仕事のやりかたを変える

12月28日。

例年だったら今日鰤を買ってきて、お雑煮用に塩で締めるのですが、時間がなくて買いに行けなかった。

一昨年亡くなった夫も、その前に亡くなった父もお正月三が日は、この塩ぶりが入った博多雑煮ばかり

食べてました。今年の正月は喪中で作らなかったけれど、来年の正月は作ります。

降って湧いたように突然具合が悪くなって、「これはいよいよかな」と何かの病気を覚悟したら、六日間

寝て起きられるようになって、今日はほとんど元どおりになりました。

「はあー、やっぱ治るんだねえ」と何か不思議な気分。

 

でも今回は考えました。

以前だったら三日寝れば起きられたかもしれないのに、確実に回復に時間がかかるようになっている。

加齢ということだねえと。仕事のやりかたを変えなければならない。

福岡にいる私の親しい友達は、中学1年の時から6年間硬式テニスのパートナーでした。その時代まだ

硬式テニスが主流ではない頃で、練習や試合や合宿などは市内の私立男子校の生徒と一緒にやって

ました。社会人になっても彼女はその時代の仲間と交流しながらテニスを続け、選手をやりコーチをやり、

コーチができなくなると子供たちを指導し、70歳を過ぎた今は障碍者の方に教えています。

でももう「走るの苦しいよっ」と言ってますから風前の灯ではあります。

 

50歳からバトミントンを始めた私の母は80歳まで現役でした。80歳となると試合なんぞには出ていなか

たけれど練習には行ってました。80歳でもまともに打ち合うと私は負けてました。長年培った力は80歳

と50歳という若さの差だけでは太刀打できないです。

 

もうひとつ母が50歳から始めたものがあって、それは絵と木彫でした。絵と木彫はほぼ92歳で亡くなる

寸前まで現役でした。若い頃に彫ったレリーフの彫りの深さは木を貫きそうに深く力があり、86歳で

福岡から宮城の私のところに来てから掘った木は優しい浅彫りです。

いつも枕元にスケッチブックを鉛筆を置いて寝てました。イメージが湧くとすぐに絵に描きデザインし、

木に彫って色を掛け、父が磨くという段取りで仕事をしていましたが、40年の間に大から小まで何百の

木を彫ったことか、想像がつきません。何度も個展をやり、北海道から沖縄まで生徒さんがいました。

母のことを思い返してみると、やっぱり年齢に合わせて仕事をしてきてます。

 

何にもできない私は友だちや母と較べるわけにはいかないんだけれども、それでも今やっている仕事を

年齢に合わせて変えなきゃね、と思いました。仕事がお餅つきだから、ちょっとかっこ悪いけど。

でもこれはオトーサンが私に残した仕事だからやめません。

これまで朝晩やってたお餅つきを朝だけにするとか、冷凍にするとかいろいろその年齢、体力なりの

仕事のやり方を考えて、またそのやり方を品物を販売するお店のほうにも柔軟性を以って受け入れて

もらって仕事を続けていけたら、老人も安心して働けるということなんですが。その点道の駅とか直売所と

かは年をとった人間にとって、ほんとうに有難い仕事場です。

 

さて、明日は待ったなし。買い物に行ってお正月の用意をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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