「みず」25号発刊によせて

私がまだ40代の初めの頃、病気をした母を見舞うために福岡へ向かうその途上でのこと。

私と母はあまりうまくいっていませんでした。うまくいってないというよりも私の一人相撲で母を理解し切れなくて

遠ざかっていたのかもしれない。でも病気なんだもの。長い間帰らなかったのにどんな顔をして、なんといって

帰ろう。羽田空港で帰りたくない、けど帰らねば、というふたつの逡巡する心を抱えつつ、空港内にある本屋へ

入った時に、「五十歳、いざ」という本が目に止まりました。著者は高田宏という知らない作家でした。

福岡までの1時間半、その本を読みました。読み進むうちに、母へのわだかまる気持ちは、人の自然な感情と

捉えてよいというようなことが書かれていて私は気持ちが楽になり、ただ、素直に母に会いに帰ろうという気持

になりました。本の最後に高田宏氏が主宰するエッセー教室が渋谷東急プラザにあるBEカルチャーセンター

で開かれていることを知り、帰京した後に教室をたずねました。

 

講座の名はエッセー教室でも、「ぼくは文章の書き方は教えません。エッセーを書くことは生き方を考えることです」

と仰る先生は、教材にたくさんの様々な本を取り上げられ、その本についてのお話をされました。

私たちは高田教室でたくさんの本と出合い、先生の読み取り方をうかがいましたが、常にそこにあるのは、読む

にしても書くにしても自らを深く見つめ想像力を磨き上げることからしか文章表現はあり得ない。書くことは深く考え

生きることだ、と教わりました。

 

教室生になってしばらくしてからみなで同人誌を作ることになりました。1年に1回原稿を書き、先生が懇意になさっ

ている第一印刷に校正や印刷をお願いして発刊する。完成したら、東急プラザの「いらか」で打ち上げの会を開く。

そう決めて始めてから25年、25回の原稿を書きました。4半世紀、この25年間に亘る長い年月に起こった自分の

人生の紆余曲折。嬉しいことも胸が潰れるように悲しいことも、先生の「客観として見られる目を持ってから書きなさ

い」という言葉に頼って、書き紡ぎました。

そして時が経つにつれ、この高田教室と「みず」は私、いや私のみではなく教室生みなの生きる道標、軸足を置く

拠りどころとなりました。大きな出会いでした。

 

先生が書かれたご本は何冊あるのだろう。大仏次郎賞を受賞された「言葉の海」を始めとして100冊ほどか。

今は80歳を越えられ世田谷のお宅で静かな時間を過ごされている先生に、25回目の「みず」を読んで頂ける

ことが本当に嬉しく、また「いらか」でお目にかかれることも年に一度の大きな楽しみです。

 

「みず」同人の仲間たちもすっかり年をとり、25号が完成した今年は長年親しんだ東急プラザもなくなるとのこと。

ここからまた1号。それもまた嬉しいことではないか、とそんなことも思います。

しかしこの「みず」25号。これで最後とみな思ったか、一人一人の文章は胸を衝かれるように素晴らしい。

先生はきっと喜んでくださると思う。大きな大きな感動です。

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