雨の大島へ

気仙沼大島の民宿「アインスくりこ」に行ってきました。
昔欽ちゃん番組で活躍していた気仙沼ちゃんが経営する宿ということです。

私の企画ではなく、福岡のいとこの企画で、東京のいとこも含めて3人のイトコが気仙沼大島で
気仙沼ちゃんに会い、超豪華だという料理を楽しもうというイトコ寄り。

しかし、気仙沼大島は私が暮す岩出山からも、東北新幹線で一関。大船渡線で乗り換えて
1時間半で気仙沼到着。次にタクシーでフェリー乗り場に行き、フェリーに25分、船着場に到着後は
また車、ということで私からすると超遠い。車で行きたいけれど、上野から来るイトコたちと一関で
合流ということで観念して初めて電車で気仙沼へ行くことにしました。
しかし天候は最悪。雨は本降りのうえに寒い!

黒田さんに曰くの、のんびりゆっくり楽しいですよ、という大船渡線1時間半の電車旅は、季節柄
瑞々しい新緑を楽しむはずが、窓をうつ雨の雨滴でほぼ見えず。
初めて着いた気仙沼駅は、自分が抱いていたイメージよりもうんとこじんまりした駅で、ちょっと
びっくりがっかりしました。
大震災からの復興という現状を考えれば、もっとお金をかけて新しい駅にしてもいいんじゃないのか。

気仙沼駅からはタクシーでフェリー乗り場へ。
フェリー乗り場の待合室は工事現場のコンテナハウス仕様でまたもやびっくり、がっかり。
周囲はある程度の地盤の嵩上げは終ったとはいえ、一帯に土盛りや白い土嚢袋が目立って、
荒れた感じが否めません。大震災から6年。そんな歳月ではたいしたことはできないのだ、と実感
させられます。

フェリーに乗って25分。
来る前に、気仙沼ー大島間に橋がかかった、と聞き、それならやっぱり車で行こうと張り切った
のですが、橋はまだ工事中。開通はまだ先のこと。
到着した大島のフェリー乗り場もまたコンテナ仕様。それも船から離れていて、雨にうたれ、寒さが
身にしみるなか、やっぱり思いは、東京オリンピックなんぞにかけるお金があるなら、東北にこそ
お金をかけてほしい、とどうしても思考がそんなふうになっていくのは、東京、福岡のイトコたちとは
違い、大震災時に東北にいたものの思いに他なりません。

気仙沼ちゃんの宿は新しい建物が加わった大きな民宿でした。
会いたい、会いたいとイトコが願っていた、歳を感じさせない明るい笑顔の気仙沼ちゃんと、会話が
楽しいご主人が出迎えてくれました。
その豪華さは話にも聞いていたけれど、実際にでてきた夕食の料理の凄さ、といったら・・・。

これで4人分。ありとあらゆる海鮮物が全て出揃っている超豪華版食卓。
夕食中盤戦からカラオケが始ります。ただのカラオケではなく、ご主人の采配による仮装カラオケ。
これがけっこう凄いというか、えぐいというか、濃いというか。
8時過ぎに終了したところで、次はバスによる夜間ツアー。
島を巡って仮設住宅などを見るそうですが、これは辞退しました。

翌朝6時、玄関ロビーでの朝市の案内放送から始まり、またもや超豪華な海鮮朝ご飯。
ご飯を終えた後、気仙沼ちゃん手製のぶどうパン、人参パン、お茶パン、コーヒーパンを供され
ますが、お腹満杯。全然食べられません。
お土産にと発砲スチロール箱いっぱいのワカメにメカブ、紙袋にぎっしり詰めたパンを頂いて
お暇しました。
しかし、聞きしにまさる・・。食べ物が凄かった。

帰りも、来た時同様、フェリー、大船渡線、新幹線を乗り継ぎます。

乗り換え時間を待つ間、休憩した一関駅の小さなお茶屋さんで、偶然にも糸井重里ご夫妻と
遭遇し、ご挨拶させていただきました。。2年ほど前、東京聖路加ガーデンのホテルで、四万十
ドラマ主催のイベントでお見かけして以来です。
奥様は女優さんらしくとてもかっこいいけれど、女優さんというよりも糸井さんの奥様という感じ
が強くしました。いずれにせよ、こうして東北まで出向いてくださるだけでも有難いことです。

86歳の従姉は長崎の原爆被害者で目が不自由。
75歳の私と同年の従姉は難病と闘病中。
嵐のようなイトコ寄りでしたが、これも命あるうち。また次があることを願いつつ、仙台空港まで
送って終了しました。

 

 

 

 

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