D社長被災地視察来訪4日目  その2

       話に来たのはAさん、Bさん Sさんの奥さん

       預けてきた荷物を入れる倉庫がない。

       洗濯物を干せる軒、雨樋がない。プレハブ住宅が直に地面に置いてあるので

       湿気がひどく、地震の振動が凄い。換気扇を24時間回し続けるように言われて

       いるが電気代が心配。聞いているだけで何ができるわけでもないのだけれど、

       聞くだけでもと、熱心に聞く。

       「津波で家が流されていくら貰えたの」私の唐突な聞きにくい質問に対して「50

       万円と100万円、合わせて150万円」と返ってきた。150万円から車を買い、生

       活必要な品々を揃えると、あとは残りを数えながらという暮らしぶりになるだろう

       ことは想像に難くない。仕事があればいいけど、家も店も会社もないのだもの。

       それにしてもこんな辺鄙な所に仮設住宅を建てるのだったら、日赤の義捐金

       は電気製品6点セットではなくて、必要な家庭には車代とかのほうがよかった

       のではないの。32インチのテレビは2Kの仮設住宅には大きすぎるし、自分の

       足しか移動手段のない場所で狭い仮設住宅に籠っていたら、「いざ、復興に

       向ってがんばろう!」と思っていた気持ちはだんだん萎えていくのではないか。

       「鳴子では楽しかったねえ。避難所を出る時には、さあ、これからがんばるぞ!

       と張り切ってここに来たのだけれど、ここで2年住めるかどうか自信がなくなっ

       てきた。不安で夜寝られない」鳴子でピカ一元気だったS奥さんの話を

       終始黙って聞くだけだったD社長が「戻りますか」と突然言った。そして、

       石巻に行くのを取りやめて3人と仮設住宅に行ってしまった。

       一人で石巻に行き、迷子に迷子を重ねてようやく帰路についたその帰り道、

       Sさんに電話をしてみると、D社長は一人暮らしのご老人の家まで訪ねて必要

       なものを送ります、と言ってくださったととても喜んでいた。人数、年齢を把握

       して、これから冬に向うために必要な品物もお手伝いしますとのこと。

       「日赤に寄付をしたのだけれどどこに行ったかわからない。だから個人のつて

       で何か出来ることはないか」と突然私に電話をしてきたD社長。あッという間に

       重役3人とカメラマンを寄越して、次には自分がやってきて、こちらで手配した

       鳴子の旅館を2日いただけでさっさとキャンセルし、レンタカーを運転して役所

       仮設住宅、同業者4人を訪問した後、今日もとっても気に入ったホテル観洋に

       宿泊するそうです。

       

       

            

      

       

    

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