大晦日

とうとう大晦日。紅白も終わり、行く年くる年が始まりました。

夫が大好きだった行く年くる年。まあなんとなく夫の写真のほうにテレビを向けてあげているけれど、

結局は一人で感無量です。

今年はなんとも出来事の多い年でありました。

春まではgo to newyorkの会議などやっていたのですが、6月にロイズコンフェクトさんとの出会いが

あり、あっという間にロイズ新聞バッグ10000枚の注文を頂き、そのお話で北海道の当別に行って

戻ってきたらすぐに富良野の倉本先生からのお話があり、また富良野へ行って戻ったらよっちゃんは

怪我をし、年末になっちゃった、というようなことで。

 

海山関連で云えば、ひとつの扉が開いたら次の扉がまた開くというような、自分たちで何かをした、と

いうのではなく、導かれるように起こってくるいろいろな出来事に乗っかって、動いたような時間でした。

その時間の中で、これまで知らなかった方々に出会う機会をいただいたことに感謝です。

年末、南三陸のけいこさんから立派なホタテがたくさん届きました。富良野のみや子さんからワインを

送って頂きました。このお正月には富良野ワインを楽しみながら歌津のホタテを食べます。

そういうことがとても楽しい。

倉本聰先生の著書に「北の人名録」という大変面白い本があります。描かれている富良野の方々は

大変魅力的ですが、大震災後私たちが出会った海山ネットの人名録は人の玉手箱です。

新しい年、出会った方々とご縁を繋げての歩みはまだまだ続きそうです。

 

そして私自身について。

宮城県北のこの町に住み着いてから13年。ひとつところに6年以上住むのは初めてです。

福岡出身ですが、結婚後は、北九州、神戸、大阪、名古屋、東京、福岡、また東京と転勤で渡り

歩いて転居歴は20回近いかもしれない。子供たちには過酷な経験をさせました。3人の子供

たちはみな世帯をもって堅実に暮らしていますが、ふとした時に申し訳なかったなあ、と思います。

夫が東京の会社を退職して、老後の人生をとここに越してきた時には、なんとも落ち着きが悪くて

ここを終の住みかにしよう、と思いたいのですが思えませんでした。

またどこかに行くんじゃないかなあ、と思ったり思わなかったり。そうこうするうちに道の駅がオープン

して、そこで花屋とお餅屋などするようになったら、生まれて初めて生産者として働くことの面白さや

楽しさで元からここに住んでいたようにこれまでの10年余りを過ごしてきました。

 

いつの間にかこの家が終のすみ家のような気持ちになってました。

2013年に夫が亡くなって、2014年は夫がいた時と同じようにお餅屋をやって暮らしてきましたが、

この年の終わり近くになって、気持ちが変化しつつあります。

来年は考えます。時間をかけて。どこで暮らしてどこで死ぬか。

 

今年お世話になりました、みなさま。ありがとうございました。

陸君。試験がんばってよ。あなたのこと、忘れたことありません、宮城から応援しています。

新しい年も、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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