菊の師匠

近頃急に野鳥が増えたような気がします。
木々に新芽が吹き始めたので、食べる物が豊富になったからでしょう。

道の駅にもツバメがやってきました。巣作りの前につがいの相手を探すのか、チチチ、チチチチと鳴き
交わしながら、凄い勢いで飛び回ってます。

これは道の駅の建物の外灯です。何故かツバメはこの外灯が大好きで、この電気の上に巣を作ります。
この庇の上のもっと高いところに作ればいいのに。糞を落としてお客様の迷惑になってはいけないので
金網がかけられました。それでも今日はこの電気の上に留まってました。熱くないのかしら、といつも
思うのですが。

今日道の駅で、花の出荷をしている時に、レジの横に忽然と菊のお師匠さんである小野寺氏が立って
いるのでびっくり!
突然後ろから「元気だったー?」と奥さんのムッチャンが抱きついてきたので2度びっくり!

えーッ、なんでこんなとこいるの? 南三陸の歌津にいるはずの人がなんでここに。
嬉しい再会です。あれこれあれこれおしゃべりしている間にご主人は買い物して待って、あげく車の中で
寝ちゃいました。

去年、あんな状況の中で知り合ったからでしょうか。親戚のように身内のように懐かしくて、会えるととても嬉しい。
ふたりとも、今日はとてもお洒落。避難所で会った時から、津波がなかったら、お洒落な方たちなんだろうな、
と思ってましたが、当たってました。ご主人の真っ白な髪に赤と黒のチェックのシャツがよく似合います。

去年のまだ5月、6月の頃、菊の栽培を教えてもらうためにお会いする時、小野寺さんのお洋服はまだ支援品
でした。たぶん普段はあまり着たことのないお洋服なのでしょう。似合ってなくて、ズボンの丈がいつも短くて
つんつるてんなのが見ててせつなかったです。

あっちこっちから支援品が送られてくる中で、ムッチャンが着る服は、私の福岡の友人の服やバッグを持って
行ってました。友人がお洒落だから。良い品物だから。ムッチャンに似合うから。

「ほんとに元気になって、菊の畑もできて後は植えるばかりだし、ムッチャンはお仕事あるし、よかったねえ。      後はしっかり稼いで家を建ててください」と言ったら
「高台移転が進まないのよ。全然進まない。困ったねえ」とムッチャン。

この小野寺ムッチャンのところに福岡の「木の花」さんから、「木の花」さんオリジナルの木綿の上っ張りの
縫製仕事が来ます。そのお仕事を元縫製工場で働いていたという二人の方に回し始めてから丸4か月、
お仕事は途切れずに「木の花」さんに送って頂いているとのことです。

こういう被災者の自立を応援するという形でのご支援を頂くのがもっとも嬉しいし、経済の循環、回転という
形で考えると最も効率的だと思う。同様のお仕事がありましたら、東北被災地にください。

これから私は去年の菊から挿し穂を採って彼岸用菊の準備をします。お盆用の菊は先生任せで、小野寺氏
が植え付けまで育ててくれています。今年は菊栽培の師匠が鳴子温泉の避難所にいないので、自分で
苦心してやるしかありません。今年志津川の菊栽培を再開する小野寺師匠に教えを乞いながら良い菊を
育てて誉めてもらいます!

ホテル観洋から「棚卸ができないから新聞バッグを引き上げてきた」と話をしたら
「あーら、私が行ってあげたのに。仕事場は志津川だからホテルまですぐだよ」って。

今頃言っても遅いよー!

 

 

菊の師匠” への2件のコメント

  1. 抱き合った姿、想像できます。

    山の手さんの支援が海の手さん達の仕事を得ていくキッカケになっていったこと、確かな歩みがあったのですね。

    菊栽培という新たな挑戦、頑張ってください。曽木さんはいつもチャレンジャー。

    1. 「木の花」さんは、私が福岡へ行った時に町を歩いていて、和風の木綿屋さんなのですが、素敵な店構えに
      魅かれてふらりと寄った時に、ちょっとお話ししてみた、というご縁です。
      まさか見ず知らずの私なんぞにお仕事を頼んでくださるとは思いもしないので、ほんとにびっくりしました。
      でもこの仕事は本当の生活を支えるお仕事になっています。私は被災者へのこういう自立への応援が一番
      必要だと思っていますので、「木の花」経営者である高田さんの心の大きさと決断力に感謝しています。
      「木の花」さんは筋の通った一流のお店です。高田さんがデザインされたもの、手で作ったものが置かれて
      います。

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