南三陸へ行ってきました。
今日は誰もいない防災対策庁舎です。お花がいっぱい。私もお参りさせていただきました。
お地蔵さまも下のほうにいらっしゃいます。
振り向けば道路に信号機ができてます。今、赤信号。
内陸部に向かう奥の方は青信号です。
この広がりの中に、津波の後まもなく、仮設でファミリーマートができたのですが、なくなりました。
この信号から山のほうへ向かう左側に、仮設商店街ができたので、移設したのかもしれません。
今日の南三陸行きは最悪!。
久しぶりにこんなにも迷えるのかというくらいに迷子になりました。
昨年秋頃からホテル観洋さんで常設で販売をお願いしていた新聞バッグ。メンバーが忙しくて月1回の
棚卸に行けないので、残念なことですがしばらく販売をやめることにしました。今日の用事はその引き取りです。
普段なら自宅から行くのだけれど、今日は事務所に寄ってと思ったので、古川から。
教えられたとおり、108号線を涌谷へ。涌谷町は伊達家の重臣、亘理重宗が治めた国。涌谷は桜が美しい
町だと聞いていたけど、遠く近くの桜が美しくて桜見物しながら走り、その頃はまだヨユウ。
伊達騒動の原因になった桃生郡に入ったあたりから怪しくなってきました。桃生郡は昔ながら佇まいの残る
風情のある小さな町です。道もせまい。北上川と旧北上川に囲まれた地形は道がわかりづらいです。
この北上川が、満々と水を湛えたダム湖が川の形になったような大河で、大きく蛇行しながら流れ、近づいたり、
離れたり。そのうえ、鉄橋のような、似たような色の大きな橋がいくつも現れ、何度か渡っているうちに
どこへ向かってどの橋渡ったのかわからなくなってきた。4回か5回か渡ったところで完全迷子。
帰るにも帰れず、、通りがかりの駐在所に寄って道案内をお願いしました。
気さくで親切なお巡りさんで、白い紙にきちんと定規で線を引き、道路ごとに5本くらいの色鉛筆で色分けした地図を
書いてもらって無事ホテル観洋到着。
道を訊ねて、色鉛筆で道路を色分けして書いてくれたお巡りさんは初めてです。なにかおかしいんですけど、ホノボノとした気持ちで嬉しかった。普段なら往復3時間もかからないところを4時間半も走ってようやく帰って来ました。 疲れた!
怒涛のように時間が過ぎた昨日、今日。
昨日は午前中は仕事。午後は事務所で、広島から注文を頂いた新聞バッグ米セット作りと発送。ついでに
ミーティング。よっちゃんなんばん、よっちゃんは首の腫れもので首全体が腫れ上がり発熱で不調ですが、
よっちゃん、私ともども6時から10時まで道の駅での会議でした。
今日はよっちゃんこと高橋君、病院かダウンしているか、でしょうねえ。
早く腫れが引いてくれることを祈ってます。
運転お疲れ様でした。地獄に仏のようなお巡りさんに出会って本当に良かった。
よっちゃんの首、心配ですね。
私もグループで6月にホテル観洋に泊まり、被災地の様子を見てくることにしました。写真で見ていて、この様子だから実際は足がすくんでしまうのでは無いかと思います。
いつもは志津川に入って右折し、45号線を戸倉方向に向かうのですが、反対から行ったので思いっきり迷いました。あそこは北上川が曲者です。背筋がゾクゾクするような水量の白波が立ったドデカイ大河がどうしても視界に入ってなにか焦るんですよね。あの堤防走るのは水だらけで怖いです。成瀬川などとは全く違うじゃないですか。迷わないように行ってください。志津川湾の海辺の辺りにガレキは集中的に山のように積まれてます。私も石巻に行ったら落ち込みますが、でも気仙沼にも陸前高田にも行かなきゃと思っています。