富良野GROUP「屋根」の劇団が北海道を離れてからこっち、その公演地が今どこかな、と考えるのが日課
のようになりました。富良野から始まって日本の南端の種子島まで、日本列島を縦断して24会場。
1日1公演のところだけではなく、昼、夜2公演のところもあるので、公演数にすればもっとです。
全行程に付き添われる倉本先生ご夫妻のお疲れもさることながら、全力投球でお芝居をして、移動して舞台を
作って壊してまた移動と3ヶ月もの旅を続ける劇団員の疲労はどれほどのものだろう、といつもそのことが
気にかかってました。
お迎えの日
そしてそんな日々もとうとう過ぎて、いよいよ私たちの町岩出山に到着の日になりました。
お迎えするのはよっちゃんと私。斉藤事務局は昼食会場の凛菜上の家で待機しています。
今日劇団員さんが来るのは静岡から。
宿泊場所からそのままバスで来るのではなく、重い荷物を抱えて静岡から山陽新幹線に乗り、いったん東京駅
で降りてまた東北新幹線に乗り換えるというのは、私の移動の経験からしても相当きつい行程だと思う。
どんなふうにお迎えしたいいのかわからないけれど、でもとにかく笑顔でお迎えしよう、とは思っていたのですが、
改札から出てくる皆さんのお疲れの雰囲気に飲まれて、何も言えませんでした。
劇団員と一緒に東京から来てくれた吉田さんの顔が。倉本先生と親交が長い吉田さんがいてくれれば
私は嬉しいし、一安心なのです。
お昼ご飯
今回の大崎公演で、劇団をお迎えする実行委員会の仕事は、劇団員の昼ご飯が2回、夜ご飯が2回を用意して、
舞台公演の準備をすることなのですが、まずはこんな大人数を受け入れる食べ物処やレストランなどがない
この小さな町岩出山で、どのように食事の用意をするかが大問題でした。
論議を重ねてまず第1回目となる今日のお昼ご飯は、広々とした田園の中で雪を被った舟形山や緑の森を
見渡せる農家作りの食事処「凛菜上の家」で食べて頂くことに決めました。
岩出山伊達藩から続く有力農家、旧千葉家の築140年、茅葺屋根と土壁が美しい農家住宅「凛菜上の家」。
10年前に地元食材を使った田舎料理を提供する店として営業を開始しましたが、奇しくも今日が営業終了
の日と聞きました。「屋根」劇団員のお昼ご飯が凛菜上の家の最後のお客様です。
「伊達藩の現当主である伊達さんから、月末のご予約が入りましたが、お断りをして本日のみなさまを以って
最後のお食事とさせていただきます。」
10年間「凛菜上の家」の当主として活躍され、今は84歳になられた看板店主奥野さんのご挨拶がありました。
鳴子漆器のお膳、明治、大正、昭和と使われてきた器類、お膳に並ぶ奥野さんの手づくりの田舎料理、
一抱えも二抱えもある真っ黒にいぶされた柱や梁、磨きぬかれた板の間、そしてちょっと煙たい囲炉裏の火。
歴史と田舎が入れ混じった今日のお昼ご飯の場。劇団の皆んには喜んでいただけたかどうか。
でも奥野さんにとってはとても嬉しい印象深い営業最後の日となったに違いありません。
文化会館(スコーレハウス)で。
食事を終えるとすぐさま公演会場に入って、舞台の仕込が始まります。
ご紹介を受けましたが、私がびっくりしたのはこの大舞台の照明さんや音響さんが各一人だということ。
この少人数の方がトラックと一緒に移動して、着くや否や舞台装置を作って本番の準備をし、終わるとまたバラして
移動して次の舞台の準備をするのかと思うとほんとうに驚きました。もしかするとこの世界では普通のことなのかも
しれないけれどド素人の私にはそんなことが解ろうはずもなく。
舞台で演技をする俳優さんたちもみなさん重そうな衣装の箱やら道具の箱やら運んだり引っ張ったり、若いとはい
え、ほんとに重労働で休む時間なんか全然ないんだ、と実感させられます。
きっとこんな日ばかりではなく、処によっては少しは町を見たり散策したりする時間もあるのだろうとは思うのです
が、ここ岩出山では無理のようで。
そういえば、今日お見えになる予定だった倉本先生は、急遽東京泊、明日到着となりました。
「そのほうがいい、そのほうがいい。疲れすぎる」私の心の声が言っています。
午後4時からは団員さんによる高校生へのコミュニケーションワークショップを開催します。
詳細は後ほど。