河北新報ティータイム「新聞のバッグ」

「どうしてもここがいいーッ!」
諦められません。

「こんなところでしゃべってていいの?」
「早くしなきゃ作りかけの巣落っことされちゃうわよ」

としゃべっているように見えました。

道の駅の出入り口の外で花の販売の仕事をしていると、外の景色がどうしても目に入ります。
鳥も人も、みんな一生懸命に生きてるなあ、と思います。

新聞は地元紙、河北新報をとってます。
越してきた時は地元を知りたいけれど、地元のニュースだけでは心許ない気がして、読売新聞、河北新報、
両方とってました。少し地元が解かってくると、もっと知りたくなって、地元の更に身近な出来事が載っている
大崎タイムズも読んでました。

数年経つうちに読売新聞を取らなり、さらに時が経って大崎タイムズからも離れ、河北新報だけになった
のですが、忙しさにかまけて読んだり読まなかったり。

そんなふうに新聞と付き合ってきたのですが、昨年の大震災を機に俄然隅々まで新聞を読むようになり
ました。大震災のことは地元紙にしか書いてないからです。でも1年たってこの頃は気がゆるんできて
時間のある時に2、3日分を読んだり、1週間分まとめて読んだり。

昨日はたまたま時間があって河北新報を隅々読みました。
そしたら偶然にも目に入った、読者投稿欄のティータイム。
「新聞のバッグ」とあるではありませんか。

ええーッ、「新聞のバッグ」?もしかして私たち?

「避難所で女性たちが読み終えた新聞紙で新聞バッグを作って活用されていることを河北新報で知った」
とのことで、大震災以降通常と違う1年余りの間に感銘を受けたことがたくさんあり、新聞紙のバッグもその
ひとつである、という投稿でした。

なんと嬉しいこと!

どうしたらいいんだろう、何をしたらいいんだろう、と考え、たまたまのきっかけで避難所で作ってもらう
ことになった新聞バッグ。
内輪話をすれば、避難所では新聞をとっていないので、新聞紙を手に入れるのに苦労しました。

鳴子温泉のお土産商店街で、新聞バッグを作り始めた南三陸のサオちゃんたちに読んだ後の新聞紙を
乞われたお店も多いはず。そんなことばかりもしていられないので、河北新報さんにお願いして
古い新聞を頂けるようなり、英字新聞はジャパンタイムズさんから、フランスの新聞、雑誌はフランス協会さん
から頂いて、ようやく安心して作れるようになったのです。作れたのは援けてくださるみなさんのおかげです。

避難所が閉鎖されても、みんなは今も仮設住宅や借り上げの住宅で作り続けていますよー、と投稿者に
伝えたくなりました。

作った新聞バッグはもう8000枚くらいと思います。小さなお金でも合計すればもう100万円は優に
超えるお金をみんなは新聞バッグを作って働きました。お金だけではなくて、作り続けているみんなは
海山の仲間でお互い心強い存在です。

先月から横浜の新聞博物館にも置いていただけるようになりました。
近い将来、新聞バッグを置いていただいているお客様のところを、1軒1軒回ってみたいなあ、と思ってます。

 

 

河北新報ティータイム「新聞のバッグ」” への2件のコメント

  1. 新聞バッグを発案した人もこれほど広がるとは思わなかったかもしれませんね。

    事務局のKJさんもいいものを思いついたものです。

    1. やっぱり周囲の人たちの気持ちですよ。私たちは新聞バッグを作って販売の努力をしただけだけど、
      それを援けてくれようとする人たちの力が大きかったということです。援けてくれる人たちが
      いなかったら、決してここまでできなかったです。ありがたいなあ、と思っています。

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