンは土地の暮らしと密着しているので、東北で作ったエプロンが東京で
たくさん売れる、ということはちょっと難しいのです。好まれるデザインがちょっと違うから。

それにたくさん持って行きたい時は嵩張るし重い。これまで作ってもらったエプロンは12月の世田谷
ボロ市で完売しましたから、これを機に、少しエプロンを減らしてもうちょっと軽くておしゃれで、お客様に
買って頂き易いものに変えてゆきたいと思ってます。

そんな訳で、手拭い作るっていくらくらいかかるんだろう。どんな風にして手拭いって作ったらいんだろう。
その辺りが知りたくて、ネットで探した手脱ぐいを作る会社に2、3電話を入れたら感触が悪かった。
個人はダメ。忙しいからと断られたりしました。

デザインをどうしたらいいんだろ。誰に頼もう。やっぱりネットで探した手拭いを作る会社に、福島、
宮城、岩手からのメッセージ性があるデザインをお願いできませんか、と問い合わせてみたら
やっぱり断られた。そうだ、じゃあ東北の方にお願いするのが一番だ、と考えて調べてみたら
岩手、釜石で見つかりました。お願いしようと思ったら被災されてお店を閉められていた。

じゃあどこかにいらっしゃるだろう、と探したら津波で亡くなられていた。まだ34歳の才能あふれた
女の方だったのに。お一人残っていらっしゃるようだからと避難者の避難先名簿を見てみたら
その名簿が700ページくらいあって、家を無くした方がこんなにいらっしゃるんだ、と胸が苦しく
なって、290ページあたりで中断しました。

でも、やっと光が見えてきました。三春在住の素敵な温かい優しい絵を描かれる方に巡り会いました。
染めは私の大切な友人の幼馴染であるたけひろちゃんにお願いしたい。
ミラノに間に合えばいいのですが。

 

ミラノと世田谷ボロ市

昨年の12月15日16日に開催された、東京世田谷のボロ市が、また今月15日16日に開催されます。
寒い時期の最中だし、12月の時も夕方になると底冷えがしてずいぶん寒かったので、「いいです。
寒いから。12月だけで充分です」と販売を引き受けてくださるチームワンネスさんにお断りした
のだけれど、「構いません。売る品物を送ってくだされば売れるものは販売します」おっしゃって
くださった。

販売場所は前回と同様世田谷信金の横の代官屋敷。認定NPO法人リブ・フォー・ライフ美奈子基金
さんのブースをお借りするのも前回同様です。前回はがんばっていただいて全商品完売だったので、
今回は、東北のイベントでは時々行う、新聞バッグ入り自然食品、保存食品、常備食品と半ば
冗談混じりで謳っている、よっちゃんなんばん、梅干し、餅(私たちメンバーの自家生産品ばかり)セット
も販売していただけませんか、とお願いしてみました。

返事がない。
1日半ほど経って「止めとけばよかったなあ」と後悔。

だって東京で宮城の食品を売ってくださいというのは、言いにくいじゃないですか。相手の方が
親切であればあるほど、「ダメ」と言いにくいだろうなあ、とそんな立場にチームワンネスさんを置いて
しまった自分に後悔。

もう1日ほど経って代表のOさんから電話がかかりました。「いろんな方がいらっっしゃるのだから試しに
でも置いてみませんか。少なく。売れなかったら悪いから」と。
そうなんですよねえ。昨年はそうでもなかったのだけれど、この頃は、放射能の数値が出ている訳でも
ないのに自ら遠慮して、東京で食品買ってくださいというのは言いにくいなあ、と思うようになって
しまっています。メンバーのKは食材を東京で、と言ったとたんに「無理でしょう」と言います。

福島とその先の土地の間に1本の線が引かれてしまっているような気がします。

昨夜珍しいメールがありました。イタリアのミラノから。3月に経営なさっているお店で新聞バッグや
布小物や写真の展示でのイベントを考えられているとのこと。
イタリアの方々に何を伝えましょう。
やっぱりなんて言ったって、援けて頂いたお礼、感謝の言葉を真っ先に伝えたいですよねえ。
準備をするのが楽しみです。