宿題

夜、外は雨。

熊本も降っているのかなあ。

明日、海山女子部の黒田さんは、お母さんと猫を迎えに熊本に向かいます。とりあえず、飛行機で福岡まで飛んで

それからレンタカーを借りて熊本まで。ご心配くださったみなさまへのご報告です。

とんでもない事態になりませんように。とにかくこのまま静まってほしい。

 

60歳でここ岩出山に来るまで、東京の企業で働くサラリーマンの妻業をしてました。そのため名刺など全く縁が

なかった。それが大震災後海山が始まってから、名刺を持つようになり、頂いた名刺は膨大な数。

震災が起こってから後、それだけ多くの方にお会いし、お世話になったということです。

 

新聞バッグ作りは、最初は「仕事がしたい」との沿岸の方々の声に応えようと、小さな仕事を作り出す手段として

始めたものですが、夫から「古新聞を加工してラーメン一杯食べられるなんて凄いことだぞ」と言われて、そうか、

そういうことかと納得しました。が、実際に作り始めてみると、ラーメン一杯の価値だけではなく、仮設暮らしの

生活のリズムができるとか、人と出会い話しをするきっかけになるとか、お金だけではない価値があることに

気づいてきました。

 

今回熊本に大地震が起こってから、自分たちがどれほどの方々お世話になったのかを振り返っています。

最初に東京で新聞バッグの販売を(新聞バッグだけではなくて急遽作り出した竹盆栽だの、南三陸のわかめだの

売れるものは片端から売りました〉受け入れてくださったよっちゃんの盟友、自然食品のガイヤさん。

初めから現在まで新聞バッグとよっちゃんなんばんを注文し続けてくださっている東京、恵比寿のギャラリー

「まぁる」さん。大震災の翌々年、津波被災をした南三陸のおのでら菊作りの師匠が、ようやく作った数千本の菊

を市場をなくして売りあぐねている時に、全てを買ってくださった滋賀県の化粧品会社、ウルズの角川社長。

その後もご自分の会社や提携会社に紹介してくださって膨大な数の新聞バッグを作りました。今でも毎年クリスマス

用の新聞バッグを注文していただいています。

四万十ドラマも高知銀行さんもUFJ銀行の企業グループ緑会さんも私の母校、福岡の筑紫女学園の同窓生たちも

仙台銀行さんも・・・・。こんなふうにお名前をあげるときりがないほどたくさんの方にお世話になっています。

 

今私が考えるのは、ご恩返し、じゃないんだなあ。

「支援」言い換えると「一過性ではない応援」というのはこんなふうにするのですよ、と教えられ学ばせてもらったのだ

、と思うのです。

この5年間で私たちが見てきた東北の復興の姿は、そこに住むものが望んだかたちではなく、いろいろな意味での

外からの力で作用された姿のような気がして違和感を覚えることが多くあります。

 

鳴子温泉に住むあやさんから教えられて、今日は川渡温泉で開店した食事の店、キッチン菜の花でお昼を食べました。

キッチン菜の花は川渡温泉の共同浴場のすぐ近く、荒尾川の橋を渡ってすぐのところ。今荒尾川の堤防は桜

満開、河川敷の菜の花も満開でピンクと黄色に染まっています。週末には菜の花祭りが催されます。

キッチン菜の花で、あやさんと「私たちがしてもらったことを九州にも伝えよう」と話し合いました。

おかしいのはさすが海山。応援、支援となると頭に浮かぶのは新聞紙とか新聞紙で作るものだとか。経験から

照らし合わせて他のものが思い浮かびません。

あやさん曰「新聞紙を送ろうか?」

 

新聞紙はあらゆる面で役には立つと思うけれど、送られたほうも困惑するかもしれないので却下。

これから数ヶ月かけて、自分たちがしてもらったことをどのように九州に伝えていくのか考えます。

大きな宿題です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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