新聞バッグは誉められました

四万十の新聞バッグコンクールのことでひとつ書き忘れたことがあります。審査後の交流会でお会いした、新聞バッグインストラクターから、私たちが出品した新聞バッグ(カミジョーさん、ケイコさん、シンコさん、スズキさん、サオリちゃんが作った)について、「大変完成度が高い。わずか数か月でよくこれだけのものが作れるようになった、と感心している。これなら販売できます」と誉めていただきました。

日々を被災のただ中にいて、重い記事も救いのないような記事も、そういうものだと呑み込んで麻痺したような感覚で作った新聞バッグと、普通の日常の中で作った新聞バッグは、大きな差があると気付かされた後に聞いたお褒めの言葉だったので本当にうれしくて、この言葉こそみんなに伝えたい、と思ったことでした。

それともうひとつの違いは、四万十の新聞バッグはリサイクルや生活の中の工夫や楽しみとして作られ、その売り上げの一部は四万十川の保全に使われるということですが、教えていただいて宮城で始めた新聞バッグは全く他の要素がない、目的はただ一つ、生活の糧としての新聞バッグです。これまで作った新聞バッグは3500枚を越し、なおまだ数を増やし続けています。

今日、事務所で注文品の新聞バッグ3枚セットを見ました。きっちりと折られた大は日本語、中は英語(またはフランス語)、小は日本語の新聞バッグが3個重ねて透明のセロハンの袋に納められてました。ただの新聞で作ったバッグなんですが、一瞬ドキンとするほど素敵だった。私これもらったら、嬉しいかもしれない。私は花屋なので、このセロハン袋にドライフラワーをつけたいねえ、などと事務局のJと妄想を膨らませました。

それと私たちにとって今年の被災時の新聞は、とても大切なものだ、ということも重要です。Jは3月13日からの新聞で折ったバッグを、将来のミュージアム用の新聞バッグだと、販売せずに保管してますが、電気がついた日もガソリンが来た日も、私たちにとっては忘れがたい記念日のようなものです。

市川での販売時、展示していた新聞をあッという間に持ち去ったお客様がいました。ああーッと悲鳴を上げているうちにお客さまは立ち去り、ガス記念日新聞はなくなってしまいました。悔しかったー。

 

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