残照

啓子さん。ボリジが咲きましたよ。

取り忘れることもある、県道沿いに置いた新聞受け。今日は珍しく、出荷に行った道の駅からの
帰りに新聞を取りました。

帰って一息入れて、コーヒータイム。ぱらぱらと新聞をめくっていて、あらッ、あらッと思って、
見返したら、”残照”というコーナーに懐かしい、啓子さんの笑顔がありました。

涙がとまりせん。今こうして書いていても涙がとまらなくなる。
秋に、海の手山の手ネットワークの何かを相談しに行った時、いつも被っている帽子を脱いで
「ほら、こんなに髪の毛生えたよ」と見せてくれました。東北の女性らしく、とっても色白の
細面の顔に、超ショートの頭がよく似合ってました。

「かわいいよ。ほんとかわいいー」なんて笑っていた時、「ちょっとお腹痛いんだ。カイロ入れてる。
もしかして、もしかして」とふざけて歌う啓子さんに一抹の不安を覚えました。11月でした。
「明日でも病院行ったら?」と言ったら「大丈夫。もうすぐ予約の日だから」と。まだ予約まで
1週間くらいあるのに。啓子さんは我慢の人でもあったんですね。

私と啓子さんとはそれほど長い知り合いではありません。大震災後、私やよっちゃんが
海山ネットを始めてからのことです。その時には啓子さんはもう闘病中でした。それまでは、
啓子さんが週2度オープンする「風のアトリエ」農家風レストランに食事に行ったり、啓子さんが詳しい
本や音楽の話をしに行ったりしてました。

でも海山ネットを始めてから、その活動の報告や、言葉を考えてもらいたい時や、絵を描いてもらいたい時、     デザインしてほしい時、など相談にのってほしいことがいっぱいあるので、啓子さんが退院してきたら
アトリエに行きました。病院で読む本を3冊持って行きました。自分で選ばない本は面白いと
とても喜んでくれました。

花が好きで自然が好きで音楽が好きで、なんといっても絵を描く人で、そして言葉は軽く内容は
しっかり実が詰まったエッセイを綴る人で、レストランを開くためには調理師の免許をとってしまう
ほど努力の人で、病気の前は米粉に取り組んでて、「米粉は手強い!」と言ってました。
退院してくると、ご両親のお食事を作り、農村を愛し、地域を繋ぐさまざまな活動に力を発揮され
てました。才色兼備という言葉は使ったことがないけど、彼女のような人のことを才色兼備と
いうのでしょう。

それでもなにより私が啓子さんを好きなのは、しんから優しい人だったからです。

”残照”の中でご主人がおっしゃってます。
「啓子は『みんなほんとうに大切なことを忘れているんじゃないの?』と問いかけていたと思う」と。
どんな時でも返事を拒まれたことがなかった。体調が悪くても待たされたこともなかった。

啓子さんの笑顔を見るのは昨年の秋に、アトリエのお庭でさよなら、と手を振って以来です。
お通夜には行ったのだけど、入り口に飾られた写真を見ただけでUターンして帰って来てしまいました。

私の友人や知人に亡くなった人は多いけど、友人が亡くなってこんなに悲しいのは初めて。
きっと私はよほど啓子さんを信頼し、頼りにしてたんだと思います。その芯からの優しさと
賢さに。ご主人も息子さんもどれほどか、お力を落とされていることだろうと思うと胸が痛みます。

”残照”で啓子さんのことを読んで、その後お餅を切って、啓子さんのことを思い出しながら
涙を流しながら車を運転して道の駅まで行ったら、切ったお餅を家に忘れてきてました。

なんてこと!相変わらずドジな私。
「ダイジョーブ、ダイジョーブ」
聞きなれた啓子さんの声が聞こえてくるようでした。

 

 

 

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